目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第15話 天地に吹く風


 瀬織津姫せおりつひめ神社の境内は、森の中にある広場に、本殿と拝殿、それに小さな社務所だけで構成されている。今日も今日とて風が強く、境内を囲む木々が怯えるように揺らめいている。


 撞賢木つきさかき鈴姫すずひめはそんな境内でただ一人、曇天を不安げに仰ぎ見たり、地面に目を戻したり、足元の小石を蹴っ飛ばしたりして、何かを待っていた。


 やがて砂地を踏みしめる音が二人分聞こえ、鈴姫は顔を上げた。


 鳥居をくぐってやってきたのは蓮太郎れんたろうとななだった。


「……お呼びでございますか」

 蓮太郎は鈴姫から離れた場所で立ち止まり、腰を曲げて頭を下げた。


 鈴姫は口をへの字に曲げて駆け寄り、蓮太郎に向かって右手を差し出した。

「……携帯、出して」


「……何故」


「ええから出すの!」


 蓮太郎はいそいそとポケットから二つ折り携帯電話を出し、両手に乗せて差し出した。


 鈴姫はそれを拾い上げ、

「うわ古っる……何年使っとんこれ……」


「ほんの二十年足らず」


「古すぎ……。操作分からへん……なな手伝って……」


 鈴姫は自分のスマホと見比べながら、ななと二人がかりでボタンをポチポチ押して何やら操作した。


 しばらくして、鈴姫は蓮太郎に携帯を返しながら、

「うちの番号入れたから。いちいちななに呼びに行ってもらうんも悪いし。……呼んだらすぐ来てよ」


「……何故」


「なにゆえって……」

 鈴姫は口ごもり、少ししてから目を怒らせ、

「……うちが危ない目に遭うたらどうすんの! ぐちぐち小言言うだけやなくて、助けに来てくれたってええやろ!」 


「そのような時には、呼ばれずとも馳せ参じまする。……何をおいても」


「っ……」

 思わぬ返答に鈴姫は狼狽し、顔を紅潮させた。


「そっ……それやったら、ええんやけど……」

 鈴姫は唇を尖らせて言った。


 隣のなながそっと口元に手を当てた。


 束の間、境内に無言ながらも穏やかな時間が流れた。


 鈴姫がおもむろに口を開いた。

穂積ほづみは……怖ないの?」


 唐突な質問にも蓮太郎は淀みなく答える。

「主上をお護り致すという務めを思えば、いかほども」


 しかし鈴姫は顔を曇らせ、

「うちは……ものすごく怖い」

 下を向き、両手で袴を握り締め、声を震わせた。

「お父様が、あんな……あんな恐ろしいこと……。もしお父様がここまで来てもうたら、御陣屋の人も、華凛かりんさんや張州ちょうしゅうの人達も……。うちが、ここにおるせいで……」


 蓮太郎は拝跪したまま言った。

「……そうではありませぬ。華凛殿も張州人らも、それぞれの意思によって事に当たっております。主上がお気に病まれる必要はござりませぬ……」


 鈴姫の顔は晴れず、それどころか寒さに震えるように両肩を抱き、

「うん……けどあかん、人が死ぬかもって考えてまうと、どうしても怖い……ちゃんとせなあかんって、分かってるのに……」


「……主上」

 決して鈴姫の顔を見ない蓮太郎は、勇気づけるように声を張り上げた。

「なればその怖れ、しばし私にお預けくださりませ」


「……え?」

 鈴姫はきょとんとして蓮太郎を見下ろした。


「人以上に感情を持つは神の末孫ばっそんなれば当然のこと。怖れを持ちきれぬとあれば、私が代わりにお持ち致しまする。怖れも重圧も、持ちきれぬ思いは私に押し付けなされませ。不肖ながら私が、主上の分まで存分に怖がってご覧に入れまする……おお、怖い怖い」


 そう言って蓮太郎は実にわざとらしく身体を震えさせた。


 鈴姫は思わず吹き出し、

「ぷくく……それあかんやん……穂積、これから戦いやのに……」


「心配御無用。……ではなく、ああ怖い怖い。怖くて辛抱たまりませぬ」


「あーもう、ええって……うちもう大丈夫やから……」


 鈴姫はななと顔を見合わせ、笑い合った。


 少ししてから、鈴姫はふと思いついたように言った。

「穂積ってさ……うちが何か命じたら、聞いてくれんの?」


「主上の御為おためになることであれば、何なりと」


「そしたら……」

 鈴姫は間を置かずに言った。

「無事で、帰ってきて。勝っては欲しいけど……。でも無事で帰って来るのが絶対。いい?」


 蓮太郎は肩を少し揺らし、今一度深く頭を下げた。


「……承知仕りましてござりまする」


 鈴姫は笑った。華が咲いたような、輝くような笑顔で。


「……うん! よろしい! ……あははっ!」


 穏やかな風が境内に吹き込み、鈴姫の十二単を柔らかく膨らませた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?