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第31話 襲来


 御殿の最奥部にある八畳の和室は、今人神いまひとがみの自室としては不似合いなモノで溢れていた。卓上にはデスクトップパソコン。壁際には台に乗った液晶テレビに、そこに繋がれたままのゲーム機。隅の本棚に詰め込まれた初等、中等の教書には、まるで手を付けられた様子がない。


 部屋の主、鈴姫すずひめは座布団の上に腹這いになり、畳の上に雑多に並べた写真の数々を暗い気分で眺めていた。それらは母親の、撞賢木つきさかき冬姫ふゆひめの写真だった。どういう経緯で誰から貰ったのかまるで覚えていないが、ともかく昔から手元にあったものだ。真夜中過ぎ、鈴姫は気分を少しでも和らげようと、久々に写真の中の母親に会いに来たのだった。


 どの写真でも、冬姫は笑っていた。見知らぬ武士達と並び、あるいは百姓、町人達に囲まれて、心からの笑顔をカメラに向けていた。いま改めてよく見ると、背後の風景が神河こうが藩とは明らかに違うことが分かる。蓮太郎れんたろうとななと一緒に各地を巡っていた頃のものなのだろう。しかし二人が写っている写真は一枚も無い。誰かが抜いたのか初めから撮っていなかったのか。


 暴風雨が雨戸を耳障りに叩く。鈴姫は顔をしかめながら写真をかき集めた。母親の笑顔でも、打ち沈む心を癒してはくれない。それにこの頭痛……天気が悪いと頭が痛くなることはままあったが、ここまでしつこく痛むのは初めてだった。


 写真を引き出しに仕舞っていると、鈴姫は突然、何らかの気配のようなものを感じた。


 ――――来る。


 得体の知れない何かが。とてつもなく大きく、激情を秘めた何かが、だんだん近づいて――


「いっ――⁉」

 激痛。頭蓋内を刺されたかのような激しい頭痛が突然襲い掛かり、一瞬目がくらんだ。


 直後、半鐘はんしょうを叩く音が大音量で屋敷中に響き渡る。非常時に鳴らされる音声警報だ。


 鈴姫は頭を押さえながら襖に向かい、手を掛けて横に引いた。


 すぐそこに、枯れた木の幹のような顔をした老婆が立っていた。


「ひっ……! き、きぬ……⁉」


 老女のきぬは携帯電話を片手に、奇妙なほど落ち着いた顔で言った。


「姫様、お迎えに上がりましたで……。お父君に、お会いしに行きましょな……」


 ―――― ◇ ――――


「ちっ! こねぇな真夜中に来よって、ぶち迷惑な奴じゃのう!」


 スピーカーから半鐘の警報が鳴り響く御殿の廊下、椙杜すぎもり佑月ゆづきは副長の志道しじを連れ、首元に装着した咽喉式マイクに触れながら叫んだ。


「本国に神験しんけん送信要請急げ! 椙杜、志道、両名直ちに邀撃する!」


 廊下に面した部屋の襖が開き、刹摩さつま藩士・肝付きもつき三太郎さんたろうが眼鏡を掛けながら顔を出した。


「なあんじゃこん騒ぎは。浪士どん、またおじゃったんけ?」


「てれんこせんな刹摩の! 敵は一機じゃが、そこらのもんとは訳が違うっちゃ!」

 佑月は肝付の前を通り過ぎ、表情を強張らせた。

「あの〈人斬り夜叉〉が、単身乗り込んで来よったんじゃ……!」


 ―――― ◇ ――――


 陣屋の裏手門前、〈秋水しゅうすい〉はすでに出動可能状態で片膝をついている。その傍らで、蓮太郎は顔面を叩きつける雨にも怯まず、嵐の向こうを見通すような目で荒天を見上げていた。


 その後ろで、ななが手を顔の上にかざしながら蓮太郎に呼びかける。

「『龍』が、来るの……⁉」


「……多分な。二百二十日もとっくに過ぎたってのに、まだ一体も来てないのがおかしかったんだ。あの〈人斬り〉とやら、それに乗じるつもりなのか」


 蓮太郎はななの方を振り向き、

「なな、主上に、決して部屋から出ないよう伝えてくれ。敵はすぐに追い払うから、と」


「ん……! 気を付けて」

 陣屋に戻ってゆくななを見届け、蓮太郎は正面に銃痕が開いた鉄箱に乗り込んだ。


 ―――― ◇ ――――


ひつじぃ! 電線に気ぃ付けぇよ! その東機あずまき、タッパだけはあるけぇのぉ!』


「まだその呼び名なの……」

 佑月、志道の〈双燕そうえん〉二機と、華凛の乗る大権現だいごんげん型改八は上体を屈め、暴風雨に晒される陣屋町の大通りを猛進していく。左右の家屋はどれも灯りを消しており、領民たちは皆怯えて閉じこもっているようだった。


 突然、嵐の音をかき消すほど大音量の女の声が、前方から鳴り響いてきた。


『ねえちょっとー! 来るの遅いんですけど! 見てるみんなが退屈しちゃうでしょ!』


『な、何じゃあ……⁉』

 佑月が戸惑う。


 「え、この声って……!」

 華凛はつい数刻前に聞いた覚えのあるその声に、まさか、と思った。


 三機は本道を外れ、横道を疾走して川沿いの田園地帯に出る。


 そこに、いた。


 機体各部の照明で周囲を明々と照らし、片鎌槍を杖のようについていかにも退屈そうな様子の〈人斬り夜叉〉が、稲穂の揺らめく田圃の真ん中に立っていた。


 肩肌脱ぎの甲冑武者は、外部スピーカーから気だるげな女の声を発する。

『やーっと来た……って少な。張州ちょうしゅうの残りとクソザコ幕府機だけって……あ、そういえば――』


 頭形兜ずなりかぶとの頭部が華凛の方を向く。

『それに乗ってるのって、異人のおねーさんですよね。どもー。あの頭お花畑ちゃん泣いてませんでしたー? さすがにちょっと大人げなかったかなって反省してたんですけど』


 疑念が確信となり、それ以上の驚愕が華凛を襲う。夕刻出会った自称矢立屋やたてや円城寺えんじょうじ火乃里ほのり。あの腹立つ女の人が、人斬り夜叉――⁉


『どういうことじゃ未‼ ワレあいつと直接会ったんか⁉』


「え⁉ た、多分――いやでも、あの外見じゃ、とても人斬りになんて見えなかったし……!」


『訳が分からん……! とにかく今は邀撃じゃ! きのと! 悟られんよう狙い付けちょれ! ひつじはうちの反対側から圧力かけぇ! 隙突かれんように集中しちょれよ!』


 返事も待たずに隊長機は双刀を抜き払い、前に跳んだ。一息で〈人斬り〉に肉薄し、左右両刀で打ち掛かる。ところが、


『あー、香取流でしょ? はい右踏み込み斬り、からの左受けしつつ払い斬り、反撃なしだからもっかい踏み込んで連打ち、この辺で右で牽制入れてからの左突き――』


 火乃里は淡々と言い、その言葉通りに機体は槍の柄で佑月の攻撃を次々と受け止める。まるで演武であった。


『ナントカ流だのナンタラの型だの、そんなんプログラムして粋がってんのって日本人だけなんですよね。結局決まった動きしかできないんですから』


 槍が縦に回転し、片鎌が下から襲い来る。隊長機は間一髪でかわし、距離を取る。


 そして、

『今じゃ撃て‼』

 佑月の無線で副長機が単発式小銃を発射。魂鋼たまはがねの弾丸は狙い違わず胴に命中――したのだが、


『で、張州伝統のショボい銃と。ちゃんと避けなくて済む分、楽まであるんですけど』


 金色の装甲を少し削り取っただけに終わる。〈人斬り〉は最小の動きで機体を斜めにずらし、鎧の丸みで弾丸を逸らしたのだ。


 だがその直後、轟音と共に〈人斬り〉が爆煙に包まれた。


『そいなら三十両、食ろうて見やんせ』

 上方から肝付三太郎の声。見ると棚田の上に刹摩の重砲機〈桜島さくらじま〉が陣取り、右手の大口径連装銃を構えていた。


『あや』

 肝付が声を上げた。


『たった三十両ぽっちじゃ、腹の足しにもならないんですけど』

〈人斬り夜叉〉がいつの間にか棚田の上にいた。〈桜島〉は左手の分厚い盾を正面へ掲げる。しかし〈人斬り〉は横移動しながら槍を旋回。片鎌が盾を掻い潜り、大口径連装銃が貫かれた。


『んだもこーら……』

 緊張感のない声を上げる肝付。


『ケチケチするからそうなるんですけど。んで、そっちの――』


 と、〈人斬り〉は後ろに跳びつつ反転し、今まさに長刀を振り上げる寸前だった〈墜星ついせい〉の籠手を槍の柄で押さえこんだ。


『刹摩のクソやかましいお猿ちゃんは、いい加減一本流儀じゃやってけないって気付いた方がいいと思いますけど。多少捻ってきたって、起こりを叩いちゃえば一緒なんですけど』


 菱刈ひしかり静雄しずおは唸り声を上げ、〈墜星〉は無理矢理腕を跳ね上げる。〈人斬り〉は飛び退き、棚田を飛んで距離を取った。


(バカみたいに、強すぎる……!)

 華凛は構えを取らせながらも、底知れない恐怖を覚えていた。


 刹張の四機はそれでも怖じた様子を見せず、じりじりと包囲を狭める。


『五機かー。初顔出し戦闘としてはまあまあの撮れ高かな。んー、じゃとりあえず……』


〈人斬り〉の姿が一瞬消えた。と思うと、


『異人斬るのって、やっぱ一番手っ取り早くウケるんですよね』


 金色の機体がすぐ目の前にいた。


 身構える暇もなかった。片鎌槍が大権現型の右脚関節を捕らえて引き寄せる。関節部のコードが引き千切られ、機体が仰向けに倒れる。


ひつじぃ‼』

 佑月が叫ぶ。


 転倒の衝撃で眩暈がするが、それでも目を見開く。が、モニターに恐ろしい光景が映る。鬼の面頬めんぽうが見下ろし、今まさに槍の穂先を操縦席に突き立てようと――


 したその時、鈍色の鉄箱が側面から激突し、〈人斬り〉を画面外へと追いやる。


(穂積さん……!)


 機体が動かない。右脚部損傷につき起立不能――という表示が液晶画面に映る。


 悔しさに涙が滲んだ。


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