◇◇◇◇
俺は辺境開拓騎士に任命された後、すぐに準備をして三日後には王都を出た。
王都から腐界までは馬車を乗り継いで、およそ三十日の道のりだ。
草木がまばらな荒野を歩き、腐界まであと徒歩で十日までの位置にやってきた時のこと。
「べぇぇぇぇ」
一キロ先を、小さな牛が腐界の方からとぼとぼと歩いて来るのが見えた。
俺は魔法で視力と聴力を強化できるので、遠くを楽に見通せるし小さな音も聞き逃さない。
「……べぇぇ」
その鳴き声は、まるで母牛を探しているようで、とても悲しげだった。
「なんで……こんなところに牛? しかも子牛」
子牛にしても小さい。生まれてすぐの牛より小さいぐらいだ。
俺は思わず周囲を見回すが、親牛はいない。
「近くには人里もないし、野良牛かな?」
最寄りの人里までは徒歩で二日かかる。
歩いている道は、行商人も通らないような獣道のような道である。
「ふーむ。あんなに鳴いていたら、狼とか熊を呼び寄せないか?」
少し心配になっていたら、
「べぇぇぇ、も!」
――KISYAAAAA
魔物が現れて、子牛に襲いかかった。
魔物にしては小さい。中型犬ぐらいの大きさの、リス型の魔獣だ。
俺にとっては雑魚。だが子牛にとっては恐ろしい魔獣である。
「まずい」
俺が走り出す。
助けた後どうするのだとも思う。
子牛を瘴気漂う腐界に連れて行くわけにはいかない。
一旦保護した後、近くの人里まで遠回りしてそこで預けて――。
そこまで一瞬で考えて、いやどうせ間に合わないとも考える。
距離は一キロあるのだ。
間に合わなかったとしても、俺は全力で向かう。
だが、子牛は戦いはじめた。
「モオオオ!」
突進して、角がまだ生えていない頭を魔獣にぶつけて弾き飛ばす。
――KISYAAA
「モッモ!」
一匹の魔獣を弾き飛ばしたが、二匹目が背後から襲いかかる。
「モー!」
馬がするように、後ろ足で蹴飛ばす。
「……強いな」
だが、子牛は震えてていた。恐ろしくて怯えているのだ。
それでも、勇気を振り絞り戦っている。
「……」
その姿を見たとき、胸がつまった。
小さい頃、俺を助けるために戦ってくれた愛犬を思い出した。
子牛は懸命に戦っているが、三匹目が現れる。
お尻にかみつかれて、「べえええ!」と悲鳴をあげた。
「
やっと魔法の有効範囲まで近づけたので、魔槍の魔法を放って魔物を始末した。
「も?」
驚いた様子の子牛は俺をじっと見る。
「危害は加えないからな」
怯えさせないよう、子牛に優しく声をかけながら、ゆっくりと近づいていく。
牛だから言葉の意味はわからないが、声音は伝わるものだ。
百メートルまで近づいたとき、それまでじっと俺を見つめていた牛が、
「もぅもぅもぉぉぅ」
と鳴きながら駆けてきた。
「おお、どうしたどうした。人恋しいのか? やっぱり人に飼われていたのか?」
「もぅ~」
「それにしても、お前子牛なのに強いなぁ。弱くても魔物だというのに」
普通の動物は魔物相手に戦うことは難しい。魔物は小さくても速くて強いからだ。
俺に体を押しつけてくる子牛を撫でながら怪我を調べる。
全身が傷だらけだ。今ついた傷だけでない。ずっと魔物に襲われ続けたのかもしれない。
「……深い傷もあるな。薬を塗ってあげよう」
「もぅ」
「お前は本当に凄いな」
余程の幸運に恵まれたとしても、魔物から逃げ続けることは難しいものだ。
俺は自作の治療薬を子牛の傷に塗りながら考える。
「……どうしようかな。最寄りの人里まで連れて行くとなると……二日はかかるし」
「も?」
子牛は俺を見て首をかしげている。
今まで幸運だったのかもしれないが、このままではそう長くは生き延びられないだろう。
「だからといって、腐界に連れて行くわけには行かないし。仕方ない。人里まで――」
『いく』
「いくって、どこに?」
『ふかい』
「いやいや、腐界は瘴気が……って、お前話せるのか?」
『はなせる。せいじゅうだから』
子牛はキリッとした表情で、尻尾をぶんぶんと振った。
そういえば、聖獣の中でも、特に賢い個体は人語を話すと聞いたことがある。
『ありがと。たすけてくれて』
「ああ、それは気にしなくていい」
『けがも。ありがと』
「それも気にするな。って、聖獣っていうと確か魔物と戦う獣たちだよな」
『そう。かあさまが――』
すると子牛は自分の身の上話を語り始めた。
母牛が凶悪な魔物と戦った際、子牛は逃げるように言われたという。
次の日、母牛と魔物が戦った場所に戻ったら、母牛はいなかった。
それから子牛は母牛を探して、さまよい続け、魔物から逃げ続けたのだ。
「……そっか。お前も大変だな」
俺の両親も命を賭けて、俺を魔物から逃してくれた。
俺と子牛は同じだ。
俺の両親はそのまま死んだ。母牛も死んでいるだろう。
生きていたら、子牛を放置しないはずだからだ。
『ふかいにいく。かあさまさがす』
だが、子牛にお前の母は死んでいるとは言えなかった。
「そっか。だが腐界は瘴気が……」
『だいじょうぶ。せいじゅうだから』
そう言ってから、子牛は真剣な表情で言う。
『つれていって。おねがい』
こんな子供にそういわれたら、もう放ってははおけない。
「わかった、一緒に行こう」
「もっもー『ありがと』」
子牛は嬉しそうに尻尾を振った。
その日はそのまま、その場にテントを張って休むことにした。
治療したとは言え、傷だらけだった子牛を休ませるためである。
「俺はティル。ティル・リッシュだ。辺境開拓騎士っていう――」
食事の準備をしながら、自己紹介をすると、子牛はもしゃもしゃと草を食べていた。
「なんて呼べば良い? 名前はないのか?」
『ない』
「かあさまにはなんて呼ばれてたの?」
『かわいいぼうや。いいこ』
「そっか」
母牛には大切に育ててもらっていたのだろう。
『ねね、てぃる。なまえつけて』
「うーん。俺は名前考えるのに苦手なんだけどな」
『つけて』
「じゃあ……モラクス。昔の伝承に出てくる賢い牛の名前だ」
「もっも! 『もらくす!』」
モラクスは、俺の付けた名前をとても気に入ってくれたようだった。
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