それからも俺はミアに村と腐界のエルフについて教えてもらった。
どうやら、他にも村はあるらしい。
「村の大きさを決めるのは確保できる水の量だ」
飲用に耐える水が沢山出るところにはエルフが集まる。
だが、それほど大量の水を確保できる場所は少なく、少人数の村が点在しているらしい。
「私が知っている村は全部で十ぐらいか。場所はわからない」
井戸が涸れるたびに移住したり、分裂したりする。
昔は交流があったが、今は魔物が多いため、交流も難しい。
「過去を知っている長老たちも、皆死んだ。長老を知っている者も死んでしまった」
だから、他の村がどこにあるのか、どのような状態なのかもわからないという。
どうやら、ミアたちは中々厳しい状態だということがわかった。
話している間に日が沈み、子供たちが灯りをともす。
匂いから判断するに、木の実の油を燃やしているのだろう。
お話ししている間に、結界発生装置が完成した。
「これでよし」
「ティル。それは一体なんだ?」
「俺の家には瘴気除けの結界が展開していただろう? その結界を展開するための装置だよ」
「……こんなにあっさり作れるのか?」
「護符さえあればね。護符が中々希少だから量産できないんだ」
そう言いながら、俺は立ち上がり、結界発生装置の子機を家の四隅に置いていく。
そして結界発生装置のコアを家の中心に置いて、起動した。
一瞬で家の中から瘴気が消える。
「…………すごい……一瞬で嫌な臭いがなくなった」
ミアが呟き、
「あれ? あれ?」「なんか、臭くない!」
他の子供たちもすぐに気がついた。
「空気がおいしい!」「臭くないからおいしい!」
「もしかして、ティルがなにかしたの?」
料理していた子供たちが手を止めて、俺を見た。
「ああ、結界発生装置を起動したんだ。こうした方が瘴気病の回復が早くなるからな」
「お、おお……すごい」「大賢者様だ」「大賢者」
「だから、俺は大賢者じゃないよ」
「じゃあ、大賢者のお弟子様……」
「弟子でもないよ。大賢者に連なる由緒正しい魔導師だったら良かったんだけどね」
由緒正しい魔導師だったら、もっと宮廷魔導師としても良い待遇を受けていたかもしれない。
だけど、その場合は腐界には中々これなかっただろう。
結果的に、どっちが良かったのかはわからない。
「……あれ? くさくない」
「も?」「わふ?」
その騒ぎでミーシャが目を覚ました。モラクスとペロも目を覚ます。
「ミーシャ、起こしちゃったか、すまない」
「ふおぉぉぉふぅぅぅ! くうきがおいしい!」
ミーシャは興奮気味に深呼吸する。
「ねね、どうして? どうしてくさくないの……あ、なんかある、これのおかげ?」
「ミーシャはめざといな。そうこれのおかげだ」
「どんなしくみなの?」
「えっと、説明が難しいのだけど――」
俺は結界発生装置の仕組みを、ミーシャに向けて簡単に説明したのだった。
「ほえー。すごいねぇ。ティルは天才だねぇ」
「そんなことないさ。本当に凄いのはこの護符だからね」
「それでもすごいよ」
そんなことを説明している間に、良い匂いがしてきた。
嗅いだことのない匂いだが、とても美味しそうだ。
「良い匂いだな」
「もっも」「わふ」
モラクスとペロもよだれを垂らしている。
「あ、今日は|咖喱(カレー)なんだ! おいしいよ!」
ミーシャも咖喱とやらが大好物なようだ。
「む? カレー? なんだそれは? 聞いたことがない料理だな」
「咖喱と言うのはだな。香辛料の木の実を沢山まぜて作った料理なんだ」
俺の問いに答えてくれたのはミアだ。
「パンの実や米の木になる米の実と一緒に食べるととても美味しいんだよ」
「ほう。楽しみだな」
「ああ、香りが強いだろう? だから瘴気臭いなかでも美味しく食べられるんだ」
「そうか……生活の知恵だな」
大気も水も臭い中では、香りの強い食べ物が好まれるのだろう。
「パンの実は知っているが、米の実とか香辛料の木は知らないな」
『もらくす、しってる。ままからきいた』
「おお、偉いぞ。今度教えてくれ」
『わかった』
モラクスは元気に尻尾を振っている。
『こうしんりょうのきのみも、こめのきのみも、おいしい』
「ほうほう? 牛も食べられるのか」
『おおかみもたべれる。ぱんのきのみといっしょ』
「瘴気を魔力に変えているって奴か」
『そうそう』
俺がモラクスと話している様子を、ミーシャがじっと見つめていた。
「どうした? ミーシャ」
「ティルって、モラクスとお話しできるの?」
「できるよ」
「す、すごい! やっぱり話せるんだ!」
ミーシャの言葉が聞いた子供たちが騒ぎ始める。
「や、やっぱり大賢者様」
「うん、大賢者様は聖獣とお話ししたっていうものね」
「いやいや、これは技術だからな。大賢者だけが聞こえるってものじゃない」
誰でも聖獣と意思の疎通ができるわけではない。
それなりに難しい魔法技術で練習が必要だが、神に与えられた権能みたいなものではない。
もちろん聖獣の言語能力によって、どのように聞こえるかの差はある。
モラクスとははっきりと会話ができるが、ペロやオルからは何となく意思が伝わってくる。
「え? 技術なの? おしえておしえて」
「私もモラクスとペロとおはなししたい!」
子供たちが目を輝かせる。
「あー、魔法の技術だから……難しいかも」
「そっかー」「ざんねん」
もしかしたら古代のエルフは聖獣と話せたのかもしれない。
だが、呪いで魔法が使えなくなるのと同時に聖獣とは話せなくなったのだろう。
「もっも」「わふわふ」
しょんぼりする子供たちにモラクスとペロが駆け寄って、体を押しつける。
きっと子供たちを元気づけようとしているのだろう。
それからしばらく経って「咖喱ができたよ!」という声があがった。
「咖喱ってどんな料理なんだろうな。楽しみだ」
「もっも」「わふわふ」
俺とモラクス、ペロは楽しみに、子供たちの作業を見守る。
「咖喱はできても、まだ米の実ができていないからな。少し待たないといけない」
「ミーシャ、お腹すいたー」
「もっも」「ヴォウ」
ミーシャもモラクスもペロも早く食べたそうだ。
聖牛や聖狼にとっても、咖喱の匂いは食欲をそそられるものらしい。
「ティルは米料理は食べたことがあるのか?」
「腐界の外で米を食べたことがあるけど、腐界の米の実は初めてだ」
『おいしい』「ヴォウヴォウ」
モラクスもペロも米の実が大好きなようだ。
「米の実の調理法は、パンの実と似た感じなんだね」
米の実は楕円体で長い部分は十五センチほど、短い部分は十センチほどだ。
皮のまま三十分ほど焼くと、独特の米の炊ける匂いがしてきて食べられるようになるらしい。
「パンの実と違うのは、良い匂いがして火から下ろしてから十分ほど放置して蒸らすことだ」
ミアが教えてくれる。
「蒸らすとどうなるんだ?」
「うまくなる」
米を炊いた料理は外の世界でも食べたことがある。
白くて少し甘みがあって、中々美味しかった。
俺たちが眺めている間に十分の蒸らし時間が終わった。
すぐに村人たちが咖喱を入れた鍋と米の実を持ってきてくれる。
「ティルは米の実見るの初めてなんでしょ? 見てて」
少年がそう言いながら俺たちの前で米の実を割ってくれた。
「もうもぅ!」「ヴォウ」
モラクスとペロが興奮して尻尾を振る。
米の実の中には白い米粒がぎっしりと詰まっていた。
「おお、外の世界の米とそっくりだ」
「これに直接咖喱をかけるんだ!」
咖喱は茶色くてどろっとしていて、野菜や肉がたくさん入っている。
少年は半分に切った米の実に咖喱をかけて、木のスプーンと一緒に渡してくれた。
「おお、ありがとう。うまそうだな」
「もっも」「ヴォウヴォウ」
米の実に咖喱をかけたものを受け取ったモラクスとペロはよだれを垂らして尻尾を振った。
全員に行き渡ったので、食事の開始だ。
「いただきます」
俺は一口咖喱を口に入れる。
「おお……これはうまい」
咖喱はどろりとしていて、香辛料をふんだんに使っているのに辛くない。
すぐにほんのりとした甘みと旨みがあった。
なにより味に深みがあって、米との相性が抜群だ。香りも良い。
「おいしいね!」
「うん! 水が良いから、いつもよりおいしい!」
「瘴気も無いからね! おいしいおいしい!」
子供たちも嬉しそうに食べている。
「ありがと! ティル、こんなに美味しい咖喱ははじめてだよ!」
「やっぱりみずだね!」「瘴気がないのもでかい!」
「こちらこそありがとう。本当に美味しいよ」
「ほんとう? やったー」
俺がお礼を言うと、子供たちは素直に喜んでくれる。
「ああ、外の世界でもこんなに美味しいご飯は食べたことない」
それは嘘ではない。本当に美味しい。
「これなら毎日でも食べられそうだ」
「ねー。おいしいよね。ミーシャもだいすき」
両手に治療薬を塗っているミーシャは、ミアに食べさせてもらっている。
「大人がいた頃は辛い咖喱も作っていたんだけどね。それも美味しいんだ」
自分でも食べながら、ミーシャに食べさせているミアが教えてくれた。
大人がいなくなって甘めの咖喱ばかり作るようになったらしい。
「今度、ティルのために大人向けのカレーも作るよ」
「おお、それは楽しみだ」
「もっちゃ、もっちゃ、もっちゃ『うまいうまい』」「ヴォフヴォフヴォフ」
モラクスとペロもうまいうまいと言いながら食べている。
「モラクスには肉を抜いて、野菜多めにしてあるんだ」
「ペロの分の野菜を抜いたの。モラクスの分のお肉はペロのお皿に入れたよ」
「もっも『ありがと』」「うぉふ」
「モラクスとペロがありがとうだって」
俺が伝えると子供たちは嬉しそうに照れていた。
「……瘴気の匂いを誤魔化すための咖喱だったけど、瘴気がないとこんなに美味しいんだね」
「うんうん。なんか、ミーシャ、おいしすぎて、元気になってきたかも」
そういってミーシャはニコニコしている。
子供たちもミーシャも嬉しそうで俺も嬉しくなってくる。
「咖喱に入っている肉もうまいな。魔鳥の肉か?」
「ああ、魔鳥の肉は咖喱によくあうんだよ」
ミアの言うとおりだ。咖喱の風味とちょっとした辛さとの相性が良い。
きっと辛めの咖喱にも合うだろう。
「これは……ジャガイモと人参か?」
「ああ、魔ジャガイモと魔人参だな」
魔ジャガイモと魔人参は、外の世界のジャガイモと人参よりうまかった。
「魔ジャガイモは食感が良いな。ほくほくしている。味もいい。しっとりしていて……」
『うまい』
「魔人参は甘みがあって、外の人参より味が濃くて……」
『うまい』
モラクスも魔ジャガイモと魔人参が好きらしい。
「いつもなら魔玉葱も入れるんだけど、ペロも食べるから抜いたの」
調理していた少女が教えてくれる。
「そっか、ペロは狼だからな。ありがとう」
犬に玉葱を食べさせるのは良くないのだ。
「も?『だいじょうぶだよ?』」「ヴォウ」
「そうなのか?」
モラクスもペロも魔玉葱を食べられるという。
『せいじゅうだからね?』「うぉう」
「そうなのか。聖獣凄いな。ペロは玉葱もすきなの?」
「ぁぅ」『たべられるとすきはちがう』
「それはそうだね。そういえば、前も聞いたかも」
『でもかれーのなかにはいってるたまねぎならだいじょうぶ』
「ウォウウォウ」
形が残ってなければ大丈夫とペロは言う。
俺はモラクスとペロから聞いた内容をみんなに教えた。
「へー。聖獣って凄いねぇ」「ねー」
「野菜とか肉を分けなくても良かった?」
「それは食べられると好きは違うからね」
「もっも『ありがと』」「うぉう」
「モラクスとペロがありがとうだって。やっぱり野菜と肉は分けた方が嬉しいみたい」
「そっかー」
少女がモラクスとペロのことを優しく撫でる。
「もっも」「がふがふ」
モラクスとペロは咖喱を食べながら、とても嬉しそうに尻尾を振った。