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第16話 少女の襲来

 思いついてしまったら、真夜中だろうと試さずにはいられない。

 俺はモラクスとペロを起こさないようにしつつ静かに外に出る。


 そうして、結界範囲の端っこの地面で実験を始めた。


「パンの木、いやモラクスの言葉がヒントになるとは……」


 正確にはモラクスが教えてくれた、モラクスの母牛の言葉だ。


 モラクスの母牛によると、パンの木は瘴気を魔力に変えているという。

 つまり瘴気と魔力は、変換可能なのだ。


「中和でも除去でもなく、変換か。その発想はなかった。なんで無かったんだろう」


 不思議と盲点だった。

 変換という手法を思いついた瞬間、今までの疑問などが全てがつながった。


 つまり、魔力と瘴気は、根本では同じ物ということだ。

 恐らくは水と氷、水蒸気のような、形態変化しただけのものに違いない。


「魔力は体を守るが瘴気は蝕む。だから気づけなかったのかな」


 魔力と瘴気は作用が正反対なのだ。


「でも同じなら腑に落ちることも多いな」


 なぜ瘴気を纏う魔物を倒したら体内から魔力が結晶化した魔石がでるのか。

 これも今まで謎とされてきた。


 魔物は体内で瘴気を結晶化させていると考えれば説明が付く。


「魔力の結晶化、つまり魔石を作る手法は確立されているし……」


 同じ手法が使えるはずだ。

 俺は魔導図書館の魔石を作る方法が載っているページを改めて読む。


 現代ではこの手法が魔石製造目的で使われることはほぼない。

 作られない理由は簡単だ。面倒で効率が悪いから。


 従来の魔石製造法は、人の持つ魔力を結晶化する方法なのだ。

 腕の良い魔力の豊富な魔導師が時間をかけても、少量しか作れない。

 しかも、魔力含有量の低いゴミのような魔石しか作れないので、実用的ではない。


「魔力制御の訓練になるから、練習で行われることは多いんだが……」


 練習で作られた魔石など、それこそカスみたいなものだ。


 それゆえ魔石が欲しいときは魔物を狩って手に入れるのが一般的だ。

 だから、魔石は非常に高価になる。


「……よし。おさらい完了」


 俺は魔石を作るための魔法陣を地面に描いていく。

 人の魔力を凝集させる代わりに、地中の瘴気を使うように改造した魔法陣だ。


 描き上げた魔法陣を動かしてみる。


「…………うまくいくはずだったんだが」


 まずは失敗だ。


「……ええっと、どこで失敗しているんだ?」


 よくよく観察して、失敗した原因を突き止めて改良していく。


「……あ、そっか。完全に同一ではないんだものな。でも性質はほぼ同じ。鏡像異性体か?」


 鏡像異性体については、錬金術師を手伝ったときに教えてもらった。


 物質には、構造が鏡写しのように異なるものがあるという。

 鏡像異性体は化学的、物理的な性質は同じだ。


 だが、不思議なことに、生物に対する作用は異なるのだ。


「薬を作るときにはこの違いが重要だって教えてくれたんだよな」


 魔導師は鏡像異性体など気にしない。ほとんどの魔導師は知りもしないだろう。

 だが、錬金術師にとっては、鏡像異性体を見抜くことと変換することは、必須の技術だ。


「ありがとう」


 厳しく教えてくれた錬金術師と、その錬金術師の元に派遣してくれた師匠にお礼を言う。


 俺は魔法を使って錬金薬製作の手伝いをした。

 その際、鏡像異性体を変換させる魔法陣も編み出したのだ。


「魔力と瘴気の体への作用が大きく違うことは、鏡像異性体だと考えれば腑に落ちるし」


 俺は錬金術の手法を組み込んだ魔法陣を完成させた。


「……うまくいけば……土壌に含まれた瘴気が凝集し結晶化して、魔石が沢山できるはずだ」

「――おい」


 完成した魔法陣を眺めていると、十メートルぐらい離れた真後ろから声をかけられた。


「うぉ。お前、気配を消すのがうまいな」


 魔法陣を描くのに熱中しすぎていたとはいえ、俺に気づかれずに背後に立つとは。

 相手に殺気がなかったから気づけなかったというのは言い訳だろう。


「で、何か用か?」

「動くな」

 振り返ろうとしたら、冷たい声音で言われる。


「わかったよ。一日ぶりか?」


 それは腐界に来た日に出会ったエルフの少女だ。

 後ろから弓を引くキリキリという音が聞こえる。


 そのとき、モラクスが家から飛び出してきて、少女に突進しようとした。

 俺がピンチだと思ったのだろう。


「モラクス、何もしなくていい。余裕だからな?」


 いざとなればいつでも取り押さえられる。だから今は会話の方が重要だ。


「もっ」


 モラクスは俺の横に来て、俺の背後にいる少女をじっと見上げる。


「……やはり牛までいたか。……私は帰れと言ったはずだな?」


 呆れたように少女は言う。


「言ってたな。ペロも動くな。だが俺にも事情があって――」


 玄関から顔を半分だけ出して様子を窺っているペロを止める。


「なぜ、帰らない? しかもこのような家を建てて……って、いつの間に家?」

「まあ、それも説明しよう。振り返っていいか?」

「ダメだ! 大工を大量に、この瘴気の中に連れてきたのか? 非人道的な……」

「いや、違うぞ?」

「それに、お前さっき魔石を作ると言ったな?」

「正確には魔石ができる、だ」


 魔法陣を描きながら独り言を呟いていたのを聞かれたらしい。

 恥ずかしい。


「どちらでも同じだ! 魔石を魔物に喰わせるつもりではないだろうな! 絶対にゆるさぬ」

「そんなことするか」


 魔石を食べたら魔物は強くなるのだ。


「口では――」


 そのとき上空からの魔物が接近していることに気づいた少女が弓を構える。


「もっ」

「わかってるよ、モラクス」


 少女とほぼ同時に俺とモラクスも気がついている。

 体長二メートル、翼開長五メートル以上ある巨大な魔鳥だ。


 昨日、ペロが仕留めた魔鳥と同じ種族だが、遥かに成長し強くなった個体である。

 嘴がナイフのように鋭く、爪が大きくて鋭いのは変わらない。


 魔鳥は俺とモラクスを睨みながら、全身の瘴気を活性化させていく。


「まずい! 瘴気を纏ったまま、急降下するつもりだ! ここは私に任せて逃げろ!」


 少女はそう叫ぶが、急降下する巨体を、細くて軽い矢で止められるわけがない。


 魔鳥が纏う瘴気はどんどんを膨れあがっていく。

 このまま急降下して地面に激突すれば、半径十五メートルは瘴気の爆風で吹き飛ぶだろう。


 近くにいれば、無事では済まない。


「お前が逃げろ。そこも安全ではないぞ!」


 俺が警告しても、

「つべこべいうな! いいから、ここは私に任せてさっさと逃げろ」

 キリキリと弓を引き絞ると同時に、少女の全身の魔力が活性化した。


 弓と黒曜石の矢尻が魔力に覆われていく。

 弓と矢を魔力で強化して威力を跳ね上げているようだ。


 それでも、急降下する魔鳥を止めることはできないだろう。質量が違いすぎるからだ。

 それに少女は魔鳥に狙われていないのだから、逃げるのも容易い。

 少なくとも爆風の範囲外に逃れ、急降下を終えて速度が落ちた魔鳥を狙うべきだ。


 つまり少女は俺とモラクスを守ろうとしているのだろう。

 矢で自分に意識を向けさせ、落下の方向を自分の方へ変えるつもりのようだ。


「私は戦士だ! 死は覚悟している! それに簡単に死ぬつもりもない!」


 そのとき魔鳥が急降下を開始した。


「ちぃ!」


 少女は魔鳥を目がけて矢を放つ。だが、距離のせいで矢が纏う魔力が減衰してしまった。

 減衰した矢では、魔鳥の纏う瘴気を貫けない。あっさりと弾かれた。


魔槍ハスタ


 ――GYA!


 俺は長さ一メートル太さ五センチの魔力でできた槍で鳥を貫いて一撃で殺すと、


魔壁ムールス


 魔力で作った壁で落下を止める。


「でかくて重いからな。倒してもその体重で被害が出る」


 あのまま落ちてきたら、家が壊れる。

 家に当たらなくても、そこら中に描いた魔法陣が壊れてしまうかもしれない。


 それを防ぐための魔壁である。魔壁で止めた後、ゆっくりと魔鳥を地面に下ろす。


『いまのなに?』

「ああ、魔壁? あれはね魔力で作った壁で、魔法とか矢とか剣とかを防げる便利な魔法だよ」

『もらくすにおしえて』

「魔壁は応用編だからね? 基礎からやらないとだよ」

「もも~『わかった』」


 モラクスはやる気になっている。


「ヴォウヴォウ」

 一方、ペロは家から飛び出して、魔鳥を咥えて引っ張ってくる。


「ありがとう、ペロは立派な猟犬、いや猟狼になれそうだね」『えらいえらい』

「がう~」


 ペロのことを、俺は褒めて撫でまくり、モラクスは舐めまくった。

 嬉しくなったペロは仰向けになり、体をくねくねさせて、おしっこを漏らす。


「お、お……」


 そして、少女はプルプルしていた。


「どうした? お腹でも痛いのか?」

「わぁう」


 昨日お腹を壊したペロが、起き上がって同情の目を少女に向ける。


「がう?」

 モラクスに教えてもらったトイレ場所をチラチラと見て案内してあげたそうにしていた。


「違う! なんだ今のは……どうして、急に魔鳥が……弾けて……」

「弾けたんじゃないぞ。槍を心臓に突き刺しただけだ」

「槍、だと……いつ、どこから? 槍を持っているようには見えなかったが……」

「そりゃあ、魔法の槍だからな」

「な、なんだって? ……ま……魔法だと」


 少女はわなわなと震え始める。


「……はじめて……魔法をみた」

「それは、珍しいな? いや、矢尻を魔力で強化したのも魔法だろう?」

「これは身体強化の延長で魔法とは言わない!」

「そう……か? いや、そうだな」


 少女が言っている魔法は、古典魔法学における魔法のことだ。

 古典魔法学における魔法には身体強化は含まれないのだ。


 そして古典魔法学では触れている弓矢を魔力で覆うことは、身体強化の延長と考える。


 だが、現代では魔力を使った技術全般を魔法という。

 少女の言う魔法を狭義の魔法、俺の言う魔法を広義の魔法ともいうが一般的ではない。


「そうか。魔法を使えないのか」


 俺が出会った腐界の外のエルフの全てが狭義の魔法が得意だった。

 俺の師匠もエルフだったが、とても魔法が得意だった。


「…………だから、お前は鍛えられていない体に貧弱な装備でも死んでないのか」

「そうだな。いや、体はそれなりに鍛えているんだが……」


 貧弱と言われて、少しショックである。そりゃ、歴戦の戦士ほどではない。

 だが、無駄な脂肪はあまり付いていないし、筋肉もそれなりなのだが。


「ちなみ家も魔法で作ったからな。大工を動員したりはしていない」

「……なん……だと」

「俺の事情を説明させてもらえるか?」

「……あぁ。……あっ! いや、その前に」


 少女はその場でひざをついて頭を下げた。


「魔鳥を一撃で倒すほどの偉大な魔導師とは思いもよらず、無礼な言動をした。お詫びしたい」


 少女は、本来礼儀正しい性格らしい。


「気にしないでくれ。魔導師をみたことがなかったんだろう? なら当然だ」

「許していただき、感謝する」

「それに俺とモラクスを心配しての言葉だとわかっている。こちらこそ礼を言う」

「もっ」


 俺とモラクスも頭を下げた。


「俺はティル・リッシュ。この子はモラクスで、この子がペロだ」

「も」「ぁぅ」

「い、犬が増えてる……」

「わふ」

「狼だぞ」

「狼だったか、これは失礼した。私はルーベル家の長子、ミア・ルーベルだ」


 ミアは立ち上がってペロにも頭を下げると、俺たちに名乗った。


「ルーベル?」

「なんだ?」

「いや、何でもない。偶然だろう」


 俺の師匠の家名もルーベルだった。

 エルフにはよくある家名なのかも知れない。



 自己紹介を済ませたら、俺は自分の事情を説明していく。


 あくまでも先住民はミアの方で、俺は後からやってきた。

 きちんと説明するのが礼儀だろう。


「俺は王に辺境開拓騎士になれと命じられてな」

「辺境開拓騎士とはなんだ?」

「ええっと、簡単に説明すると辺境を人の住めるよう開拓する騎士だな」


 開拓だけでなく、盗賊や魔物の討伐なども仕事だと教えておく。


「まあ、王命を無視して逃げても良かったんだが、腐界の研究がしたかったからね」


 都合が良かったんだと笑っておいた。


「腐界の研究とは何だ? 質問ばかりしてすまない」

「どんどん質問してくれ。その方が説明しやすい。簡単に言うと、瘴気をどうにかする研究だ」

「ふむ。瘴気をどうにかする……だと? どうやってだ?」

「とりあえず大気や地中から瘴気を除去する研究だな。あとは瘴気病の治療薬も改良したいし」


 今の瘴気除去結界は完璧なものではない。土壌改良魔法陣も途中だ。


「……瘴気病の治療薬だと? それにはどれ程の効果があるんだ?」


 ミアが疑問点を質問してくれるおかげで、ミアの常識や状況が少しずつわかってくる。


「ああ、このペロも瘴気病だったんだが――」


 俺は今の治療薬の効果について説明した。


「つまり、瘴気病が治ったのか? しかも一日で? 本当に?」

「ああ、ペロはこの辺りまで瘴気に覆われていたんだが……」

「わふ~」


 俺が足に触れると、ペロは嬉しそうに尻尾を振る。


「薬を塗ったら、一晩で治った。症状が重かったら飲み薬が必要だったけどね」


 重症でも塗り薬だけで治るようにしたい。瘴気病の飲み薬は胃腸に負担がかかるのだ。

 そのためには塗り薬の治療効果を高めなければならない。できれば予防効果も持たせたい。


 薬の改良のためにも、俺たちがこの場に留まることを許してほしいと言おうとしたのだが、

「ティル! どうか、私たちを助けてくれないか!」

「いいぞ。俺ができることならな。なにをすれば良い?」

「厚かましいことを言っているのはわかっている! 無礼な態度をとった私がどの口で……え?」

「だから、いいぞ? 何をすれば良い?」


 俺がもう一度そういうと、ミアは驚いて固まった。

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