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第13話 張州からの援軍


 あくる日の午後、神河こうが藩南郊に広がる水田地帯は異様な雰囲気に包まれていた。


 農作業姿の百姓達数人が稲穂の影に屈みこみ、向こう側を恐々覗いている。


 その視線の先には、荷台に幌の掛かった深緑色の大型トラックが四台と、同じ色の角ばった四輪駆動車が三台、列をなして川沿いの本道を北上してゆく様子が映っていた。それらのナンバープレートには一字三星いちじさんせいの家紋と、『張州ちょうしゅう陸軍大坂分屯地』の文字が刻まれていた。



 その車列の最後尾をゆく、四輪駆動車の中。


「……随分な田舎ですね」

 助手席に座る鋭い眼付きの若い兵は、延々と続く水田の風景を横目に流しながら言った。

「国元の指令とはいえ、天下の張州陸軍が、播州ばんしゅうくんだりまで呼びつけられるとは……」


 そう言うと若い兵はちらりとバックミラーに目をやり、後部座席に一人だけ座っている人物を見た。


 そこに座っていたのは女性だった。軍帽を目深に被り、肩章の付いた軍服を着たその女性軍人は、足を乱暴に組み、指に挟んだ煙草を吸い込み、煙を窓の外に吐き出しながら言った。


「……知己の頼みでもあるけぇ。断れん」


 若い兵は顎を引いて視線を前に戻し、

「そうでしたね。それにしても中尉殿自らがこの作戦に名乗りを上げられたのは驚きでありました。よほどこの神河藩に思い入れがあるのでしょうな」


 女性は舌打ちし、煙と共に言葉を吐いた。

「こねぇな小藩、潰されようが燃やされようがどうでもええっちゃ。ただ撞賢木つきさかき冬姫ふゆひめ様のご息女が、不逞の輩に奪われてしもうたら後々面倒なことになるけぇの。それに、張州軍の実力を天下に見せつけるにもちょうどええ機会じゃ。じゃけぇ志道しじ、気ぃ張っとけよのう」


 若い兵は微かに身震いし、

「はっ、了解であります。……自分は、刹摩さつまの連中も軍を出すと聞いて、いてもたってもいられませんでした。決して奴らに後れは取りません」


 女性は鼻を鳴らして笑い、ポケットから携帯灰皿を取り出した。

「目的はあくまで今人神いまひとがみ様の防衛じゃ。刹摩の芋どもが大人ししちょったら協同して事に当たるもまあよし。……じゃが奴らがちびっとでも舐めた真似かましよったら……」


 吸いかけの煙草を携帯灰皿に押し込み、女性は口が裂けたように笑った。


玉造たまつくりの神に鍛えられし、我らが〈双燕そうえん〉を以て、賊もろとも叩っ斬っちゃろうのう……」


 ―――― ◇ ――――


 神河藩家老・比延ひえ大膳だいぜんは石橋の前に居並ぶ老中達の先頭で、張州陸軍のトラックが目前で左折してゆく様を、殊更に胸を反らして見つめている。


 丹治たんじ華凛かりんは再び機乗服きじょうふくに身を包み、斗佐とさ藩士・公文くもん寅美とらみと共に比延の側に立っていた。


 四台目の大型トラックが左折していった時、公文は比延に話しかけた。

「……大膳様、やはり穂積ほづみさんもここに来てもらうべきです。彼の名で助力を頼んだというのに、本人が顔を見せないのは片手落ちでしょう」


 公文の言った通り、蓮太郎れんたろうは姿を見せていなかった。


 比延は横目で公文を睨み、

「何度も申したはず。他藩で何を成したにせよ、昔も今も奴は犬神人いぬじにん。客人を迎える場に顔を出せる身分ではない。そも殿のお慈悲が無ければ、あれは今人神を攫った大罪人として、とっくの昔に打ち首にされておるはずの者ぞ」


 公文は猛然と反論すべく口を開いた。が、比延がその機先を制した。

「公文殿、此度の貴殿の働きには大いに感謝しておる。がしかし、斗佐人である貴殿に、当家の内情にまで口を出してもらいたいとは思わぬ……!」


 公文は憤懣やるかたなし、といった顔で前を向いた。


 軍用トラックの列がようやく過ぎ去り、続いてやって来た三台の四輪駆動車は、左折せずその場で停車した。


 助手席と後部座席のドアが開き、茶褐色の軍服を着た兵達が続々と降りてきた。


 最後尾の車の後部座席が開き、中から出て来たのは将校らしき制服の――女性だった。目深に被った軍帽を軽く触りながら車から降り立ち、肩のあたりで真っすぐ切り揃えられた髪を揺らしながら歩き、女性将校は比延の前で踵を揃えて敬礼した。


「張州陸軍大坂分屯地機兵隊きへいたい隊長、椙杜すぎもり佑月ゆづき中尉であります」


 続いて後ろにいた若い兵が力強く右手を軍帽に当てた。

「同隊副長、志道しじ広義ひろよし少尉であります!」


 さらにその隣の兵達が続々と敬礼していった。

「同隊員、早良さわら孝将たかまさ伍長であります」

「同じく、口羽くちばとおる伍長であります」


「あー……」

 比延は右手をピクリと持ち上げかけ、ややあって両手を腰もとに当てて礼をした。

「……家老の比延でござりまする。此度の御助力、真に恐縮の極みにござりまする。早速ではございますが、藩主・本多ほんだ淡路守あわじのかみ及び、今人神・撞賢木つきさかき鈴姫すずひめ様の御座所にご案内仕りまする」


 椙杜すぎもり佑月ゆづきは軍帽の下から三白眼をちらりと覗かせ、

「その前に……穂積蓮太郎殿は、何処でありますか」


 比延は地面に向けた顔をしかめた。

「恐れながら、あれは公の場に姿を出せる身分のものではござりませぬ。どうか、ご理解いただきたく……」


「ふん……」

 佑月は鼻を鳴らして比延の前から離れた。


 そして公文の前に立ち、

「公文君、相変わらず志士ごっこに夢中みたいじゃのう」

 と、にこりともせずに言った。


 公文は頭を苦笑して頭を下げ、

「いやあ、お恥ずかしい。去りし英霊の背中も未だ見えず……」


「それで、こっちが例の……」

 佑月は華凛の方に顔を向けた。


「……丹治たんじ華凛です」

 とりあえず華凛が名乗ると、


「知っちょる」

 佑月は驚くほど横柄に答えた。

「『国際的な寛容性』とやらを異国に示したい幕府の思惑で機乗士になった小娘じゃろ」


「……だったら、何ですか?」

 華凛は自分よりだいぶ低い背丈の佑月に気圧されつつも、気丈に言った。


 佑月は三白眼を歪めて笑い、

「お遊びは終わりゆうことじゃ。何がしたくて軍に入ったんか知らんが、幕府軍を名乗っちょるからには、うちらの前で舐めた真似は、」


卒爾そつじながら」


「らゃあっ!」

 突然背後から声を掛けられ、佑月は妙な声を発して猫のように飛び上がった。


「……失礼。そちらは椙杜佑月殿ではございますまいか」


 蓮太郎がいた。比延大膳が「貴様……!」と目くじらを立てたが、客人の前で怒鳴りつけるわけにもいかないらしく、歯ぎしりをして黙り込んだ。


 佑月はなかなか振り返らない。正面から見ている華凛の目には、まるで恐ろしい敵に背後を取られたかのように、目を泳がせ、脂汗を滲ませる佑月の姿が映っていた。


 やがて佑月はぎこちない動きで回れ右をし、蓮太郎に強張った顔を向けた。


 蓮太郎は折り目正しく礼をし、

「……やはり。真にお久しゅうございます。穂積蓮太郎でござる」


「…………」

 その態度を見て、佑月は我に返ったように落ち着きを取り戻したらしい。右手をゆっくり挙げて敬礼し、硬い声で名乗った。


「椙杜佑月……中尉であります。お久しぶり……です」


「はい。この度は無礼にも私の名で皆様方をお呼び立てしてしまい、真に相済みませぬ」


「……いえ、私が……志願、いたしましたので」

 佑月は落ち着きを通り越して落ち込んでいるように見えた。


 一方蓮太郎は淡々と、

「痛み入ります。防戦の際には何卒、よろしくお願い申し上げます。椙杜中尉殿」


「……はい」


「不束ながら私に手伝えること等ございましたら、何なりとお言い付けください」


「…………はい」


「それから、佑月」


「………………はい?」


 蓮太郎は頭を上げ、大股で佑月の目前まで歩み寄った。驚いた表情で仰ぎ見る佑月に向けて、蓮太郎は声を落とし、なんと微笑んで言った。


「……会えて嬉しい。立派になったな、佑月。見違えたぞ。随分大人っぽくなったな」


 ぽかんと口を開けていた佑月の顔が、音が鳴りそうなほど瞬時に赤く燃えた。三白眼をこれ以上ないほど見開き、あわあわと口ごもり、下を向いて消え入りそうな声で、

「や、や、そんな、そんなことないっちゃ………あの、あの、穂積、君も、その……か、か、」


「中尉と言ってたな。凄いもんだ。努力したんだな」


「や、や……運が、運がよかっただけじゃけぇ……」


「来てくれて本当に良かった。心強い限りだ」


「……へ、へ……こちらこそ、呼んでくれて……あ、ありがとう……」


 何重もの驚きに、華凛は口をあんぐり開けた。隣の公文は引き攣った笑みを浮かべている。


 おかしなことに佑月の部下の張州軍人達も、華凛と同じように、いやそれ以上に愕然として、自分達の隊長の豹変ぶりに目を剥いていた。蓮太郎はそんな隊員達一人一人に挨拶していく。


「この度ははるばるご足労頂き、真に……」


 するとどの隊員も、まるで蓮太郎が大将であるかのように敬意と熱意を込めて敬礼した。

「いえ‼ お会いできて光栄であります‼ 穂積蓮太郎殿‼」

「大っっっ変に貴重なものを拝見させていただきました‼」

「どうか我らをご自身の部下とお思いくださり、何なりとお使いください‼」


 挨拶がひとしきり済んだ後、佑月は両手をもじもじさせながら蓮太郎に話しかけた。

「あの、穂積君……お目通りが済んだら、ふ、ふ……二人で、話せるかな……? ほら、久しぶりじゃけぇ、積もる話とか……」


「ああ、もちろん。だがその前に……」

 蓮太郎は柔らかく、だがどこか哀しげに微笑んだ。

「……宮寺みやでらに参って、手を合わせてきてもらえないか。……懐かしい顔だ。きっと喜ぶ」


「あ……」

 佑月は夢から覚めたような表情になった。目から輝きが失せ、視線が徐々に下がり、

「そう……じゃね。もちろん……そうする」


 三白眼に戻った佑月は、くるりと回れ右して部下達を振り返った。

「……何見とんじゃワレ。……行くぞ」


 佑月は部下達を伴って比延のもとに集った。比延は蓮太郎に一瞥をくれると、老中と張州軍人達を引き連れて石橋を渡り、陣屋の敷地内へ入って行った。


「華凛殿」


「ひっ」

 華凛が振り返ると、片眉を吊り上げた蓮太郎の顔があった。


「ひっ、とは何だ」


「いや、だって……何?」


 蓮太郎は微笑の欠片も残っていない顔で、

「あの二機の東機あずまき、松本何某なにがしが乗ってた方はうちじゃ修理できなかったが、あんたが乗ってた方は動きそうだ。掘り出しも終わった」


「ああ……そう」

 華凛は悲しみを少しでも見せないように下を向いた。


「本当にいいのか。幕府からは、追って沙汰あるまで待機すべしとの連絡があったそうだが」


 華凛は顔を上げた。

「目の前にいる人達に危険が迫ってるっていうのに、何もしないでいるなんて出来ないわよ。当初の軍務を遂行するわけだし、お上としても文句はないでしょ。それに……」


 華凛は蓮太郎の暗雲のような瞳をまっすぐ見上げた。

「私だって……鈴姫様を護りたいと思ってるんだから」


 蓮太郎は睫毛を微かに震わせ、一歩下がって深く頭を下げた。

「かたじけない――華凛殿」


 思わず身震いがした。

「あの、呼び捨てにして……お願いだから」


 傍らの公文が笑いを噛み殺している。



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