御殿の最奥部にある八畳の和室は、
部屋の主、
どの写真でも、冬姫は笑っていた。見知らぬ武士達と並び、あるいは百姓、町人達に囲まれて、心からの笑顔をカメラに向けていた。いま改めてよく見ると、背後の風景が
暴風雨が雨戸を耳障りに叩く。鈴姫は顔をしかめながら写真をかき集めた。母親の笑顔でも、打ち沈む心を癒してはくれない。それにこの頭痛……天気が悪いと頭が痛くなることはままあったが、ここまでしつこく痛むのは初めてだった。
写真を引き出しに仕舞っていると、鈴姫は突然、何らかの気配のようなものを感じた。
――――来る。
得体の知れない何かが。とてつもなく大きく、激情を秘めた何かが、だんだん近づいて――
「いっ――⁉」
激痛。頭蓋内を刺されたかのような激しい頭痛が突然襲い掛かり、一瞬目がくらんだ。
直後、
鈴姫は頭を押さえながら襖に向かい、手を掛けて横に引いた。
すぐそこに、枯れた木の幹のような顔をした老婆が立っていた。
「ひっ……! き、きぬ……⁉」
老女のきぬは携帯電話を片手に、奇妙なほど落ち着いた顔で言った。
「姫様、お迎えに上がりましたで……。お父君に、お会いしに行きましょな……」
―――― ◇ ――――
「ちっ! こねぇな真夜中に来よって、ぶち迷惑な奴じゃのう!」
スピーカーから半鐘の警報が鳴り響く御殿の廊下、
「本国に
廊下に面した部屋の襖が開き、
「なあんじゃこん騒ぎは。浪士どん、またおじゃったんけ?」
「てれんこせんな刹摩の! 敵は一機じゃが、そこらのもんとは訳が違うっちゃ!」
佑月は肝付の前を通り過ぎ、表情を強張らせた。
「あの〈人斬り夜叉〉が、単身乗り込んで来よったんじゃ……!」
―――― ◇ ――――
陣屋の裏手門前、〈
その後ろで、ななが手を顔の上にかざしながら蓮太郎に呼びかける。
「『龍』が、来るの……⁉」
「……多分な。二百二十日もとっくに過ぎたってのに、まだ一体も来てないのがおかしかったんだ。あの〈人斬り〉とやら、それに乗じるつもりなのか」
蓮太郎はななの方を振り向き、
「なな、主上に、決して部屋から出ないよう伝えてくれ。敵はすぐに追い払うから、と」
「ん……! 気を付けて」
陣屋に戻ってゆくななを見届け、蓮太郎は正面に銃痕が開いた鉄箱に乗り込んだ。
―――― ◇ ――――
『
「まだその呼び名なの……」
佑月、志道の〈
突然、嵐の音をかき消すほど大音量の女の声が、前方から鳴り響いてきた。
『ねえちょっとー! 来るの遅いんですけど! 見てるみんなが退屈しちゃうでしょ!』
『な、何じゃあ……⁉』
佑月が戸惑う。
「え、この声って……!」
華凛はつい数刻前に聞いた覚えのあるその声に、まさか、と思った。
三機は本道を外れ、横道を疾走して川沿いの田園地帯に出る。
そこに、いた。
機体各部の照明で周囲を明々と照らし、片鎌槍を杖のようについていかにも退屈そうな様子の〈人斬り夜叉〉が、稲穂の揺らめく田圃の真ん中に立っていた。
肩肌脱ぎの甲冑武者は、外部スピーカーから気だるげな女の声を発する。
『やーっと来た……って少な。
『それに乗ってるのって、異人のおねーさんですよね。どもー。あの頭お花畑ちゃん泣いてませんでしたー? さすがにちょっと大人げなかったかなって反省してたんですけど』
疑念が確信となり、それ以上の驚愕が華凛を襲う。夕刻出会った自称
『どういうことじゃ未‼ ワレあいつと直接会ったんか⁉』
「え⁉ た、多分――いやでも、あの外見じゃ、とても人斬りになんて見えなかったし……!」
『訳が分からん……! とにかく今は邀撃じゃ!
返事も待たずに隊長機は双刀を抜き払い、前に跳んだ。一息で〈人斬り〉に肉薄し、左右両刀で打ち掛かる。ところが、
『あー、香取流でしょ? はい右踏み込み斬り、からの左受けしつつ払い斬り、反撃なしだからもっかい踏み込んで連打ち、この辺で右で牽制入れてからの左突き――』
火乃里は淡々と言い、その言葉通りに機体は槍の柄で佑月の攻撃を次々と受け止める。まるで演武であった。
『ナントカ流だのナンタラの型だの、そんなんプログラムして粋がってんのって日本人だけなんですよね。結局決まった動きしかできないんですから』
槍が縦に回転し、片鎌が下から襲い来る。隊長機は間一髪でかわし、距離を取る。
そして、
『今じゃ撃て‼』
佑月の無線で副長機が単発式小銃を発射。
『で、張州伝統のショボい銃と。ちゃんと避けなくて済む分、楽まであるんですけど』
金色の装甲を少し削り取っただけに終わる。〈人斬り〉は最小の動きで機体を斜めにずらし、鎧の丸みで弾丸を逸らしたのだ。
だがその直後、轟音と共に〈人斬り〉が爆煙に包まれた。
『そいなら三十両、食ろうて見やんせ』
上方から肝付三太郎の声。見ると棚田の上に刹摩の重砲機〈
『あや』
肝付が声を上げた。
『たった三十両ぽっちじゃ、腹の足しにもならないんですけど』
〈人斬り夜叉〉がいつの間にか棚田の上にいた。〈桜島〉は左手の分厚い盾を正面へ掲げる。しかし〈人斬り〉は横移動しながら槍を旋回。片鎌が盾を掻い潜り、大口径連装銃が貫かれた。
『んだもこーら……』
緊張感のない声を上げる肝付。
『ケチケチするからそうなるんですけど。んで、そっちの――』
と、〈人斬り〉は後ろに跳びつつ反転し、今まさに長刀を振り上げる寸前だった〈
『刹摩のクソやかましいお猿ちゃんは、いい加減一本流儀じゃやってけないって気付いた方がいいと思いますけど。多少捻ってきたって、起こりを叩いちゃえば一緒なんですけど』
(バカみたいに、強すぎる……!)
華凛は構えを取らせながらも、底知れない恐怖を覚えていた。
刹張の四機はそれでも怖じた様子を見せず、じりじりと包囲を狭める。
『五機かー。初顔出し戦闘としてはまあまあの撮れ高かな。んー、じゃとりあえず……』
〈人斬り〉の姿が一瞬消えた。と思うと、
『異人斬るのって、やっぱ一番手っ取り早くウケるんですよね』
金色の機体がすぐ目の前にいた。
身構える暇もなかった。片鎌槍が大権現型の右脚関節を捕らえて引き寄せる。関節部のコードが引き千切られ、機体が仰向けに倒れる。
『
佑月が叫ぶ。
転倒の衝撃で眩暈がするが、それでも目を見開く。が、モニターに恐ろしい光景が映る。鬼の
したその時、鈍色の鉄箱が側面から激突し、〈人斬り〉を画面外へと追いやる。
(穂積さん……!)
機体が動かない。右脚部損傷につき起立不能――という表示が液晶画面に映る。
悔しさに涙が滲んだ。