実に奇妙なことになった。
そして目の前には、電灯以上に輝きを放っている十代半ば頃の少女――
華凛は戸惑った。その視線は今まで受けてきたどれとも違っていた。嫌悪でも侮蔑でも軽い恐怖でもなく、ただ溢れんばかりの興味と好意に満ち満ちていた。
しかしさすがに辟易して何か言おうとしたその時、少女の方が先に口を開いた。
「マイネームイズ、スズヒメ・ツキサカキ‼」
「へっ?」
「ナイストゥーミーチュー‼ アイムベリーベリーグラッドトゥシーユー‼」
歌うような節がついた妙な英語だった。
「アンド、アンド……ユーアーベリーベリービューティフル‼」
「あ、あの! すみません! 私、日本語分かります……というか、日本語しか分からないんです……」
「え? あっ」
少女はたちまち
華凛は慌てて、
「あ、でもさっきの英語はとても……とても分かりやすくて、いいと思いました……」
「え、ホントですか⁉ あははっ! やった!」
感情が極端に変化する少女のようだった。
「それじゃあの、改めまして! 私は
「あ……私は、
「すごい……! それで! 華凛さんは幕臣さんなんですか⁉ 乗ってたのってどんな
華凛は立て続けに繰り出される質問に、口外法度に触れないよう気を付けながらどうにか答えていった。
鈴姫は一つ一つの話柄に感心したり驚いたり、過剰なほどの反応を返した。昼間の
「……でも、そこで隊長が責任を感じて、腹を切って果ててしまったんです……。でその後、」
「ひっ――‼」
突然聞こえた短く鋭い悲鳴に、華凛は視線を上げた。
鈴姫は何らかの攻撃を受けたかのようにのけ反り、両腕で自身の身体を抱いていた。顔はみるみるうちに真っ青になり、身体が小刻みに震えだした。
「腹を、切って……亡く、なった……?」
「え、ええ……あ、でもあなたを責めてるわけじゃ……」
にわかに、鈴姫は泣き出した。
それはもう、激烈に泣きじゃくった。
「え? ええ……⁉」
華凛は慌てふためいて、部屋の隅にいる人物の方を見た。
実は、部屋にいたのは二人だけではなかった。もう一人、恰幅のよい老女が、お目付け役なのか何なのか、最初から部屋の隅に座していたのである。しかし鈴姫が特に紹介もせず、老女本人も何も言わずにぼおっとしていただけだったので、華凛も気にしないようにしていたのだった。
その老女は鈴姫の泣き声がわんわんと反響する中でさえ、視線をあさっての宙に向け、口をわずかに開け放している。目を開けたまま寝ているのではあるまいか。
一方、鈴姫は泣き続けた。真っ青な顔で、震えながら。上っ面ではなく、心から泣いているのは明らかだった。幼子よりも純粋に恐れ、悲しんでいるのが痛いほど伝わってきた。
華凛はおずおずと膝を寄せ、鈴姫の背にそっと手を置いた。
鈴姫はしゃくり上げながら、
「ご、ごめんなさい……うっ……あの……悲しくって……うぅ……っか、かわいそうで……。し、し……死んでしまったなんて……そんなのって……!」
華凛の胸に熱いものがこみ上げ、鼻がツンとなった。
郁之助が死んでからずっと凝り固まっていた悲しみが、ようやく溶けて流れ出てきた。華凛は鈴姫の背をさすりながら、静かにすすり泣いた。
しばらく、対面の間に二人分の泣き声が流れるだけの時間が続いた。
やがて徐々に落ち着きを取り戻した鈴姫は、懐紙で鼻を押さえながら、
「今まで……この藩で、禍獣のために亡くなった人はいないって……そう聞いてたんです……」
「……そうなんですか」
そんなことがあり得るだろうか、と心の隅で思いつつも華凛は頷いた。
「だから……人が亡くなったって聞くと、どうしても堪えられなくなって……」
「……ありがとうございます。こんなにも悲しんでくださって……せめてもの慰めになります」
いつの間にか、華凛はごく自然に微笑んでいた。
「何だか私も、胸のつかえが取れたみたいです……。こう言うとあれですけど、今人神様が私の分まで泣いてくださったので」
鈴姫は一瞬きょとんとした後、恥ずかしそうに笑った。そして、
「鈴姫と呼んでください……」
「そんな、それは畏れ多いです……」
鈴姫は哀し気に首を振った。
「そんな大層なものじゃないんです、私は……。末裔っていっても、私自身はただの人間なんです。瀬織津姫様の神験を引き出してくれるのは巫女のななだし、『
「あいつって……穂積蓮太郎という人のことですか?」
鈴姫は黙って頷いた。
「あの人、どういう人なんですか? 犬……何とかって言ってましたけど……」
鈴姫は可愛らしく頬をぷくっと膨らませて、
「あいつのことなんて気にしなくていいんです。いや~な奴なんですから」
「いや~な奴……?」
華凛の胸に、小さなわだかまりが生まれた。
「そんなことより! 訊きたいことがあるんです!」
鈴姫はまた表情をぱっと輝かせ、十二
華凛はあまりにも不釣り合いな光景にぎょっとした。
「んーと……これ! この方のこと、知ってますか⁉」
と言いながら鈴姫は膝を滑らせて華凛の側まで近づき、スマホの画面を見せてきた。
映し出されていたのは配信サイトに投稿された動画だった。どうやら海外の討論番組か何かを切り抜いたもののようで、スタジオ内に多様な人種の男女が横一列に並んで座り、早口の英語で何やら議論を交わしている。
そこに、
『あっははは! それで我が国を非難するのはお門違いというものだろう』
突如はっきりとした日本語が轟いた。
カメラが移動し、右端に座っていた発言者を捉える。
今人神であることは明白な、美しさと勇ましさを完璧に備えた男だった。鋭く上がった眉、余計な肉のない頬、しっかりとした顎と形のいい口元には薄髭が生え、長い髪は頭の上で結って大きな髷を作り、そこから幾筋か垂れた後れ毛が、ジャケットスーツの肩に触れている。
「あ、知ってる……」
華凛は頷いた。恐らく、日本のみならず世界で最も有名な今人神だろう。
鈴姫は嬉しそうに笑い、高らかに言った。
「そう!
「え――ええっ⁉」
華凛は心底驚き、鈴姫の顔ととスマホの画面を交互に見つつ、
「この人って……! 確か十六年前に、倒幕の兵を挙げようとした人でしょ⁉ それが失敗して、国外に逃れたって習ったけど……! え、お父上なんですか⁉ 本当に⁉」
「あははっ! すごいでしょ! ね、見てください!」
鈴姫は目を輝かせ、画面の中で話している大名持貴彦に見入った。
『孤立主義? 貿易の不公正? 人権侵害? 異人に対する不当な扱い? あっははは! おかしなことを仰る。そりゃそっくりそのまま、あんたらの国が今やってることじゃないか。国を閉ざせ異人は出て行け、世界のどこで何が起ころうが、自分達さえよけりゃそれでいいんだ、そう言って今まさに大騒ぎしてるんだろう』
傲岸不遜そのものの態度で大名持貴彦は宣う。そのすぐ隣に座っている角縁眼鏡の日本人男性が、額に汗しながらマイクに向かって英語でたどたどしく話し始める。どうやら通訳らしい。
恰幅の良い白人男性がすぐさま口を開き、口角泡を飛ばして英語をまくし立てる。
通訳の男性がハンカチで汗を拭きつつ大名持に耳打ちし、大名持はますます鷹揚に、
『あっははは! そう怒りなさんなよ。しかし皮肉なもんだよなあ。百五十年余り前、我が国の鎖国を無理矢理解いたあんたらが……あっははは! 今や知っての通りの有様だ。そろそろ分かったんじゃないのかい、我が国は『世界最後の未開国』なんかじゃなく、むしろ『世界最後の先進国』なんだってな』
鈴姫は「わあ……」とか「へえ……」とか言いながら画面に釘付けになっている。どうも話の内容はあまり分かっておらず、大名持の視覚的な威容に心奪われているように思えた。
画面内では他の出演者数人が一斉に大名持に激論を飛ばし、スタジオは騒然となっている。司会者が苦笑しながらもなだめすかし、番組の締めに入ろうとした。
だがそこで、
『おっと待った。最後に一つ言わせてくれないかい?』
眼鏡の男性が通訳するまでもなく、出演者も客席も静まり返った。大名持の声には言語の壁など容易に越える威力があるらしい。
『知っての通り、東アジア一の貧乏国である我が日本の立国のもとは、御霊機――そっちで言う所の『賜りし恩寵の矛』か。そのずば抜けた性能と保有数のおかげだ。で、御霊機の力の源となるのはもちろん、人々の信仰心。……てなわけで世界の皆よ、』
大名持は目の覚めるような笑顔をカメラに向けて言った。
『俺のチャンネル登録と、SNSのフォローよろしく。細かいことは気にすんな。日本の神々は寛容なんだ』
再生は終了した。鈴姫はスマホを胸に抱き、感動のため息を吐いた。
「カッコいいですよね……海外の人の前で、あんなに堂々として……」
「あの大名持貴彦……様が、鈴姫様の……。一体どういうご縁で……?」
「えっと、十六年前、お父様が……倒幕活動? のため諸国を渡り歩いてる時に
「へえ……。でも大名持様って、今は幕府のお尋ね者でしょ? その、幕府の
鈴姫は目を伏せ、悲しげに微笑んだ。
「……大丈夫です。私が物心つく頃にはもう日本にはおられませんでしたから。直接お会いしたことも、お話したこともありません。お母様も、私を産んですぐに亡くなられて……。私は、画面の中のお父様しか知らないんです」
華凛は掛ける言葉が見つからず、押し黙った。
壁際にある和時計の針が暮れ六つ(午後六時)を指し、鐘の電子音が鳴った。すると部屋の隅にいた老女が夢から醒めたように動き出した。
「は? ……ああ、姫様、夕餉の時間ですえ。……ほれ、あんたは早よ去んだってや」
老女は華凛の方を見ずに手で追い払う仕草をした。
鈴姫は老女に向かって頷き、
「分かった。でもちょっと待って、きぬ」
そして両手で華凛の手を握り、満面の笑みで言った。
「明日もまた来てください! いつでもいいので! もっと聞きたいことがたっくさんあるんです!」