「ティル。傷薬ポーションのおかげで傷は塞がったのである!」
そう言ってはしゃぐジルカは小柄な少女だった。
腰まである長い髪と瞳が綺麗な深紅で、エルフ耳の上部に太めの角が生えていた。
太くて長い深紅の鱗が生えた尻尾に、背中には大きめの深紅の羽が四枚生えている。
そして、ジルカはミアに借りた布を体に巻き付けていた。
「傷が塞がったようで何よりだが、失われた血や体力は戻ってないんだ。しばらく――」
「恩返しをしたいのはやまやまであるが、我にはやらねばならぬ事があるのである。すまぬ」
そう言って、ジルカは再び竜形態へと戻った。
「落ち着け。ジルカ。まだ安静にしないと――」
「そんな時間はないのである。まだ聖獣たちが凶悪な魔物と戦っている故に」
どうやら、ジルカの仲間が戦闘中らしい。
恐らく、ジルカは自らをおとりにして、敵の中でも特に強い個体を引きつけていたのだろう。
「これでよし」
そのとき俺は結界装置の修復を完了させた。
「お? 一瞬で瘴気が? 一体どういう仕組み、いや尋ねている場合ではないのである!」
ジルカは羽をバサバサさせて、飛び立とうとするので慌てて止める。
「待て待て」
「恩返しもすませずに飛び立つ無礼を許してほしいのである。我を待っている――」
「俺も連れて行け」
魔物を倒すことは俺の仕事の一つだ。
それに傷が塞がったとは言え、重傷だったジルカをそのまま送り出したらきっと死ぬ。
そうなれば、多くの聖獣たちも死ぬのだろう。
見過ごす訳にはいかない。
「モラクス、ペロ、ミア。コボルトたち。子供たちを頼んだ」
『まかされた』「ガウ」「わかった。いってこい」
『まかされるわんね!』『瘴気がなくなったからすぐに隠すわん!』
「ありがとう。ジルカ、背中に乗せてくれ」
そういって、俺は了解を得る前に、ジルカの背によじ登る。
「いやいやいや、ティル、降りるのである。敵は本当に凶悪な魔物であるからして――」
「さきほどの魔竜程度なら問題ないぞ?」
「いやいや、危険で――」
「俺が魔竜を一撃で倒したのを見ただろう? 余裕だ。急いでくれ」
「いや、そこまでティルのお世話――」
「いいから早く! 聖獣が戦っているんだろう! 話し合ってる場合じゃないだろ!」
「お、おお、そうであるな! わかったのである」
強引に押しきると、ジルカはふわりと上空に飛び立った。
どうやらジルカは押しに弱い竜らしい。
一度飛び立つと、ジルカは一気に加速する。
「ジルカ、情報共有しよう。戦場はここから何分だ?」
「三分である」
ジルカの速度から考えて、恐らくここから十キロぐらい離れているのだろう。
距離はともかく、情報共有に使える猶予は三分だけだ。余裕はあまりない。
手短に必要な事だけを尋ねるべきだ。
「魔物の種類は?」
「魔王種とその側近の魔物である。側近は魔竜種が十数匹。地竜と飛竜が半々ぐらいである」
「魔王種か。本当にいたのか」
魔王種というのは俺も見たこともないが、昔、師匠からその存在を聞いたことがある。
魔王種は凶悪な魔物を発生させ、濃密な瘴気を生み出す魔物の王のような存在らしい。
「魔王種には人型が多いって聞くが、今回の魔王種はどうだ?」
「そうである! 人型なのである! 身長三メートルぐらいあって、魔力が凄いのである!」
「味方の聖獣はどのくらいるんだ?」
「五頭である! 皆強力な聖獣であるが――」
魔王種の戦闘力は極めて強いが、あまり前面に出てこないようだ。
後方にいて、濃厚な瘴気を放ち凶悪な魔物を生み出し続けるらしい。
「まるでスズメバチの女王なのである!」
「スズメバチの女王はそんなに強くないけどな」
女王バチは体こそ大きいが、攻撃性は高くない。働き蜂の方が恐ろしい。
「そうなのである? まあ、それはともかく――」
魔王種を放置すれば、どんどん腐界が広がり、戦況が悪化していく。
だから、速やかに倒さなければならないが、側近が強すぎて中々近づけないという。
「特にティルが倒してくれた五匹の魔竜衆がめちゃくちゃ厄介で――」
ジルカは魔竜衆がいないのならば、聖獣たちは持ちこたえられるはずであると祈るように言う。
「つまりだ。魔王種を最優先で倒せばいいんだな?」
「それは、もちろんそうなのであるが、それができたら苦労しないのである!」
それだけ聞けたら充分だ。
「そろそろか。魔物の存在を感じるぞ」
「さすが、ティル、察知が早いのである」
一キロほど向こうに飛竜型の魔竜、魔飛竜が飛んで地上目がけて攻撃を仕掛けている。
森の合間では地竜型の魔竜、魔地竜が大暴れしていた。
「聖獣たちも頑張っているが……」
聖獣たちは押されていた。
上空からの強烈な魔法攻撃にさらされつつ、魔地竜の強力な攻撃にも対処するのは難しかろう。
聖獣の種類は不明だ。泥だらけ血だらけで、何もわからない。
「地中にいるのが魔王種か。……これはめちゃくちゃ強いな」
「え? もうわかるのであるか? 我はまだわからないのである」
ジルカは気配察知が苦手なのでわからないらしい。
いや、気配察知が得意な者でも、簡単には気づけないだろう。
魔王種は地下十メートル程度の深さにある部屋の中にいた。
恐らく魔物たちが作った魔王種の巣なのだろう。
部屋の周囲には防御のための魔法がかけられており、魔王種の部屋の壁はオリハルコン製だ。
物理攻撃と魔法攻撃の両方に対する防御力が非常に高い。
そのうえ、魔王種自体も非常に魔力が高く、身体的にも頑健だ。
「うーん。単純に外的な力で防御を突破するのは難しそうだな」
「ティル、まずは側近を倒してから、魔王種の巣に乗り込むのが定跡なのである」
「それもありだな。だがジルカ。今回は任せてくれ」
「うむ、ティルほどの男がそういうのならば……」
「ジルカ、高度を維持してここに留まってくれ」
「わ、わかったのである。ふおおおおおお!」
高速で飛行していたジルカが空中で止まる。
「ジルカ、南に三メートル、西に四メートルだけ移動してくれ」
「わかったのである!」
「あと、側近の攻撃はジルカに任せた。俺は攻撃に集中する」
「お? おう? 任されたのである! ふーおおおお」
空中に停止した俺たちに魔王種の側近である魔飛竜が攻撃を仕掛けてくる。
「羽虫ごときが! 天星のジルカをなめるでないわ!」
ジルカは口から炎を出して、魔飛竜の攻撃を迎撃する。
「地虫が! 我に攻撃が届くと思うな!」
魔地竜が地上から放つ攻撃は、魔力で覆った腕をふるって消し飛ばした。
「皆の者! 魔竜衆を倒し天星のジルカが戻ってきたのである! しばし耐えるのである!」
地上で戦う聖獣たちに呼びかけながら、ジルカは防御を続ける。
「すまぬ。後でちゃんとティルの手柄だと説明するのである。ふおおおおお」
「気にするな。」
俺は魔力を練り上げながら返事をする。
ジルカは功名心から、魔竜を倒したと言ったのではない。
厳しい戦闘を続けている聖獣たちの士気を上げるためにそう言ったのだ。
俺は集中する。
間違いが無いように、複雑な魔力の流れを脳内で何度も何度も繰り返す。
消費魔力が大きすぎるので一発勝負だ。失敗しても二発目は撃てないだろう。
「空間を司りし神よ。汝の僕たるティル・リッシュが希い奉る。我の魔力を糧とし、我が願いを聞こし召たまえ。世界の理を改竄し狭間の律を歪め、無限たる虚空の力を収束せしめることを許し給え。
次の瞬間、俺の魔力の大半が持っていかれる。
同時に音もなく俺たちの真下の地面に直径二十メートルほどの黒い球が出現した。
ちょうど半分が地中に埋もれているので、今はドーム状にしか見えない。
「ふえ? 何が起こったのである?」
俺は膨大な魔力を消費しながら、その黒い球を絞っていく。
「つぅぅぅぅぅぅ!」
さすがにきつい。
だが、出現した球がみるみるうちに収縮し、こぶし大の大きさになった。
地面は綺麗な半球形にえぐれている。
「解除」
俺が魔力を込めるのを止めると、小さな黒い球体は消える。
同時に血と肉塊、土砂などが周囲に散らばった。
「なにが?」
「……魔王種は殺した。後は側近を殺せばいい」
「どういう?」
「……空間ごと圧縮して押しつぶした」
魔王種は魔法で防御を固められている堅固な巣の中にいた。
外から攻撃魔法を放っても、物理的な防御が固すぎて容易には届かない。
それならば空間ごと問答無用で圧縮してやれば良い。
正確には魔王種を除いた周囲の空間だけを圧縮したのだ。
いくら物理防御が高かろうと、空間が小さくなったら押しつぶされてしまう。
魔法とは物理法則を超えた現象だが、空間圧縮はあまりにも理に反している。
だから、神に許可をもらわねばならない。その対価としての魔力も必要だ。
空間圧縮の魔法自体も、魔法の詠唱文も、師匠に教えてもらったものだ。
もったいぶって、人の手に余る魔法とか言っていた。
「…………師匠、ありがと」
「……ちょっと、理解ができないのである」
「…………めちゃくちゃ疲れたから、説明は後でね。あとこれ、治癒ポーション、みんなに使って」
「助かるのである! 側近を倒したらすぐに……」
「…………ジルカ、気絶するから、後はまかせた。
俺は残りの魔力を振り絞って魔槍を数本放ち、魔飛竜と魔地竜を倒し気を失った。