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第32話 野分龍


「通せないって、どういうことです……⁉」


 鈴姫すずひめの自室に通じる廊下の手前で、ななは公文くもん寅美とらみと共に家老・比延ひえ大膳だいぜんに詰め寄っていた。


「……御宮おみや様は誰とも会われぬ」

 比延は数人の神河藩士を後ろに侍らせ、冷徹に言い放った。


 頬に痣のある公文が、呆れを滲ませて言う。

「……また足を引っ張る気ですか」


「黙れ‼ 斗佐とさの郷士風情が‼」

 比延は顔に血管を浮き出させて叫んだ。

「もうたくさんだ‼ どいつもこいつも我が物顔で領内を踏み荒らしおって‼ ここは我らの土地ぞ‼ 斗佐の若造や異人の小娘、挙句犬神人いぬじにんにまででかい顔をされてたまるか‼ 無論刹張さっちょうにもだ‼ 連中の戦遊びには付き合ってられん‼ 殿の御命をこれ以上危険に晒すわけにはいかんのだ‼ 我らは――大名持おおなもち貴彦たかひこと、交渉の場を設ける‼」


 公文は比延の言葉に愕然とした。

「まさかあなた方は……鈴姫様を売る気なのですか⁉」


 ―――― ◇ ――――


「お父様に会いに行く……⁉ きぬ、何言うてんの……!」


 鈴姫は自室前の廊下で、ひたひたと迫りくる老女きぬに怯みながら言った。


「昔からの決まり事ですねん……。お父君に逆ろうたらあかん。大膳はんも承知なさったことや。ほらあんたら、連れて行くで」


 いつから居たのか、廊下の角から二人の武士が現れ、鈴姫の両隣を固めた。


「え……⁉ お二人とも、どうして……!」

 鈴姫は信じられない思いで左右の武士を見上げた。言葉を交わした事こそないが、そこは小藩、二人とも顔見知りである。その武士達は鈴姫を見下ろし、交互に言った。


「……我が藩は、敬神派けいしんはではないのです」

「武士として何より優先すべきは殿の御身にござる。……何卒、ご勘弁を」


 鈴姫は愕然とした。十五年間暮らしてきたこの屋敷が、急に見知らぬ場所になってしまったように感じた。


(なな……! 穂積……!)

 鈴姫はスマホを取り出した。数少ない連絡先の中から、登録したばかりの蓮太郎の番号をタップする。が、


「あかん」

 きぬに素早くスマホを奪い取られた。


「こんなん持たすからあかんようになるんや……。ほれあんたら、連れてったるで」


 ―――― ◇ ――――


 豪雨に叩かれる〈秋水しゅうすい〉の操縦席で、蓮太郎はポケットの携帯電話が素早く二回振動したのを感じた。即座にレバーから手を離して携帯を取り出し、画面をちらりと見る。発信者名は、『主上』――ボタンを押して耳に当てるが、すぐに電源が入っていない旨の音声が流れる。


『は? 何止まってんの?』

 目の前で構えている〈人斬り夜叉〉が苛立たしげな声を発した。


『ケツでも掻いてんですか? ものっそい腹立つんですけど。底辺身分のくせに』


 槍の穂先が蜃気楼のように揺らめき、機体が凄まじい勢いで迫る。蓮太郎は座席の下のレバーを引いた。脚部の爆発音と共に機体が前方へ跳ぶ。次いで左側のレバーを二本連続で操作――槍が目前に迫ったその瞬間、左腕が跳ね上がり、槍を上に受け流しつつ懐へ。続いて右腕の操作――すれ違いざま、短い祓御霊剣ふつのみたまのつるぎが敵の右脇腹を裂く。しかしやはり傷は浅い。


 交差し、離れる二機。〈人斬り〉は飛び跳ねるように振り向き、

『やば……! ヤバいヤバいヤバい‼ ねえそれ、プログラムじゃないんでしょ⁉ 全部手動なんでしょ⁉ みんな見てました⁉ あいつ思った以上にヤバいんですけど‼ ねえ妖し人‼ いっしょに配信出て‼ みんなにチヤホヤしてもらえますよ‼ あとお金いっぱいあげます‼』


 蓮太郎は顔をしかめた後、無線に呼びかけた。

ひのえ号! 主上に何かあったらしい! 悪いが俺は抜ける!」


『はえ⁉ ちょ、穂積く……!』


 佑月が何か言うのも構わず、蓮太郎は〈秋水〉を急発進させた。


『は⁉ そこで逃げる⁉ ちょ待って下層民‼ お前は撮れ高になるんですけど‼』


〈人斬り〉も背後で急発進した。速度の差は歴然で、二機の距離はすぐに縮まってしまう。〈人斬り〉は槍を持った右腕を思い切り伸ばし、〈秋水〉の上部目掛けて片鎌を振り下ろした。


 だがそこで、蓮太郎は勘を頼りに急停止。頭上に迫る敵の右腕を掴み、斜め下に振りつつ〈秋水〉をでんぐり返しのように前に転ばせる。


『え――えええええええええええええええ⁉』


〈人斬り〉の巨体と共に天地が一回転。地響きの後、〈秋水〉は金色の胴に馬乗りになっていた。


『い――一本背負い……⁉』

『なあんちゅな……』

 華凛、肝付の驚く声が聞こえる。


 蓮太郎は鬼の面頬めんぽうに〈秋水〉の正面を近づけ、怒鳴った。

「勉強しろ‼ 阿呆……‼」


 そして地面に飛び降り、わき目も振らずに走り去った。


 ―――― ◇ ――――


 華凛は乗機のハッチを開け、嵐の吹き荒れる外に顔を出した。


 仰向けに倒れた〈人斬り〉の周りに、〈双燕そうえん〉二機と〈桜島さくらじま〉、〈墜星ついせい〉が集まる。


『すっげ……すっげすっげすっげ……みんな見てました……? 御霊機おんりょうきやわらって……しかも動作処理プログラムなしで……下賤のくせにムカつくんですけど……でもすげかった……』


 何やらぶつぶつ呟いている〈人斬り〉を見下ろし、佑月が無線で言う。

『……まあとりあえず、拘束せにゃならん。本営に連絡して部隊を――』


 その時、ひと際激しい暴風が吹き荒れた。巨人が泣く声のような大風が鳴り、木の幹が苦しげに軋み、屋根瓦がどこかから飛んできた。〈桜島〉、〈墜星〉は身を屈め、〈双燕〉二機は倒れかけて手を付いた。無線が開き、警告音を伴った佑月の声が響く。


『まずい……! こんな時に『龍』が来よった‼ しかも激甚げきじん級じゃ‼』


 華凛は顔を腕で覆いながら上空を見上げ、その恐ろしい姿を目にした。


 空を覆う黒い雲がとぐろのように渦を巻き、うねる度に雨と風が地上に吹き荒れる。暗雲で形作られた長い胴が、稲妻を内部に纏いながら蠢き、その先端は二本の角と長い髭を持つ生き物の顔が象られている――


 荒天棲こうてんせい禍獣かも野分のわきりゅう』――初夏から晩秋にかけて襲来し、行く所に暴風雨を振り撒く龍。数ある禍獣の中でも特に甚大な被害をもたらす、最も忌まわしき禍獣の一つである。


「え――⁉」

 華凛は我が目を疑った。野分龍そのものに驚いたわけではなく、その中にあるはずのないものが見えたからである。


 佑月、志道、肝付、菱刈もまた、上空を見てそれぞれ驚愕の声を上げる。


〈人斬り夜叉〉が跳ね起き、風に煽られるように逃げ去る。

『へっへ……やっぱあの方、魅せ方ってもんを分かってるなぁ……』


 ―――― ◇ ――――


「なんだ、あれは……⁉」

 蓮太郎は思わず〈秋水〉を停止させた。操縦席で身を屈めて窓から上空に目を凝らす。


 うねりながらゆっくりと東へ進む野分のわきりゅう。そのとぐろの中心部に、何らかの物体が浮かんでいる。航行灯のような赤や緑の灯火が煌めいていることから、人工物であることが分かる。しかし野分龍の真っただ中で航空機が飛べるわけがない――


 稲妻が野分龍の身体にほとばしる。その光が物体の輪郭を照らした。


 蓮太郎は戦慄した。


 鴉の羽を繋ぎ合わせた巨大な布地を纏う、魁夷な人型。獣の皮を接いだ鎧、そこから伸びる太い腕には刺青のような文様が刻まれ、頭部からは後光に見立てた金板が放射状に延び、腰には勾玉の付いた直刀。


 野分龍が、御霊機を運んでいたのである。


 謎の御霊機は野分龍と共に徐々に高度を下げ、明らかに陣屋の方へ進路を取っている。


 蓮太郎はアクセルを踏んだ。しかしその瞬間突風に煽られ、小さな〈秋水〉はバランスを崩す。腕を伸ばして木の幹を抱えるが、その木も折れそうなほどに撓む。


 行く手を阻むように吹き荒れる風雨の中に混じって、蓮太郎は男の高笑いを聞いたような気がした。



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