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第47話 小修道院とエール


「♪〜〜 〜〜 〜〜」


 建物に近づくと、どんどん歌声が大きくなっていく。おそらくこれは……


「祈りの歌?」


「はい、その通りです。声が外まで響くほど歌うのは、夜明け、日暮れ、就寝時の一日三回ほどですが、それ以外も聖課として、あと五回は修道院内で静かに祈っているそうですよ」


 教会!ゴスペル!厳か!という感じでもなく、パイプオルガン!楽器!和音!でもなく、どちらかというと、イスラム教の国に行くと定期的にスピーカーで街中に流れている、アザーンという歌の斉唱に近い気がする。あの独特のエスニックな響きはないが、祈りの言葉重視のメロディーライン軽視な感じがそう思わせるのだろうか。


「ここは“小修道院”って呼ばれてるっす。ムリーナは入れないんで、繋いでくるっすね」


 建物を見る。質素だが威厳のある建物があった。石積みの壁、窓は狭く、入り口の上に大きな木の*のマークが飾られている。


 中に入ると、いっそう声が大きくなった。石に囲まれた建物は、ひんやりとした空気に包まれている。香が炊かれ、蝋燭がかすかに灯っている。よくある教会のように長椅子があるわけでもなく、大広間で、修道士と修道女が、立ったまま祭壇を向いて目を閉じて歌っていた。


(祈りのポーズ、手を組むんじゃないんだな)


 一番後ろで祈っている人を横から見ると、鎖骨の神聖石のあたりを両手で押さえている。神聖石の少し下、胸のあたりで、Xの形で手のひらを重ねているようだ。


(うおぉぉっ?! 祭壇、光ってる!)


 祭壇の上に飾られた大きな*のマーク。その中央の大きな球体が、青白く発光している。

 どう考えても神聖力を大聖堂に送ってるという話の、聖道具とやらだろう。


(魔法はなさそうな世界だけど、これも十分、魔法っぽいな。……うん、ファンタジー)


 これだけはっきり成果が見えると、祈りにも力が入ることだろう。そっと人数を数えてみたが、大人から子どもまで合わせて、たった二十人ほどだ。二千人の街に二十人。発現率は百人に一人だ。これが多いのか少ないのか、ライチにはよく分からない。




“ヴェルディウスよ 空におわす唯一の方よ

 我らは常に 神の名を呼ぶ


 大地は保たれ 川は澄み 空は穏やか

 これらすべて 神のまなざしのもとにあり


 光よ 来たれ

 闇に沈むものを 退けたまえ

 我らの祈り この胸より届けたまえ


 獣は弾かれ 魔は消える

 光の輪となって 神の加護は我が地に


 声をひとつに

 命をひとつに


 ヴェルディウス 我らを見よ

 ヴェルディウス 我らを守れ


 麦は育ち

 子は笑い

 人は眠る

 すべて 神の与えた日々のうちに


 されど忘れぬ 牙あるものの影を

 角あるものの足音を


 我らは歌い続ける 祈りのため


 光を!

 我らに 光を!

 領に 家に 胸に 心に

 光を!


 今日も 名を呼ぶ我らを

 神の光で照らしたまえ……”




「(日が落ちるまで歌は続くんで、今回は見学だけで)」


 歌に聞き入っていると、フェラドが耳元で囁いて教えてくれる。

 ライチはこくこくと頷いた。


(何かお役に立ちたかったけど、また今度、だな)




---




 小さな食堂へと入ったライチは、思わず『おぉう……』と声を漏らした。


 店の中は、土の床と、粗い板を並べただけの長テーブル。椅子らしい椅子はなく、丸太に板を乗せただけの簡素な長ベンチだ。“食堂”と聞いて油断してしまった。その実は、村の生活とほぼ変わらない感じだった。

 毛がハゲまくっている痩せた褐色の犬が、土に落ちた残飯を舌で丁寧になめとっている。人々の足元をうろうろしながらも、誰にも怒られないあたり、すっかり“掃除係”としての地位を確立しているらしい。掃除係さん、糞尿、垂れ流しっすけどね……。


「ここが空いてるっすね。はーい、お邪魔するっすよ〜」


 フェラドがそう言って長机の前のベンチに腰を下ろす。ライチも真似て座ると、一枚板のテーブルの表面に、ナイフの切り跡や、食事のいろいろな傷が無数に刻まれているのが目についた。


「何はともあれビールだ!エールください!」


 ライチが前のめりで聞くと、フェラドはウインクで応え、奥に向かって『エールを三つ!あと、今日のおすすめセット三つ!』と叫んだ。


 間もなく、大柄な女性が手際よく木のカップを三つ持ってきた。中を覗くと、ぼってりと濁った液体が揺れている。

 ……ん? と思う前に、続いて現れたのは、炙った川魚と、粗く焼いたパン、それに、粥状の豆の煮物だ。

 川魚とパンはポイポイとテーブルに直置きしていく。出されたカトラリーはスープに突っ込んである木の匙のみだ。


「今朝とれた川マスだ。骨に気をつけな」


 女性がそう言って去っていった。共用のテーブルに直置き、か。……アルコール消毒……ないよね。


(ビール!ビール!!)


「よし!乾杯だ!!」


 ライチは、全てをシャットアウトして、木のカップを両手で包むように持ち上げる。ふわりと香るのは、穀物の匂い……というより、どこかパンを水に浸したような……。


「オスティア到着と、明日からの旅路に、かんぱ〜い!」

「乾杯!」


 フェラドの掛け声で、エール……ビールを一口飲んでみた。


 ゴクッ……


「っっかぁ〜!……ぬっっる!!……ってか、いや、これは……」


 喉に流れ込んだのは、見た目通り、どろりとした液体だった。わずかに酸味がある。泡はなく、温度は常温以下。

 そして何より、口に残る穀物のようなざらつき。さらに、喉の奥で発酵臭が主張する。


「なに……え……? パン汁……?」


「ははっ、パンすか? エール、うまいっすよね〜。前飲んだのよりこれは酸っぱいっすね」


「今日のはいい方ですね。前のはスプーンで掬わないと飲めなかったですもんね」


「……それ、もはや飲み物……?」


 フェラドたちは楽しげに笑いながら、魚をナイフでスパスパ切って骨を床に捨てては、エールをぐびりと流し込んでいる。

 ライチはもう一度、慎重にひと口飲んでみた。


「うーん…………うーーーん………香ばしい……ってより、納豆っぽい……っていうか、ちょっと古くなって酸っぱくなっちゃったパン粥みたいな……」


(炭酸もないし、苦味もないし、ビールっていうか……うん。シリアルドリンクだな)


 ライチはうつむきながらも、少しずつ煮豆にパンを浸し、食べ始めた。


「あれま。お口に合わなかったっすか。慣れると美味いっすけどねぇ。濁りの少ない薄味のなら飲みやすいかもっすね。水があんまり綺麗じゃなくてそのまま飲めないんで、薄めのエールは、子供も老人もハーブティーとかの代わりにお茶みたいに飲んでるっすよ」


「え……一応お酒、だよね?」


「もちろん!これなら、空きっ腹に五杯くらいあおったら、ちょっといい気分になるかな?って感じっすからね」


 アルコール度数三パーセントくらいか? ほろ酔いするってコマーシャルで歌ってるシリーズくらいかな。


 ビールは期待とは違ったので、今度は川魚を楽しむことにした。久々の魚だ。どうしても期待してしまう。


「はい、ナイフ。順番に使いましょ。こういうとこでは匙以外出してくんないんで、自分のナイフでさばきながら手で食べるんすよ〜」


 カトラリーの出てこない食堂とは、センセーショナルだが、農村の延長と思えば、手で食べるのはもはや慣れたものだ。スパスパさばいて食べてみる。


(……うん。水は濁ってるし、川魚って聞いたからちょっとそんな気はしてたけど……泥臭いよねぇぇ……)


 塩は使われておらず、内臓の処理も雑。小骨は多くて、泥臭い。でも、ギリギリ焼き魚美味しい!のラインに乗ってる……と思おう。


(うん!異世界の魚、美味い!!)


 足元には犬が来て、骨などの残飯をはぐはぐと食べてくれている。ライチはエールをぐびり。


「……まぁ、これが“本物”ってやつだな。せめて苦味……ホップが欲しい……あと、できれば冷やして欲しい……。うむぅ……ビール道、奥が深いな」




---




 食堂で明日と明後日用の保存食を包んでもらって、宿屋に向かう。街の観光の前に、フェラドがひょいと走って取ってくれた宿だ。


「おっ、おお〜!夕日だ!」


 小修道院や、商人組合のある大通りは、川から少し上り坂になっていて、川を見下ろすことができた。隣領のテュフティアに沈んでいく夕日がはっきり見える。

 船のシルエットと、オレンジの空を映してオレンジに染まる大河。確かに、これはオススメの光景だ。


「いい街だなぁ」


 市が栄えて、船乗りが元気で、エールが飲めて、魚が食べれて、神への祈りが街に響いている。


「〜〜〜♪ ………」


 ちょうど日暮れで祈りの歌も終わったようだ。

 食堂の外で野菜の端くれを食べて満足げなムリーナとともに、だんだん明度が落ち、オレンジから紫、黒になっていく街を歩く。

 街灯もなく、暗くなったらなりっぱなしだ。夜の帳が下りる前に、ムリーナを家畜を繋ぐスペースに繋いで、宿の共用トイレで用を足したあと、急いで部屋に滑り込んだ。


 宿は広めの敷地に、二階建てになっていて、一部屋がめちゃくちゃ狭い。寝床以外は便壺すら無いので、めちゃくちゃ省スペースだ。

 もちろん、寝床はいつものように藁布団だ。もう慣れたもので、ライチは布団に倒れ込んで、すぐに眠った。

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