「嘘……です。そんなの……」
「そんなこと……あるわけない……。そんなの、出鱈目です!」
「
「鈴姫……」
大名持はさらに深い悲しみを顔に表した。
「お前が真実を受け入れたくないなら、こうするしかない」
大名持は右手を素早く伸ばしてきた。突然のことに固まる鈴姫の額に、右手の人差し指と中指を揃えて当て、左手は胸元で略礼の形に立て、早口の小声で何やら唱えた。
「掛けまくも畏き
瞬間、頭が真っ白になった。視界に光が明滅し、それに伴って激烈な頭痛が襲ってきた。
「ぐっ……ぁ……⁉」
たまらず、鈴姫は頭を抱えて屈みこんだ。
途切れ途切れになる意識の狭間に、大名持の声が入り込む。
「
言葉の意味が理解できない。誰かが、何かが頭を内側から叩いている。――痛い、痛い。
「あいつは……蓮太郎は、それに耐えられなかった。自分が慕っている女性が、どんどん変わっていってしまうことに。無理もない。その優しい心に惹かれて、冬姫のために天下を動かそうとまでしたんだ。それがあんなにも変わってしまって……。哀れな奴だよ、あいつは」
何も考えられない。とにかくこの痛みから解放されたい。――助けて。誰か。
「あんなことになると分かっていれば、私はずっと冬姫から離れなかったのに……。十五年前、冬姫は頭痛の上に出産の痛みまで加わり、発狂同然の状態になった。蓮太郎はその姿を見て、ついに心が壊れてしまった。あいつは出産直後の冬姫のもとに向かい――刀で胸を貫いた。その日は折しも
――穂積……蓮太郎が。
頭の中にどす黒い何かが広がる。その代わりに、痛みが薄まっていくような気がする。
「分かるか、あいつはただ罪を償いたいんだ。自分の罪を清算したいがために、お前をずっとこの藩に閉じ込めておこうとしたんだ……。だが、それもここまでだ。私が、お前を迎えに来たのだから」
頭の中が黒いもので埋まり、痛みが消え去った。鈴姫は立ち上がり、父の顔を見た。
「さあ行こう、鈴姫……穢れたこの地から、巣立つ時だ」
手が差し出される。鈴姫は虚ろな顔で手を伸ばし、父の滑らかな手を握った。
―――― ◇ ――――
やっとのことで〈
「…………!」
鈴姫が――大名持に手を引かれている。突撃銃を持った浪士達に囲まれ、巨大で容貌魁偉な
蓮太郎は刀の鯉口を切りながら突進した。それに気づいた大名持が、親し気な笑みを向ける。
「おお、蓮太郎……! あのバカ女を振り切ったか。さすがだな」
蓮太郎は泥を撥ね上げて止まり、柄に手を掛ける。
「手を離されよ‼ さもなくばたとえ貴方とて、この場で斬り伏せる‼」
浪士達が蓮太郎に銃口を向ける。それを手で制し、大名持は言った。
「そう怒るなよ蓮太郎。こうするのが一番なんだから。お前にとっても、鈴姫にとっても」
鈴姫は額を押さえ、苦しげに頭を振っている。
「しゅ、主上……⁉」
蓮太郎は跪くことも忘れ、愕然として問いかけた。
「まさか……まさか、頭痛が――⁉」
手の奥から真っ黒な目がぎらりとこちらを向いた。思わず蓮太郎は目線を下げる。
「穂積……」
鈴姫は前に進み出た。長い黒髪が濡れてたなびき、幾筋か頬に張り付いている。いつもの輝きが全くない黒い目で蓮太郎を見つめ、鈴姫は抑揚のない声で言った。
「……うちの、お母様を……殺したん?」
蓮太郎の心臓が跳ね上がった。両手がわななき、太刀が地面に落ちる。脚が崩れ落ち、泥の中に膝が落ちる。
「……殺したん?」
容赦なく問いが重なる。蓮太郎は歯を食いしばり、膝を揃えて正座し、地面の泥を睨みながら首をわずかに下げ、風雨に紛れて聞こえないほど小さな声で言った。
「…………はい」
沈黙。
蓮太郎の視界に映る鈴姫の木履が、無言の責めを与え続ける。しばらくの後、鈴姫は大名持の方へ歩き出した。
「主上……‼ ど、どうかお待ちを‼ 私はいかなる罰をも受けますゆえ、お待ちください‼ その男は……かつての大名持貴彦ではござりませぬ‼」
蓮太郎は泥に顔面を埋めんばかりに懇願したが、鈴姫は足を止めない。
「もうええよ。そんなんせんでも。……嫌なこと、もうせんでええから」
「主上……‼」
蓮太郎は意を決して立ち上がり、鈴姫に追い縋り、その手を掴もうとした。が、
「……もうええ言うとるやろが‼」
鈴姫は振り返りざまに怒鳴った。
瞬間、謎の爆発音が辺り一帯にこだまし、光と高熱が拡散した。
蓮太郎は吹き飛ばされ、泥の中に転がった。身体が燃えるように熱く、意識が遠のいてゆく。右半身の感覚がない。右腕が妙な方向に曲がり、作業衣の袖が燃えて黒く燻っていた。
気を失う寸前の蓮太郎の耳に、虚ろな声が届いた。
「……うちの為に、もうなんもせんといて」
鈴姫は一切の顧慮なく、
大名持が困ったような笑みを浮かべて後を追う。その顔が横を向いた一瞬、耳の中にワイヤレスイヤホンが刺さっているのが見えた。
その光景を最後に、蓮太郎の意識は闇の底に沈んでいった。