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第23話 遠つ山の神人


 瀬織津姫せおりつひめ神社の鈴姫すずひめは合わせていた両手を下ろし、目を開けた。


「終わったみたい……多分、勝ったんやと思う……」


 ななは御幣ごへいを下ろし、怪訝な顔で鈴姫を振り返った。

「……いつから、そういうの」

 分かるようになったの。という省略された部分を鈴姫は察し、


「さあ……なんか分からんけど、分かるようになった……?? 自分でもよう分からへん……」


 拝殿の戸の向こうから公文くもん寅美とらみの声が聞こえてきた。

「失礼。勝ったと聞こえたんですが、確かですか」


「あ、えっと……確かとは言えないですけど、多分……?」


 戸がガラリと開き、深刻な表情の公文が姿を現した。

「それならば、鈴姫様……折り入って、お願いしたいことがあるんです」


「え……何ですか?」


 公文は帽子を脱ぎ捨て、いきなり床に両手両膝をついて頭を下げた。


「え⁉」

 いつも蓮太郎れんたろうに同じようなことをされている鈴姫でも、これには驚いた。


「お願いです、鈴姫様、あの御方を……尊き御命を助けていただけないでしょうか」


「あの御方……? 尊き御命、って……?」


雪彦山せっぴこさん中に潜伏する敬神派けいしんは浪士達――その首班と言うべき御方です。大名持おおなもち様の……一応は配下ということになるでしょうか」


「寅美さん、そのことは……!」

 ななが一歩踏み出した。


 しかし公文は止まらず、

「以前申し上げた通り、僕はあの方々と一度は連絡を取り合った仲なのです。事が失敗したと知れば……その御方はきっと……自分の始末を、自分でつけることでしょう」


 鈴姫にはその言葉の意味が分かってしまった。つい最近、華凛から聞いた話と同じだ。


 公文は床に額をこすりつけた。

穂積ほづみさんや椙杜すぎもり中尉は決して止めようとしないでしょう……! 止められるのは鈴姫様、あなた様だけなんです……! どうか、どうかお願いします! 救える命を、救ってください!」


 なながまた一歩踏み出し、強い調子で言った。

「危険。それに、遠すぎる」


「大丈夫です……お車の用意はできています」

 公文は腕を伸ばし、手の平を見せた。どこで手に入れたのか、そこには車の鍵が乗っていた。


「寅美さん、あなた……!」

 ななが怒りとも驚愕ともつかぬ声を出した。


 鈴姫は振り返り、決意のこもった目でななを見つめた。

「なな! うち……行きたい! うちにできることがあるんやったら!」


 その後ろで、公文が頭を下げたまま誰にともなく言う。

斗佐とさ郷士が連綿と受け継いできた志……僕はその火を、絶やすわけにはいかないのです」


 ―――― ◇ ――――


 山道に入ってからどれくらい経っただろうか。


 未舗装の道は徐々に傾斜を強め、強風に揺れる周囲の木々はより鬱蒼として眼前に迫ってくる。先頭をゆく佑月ゆづきの〈双燕そうえん〉隊長機は黙々と木々の葉をかき分け進み、志道しじの副長機、蓮太郎の〈秋水しゅうすい〉、華凛かりん大権現だいごんげん型と続く。殿しんがり刹摩さつま機二機は、木の幹を擦ったり枝を折ったりしながらも何とか付いて来ている。


 雪彦山のどこに向かっているのか、そこに何者がいるのか判然としないまま、華凛は地面の凸凹に注意を払いながら機体を進ませる。左右に過ぎてゆく木々を無心に見つめながら〈秋水〉の背中を追い続け、このまま幽玄ゆうげん隠世かくりよにでも着いてしまうのではないかと思い始めた時、坂道の終端に古びた石鳥居が立っているのが見えた。


 それを横に避けて進むと、そこは山中にある神社の境内だった。瀬織津姫神社よりも大振りで、社殿も古色が深いように感じる。その古びた拝殿の前に、奇妙な人間の集団があった。


 真っ白の神官装束、巫女装束に身を包んだ男女十数人が、一人の少年の周りに傅いている。


「あれって……!」


 今人神いまひとがみに違いない。はなだ色の衣冠束帯いかんそくたい姿で、毛氈もうせんの布かれた台の上に正座する、十二、三歳頃の少年。顔立ちはやはり露に濡れた花のごとく美しいが、表情から生気というものがまるで感じられず、青白い顔で俯いている。


 白い神官、巫女の集団が、続々と到着してくる御霊機おんりょうきの群れに目を見張っている。その中から一人の老人が立ち上がって歩き出し、臆せず一機の御霊機に歩み寄り、その機体を見上げてしわがれた声を張った。


「穂積蓮太郎様……ですな」


〈秋水〉は関節をガタガタさせながら片膝をつき、少年の方へ跪いた。

遠津山とおつやま豊成とよなり様……お目汚し、真に申し訳ござりませぬ』


 蓮太郎に名前を呼ばれても、少年はただ視線を避けるように首を曲げるのみだった。


 神官らしき老人は、総勢六機の御霊機を順に仰ぎ見た後、肩を落として苦笑した。

「随分前から飯森いいもり殿との連絡が途絶えておりましたので、もしやと思っておりましたが……何ともはや、音に聞く穂積様に加えて刹張幕さっちょうばくが揃い踏みとあらば、さもありましょうな……」


 華凛は驚きのあまり佑月に無線を送った。

「それじゃ、あの男の子が、さっきの浪士達の首魁ってこと……⁉」


『……敬神派浪士の常套手段じゃ。地方の今人神に取り入って自分らの旗頭に仕立て上げるっちゅうんは……。大名持はそれを丸ごと吸収したんじゃろう……』


 老人は諦観を込めた表情で、

「しかし、そうと分かれば未練も断たれたというもの。あなた方が我々に求めていることを、早々と済ませることに致しましょう」


 と言って集団の方へ戻って行った。神官や巫女達が一斉に、懐からあるものを取り出す。


 白木で象られた細長い器物――すなわち短刀を。


「なっ……!」

 華凛は戦慄した。なぜここに来たのか、これから何が起こるのかを一瞬にして理解した。


 老人は人の輪の中心へ歩き、台の上に膝をついたそのまま膝立ちで進み、中央に坐す今人神・遠津山豊成のもとへ深々と頭を下げた。


「豊成様……よくぞ今まで、我慢なさりましたな……。これにて全てが終わります。私もすぐさま、お側に参じますゆえな……」


 少年は何も言わず、悲嘆にくれた顔を少し下げた。老人は頭を上げ、懐から白木の短刀を取り出した。周りの集団が一斉に鞘を抜き払い、煌めく幾つもの刃を露わにする。


 華凛は制止の声を上げるべく口を開いた。が、言葉が出なかった。蓮太郎――〈秋水〉はかつての時のようにただ黙然とその様を見つめている。張州ちょうしゅう人、刹摩さつま人らも同様に。


 老人が持つ短刀の切っ先が、少年の小さな胸にそっと触れた。


 華凛はぎゅっと両眼を閉じた。――これが、この国に数百年に渡って根差してきた価値観なんだ。自分一人が声を上げたところで覆るものじゃない。いや、誰が声を上げたとしても――


 だが――


「やめてえっ‼」


 響き渡った少女の絶叫に、その場の誰もが動きを止めた。


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