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第48話 カステリナ中心街へ


「組合長、おはようございます」


 朝、夜明けの祈りの歌で目覚めて身支度を整えたライチたちは、商人組合の建物でトルヴェルと合流し、預けておいた荷物をムリーナに乗せていく。


「おう、おはようさん。昨日スピネラから歩いてきたところなのに、ゆっくりさせてやれんですまんな」


「いえ、二人に街を案内してもらいましたし、新鮮なものだらけで、とてもいい時間を過ごせました。オススメしてもらった美しい夕陽も見られました。活気があって、いい街ですね」


 ライチが心からそう言うと、トルヴェルがニッと笑って応えた。


「これから歩く畑の方もすげぇぞ。……それにしても、まさかお前さん……その格好で中心街の商人組合に行く気じゃねぇだろうな?」


 ライチは自分の格好を見る。これから丸二日間歩くのだ。グレゴル村長の晴れ着は汚せないので、まずはバルゴに借りた農村ウェアを着ている。


「歩くだけかなと思いまして……中心街では着替えますし……問題ありますか?」


 ライチが眉をほんのり八の字に揺らすと、トルヴェルが説明してくれた。


「一日目はそれでもいい。だが、二日目は昨日の服装との中間がベストだな。

 昨日の服装は下手すりゃ貴族より良いもんだ。城壁の外の郊外村あたりを通るときに、乞食の子供らがわらわら寄ってきて、ぼんやりしてて掴まれたりすると、かなり汚れるぞ。かといって、その農夫の服じゃあ、富裕層にある商人組合近辺の宿に泊まるのは難しいだろうな。俺らと分かれてライチだけ下町の宿に泊まってもいいが……どうしたい?」


「え……そんな……初めての街なんで、最初はできたら皆さんと一緒にいさせて欲しいです……どうしましょう……」


 ライチがしょんぼりと肩を落とすと、フェラドとメルカトが笑った。


「ははっ、組合長、人が悪ぃっすよ〜」

「昨日、俺たちにライチさんのことを聞いて、『まともなのがあの服しかないなら、明日俺のを貸すか〜』と言ってらしたのに」


 トルヴェルが風呂敷づつみを背後から出しながら、大きな声で笑った。


「ガッハッハ!あんまりにも世の中のこと知らねぇから、ちょっとからかいたくなっちまって。

 ほらよ、富裕層街に近い宿にも泊めてもらえそうな服だ。農夫の服はここに置いていって、それ着てけ。そのままじゃ、俺らと並ぶと小間使いにしか見えん」


 言われて周りを見ると、行商人の二人はもともと質の悪いものは着ていないし、トルヴェルに至っては、織りや素材から、一目でかなり質のいいと分かる服だ。バルゴには悪いが、彼の服では、いくらサラサラヘアになったライチでも召使いあたりに見えてしまうだろう。


「ありがとうございます。すぐ着替えます」


 部屋の隅で急いで着替える。上質な木綿のチュニックと、ズボンに革ベルト。そして、美しい模様の木彫りの留め具が付いた薄手のマントだ。色味はくすんだ青灰で、織りの目が細かく、手首と襟元には黄土色の糸で控えめな刺繍が施されていた。


「おっ、悪くねぇぞ。おどおどしてなけりゃ、富裕層街に紛れても悪目立ちしねぇだろう」


 トルヴェルの合格印をらって、いよいよ城下町へ向けて出発することとなった。




---




「次」


「行商人と共に来たライチです。こちらお返しします」


 門番に入港許可証を返すと、柵外への通行を許され、河港をあとにする。三人と、背に荷をくくりつけたムリーナとともに、なだらかに続く街道へと歩を進めた。


 ブルルルッ


 まだ朝だが、道はかなり賑わっていた。荷を背負った男たち、ロバを引く行商、ラバという、ロバより大きく馬より小さい動物の荷馬車も多く見られる。

 皆がそれぞれの歩調で、この街道を東へ西へと行き交っている。信号も標識もないが、自然と中央寄りが馬車などの速いもの、端は徒歩などのゆっくりのもの、と分かれている。そして、なんとなくで道の右側を通る者が多く、非常に整然とした通行風景だった。


(スクランブル交差点ですら、誰もぶつからないもんな。広い一本道ならこんなものか)


 東に向かう道中、街道の右手、川の下流方面の南側には、果てしなく若葉の帯が続いていた。まだ背丈は低いが、風が通るたびに一斉にそよぎ、まるで大河の支流が大地の上に浮かんでいるようだ。


「……これ、全部大麦?」

 思わずつぶやいたライチに、隣を歩いていたメルカトが頷いた。


「はい。春蒔きの大麦です。ちょうど播いてから一月ほどですね。今は可愛らしい風情ですが――」


 メルカトの言葉に被せるように、トルヴェルが乗っかる。


「おう!オスティアは、畑一つ持たねぇカステリナさんの大事な“胃袋”なのさ。輸入の意味でも、畑と家畜の意味でもな。いざ耕作の時期となれば、牛四百頭が総出でこの畑を引き返すのさ。大地が身じろぎするような圧巻の光景だぞ」


「大迫力っすよね〜!」


 フェラドも話に加わってきた。


 ライチは改めて、川沿いに延々と広がる畑のスケールに目を見張った。

 奥へ奥へと緩やかに地形が落ち込み、地平の向こうへと畑が続いている。大河に沿うように、まるで流れに導かれるように。


(果てが見えないぞ……? こんなの、スピネラ村の畑の何個分だ……? 向こうは必死に増やして東京ドームの三個分くらいで、それでも驚くほど広大だったけど……)


「広いでしょう。スピネラ村の畑で言うなら……そうですね、ざっと三十村ぶんほどでしょうか」


 メルカトがライチの視線から察して、補足を入れてくれる。目測だとしても、ものすごい量だ。ライチは内心で計算して目を剥いた。


(三十村分、ってことは……東京ドーム……えぇっ?!九十個分?!)


 数が大きすぎて目がくらむ。牛の力、凄すぎる。もはやトラクターレベルでは……。目の前の畑が、更に遠く遠くへと広がった気がした。


「畑もすごいっすけど、ほら、この辺まで来ると、次は畜産ゾーンが広がってるっすよ。大麦小麦は放置で育つんで、畑仕事の合間に乳牛や、鶏、豚、ヤギの世話もしてるっすよ!カステリナの人間は、オスティアには足を向けて寝られないんす」


 フェラドが拝みながら話すのに、トルヴェルの自慢が重なる。


「ふっ。こっちは貿易もやってるんで、手間のかかる野菜や豆なんかは農村には敵わねぇが、麦も家畜も、ほとんどうちが育てて中心街を養ってるってのは違ぇねぇな。カステリナの領主も、貴族も、富裕層も、庶民も……連中が毎日パンやハムやチーズを食えるのは、うちのおかげさ!」


「ち……ちなみに、家畜の方の数は……?」


 貴族の食生活に合わせて毎日屠殺されてるとしたら、正確な数値は出ないかもしれないが、数字の話がついつい気になるライチである。


「数か……。まぁこんなもんはざっくりでしかねぇが、乳牛は、三十頭ほど。農耕用牛が四百頭いて、鶏は五百羽ってとこか? 豚は五十頭、ヤギは四十頭ってとこだろうな。他にも荷車用のラバやロバもいるしな」


「そんなにたくさん、畑仕事と貿易をしながら面倒見れるものなんですか? 牧草とか、餌とか……」


 素朴な疑問である。どう考えても、カステリナ中心街は、権力に物を言わせて自分たちの食の面倒を、貿易で忙しい人たちに無理やり押し付けてるような気がする。ほんの少しだが、農村で汗水垂らして働いたライチだから、そう思うのかもしれない。


「ガハハ、心配ありがとうよ。昨日、『お貴族様が領地に魔力を注いでるおかげで、全ての命が育つ』、ってのは話したよな? 領地、って言っても、誰もいないところにまでバラまいてもしょうがねぇから、カステリナ中心街の周りは川から離れているってのもあって、ほぼ“捨て土地”にしてあるのさ」


「す……捨て土地?」


 不穏なワードである。


「貴族と、その面倒を見る侍女とか料理人とかパン屋とか服屋を揃えたのが城下町さ。腕の悪いのを今後の人材育成のために下町に囲うくらいはしてくれるが、貴族の生活にあまり関係もないのに、農業をする民までは狭い城壁の中に囲ってやれないのさ。

 川もなく、城壁からもはみ出されたら、いくら肥沃な大地でも農業も酪農も成り立たねぇ。なら、川の近くに肥沃な土地を作って、生産させればいい!ってのがオスティア河港街だ」


 なんと、カステリナ中心街には農業をする人もいないし、自分たちの面倒を見させる以外はさせる気もない、ということらしい。


「しかしだな。大事な自分たちの胃袋のため、オスティアにかなりの魔力を割いてくれてるから、大麦小麦は世話いらず。牧草もニョキニョキ生えるし、雑草の実も家畜の口には合うし、栄養満点だ。家畜の餌なんか、誰もやったこともねぇと思うぞ。ほっときゃ太っていくのさ。ある意味、貴族の自給自足に、俺たちも乗っかって腹いっぱい食わしてもらってる構図なんだ」


 なるほど。貴族によって、ほとんど放置でたっぷり膨らんだ実や家畜が育つ。それを貴族も食べるし、育てたオスティアも食べる。ウィンウィンの関係なのか。それはどちらにとってもありがたい話だろう。


「だもんで、カステリナの周りはかなりの荒地になってるぞ。うちとは全く違うから、驚くなよ。カステリナは、マグナラ川の上流から分水して、たっぷりと城壁内に水を引いてるし、周囲はかなり開けた土地だから、上手く活用できりゃ面白そうなんだけどな。……まぁ、みんな自分の専門職生活で、それどころじゃねぇわな」


 トルヴェルが頭に両手を乗せながら構想を語る。


(素材の話は一切していないけど、暗に、ポリエクロスと甘味シートの素材の量産地の話をしてくれてるのかもな)


 確かに、スピネラ村のような山間部でスピナ麻や、ネバリダケ、クリザ葛にミズヨリグサの量産体制を整えるとなると、森の開拓から始まるわけで。

 そうなると自然が減り、森の恵みが減ってしまう。ちょっとどころではなく、一山潰すくらいの広大さがないと、貴族や他領の需要に応えられないのである。ベトノキの樹液の量産もかなりの難関だ。


「はじめから拓けていて、水も引いてくれてる土地があるなら、確かに使わないと損ですね」


 ライチも暗に素材のことを匂わせながら、話に乗っかってみた。


「だろ? 魔力問題と、水問題、あとは人手問題を解決できたら……なんて、夢物語だがな」


 魔力も水路も人手も、一般人にはどうしようもない。

 ライチは、川に沿って風になびく大麦の緑の絨毯と牧草地の家畜たちを見る。


(無駄に開けた荒れ地、ね。覚えておこう)


 いつか何かの役に立てばと、心のメモに残しておいた。




---




 そんな雑談をしながらひたすら歩き、太陽が傾きはじめる頃、街道脇にいくつか建っている木造の平屋と、一本の井戸を見つけた。井戸は、屋根と滑車がついただけの粗末な造りだが、街道を行く人が行列を作って使っている。


「今日はここで雑魚寝っす。食事も何もないっすけど、無料で井戸と部屋が使えるのはありがたいっすよねぇ。お金がある人は、馬車の中で寝たりもするっすけど、馬車は速いからギリギリ泊まる必要がないんで、この辺で泊まってるのは遅く出発するしかなかったごく少数の馬車っすね」


 フェラドの説明を聞きながらしばらく井戸に並んで、水筒に水を補給する。冷たい水を少しだけ手にとって顔をぬぐう。風が濡れた肌に心地よい。


「荷物は貴重品なんで大部屋に持ち込んで抱え込んで一緒に寝るっす。……ムリーナ、重かったな。ありがとう。水と餌とって、ゆっくり休めよ」


 フェラドはムリーナに水を飲ませ、場所取りをした小屋のそばに据えられた杭に手綱を括りつけて、餌をやっている。近くには別のロバやラバも繋がれていた。


 大きな雑魚寝小屋に入る。

 一番奥の壁には、*の刻印が見えた。礼拝堂のマークだ。なんともお手製で簡素な礼拝ゾーンらしい。壁に向かって熱心に祈っている白装束の人がいた。それ以外も、何人かが部屋でごろごろしている。

 壁際には乾いた藁が積んである。ありがたい。いつもの布団を敷いて藁の上に身を横たえれば十分に休ませてもらえそうだ。藁布団の上に腰をおろして、四人でもそもそと夕食をとる。


(いよいよ領主の城下町か)


 スピネラ村から八日。ついにここまで辿り着いた。歩き続けの身を布団に横たえた瞬間、ライチは眠りに落ちていった。

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