モラクスの言葉は、ミアには聞こえていない。
つまり、モラクスとミアは同時に消えた犬をコボルトと判断したと言うことだ。
「コボルトっていうと……精霊のコボルトのことか?」
精霊というのはおとぎ話に出てくる存在だ。実在するとは信じられていない。
「確か犬に似た姿で二本足で歩く大地の精霊だったか?」
俺が小さい頃師匠が読んでくれた絵本にそう載っていた。
「ああ、私も初めて見たんだが……そう伝わっている」
ミアがそういうと、
「ミーシャもはじめてみた!」
「ぼくもぼくも!」「ほんとに犬の姿なんだねぇ」
「ちっちゃくて可愛いね!」
「僕も初めて見た」
子供たちは、皆、コボルトだと思い込んでいる。
「だけど、みんなコボルトを見たことないんだろう? ならコボルトじゃないかもしれない」
『こぼるとだよ』
「そうなのか? モラクスはみたことあるの?」
『ないけどわかる。せいじゅうだからね』
俺とモラクスが話していると、子供たちは一カ所に集まり、
「かわいいねー」「え? なでていいの? ありがと」
「もふもふだ~」「やわらかーい」「肉球がぷにぷにだ!」
「わふわふ」
ペロと一緒に何かしている。
最初はペロを撫でているのかと思ったが、
「ちっちゃいねー」「でも子犬じゃないんだ、へーすごい」
どうやら、そうでもないらしい。
「ミーシャも! ミーシャもなでる!」
「ミーシャちゃん、こっちおいで」
「へへー。ありがと。かわいいねー」
ミーシャも何かをし始めたが、俺には何も見えない。
「モラクスには、コボルトは見える?」
『みえる』
「俺にはみえないんだが……」
『そっか、かわいそ』
モラクスはそういうと、慰めるように俺の手をベロベロとなめてくれた。
「え? ティルはみえないの?」
「なんでだろ? 不思議だねー?」
子供たちも首をかしげる。
「一瞬見えたんだが、すぐに消えてしまったんだよ」
「ふむーどうしてだろう? え? そうなんだ?」
「そっかー、びっくりして姿を消したんだ」
なにやら子供たちはコボルトとお話ししているようだ。
気配も魔力も感じないのに、確かにそこにいるらしい。
俺の、いや外の世界の人族は精霊を認識できないのかもしれない。
「ねね、コボルトさん、ティルはわるいひとじゃないよ?」
「……うん、いいひとだよ! 瘴気がないのも、ティルが作ってくれた結界のおかげなんだ」
「ほんとだよ! ね、ティルさん」
『ほんとほんと。こぼると。ティルはこわくないよ』
「よくわからないが、モラクスが言うにはほんとらしいよ?」
モラクスの声は子供たちには聞こえていないので通訳する。
だが、コボルトには聞こえているのかもしれない。
「え? いいの? ありがとー」
そうミーシャが言った次の瞬間、
「うぉ……こんなに一杯いたんだ」
俺の周囲にコボルトがいた。一匹や二匹ではない。全部で二十匹ほどいた。
その中の一匹が前に出て、じっと俺を見ながら「わふ」と吠えた。
どうやら子供たちの目にはコボルトが隠れても見えるが、俺の目には隠れたら見えないらしい。
『私がコボルトの長だわん。よろしくおねがいだわん』
口調が独特すぎるが、会話の内容はしっかりわかる。
「ティル・リッシュと申します。コボルトの長。コボルトの皆さん。お会いできて光栄です」
俺が丁寧に挨拶すると、
『なでてなでてわん』『ぼくいいこだわん!』『あそんでほしいわん!』
コボルトたちは一斉に俺の周りに集まる。そして、クンクンと匂いを嗅ぎ始めた。
後ろ足で立ってはいるが、動きは犬っぽい。尻尾の動きなど犬そのものだ。
前足を俺の足において、尻尾を振っている。
見えているし、触れられている。なのに未だ気配は感じない。
『敬語は必要ないわん。結界ありがとうわん。ティルのつくった結界と、これのおかげで――』
これとは俺の描いた土壌改良魔法陣のことだ。
『瘴気が消えたから顕現できるようになったわん』
元からコボルトたちは存在した。
だが、瘴気があると、精霊であるコボルトは顕現することができないらしい。
『精霊は物じゃなく魔力に近い存在なんだわん。そう月みたいなものだわん』
コボルトの長は空に登り始めた赤い月を指さした。
『青い月は物だわん。でも赤い月は魔力だわん。黒い瘴気の月と赤い月は同時に存在しないわん』
「だけど、土壌改良の方はまだ完全に瘴気が抜けているわけじゃないと思うんだが……」
相当薄くなっているとはいえ、大地の瘴気は完全には抜けていない。
『この程度なら大丈夫だわん!』
「それならよかったけど……」
同時に夜空に浮かぶ月は最大で二つまで。しかも黒い月は見えない。
黒い月の日は、一般的に赤い月の新月の日だと思われている。
だから、黒い月の存在は、一般的には知られていない。一部の魔導師しか知らないことだ。
「月?」「魔力の月?」「よくわかんない」
子供たちにとって、コボルトの話しは難しいようだ。
「どういうこと?」
ミアも首をかしげているので、要約しておく。
「月って実は三つあるんだけど、そのうちの二つは同一空間に存在していて……」
赤の月と黒の月は重なり合った状態で存在していると言われている。
「……わかんない」「むずかしいねぇ」
やはり、子供たちには難しすぎたようだ。
「簡単に言うと、瘴気があると精霊は出てこれないってだけわかればいいよ」
「そうなのか」「そっかー」『難しい問題だわん』
ミアや子供たちも理解してなくても何となくわかってくれたようだ。
そして、コボルトの中にはわからない子もいるらしい。
『もらくすはわかる』
「偉いね、モラクス」
俺は自慢げなモラクスの頭を撫でた。
「長。外から草が見えたのは?」
『あれは可能性を見せただけだわん。草木が育てば将来ああなるわん』
大地の精霊だからそういうことができるとコボルトの長は自慢げに言う。
草木には触れることもできていた。ものすごく強力で不思議な力だ。
「そうなのか。もの凄く強力で不思議な力だな」
『ね。ふしぎだね』
モラクスにとっても不思議らしい。
コボルトの話しを聞いて、俺は一つ疑問に思った。
「ところで、瘴気のない腐界の外には精霊はいるの?」
『いるわん。でも、隠れているし、人族は精霊にふれられないわん』
「子供たち、つまりエルフが触れられたのはなぜだ? 俺も触れたけど」
子供たちはコボルトたちを撫でまくっていた。
そして、俺もコボルトに触ることができた。
『エルフは半分精霊だわん』
「半分精霊? ってどういう状態だ?」
「ティル。我らエルフは精霊が受肉したものだと伝わっている」
ミアが補足して説明してくれる。
つまり、肉体を持つ生物でありつつ、精霊でもあるらしい。
「厳密に言えばだ。精霊だって完全に魔力だけでできているわけではないんだ」
エルフも精霊も、物質と魔力の中間の存在らしい。
だが、エルフは大きく物質側に寄っているし、精霊は大きく魔力側に寄っている。
「そうでなければ、私たちも精霊には触れられない」
そして、物質に大きく寄っているエルフは瘴気の中でも生きていける。
そういうことらしい。
『ティルはエルフの血を少し引いてるわん。だからさわれるわん』
『さわれるー』『なでてー』『あそぼ?』
コボルトたちを撫でる。柔らかくてもふもふだ。
「俺にもエルフの血が流れているとは知らなかった」
俺自身も知らなかったことだ。
『ティル。ここで草木を育てていいわん? コボルト草育てるの好きだわん』
大地の精霊であるコボルトたちにとって、草木を育むことは種族的使命らしい。
「それはもちろんいいよ。一緒に暮らしてくれるなら俺も嬉しい」
「ぼくも!」「わたしもうれしい」「ミーシャも!」
『やったわん』『いっしょにあそぶわん』
コボルトたちは大喜びで尻尾を振ったのだった。