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第28話 矢立屋の女


「何なん……何なん、何なん、なんなんなん……。はっきり言うたらええやん、うちには無理やって……。毎日ゲームとネットばっかしてるようなぐうたらに、お母様の志は継がれへんって……うちも分かっとうもん、だから手伝って欲しかったのに……。はっきり言うたらええやん、こんなアホ娘の面倒なんか見たないって……顔見るのも、名前呼ぶのも嫌やねんやろ……こんな……こんな……こん……な~~~~~~~~~…………」


 積み上げていた小石が風に煽られ、ガラガラと崩れ落ちた。


 悪天に陽が傾き、ますます川面の荒れる千切ちぎり川。華凛かりんが見つめる先で、鈴姫すずひめは河原に屈みこみ、ぶつくさ言いながらまた小石を積み始める。つまりは、実に分かりやすくいじけていたのだった。


 華凛は苦笑いを咳払いで殺し、鈴姫の背にできるだけ明るい声を掛けた。


「鈴姫様、あの……さっきのだけど、私は凄く感動した! こんな風に考えてくれる人が、この国にも居てくれたんだって、私は凄く勇気づけられたの! だから……ね、元気出して!」


 しかし鈴姫は背中の翳を色濃くして、

「気を遣わなくていいんです……なんかもう自分でも、ちょっと様子おかしかったなって思い始めてますもん……あんな大勢の前で、あんな……あんな……あん……な~~~~~~……」


 小石が崩れ落ちた。


 華凛は急いで鈴姫の正面に回り、

「あのね鈴姫様、聞いて……!」


 萎れた朝顔のような表情を覗き込んで言った。

「私ね、母様の――あ、もちろん私の母のことだけど――母様のこと、ずっと……可哀そうだって、そう思ってたの」


 ちら、と鈴姫の目が上がる。


「前にも話したけど、父は九年前に離縁してネーデルラントに帰っちゃって……それからも母様と私は築地の居留地で暮らしてたんだけど、そこでの生活は……辛かった。周りのネーデルラント人は私達を未開人扱いするし、日本人は日本人で露骨に避けるし……。母様に何度も謝られちゃったな……『私なんかが産んじゃってごめん』って……」


「そんな……」

 鈴姫は自分の悩みも忘れたように哀切の表情を示した。


「私が幕府陸軍に入ろうって思ったのは、表向きは、日本人として認められたかったから……それでも母様には凄く反対されたけど。でも本当の理由はね――ちょっと照れくさいけど――この国を、もっと良くしたいって思ったからなの。未開国とか野蛮国とか、そんなこと言われないような、立派な近代国家にしたいって。……母様が、二度と馬鹿にされないで済むように」


 華凛は鈴姫の両手を取って立ち上がらせた。


「だからね。鈴姫様が言ってくれたこと、私本当に嬉しかったの。身分や生まれに関係なく、誰もが自分の志を遂げられる世にしたい――それはきっと、日本の近代化に繋がってると思う。だから私、応援したい……ううん、協力させてほしい。私自身の、志のために」


 鈴姫の両眼が潤い、表情に輝きが戻った。

「華凛さん……ありがとうございます! ぜひ、力を貸してほしいです!」


「私なんかで、どれだけ役に立てるのかって話だけどね……」


「そんなことないです! すごく心強いし、頼りになります! ……あのおっさんよりずっと」

 最後の一文は低い声の早口だった。


 華凛は苦笑し、

「いやまあ……穂積ほづみさんもきっと、危険な目に遭ってほしくないからああ言ったのよ。現に鈴姫様は狙われてるんだし。だから、くれぐれも危険なことはしないで……って、どうかした?」


 鈴姫の表情が変わっていた。首が横に傾き、華凛の背後に目を向けてぽかんとしている。


 華凛は振り返る。そして、鈴姫と同じように口を開けた。


 まるで海外の映像から抜け出てきたかのような女性が、川上から歩いて来ていた。黒髪のサイドテールを星々のアクセサリーで彩り、グレーのワンピースの上に白い薄手のロングコートをはためかせ、肌はチークを差してなお瑞々しく、二十歳そこそこの若さが全面に出ている。


 女性はどこかとぼけた表情で二人を見つめ、足を止めた。そしておもむろにスマホを掲げ、

「うっわ。かーわい……」

 などと言いながら鈴姫の方にカメラを向けた。


「えっ……え?」

 鈴姫は困惑と若干の恐怖を顔に表した。


 華凛はその前に立ちはだかり、

「あの、誰ですか……? 神河藩の人じゃないですよね……?」

 この藩にこんな垢抜けた女性がいるとは……失礼ながら、思えなかった。


「わお、異人じゃん。すっげ」

 女性は華凛の容姿にも目を丸くし、スマホを向けた。


「ちょっと、質問に答えてください……! あなたは誰なんですか!」


 女性はスマホを掲げたまま、とぼけた顔で言った。

「誰って、円城寺えんじょうじ火乃里ほのりですけど」


 まるで聞き覚えが無い。背後を振り向くと、鈴姫は怯えた顔で首を横に振るのみだった。華凛は再び前を向き、


「名前じゃなくて……! あなたは何者で、何処から来たのかって聞いてるんです!」


「あ、そか……私はえっと、アレですけど。矢立屋やたてやですけど」


「やたてや……って……」

 再び華凛は後ろを向いた。


 鈴姫は口元に指を当てながら、

「えっと、各地の事件とか出来事とかを見聞して、その記事を瓦版かわらばんに載せる人のことです……」


「ああ、ジャーナリストってこと……その矢立屋さんが、どうしてここに?」


 円城寺火乃里と名乗る自称矢立屋は、スマホをひらひら振りながら、

「そりゃ……見聞? しに来たに決まってますけど。人の付き添いでさっき着いたばっかなんですけど、やっぱ一度会っときたいなって。ここの今人神いまひとがみ……」


 と、円城寺火乃里はスマホを覗き込んだ。

「読めね……えー、なんとか木鈴姫さんって、後ろのお嬢ちゃんですよね」


 びく、と華凛の後ろで鈴姫が震えた。火乃里は首を曲げ、貼り付けたような笑顔で、

「ねーお嬢ちゃん、さっき何か言ってましたよね。ココロザシがどうとかって。それもう一回、おねーちゃんに聞かせて欲しーなー。私すっごく興味あるんですよねー。ほら今、大名持って今人神がヤバいことしてるでしょー。同じ今人神としてどう思ってんのかなーって」


 鈴姫が華凛の横から顔を覗かせた。しかし、


「ま、待って!」

 華凛は腕で制した。何か、おかしい。この女性が本当に矢立屋ならば、この状況で何をしにここへやって来たのか。もしも大名持と鈴姫の関係を知っていたとしたら……。


「大丈夫ですって、録画も録音もしませんし。とりあえず今は私が聞きたいってだけなんですけど。それとも恥ずかしくて誰にも言いたくない感じですか? そのココロザシって」


「い、いいえ! 話します!」

 鈴姫は止める間もなくそう言って前に出た。華凛がはらはらしながら見ている間に、鈴姫は雪彦山せっぴこさんでのことやその後抱いた決意について話した。感心なことに、鈴姫は具体的な人名は伏せ、大名持との関係や今日あった戦いのことなども話には出さなかった。


 円城寺火乃里は終始口を半開きにし、世にも珍しい異国の音楽を聴いているかのような顔で鈴姫の話を聞いていたが、終いに言った。


「あのー、すっごい頭可哀そうですね」


 鈴姫は硬直した。脳が意味を処理できていない様子だった。


「な、何ですって……⁉」

 華凛は激高し、火乃里に詰め寄ろうとした。


 しかし火乃里はひらりと距離を取り、

「いやだって……さすがに可哀そすぎるでしょ……。まあしょうがないから教えてあげますけど。何て言うかな……もう結論って出ちゃってるんですよね」


 鈴姫への視線に嘲りと憐れみを込め、火乃里は語った。

「そういう……善行? 人道? 人権尊重? もうそういうの、クソの役にも立たないってみんな知ってるんですけど。現実に強国は弱国を侵略し放題だし、それ見てもみんな話のネタにするだけで何もしないし、下の身分が虐げられてんの見んのもみんな大好きだし、そもそも人間みんな差別も中傷も大好物だって気付いちゃってますし。それ知らないのって、現実が見えてないってことだと思いますけど」


 鈴姫の顔が紅潮し、唇がわななきだした。


 華凛はさらに前に出て、

「そ……それはそういう場合もあるってだけで、みんながそうってわけじゃないでしょ!」


「こっちの異人さんも割と可哀そうっすね……。じゃあ見せてあげますよ。おねーさん優しいから」と言って火乃里はスマホを操作し始めた。「えっと、『大名持おおなもち』、『動画』っと……」


「ちょ、ちょっと! まさかあの動画見せる気⁉」


「いや、さすがにあんなのもう削除されてますって……そうじゃなくて、SNSの反応ですけど。幕府御禁制のやつですけど、有志が作ったアプリからなら誰でも使えるんですよね、ほら」


 と、火乃里はスマホの画面を見せつけてきた。横書きの短い文章が下へ下へと延々連なっていく様子が、嫌でも目に入る――


『壮挙なり! あっぱれ!』『甘いんじゃボケ。鋸引きにせぇや』『断面もっと映してよ~』『俺の上役も斬首してほしい』『幕府鏖殺‼』『居留地の異人共も全員同じ目に遭わせろ』『これは天下騒擾だ。侍は責任取って全員切腹しろ』『義挙だ。百姓は肥溜めに帰って溺れ死ね』


「い――いやあっ‼」

 鈴姫は両手で頭を抱え、髪を振り乱した。


「や、やめてよ! そんなの見せないで!」

 華凛は煙を払うようにスマホを除けようとした。


 火乃里はさっとスマホを引っ込め、

「ね? 人の死を喜ぶ人間ばっか。世の中そんなもんですけど。みんな本当は国とか政とかどうでもよくて、ただ他人が傷付くの見て自分の鼻くそみたいな自尊心慰めたいだけなんですよ」


 鈴姫が頭を抱えながら苦し気に声を絞る。

「わたし、は……うちは、そんな人ら知らんもん……! ただ、穂積が、豊成とよなり様が、これ以上傷付かんで済むように……!」


「ああ、さっき言ってたあやびとだの今人神だのですか? だから無理ですって。上はそねむ対象。下は蔑む対象。それが無いとこの国の人達は生きていけないんですから」


 鈴姫は火乃里の言葉を振り払うように頭を振った。


 華凛が二人の間に立ち塞がる。

「いい加減にして! それはあなたが人のことを考えられないからでしょ! 自分さえよければいいって、そういう考えしかできないからよ!」


「え、そうですけど? もうそれも結論出ちゃってますけど。その人の身になって考えてみろ? 嫌です。以上。私その人じゃないし、考えなきゃいけない理由ってないですよね?」


「そ、そういう話じゃなくて! 身分や生まれのせいで苦しんでる人が現実にいて――」


「だーかーら、自分の生まれが嫌ならそんな風に生まれた自分が悪いってだけなんですけど。それを今さらどうにかしたいって言うなら方法は一つでしょ。切腹でもすればいいってだけ――」


 瞬時に華凛の頭に血が上った。無意識の内に駆け出し、ワンピースの胸倉に手を伸ばす。しかしその手はむなしく空を切った。火乃里は軽い足取りで数歩飛び退き、せせら笑った。


「ほーらね。結局暴力に訴えるしかないわけでしょ。はあ~あ! すっきりした! やっぱ頭可哀そうな子分からせるのってきもちー。じゃ私行きますね。前の仕事の報酬貰いに出石いずしまで行かなきゃいけないんで。……あそうだ」


 矢立屋の女は最後に二人に向けて、にっこりと笑いかけた。

「円城寺火乃里――この名前覚えといた方がいいですよ。後で自慢できるようになりますから」


 そう言い残し、火乃里は毬のように河原を飛び跳ねながら驚くべき速さで去って行った。


 全速力で追いかけて何としてでも一発入れてやる――と一瞬思った華凛だったが、鈴姫のことを考えて何とか思いとどまった。その鈴姫は、両手で頭を抱えたままピクリとも動かない。


 何と声を掛けるべきか華凛が悩んでいると、鈴姫は突然踵を返した。河岸から離れ、陣屋の方へ黙々と歩いてゆく。華凛は慌ててその後を追った。


「す、鈴姫様……えっと、大丈夫……?」


「……大丈夫です」


 鈴姫は額を押さえ、別人のような低い声で言った。


「――ちょっと、頭が痛いだけですから」


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