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第46話 オスティア河港街 観光


「商品は地下の倉庫で預かってやる。しまってこい。明日の朝イチから中心街へ向かうぞ。スピネラから来たところで悪いが、二日分の移動の用意をしておいてくれ」


 そう指示をされて、三人で広げていた荷物を片付け始める。


「俺も組合をしばらく抜ける準備をしなきゃならねぇ。ライチは、オスティアは初めてなんだよな。まだ日は高いから、ちょっとでも観光してけや。組合長が言うのもなんだが、いい街だぞ。テュフティアの方に沈んでいく夕日と、川に揺れる船着場の船たちが、俺の気に入りだ」


「組合長こそいい街だって言うべきっしょ!街は川沿いに縦に長く伸びてるんすけど、カステリナ中心街は東なんで、川を背にして進まないといけないんす。軽く見てすぐ戻って来る感じで案内するっすよ」


 そう言ってフェラドがウインクをしてくれる。人懐っこくて面倒見の良い人だ。ライチはありがたく案内をお願いした。


  「おぉ〜い、ジュトル〜〜すまんが、明日から短くて五日は消えるわ〜〜なんとかしてくれな、頼んだぞ〜」


 トルヴェルがちょっと甘えた声で二階に大声で呼びかける声が聞こえる。どうやら二階には苦労人の補佐官がいるようだ。


(組合長、お借りします。さーせん)


 ライチは脳内でジュトルさんとやらに頭を下げた。




---




「オスティア河港街は、おおむねですが、スピネラ村の十倍強……あぁ、ライチさんは大きな数も理解されてましたね。二千人ほどの人が暮らしています。テュフティアから流れてくる人も含めると、二千五百人ほどの人が動いている街です。広さは……体感ですが、居住区と商業区だけで、スピネラ村の畑ほどの広さがあります」


 まぁ、街の案内と聞いて予感はしていたが、世話好きのメルカトが観光バスのガイドさん並みに流暢に説明してくれる。

 これまた、ライチが脳内でイメージするより早口で情報を追加してくるので、こちらの処理が追いつかない。『へぇ。ほぅ。ふぅん』を駆使して、なんとかメルカトの厚意を無碍にしないように必死である。


(二千人……畑……東京ドーム三個分……)


 むんむんと処理しながら周りを見て回る。市場では品物しか目に入らなかったが、よくよく見ると、道行く人の服装も靴も農村とは全然違う。


(革靴を履いてる人もかなり増えたな。なんかスポッと足を革で包んだだけのデザインが多いけど。おっ!くすんではいるけど、色のついた服だ!腰のエプロン!おしゃれヒゲ!女性は、頭に白い布を巻いてる人も多いなぁ)


 文明だ。急にすごく文化的である。

 農村の女性は若い子も含め、髪を完全にまとめ上げて、紐で縛り、とにかく邪魔にならないようにしている感じだったが、街では長い三つ編みを下ろすのが主流のようだ。お年を召した人は三つ編みを丸めて、アップにしているようである。ヘアケアはほぼ油と櫛だけ、という世界なら、できるだけ汚れないようにまとめておくのも納得だ。


(昔の西洋の女性の頭に布、といえば、“牛乳を注ぐ女”とか、“落ち穂拾い”とか、“真珠の耳飾りの少女”とか、ああいう髪を全て隠しているイメージだったけど……ここではもう少しラフというか……なんか、ヘアバンドに近い雰囲気だな)


 隠すどころか、三つ編みもどんどん下から出ているし、なんなら前髪や頭頂部や後頭部も出ている人も多い。

 男性は、短髪もいれば、わりとボブくらいの長髪?も目立っている。結構ヒゲで遊んでいる人も見受けられた。平均寿命の低さにより老人はそんなに見かけられないが、若くても頭皮がつるりとした人もちらほらいて、ライチは思わず自分の髪を触った。


「髪が気になりますか? 特に女性は、長い髪が美の象徴とされています。貴族は従者が手入れしますが、こういう街では自分で手入れをするので、『邪魔だから切っちまいたい』みたいな声も聞かれますね。そのうち我々のヘアケアが流行れば、きらめく髪を下ろすのがブームになるかもしれませんね」


(髪を下ろす? ……いいのかな?)


 なんとなく宗教的に、女性は肌を出さないとか、髪を隠すとか、そういうものはないのだろうか。新婦のヴェールもそうだし、シスターの頭巾なんかも。旦那や神と結婚した証、なんて聞いたことあるのだが。

 物知りのメルカトに聞いてみる。


「宗教や慣習で髪や肌を隠す……ですか? 髪は恥部くらい隠すもので……? 修道女が神と結婚?? えっと……唯一神のヴェルディウス教で、ということですよね??」


 メルカトが、想定の範囲外からの質問に大混乱していると、ムリーナを引きながら歩くフェラドが話に入ってくる。


「結婚したら髪を隠せって、隠さなきゃならない嫁の髪って、どんなんすか!しかも、神様って!神様はそんな変なこと言わないっしょ〜!修道女が神様と結婚って!はははっ!何人嫁さんいるんすか!ハーレムすぎてヤバいっしょ!」


(えぇ〜? あれ? 髪は見せたら恥ずかしいとか、髪を隠すのは貞淑の意味とか、そんなのなかったっけ……うーん、リノのヴェールを選ぶ時の待ち時間でぼんやり検索したくらいの浅い知識だから、よく分からん……。まぁ異世界だしな。……あー……ウェディングドレスのリノ……可愛かったなぁ……)


「なんかごめん、勘違いしてたみたいだ。とにかく、髪がサラサラツヤツヤになったら、既婚者やシスターですら、みんな見せびらかしたくなっちゃうってことだよな?」


「そっすそっす!商機っす!……あー、おかしっ」


 フェラドがムリーナの背をぽんぽんと叩きながらまだ笑いの余韻を燻らせている。


「女性が髪を編むのは、長いしギトギトでベットリなんで編んでないと生活に支障が出るってだけですよ。長さも、長髪こそ女性らしさ!みたいな慣習がなくなっていけば、すっぱり切るでしょうね。

 頭の布は、虫やら埃や砂やらがかからないように掛けているようですね。短髪の男性と違って、櫛でといたときに汚れがべっとりした長髪に絡みつくと地獄絵図なんで。長くきれいな髪を見せたい!でも汚したくない……の、折衷案が、頭の布かと思われます」


 混乱から立ち直ったメルカトが丁寧に注釈を入れてくれた。みんな、ギトギトからサラサラになる時を待っているようだ。頑張って普及に励もう。




---




「川に沿って、市や貿易ゾーンがあって、それと平行して少し川から離れたところに走る商業通りは、店舗ゾーンっす。中心街の下町にあるような店は、ほぼここにもあるっすね」


「あれは羊毛屋です。染料はほとんど輸入ですが、染色を行ってくれます。こちらは樽屋で、港の荷は大体ここの樽や木箱で包まれます。底が抜けて怒鳴り合い……なんて光景もよく見られます」


 建物の切れ目の度に右手に川を見ながら、木造の平屋の店舗が続く。初めて聞く“〇〇屋”も多く、聞いているだけで楽しい。


「この通りの店舗はここまでで、ここより奥は居住区っすね。商業通りより更に川から離れた通りも、居住区になってるっす」


 居住区も、店舗と同じく木造の平屋だ。ひしめき合う、という感じでもなく、わりとすき間を開けてゆったり建てられている。建物の裏手に見える小屋は、おそらく見慣れたトイレ小屋だろう。


「トイレで肥を溜めるってことは……この街にも畑があるのか?」


 川沿いの街で、こんなに広い大河なら、溝でも掘って水を流して、便などは川に捨てそうなものだ。わざわざ小屋で溜めているなら、肥やしとして使っている気がする。


「そっす!建物のゾーンを抜けたら、畑と酪農ゾーンが広がってるっす」

「野菜は手間と人手がかかるので、貿易中心のこの街では、世話が少なくても育つ、エール用の大麦を春撒き・夏収穫にして、交代で、秋撒き・春収穫のパン用の小麦を育てるのがメインですね」


 今……何か、すごく素敵なワードが聞こえたような。


「エール? 大麦……ビール!!飲 み た  い !」


 毎日のリーマンの夜のお楽しみ。ビールである。これはそそられない方がどうかしている。


「夕食は食堂に行くんで、普通にエールも飲めるっすよ。この辺は水もそんなに綺麗じゃないんで、水よりエールを飲むっすね」




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 宿屋と食堂は商人組合の建物がある通りの方にあるらしく、商業区を歩いて戻っていく。


(あの全身白ずくめ、ちらほら見るな)


 何をするでもなく市に立っていたり、ゆったりと歩いていたりする。数人見たが、どれもあまり日に焼けていない細身の男性だ。

 革靴も隠れそうな白くて長いハイネックのワンピースのような服を着ている。長袖で、袖口はピラピラと広い。男性もののゆったりしたチャイナドレスに近いデザインで、鎖骨のあたりに水色のリボンで縁取られた穴が空いている。首からは水色の帯が垂れ下がっていて、風にさらされる度にヒラヒラと揺れている。

 ワンピースには太ももまでのスリットがあり、歩くと、アオザイのように中のヒラヒラした白いズボンが見え隠れしている。頭には女性たちのようなヘアバンドをつけており、頭頂部あたりには、水色の刺繍糸で“*”のマークが縫い付けられている。


「……そういや、神聖力って、なんだ?」


 ライチの視線の先から察したのか、メルカトが丁寧に説明してくれる。


「魔石も知らなかったですものね。神聖力は、今ご覧の修道士や、修道院にいる修道女が扱える力です。

 ヴェルディウス神への強い祈りが届くと、神聖石が鎖骨の間あたりに出現する、というのは……ご存じなさそうですね」


(出た……宝石が身体に出てくるやつ)


「貴族の額の魔石はよくある半球の宝石と違って、どこから見てもキラキラと輝く多面体?の形らしいっすよ。そんな近くに寄ったことはないっすけど、とんでもなく綺麗らしいっす」


 ライチの想像する“宝石”……カットされたダイヤモンドのような多面体のものは、どうやらここではまだ見られないようだ。


(そこにきての、多面カットの貴族の魔石か……さぞかし美しく見えるだろうな)


「修道士の神聖石は、白と水色が溶け込んだような楕円の半球です。生まれつき神聖石を持つ者もいれば、祈りが通じて後天的に発現する者もいます。球体ですが、これも、美しいですよ」


「俺達も、祈れば発現するってこと?」


 思わず鎖骨の間を触るライチに、二人は笑った。


「どっすかね」

「真摯な祈りができるかどうかは、育った環境や、経験した出来事なんかが関わるみたいですね。我々も、もちろん日々神に感謝して生きていますが、何もかもをなげうって祈るにしては、売りたいものや買い取りたいものなどの雑念が多すぎるのでしょう」


「そっか、確かに」


 ライチなんて雑念しかない。神聖石など、一生祈っても出なさそうだ。そもそも、当の神様に会えたのに、感謝どころか、今すぐ帰して死なせろとブチギレ、どうにかしろとワガママをキメまくってきたのだし。


「神聖力の話に戻ると、これは領地の防衛に使われます。神聖力には、害意のあるものを寄せ付けなくする力があるので、非常に大切です。各修道院の礼拝堂には、*のような形をした光架の中央に、“聖道具”という、神聖力を集めて送る装置が祀られています。ここに、祈りを込めて神聖力を送り込むと、中心街の“大聖道具”に力が集まり、領地中に神聖力が行き渡ります。これにより、攻め込んで蹂躙しようと目論む侵略者や、凶悪なンスターは領地の境界から中に入ることができなくなります。領地内での盗賊などの犯罪者、凶悪モンスターの発生も、かなり抑えられるそうですよ」


 なんと。そんな清らかな力で領地が包まれていたとは驚きだ。貴族の魔力で命が育ち、修道士の神聖力で守られていたのか。


(めちゃくちゃお世話になってるじゃないか)


「なので、ひとたび神聖石が出現すると、全ての未来を捨てて、残りの一生全てを使って、修道院で祈りを捧げることになります。神聖力は魔石と違って遺伝もしないので、気が散って祈る力が減らないように、恋愛や結婚、出産も許されません」


「絶対に必要な役なんですけど、未来を選べる自分たちと比べると、なんだか損な役回りだなって、思っちゃうっすよねぇ……。

 だからみんな、自分が飢えることになったって、修道院への食料の寄付や寄贈は欠かさないっす。祈りの代わりに、せめてうまいもんを食べてほしいって、いつも感謝してるんすよ。孤児なんかで、食べるものに困って、熱心に祈る子供も多いから、そういう面ではウィンウィン……だといいな、と思ってるっす」


 フェラドにしてはとても饒舌に話してくれた。鍛冶屋の未来を蹴って、自らの力で行商人という道を切り拓き、毎日駆け回っているフェラド。そんな自由な人生が、誰かの不自由によって支えられていることに、彼なりに思うところがあるようだ。


「……ん? 後天的に神聖石が発現するんだよな? もし、魔石を持つ貴族が必死に祈る状況になって、神聖石が発現したりしたら、どうなるんだ? それも強制修道院?」


 ライチの好奇心に、メルカトが、遠く、城下町の方を見ながら答えてくれた。


「裕福で、祈る必要もあまりない貴族が、神聖石も発現することは、本当に稀なケースです。でも、前例はありますね。貴族にも色々な出来事がありますからね。

 そういう場合は、額の魔石と鎖骨間の神聖石の、両方を持つことになります。貴族として魔力を納めることも領地にとって大切なので、強制で修道士になる義務はないそうです。魔力免除、ですね」


 大変勉強になった。今度からあの白ずくめの人を見かけたら、ありがとう、と心の中で思ったり、何か持っているものを届けたりしよう。とライチは心に決めた。


「食堂の方面に、小さい修道院もあるっすよ。まだ夕食にはちょっと早いし、寄っていきましょ」


 フェラドの提案により、その機会はさっそく訪れることになりそうだった。

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