トラックは本道の西側にある脇道を飛ぶように走り、陣屋の裏手に停車した。
途中、空堀の側で、
「対空装備は無かか……どっちもどっちたい」
などと言っている江藤をやり過ごし、蓮太郎は将監と別れて御殿の勝手門へ早足で歩いた。
小さな勝手門を開くと、そこは御殿の中庭だった。蓮太郎はずかずか入り込み、大部屋が見える辺りの草地まで移動し、太刀を鞘ごと外して膝を折って座った。
「貴様……ここに来てよいとは言っとらんぞ」
開け放たれた障子の向こうから、家老・
大部屋に居並ぶ老中の一人が、機嫌を取るように、
「まあええやないですか。これで私らの面目も保たれたでしょう。のう、将監殿」
「はあ……まあ」
ちょうど井宮将監が廊下から現れ、大儀そうに座に着いたところだった。
大部屋の中心には例のデスクトップパソコンが鎮座し、それに加えて無線機とスピーカーも置かれている。御殿を間借りしている
中庭にいる蓮太郎からは、軍服姿の張州人が廊下を慌ただしく行き来している様子がよく見える。そのうちの一人が、誰にともなしに呟いていた。
「せめてもっと机があれば……あんな和室じゃ到底機材が入りきりませんよ」
一方の大部屋の中では、別の老中が比延に話かけていた。
「ところで大膳殿。張州と差賀、どっちの席次を上にしたらええか、お分かりになりましたか」
「……いや、分からぬ」
「江藤とかいうお人は職工なんでっしゃろ。ほなら武士とも言えんやないですか」
「しかし張州の方は女が率いとるんぞ。それに中尉とかいうんは、言うたら雑兵とちゃうんか」
「やっぱり今の内にお部屋を取り換えといた方が後々面倒にならんのとちゃいますの」
蓮太郎は膝の上で両手を握り締め、遣るかたない怒りと恥ずかしさに耐えようとした。
座の中心にある無線機のスピーカーが突如雑音を発し、老中達がびくついた。
やがて雑音に混じって、
『……標定機(レーダー)に多数感知あり……北北東に二十町(約二km)……敵浪士部隊と推測す……』
―――― ◇ ――――
しかし〈秋水〉の位置は表示されており、その光点は道路とほとんど重なったまま動かない。きっと獲物を狙う獣のように、身を伏せて待っているのだろう……
「ねえ、えーと……
『何じゃ』
丙号こと隊長機の佑月がぶっきらぼうに答えた。
「一度〈秋水〉に連絡してみてもいい……? ほら、大丈夫かどうか……」
華凛はつい自分の不安を解消したいがためにそう言ってしまった。
また怒鳴られるかと思いきや、佑月は意外にも、
『……ええじゃろ』
「あ……ありがとう。それじゃ、」
『待てい。誰がワレに喋らせる言うた。……うちが連絡する』
呆れる華凛をよそに、佑月は何度も咳払いし、さっきまでより高い声で無線に言った。
『……こちら〈双燕〉小隊、丙号です。〈秋水〉、聞こえますか?』
―――― ◇ ――――
「くそっ‼ 何だこれは……‼ どういうことだ‼」
「標定機はどこだ……‼ 自律
どこを見渡してもあるのはアナログの計器類とレバーだけ。そのレバーも一つ一つが溶接されたように固く、機体の腕を動かすことも容易にできない。
「こんな、こんなはずでは……‼ あの
その時、渕衛門は正面に空いた二つの隙間から、背筋も凍りつくものを目にした。片側一車線の道路の先から、小山のような機械の集団が列をなして向かって来ている。
ただでさえ狭い操縦席が、さらに狭まってきたような気がした。そんな中、緊張感のない若い女の声が突如聞こえてきた。
『……こちら〈双燕〉小隊、丙号です。〈秋水〉、聞こえますか?』
それはレバーの一つに引っかかっている首掛け型のイヤホンから発せられていた。渕右衛門はそれを掴み取り、マイクに向けて無我夢中で叫んだ。
「おい‼ このオンボロどうなってる‼ まともに動かんぞ‼」
―――― ◇ ――――
聞いたことのない男の声に、華凛はもちろん佑月も声を詰まらせた。
佑月は束の間沈黙した後、ついさっきとは天と地ほどに違う声色で叫び返した。
『……はあ⁉ 誰じゃワレぇ‼
『あの犬神人に謀られた‼ 奴め、何か細工したに違いない‼』
『質問に答えぇ‼ ワレは
『そうだ‼ 御家老に言われて、あの犬神人と代わってこいと……‼』
鈍い衝撃音が聞こえた。佑月が拳で計器盤を叩いたらしい。
『田舎侍どもが……‼』
『て、敵が……敵がすぐそこに来てるぞ‼ おい‼ どうしたらいい‼』
『さっさと逃げぇ‼ すぐ行ったる‼ ……小隊‼ 続け‼』
言うや否や、佑月の隊長機は足元から白い煙を発して旋回し、北に向けて疾走した。三機の僚機も即座に続き、華凛も慌てて後を追った。
『ぶちせんない……‼ いっつも阿呆が足引っ張りよる‼』
―――― ◇ ――――
御殿の大部屋は静まり返っていた。誰もが無言で、座の中央にある無線機を凝視していた。
比延大膳はこめかみに血管を浮き出させながら、末座の井宮将監を睨んだ。
「……始末役よ。どういうことだ」
将監老人はびくりとして、項垂れて言った。
「わしに訊くんはお角違いですわ……。一番詳しい男が、ちょうど居てますやろ……」
比延は頬を痙攣させ、顔を正面に向けて遥か遠くの庭を見た。
「……犬神人」
距離からして聞こえそうにもない声だったが、返事は即座に来た。
「……私に何か」
蓮太郎は
「何か、ではない。貴様、
「……とんでもない。あれが素の状態でござる」
「では、これはどう説明する」
比延はスピーカーを指さした。渕右衛門の切羽詰まった叫びが、断続的に聞こえてきている。
『レバーが、レバーが固すぎる‼ 何なんだこれは‼』
蓮太郎はまるで間違いを指摘する教師のように、淡々と言った。
「ギアが変形し、レバーも基底部から曲がっているため、並大抵の力では動きませぬ」
『レバーを倒しても肘から先までしか動かんぞ‼ どう戦えというのだ‼』
「関節ごとにそれぞれ入力装置が異なっております。複数のレバーを順に素早く操作せねば」
『モニターすら無いだと……‼ こんな隙間からではまともに敵が見えん‼』
「カメラは頭部ごと逸失致しました。目視で捉えるしかございませぬ」
『て、敵がそこに……おい‼ この標定機まるで反応せんぞ‼』
「故障しております。予備の部品はすべて使い切りました」
『こっちを狙っている……‼ 自律体捌き機構は‼ 剣戟
「五十年前に開発された機体ゆえ、そんなものは最初からござらぬ」
「もうよい‼」
比延が怒鳴った。
老中達が一斉に無線機に向けて身を乗りだし、蓮太郎が言ったことを渕右衛門に対して好き勝手に喚きたてた。しかし張州軍から貸し出された無線機に繋がっているのはスピーカーだけで、マイクは無い。この連中にマイクを与えるべきではないと、張州人達は賢明にもそう判断したのだろう。
渕右衛門の悲鳴と、老中達の叫喚が響き渡る中、蓮太郎は凄味のある低い声で言った。
「……しかとお聞きなされよ。それが、あの鉄箱に乗った者がいずれ辿るべき、末路にござる」
―――― ◇ ――――
「な、何だあの敵は……」
渕右衛門が狭い隙間から目にした敵の姿は、今まで目にしたどの御霊機とも違っていた。刀剣を振るうことなど最初から頭に無いような、武骨で重量級の機体。塗装は山岳迷彩で、確認できる武装は両手に抱えているアサルトライフルのみ。幕府や諸藩のそれとは全く違う、別の技術体系の産物のように思えた。
先頭の一機がヘルメット型の頭部をぎらつかせ、迷い出た鹿のように突っ立っている〈秋水〉をじっと見つめている。
「くっ……!」
大歳渕右衛門は逃げたかった。死の恐怖に直面した時、人間ならば誰もがそうするように、ただ自己の保全のみを思い、操縦席から飛び出して走り去りたかった。
しかしながら渕右衛門は武士であった。鎌倉以来八百年余りにも渡って、死の恐怖を克服し、逆に死を己の意志の下に置くことを至上の誇りとしてきた武士としての自制心が、渕右衛門に最後の輝きを与えた。
渕右衛門は異装の御霊機に向けて、大音声で叫んだ。
「……我こそは
アサルトライフルの銃声がその名乗りを途切れさせた。何が起こったのか理解できぬまま、渕右衛門は事切れた。