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第50話 下水処理の方法


「それにしても、すごい光景だな……」


 臭いも、道路や排水溝の汚さも、ものすごくすごくすごーく気になるが、いったん忘れることにする。

 街の景観もかつて見たこともないほど、とても変わっているのだ。気持ちを切り替えて注視する。


(サーカステント……というか、真ん中を持ち上げた蜘蛛の巣、だ)


 遠くから見たときに円が何重にも見えた原因はこれだった。


 距離は三百メートルくらいだろうか。前方、街の円の中心に、巨大な石造建築が見える。小丘の上にどっしりと構えるその姿は、THE!シックな古城!といった風貌に見える。

 建物の細かいところは見えないが、それより何より、その建物にある高い塔を頂点にして、まるでサーカスのテントのように放射状に何かが広がり下りているのが目を引く。視線で辿っていくと、目の前の二階建ての家屋群の屋根の上を、石の柱と溝つきの木の棒が、縦の放射状と、それを道路をまたいで横に繋ぐ形で、それこそ蜘蛛の巣のように街を覆っていた。


「屋根の上に……木の細い道? あまどい? なに……?」


 一番近いものをじっくり観察する。石で組まれた六メートルほどの高さの柱は、ところどころに苔をつけ、湿っている。

 その石積みの柱を取り囲むように、木造の建物が建っている。


「“上水橋”っすね」


「左奥の城が、川から魔道具で塔の上まで水を引き上げます。そこで清めた浄水を、屋根の上の道で街に通すシステムですね」


「城が配るのは貴族街までで、そのうち一本が前に見えてる大聖堂に流れ、富裕層街と市民街にばらまかれる感じだな。ぐるぐると街を回ってて、蜘蛛の巣みてぇだよな」


 立ち止まるライチを促して歩き始めながら、三人が口々に説明してくれる。浄水の水道管が、地下でも地上でもなく、建物の上を通っているらしい。ライチの感覚だと太すぎる電線に近い風景だ。なんと画期的で文明的な光景だろうか。


「す……すごいな。石積みの柱の上に、木のレールか……。すぐに腐ったりしないのかな?」


「木……ネロカラマツのことですね。腐りにくいので、二年に一回、皆で屋根に登って一斉に張り替えれば済むんですよ。一斉張り替えのために、テヌーラ川……以前スピネラ村からの道中で見下ろした際に、右手前にあった川にある、二つの森の村の林で植林されて伐採と加工がされています。ネロ松は街の生命線ですね。油分が多く、防腐に優れ、たった三十年で十分な木材として育つ、非常に優秀な木です。……大聖堂の塔に近い部分と、貴族街は銅の水道管なんで、取り換えは必要ありませんけどね」


(出た、メルカトのありがた〜いもりもり説明)


 多すぎて理解はできなかったが、二年一回張り替えと、三十年かけて植林、とか聞こえたので、この水道の維持のために、領地として計画的に取り組んでいるようだ。


「二年に一度か〜……すごく大切なイベントだろうな」


「ちょちょいと柱の上に溝を掘ってある木の棒を持ち上げるだけっすよ」


 感心するライチに、フェラドが笑った。


「なるほど……水を上に上げるポンプのような魔道具と、水の流れを街にバラまく柱とレールか……皆が水を便利に使える仕組みなんだな」


 水が流れるルートと、茶色い石畳の道が、平行するように流れているのも窺える。きっと、水道と下水を同時に設計したのだろう。


「ちなみにこの水は飲めるやつ?」


 三人はすでに宿の話や、明日の流れについて確認したりしているのに、ライチだけはいまだに水のことばかり考えている。メルカトが親切に教えてくれた。


「いえ。上水橋のものは、あくまで生活用水です。城と大聖堂では水が清められているのでそのまま飲めるそうですが、こちらに流れてくるのは野ざらしの水なんで、虫や鳥のフンなんかも入り放題ですから。飲み水は各区にある共同井戸から汲みますよ」


「浄水だが飲用には適さない、か。なるほど」


 貴族は金属パイプを通った浄水をガブガブ飲めるらしい。凄い差である。その金属が鉛で、鉛中毒者がいないことを祈るばかりだ。


「うわ、この辺めっちゃ濡れてる。……そうか、下水も一旦ためておいて窓から道に捨てる、便壺と同じシステムなのか」


 足元では、家々から捨てられた生活排水が細い溝をつたって坂を下っている。洗い物の灰汁、水に紛れ込んだ野菜くず。これらで糞尿も押し流しているつもりなのかもしれない。


(人が住んでていい環境じゃないぞ……どうにかならないのか?)


 農村では、糞尿は畑にまかれ、川の清流が全てを洗い流してくれていた。ここでは城壁に囲まれ、臭いものには汚物にも人にも蓋をして、淀んでしまっている。この惨状が、ライチの知識によってなんとかならないものかと、しばらく思案を巡らせてみる。



 テレビの教育番組で、『水のひみつ』みたいなテーマのものを子どもと見たことがある。


 千八百年代、明治時代ごろに世界的にコレラが大流行して、金属や陶器の水道管を道路の下に通すようになったとか。現代はコンクリート管が主流だが、それも三十年で腐食して穴が開き、流出水が土を削って道路陥没が起きるとか。水道管にはいろんなものが流されるので、放置すると詰まったり、腐敗したりするとか。そのために、マンホールから人やロボカメラが入って、定期点検をするのも欠かせない、なんて話していた。


(金属……コンクリート、か……鉄製品が主流の今の文明では夢のまた夢、か……)


 現代日本の世界ですら、トイレットペーパーをトイレに流せる国も、多くはない。細くて詰まりやすい下水管に糞尿だけを流し、お尻はシャワーやバケツと手桶の水で洗うか、ペーパーで拭いても個室内のむき出しのゴミ箱に捨てる。

 日本なら、『誰かの便を拭いたティッシュと一緒に個室で過ごすなんて臭すぎ嫌すぎ……』と嫌がられるが、そもそもトイレが個室で清潔で安心して過ごせる空間だということ自体が稀だそうだ。


(パラオって島国では、日本軍が埋めた水道管を近年まで大切に使っていたって話も聞いたし……)


 日本、すごい。しかし、その清潔と安心のために、今日も誰かが糞尿の通る道を安全に確保してくれているのだ。


 少し考えたが、パパサーチでも、この街の衛生環境をどうにかするのは無理なのかもしれない。せっかくの知識とスキルなのに、一番変えたいところには役に立たなくて口惜しい。


(このまま見ているしかできないのか……伝染病が流行る未来を知っているのに)



 そこまで考えて、ふと、ある恐ろしいことに気づいてしまった。


「もしかして、もしかして……この下水の行く先って……」


 トルヴェルが誰か知らない人と話している隙に、フェラドとメルカトに声を掛ける。


「そっすよ、お察しの通り、南に南に流れた結果、城壁から出て、郊外村に流れ着くっす」


「城壁の北側には川の清流が流れていますが、領主や貴族の使う水なんで、勝手に使ったら重罪です。となると、城壁内を流れ終えたあとの上水のおこぼれをもらうしかありません。

 上水橋は、最終的に余った水が城壁に開いた穴から流れ捨てられるようになっているので、その穴から出てくる水を、みんなで必死に集めて飲んでいます」


「そこに城壁の下の穴から下水も流れてくるんで、上水を求めて下水と一緒に郊外村がある感じすね」


「下水は郊外村を通り抜けて、最終的に、しばらく歩いた先にある、肥溜め池に流れ着きます。そこまでのルートが詰まらないようにするのも、郊外村の仕事になってますね。城壁の外なんで臭いがあまりこもりませんが、風向きによっては池の臭いもプラスされますね」


 二人が口々に下水と郊外村について教えてくれる。


(あんなやせ細った人たちに、上水は余り物、下水はすべて押し付けて、自分たちは小綺麗な格好をしているのか……)


 この街全体にふつふつと怒りが込み上げてくる。


 ――慈悲を


 乞食の子供たちの視線が、いまだにライチを射抜き続けている。まずは粉ユキミルクをたくさん届けるぞ!と思ってはいたが、栄養が足りたとしても、一つの街の下水の横で暮らしていて、健やかに育つわけがない。


(俺も、そこに加わるのか? 俺の排泄物を、あの子たちに押し付けるのか? それはルノ、レント、ロクの父親として、正しいことなのか?)


 不衛生で不健康で人権なんてあったものじゃない村に、自分の糞尿も平然と彼らのもとに流すことになるなんて、耐えられない。


(……父性クラフト!パパサーチ!!仕事してくれ!!子供たちのために不可能を可能にするのがスキル持ちの使命だろ!)


 なんかいい感じの下水管とか、作れないのか?!

 必死に念じるが、脳内に情報は流れてこない。


(下水管が無理なら…………“下水が一瞬で綺麗になる魔法道具”、みたいなのはどうだ? なんか……浄水の魔法で、ピカッと!)


 これも無反応。ライチが知ることのできるのは、手仕事クラフトの方法で、魔法的なものはクラフトできないのである。


(俺は諦めないぞ……絶対にクラフトする。俺の糞尿の横で、子供たちを寝起きさせん!)


 完全に思案の海に沈み、何か良い手はないか必死に考える。

 『水のひみつ』では、下水はどう処理してた? そのまま海には捨てていなかったはず……。


「…………そうだ!!バクテリアで分解すると、おおむね綺麗になるんだ!!

 “スーパーバクテリアくん”はどうだ?! 微生物だけど、なんかスーパーパワーで凄いバクテリアが作れたり!!」


 あまりのナイスアイディアに、一人でつい声が出てしまった。慌てて視線を送るが、三人は別の人と話しているようだ。

 ほっと胸を撫で下ろした瞬間、『そこまで言うなら捻り出してやるよ』とばかりに、スキルが起動した。




---




《父性クラフト パパサーチ 起動》


[新規項目追加]:スーパーバクテリアくん《バクテリア仕様》


【クラフト方法】

・油の浮いた池で、油分解バクテリアを採取する。

・糞尿の混ざった土で、糞尿分解バクテリアを採取する。

・採取したバクテリアに、魔力で“命を育む祝福”を行う。

・バクテリアに、神聖力で“浄化を助ける祈り”を行う。

・出来上がった“スーパーバクテリアくん”を下水や汚物に入れて分解させる。


【基本仕様】

・有機物=糞尿・油・生ごみ等 を分解し、無臭で衛生的な土や、微量ガスへ変換します。

・スーパーバクテリアくんを排水溝に塗布し、下水処理池に投入して使用します。

・便壺や壺トイレ内部に注入すると、家庭内でも臭いや不浄さがなくなります。

・魔力と神聖力の加護により、生命力が非常に高く、繁殖力も爆発的に飛躍します。

・餌の汚物が完全に枯渇し続けない限り、活動を続けます。

・一度塗布した排水溝内に定着し、流れてくる汚れを食べ続けます。

・乾燥では死なず、長期的に安定して働きます。



【ご注意】

・完全な密閉空間や無酸素環境下では活動が鈍ります。空気の循環のある環境で使用しましょう。

・生き物が誤って摂取した場合も無害です。しかし、腸内フローラとのバランス変化に注意が必要です。

・魔力と神聖力は、神から授けられし創造の力である父性エネルギーにより代替が可能です。



《パパの育コツメモに自動保存されました》



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(出た!きた!スーパーバクテリアくん!

 あるじゃないか!作れじゃないか!凄いぞ!やった!!)


 ライチは踊りだしそうな気持ちを、によによした顔だけで抑え込んだ。スキル発動にはイメージがものすごく大切だが、いい思いつきが降ってきてよかった。バクテリアを知っててよかった。『水のひみつ』さん、教育番組さん、本当にありがとう。


(魔力と神聖力が必要で……でも、父性エネルギーで代わりがきくって?? なんだそのチート。父性エネルギーって、“神から授けられし創造の力”なんだ……いや、まぁ紛うことなき事実だけども)


 本来は、元になるバクテリアと、魔力と神聖力が必要だそうだが、後者が不要とは。ありがたい。他領や他国で永久的に活用するなら、父性エネルギーが不要な方が逆にいいだろうし、いいことづくめだ。

 そして、ライチの足元から伸びるサーチの光を見るに、南の肥溜め池にはわんさかバクテリアがいるようだ。それを取ってきて父性エネルギーを込めれば、貴族も聖職者もナシに、あっという間にクラフト完成!となる、らしい。


(父性エネルギーって……なんかほんと、凄いな。ありがとう神様、ありがとう父性クラフトさん)


 まずはバクテリア集めからだ。そのうち綺麗にできると知った途端、道に転がる汚物も不思議と気にならなくなっていた。

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