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第37話 大坂城塞


 かつて大坂城と呼ばれ、刹張さっちょうをはじめとした西国の雄藩を迎え撃つ防衛の要だったその地は、何度かの改修を経て大坂城塞として生まれ変わり、今もなお反幕勢力の京への侵入を防ぐ役目を担っている。


「そん御城を僕らが救おうとしちょっとは、何じゃおかしかこっにごわすなぁ」

 肝付きもつき三太郎さんたろうが風雨に手をかざしながら言った。


 大坂城塞より半里ほど北西の曽根崎そねざき村はずれ、露天つゆてん神社境内。ここに張州ちょうしゅう藩陸軍を主体とした野営地が築かれていた。風になぶられる天幕の下、張州藩士達が端末や無線機に取り付いて情報を集めている。


 その一角で、椙杜すぎもり佑月ゆづきが声を張り上げた。

「浪士共の御霊機おんりょうきは東横堀川と法円坂の辺りを境に展開しちょる! 城塞からの砲撃を警戒して攻めあぐんじょるようじゃ! 数は十五機前後じゃが、あの〈人斬り〉もおるけぇ、幕府陸軍機甲部隊の居残り組だけじゃ防ぎきれんじゃろのう……!」


 隣の志道しじ広義ひろよし少尉が緊迫した面持ちで、

大名持おおなもちは、やはりあそこに……?」


 佑月は風雨に揺れる制帽を手で抑えつつ、南東方面の渦巻く風雲を見上げた。

「ああ、一番目立つ所におるっちゃ……! 大坂城塞天守上空、野分龍のわきりゅうの懐にのう……! まったく、禍獣かもを操って空を飛ぶなんぞ、この目で見ても信じられん……!」


 華凛は逸る気持ちを抑えきれずに問いかける。

「鈴姫様は……! やっぱり大名持と一緒にいるの……⁉」


 公文くもん寅美とらみがスマホを操作しながら、

「大名持は大坂に到着して以降、暴動を煽るような文章をSNSに繰り返し投稿しています! そして最新の投稿に、こんな画像が!」

 と言って画面を正面に向けた。


 操縦室内部の画像だ。衣冠束帯いかんそくたい姿で堂々と座る大名持の膝上に、鈴姫が人形のように抱きかかえられて座っている。その両目は、まさに人形のように生気が無かった。


 公文はさらに、

「未確認の情報ですが、江戸の奉行所や勘定所、そして各地の代官所などが襲われているとか……! 一刻も早く大名持を止めなければ、火種は全国に広がるかもしれません……!」


「ちっ……! ともあれ、浪士の囲みを突破して大名持のもとにたどり着くには、かねて申し合わせた通りの段取りで行くしかないっちゃ! 各々、異存はありますまいな!」

 佑月の呼びかけに、


「ございもす」

 刹摩さつま藩士、菱刈ひしかり鎮雄しずおが童顔をしかめ、後方を振り返りながら言った。


「拙者は得心が行きもはん。ないごて拙者のみが、あげなあやびとらとくつわを並べねばいかんと。『石切衆いわきりしゅう』が何か知らんどん、御霊機も持っちょらん禍獣かも始末役しまつやくが何の役に立ちもす」


 菱刈の視線の先には、二十人程の異様な風体の男達がいた。皆一様に合成繊維の合羽を着用し、その上から揃いの藁蓑わらみのを纏い、菅笠すげがさを被っている。顔に包帯を巻いている者が多いが、底光りする目は静かな意志を湛えていた。


 姫路藩の禍獣始末役『石切衆』――神河藩から大坂に向かう途上、姫路藩から借り受けたささやかな援軍であった。


 石切衆頭目の初老の男が、顔の傷を斜めに歪め、穏やかに言う。

「……刹摩のお人、ご心配には及びませんよ。私らは私らのやり方で、撞賢木つきさかき様をお助けする役目を果たすのみでございます。穂積様たってのご要請ですからな」


 その蓮太郎は、ななを伴って天幕から離れた場所に立ち、南東の空をじっと見上げている。右腕は吊ったままで、左手には蠟色鞘ろいろざやの太刀を握っていた。


 菱刈はまだ不満げに口を尖らせ、

「そもそも撞賢木様んこっ、助けるいうんも業腹じゃ。あん御人、自分で大名持んとこに行きやったち話にごわんそ。こらもう親子同腹じゃど。ぐらしこっじゃどんかわいそうだが、父親もろとも叩っ斬るしか道はな、かっ……!」


 菱刈の言葉は奇声と共に断たれた。蓮太郎が影のように眼前に迫り、刀の柄頭で菱刈の顎を下から叩き、その口を無理矢理に閉ざしたからだ。


「滅多なことを口になさるな……」

 地の底から響いてくるような声で、蓮太郎は言った。


 菱刈は口を半開きにしていたが、やがてみるみる顔を赤くし、丸太のような腕で蓮太郎の胸倉を掴んだ。

「おのれ……自分が何しよったんか、分かっちょっとか……!」


「貴殿こそ、本当に分かっておられるのか……」

 蓮太郎は折れている右腕を伸ばし、菱刈の手を掴んだ。痛みに耐えながら握力を込め、自分より背の高い青年の顔を睨む。


「およそこの世で最も尊き存在である今人神の御命――それを手にかけるということの意味を……! 今人神を殺すという、その大罪を、穢れを! 生涯負い続けるという覚悟があって、そのようにおっしゃられたのか‼」


 菱刈の目が驚きに見開かれる。蓮太郎は叩きつけるようにその手を離し、背を向けた。


 一同が沈黙する中、華凛が不安げに声を掛ける。

「穂積さん……? 助けに、行くのよね? 鈴姫様を……」


「……ああ、助ける。……助けに、行く」

 噛み締めるように、蓮太郎は言った。


 なながその背を悲しげに見つめている。


 佑月が深刻な表情で、

「……時間がないっちゃ。おい刹摩ん坊。臆病者の誹りを受けたくなかったら作戦通りにせぇ」


 菱刈は憮然として横を向いた。


「では各々の奮闘を願い申し上げる! 志道、肝付! 行くぞ!」


「はっ!」

「ここぞっちゅなばかりに部下扱いしょんな……」


 佑月は志道と肝付を率い、神社の出口へ駆けだした。


 菱刈が足を踏み鳴らして歩き出し、姫路藩の石切衆が静かにその後を追った。


 蓮太郎は公文を振り返った。

「寅……ななを」


「承知しています」


 それを聞いて蓮太郎は未練なく歩き出し、露天つゆてん神社の鳥居へ向かう。


 華凛がその後ろから、

「あの、穂積さん……今更だけど、私、具体的に何したらいいの……? 大権現型は〈人斬り〉にやられちゃったし……」


 蓮太郎は答えず、鳥居をくぐって神社の外に出た。石造りの建物が左右に立ち並ぶ道路を、家財道具を背負った町人達が惑いながら北へ逃げ走ってゆく。車通りは少なく、それよりもリヤカーを自転車で牽引している者の方が多い。


 蓮太郎は道路の南に目を向け、首元の無線機に向けて言った。

「江藤殿、まだですか」


 すると華凛の無線にも、差賀さが藩士、江藤えとう甲子雄きねおの焦った声が聞こえてきた。


『ちょと待ってくれん……! 俺は機乗士じゃなかって……! こん〈依姫よりひめ〉ば、天満てんまの蔵屋敷から操縦してくっだけでも一苦労じゃけん……!』


 その返答の直後、道の曲がり角から細身の御霊機と大型トラックが現れ、雨の道路を滑るように走行してきた。町人達が悲鳴を上げて道を空ける。御霊機とトラックは二人のかなり手前で水しぶきを上げて止まった。蓮太郎と華凛は急いで走り寄る。


(これが差賀藩の最新鋭機〈依姫〉……)


 華凛が見てきたどの御霊機よりも、それは人間に近い輪郭をしていた。手足の関節は蛇腹のように滑らかに湾曲し、衣裳のように薄い装甲が胴体を包んでいる。頭部には髪飾りのような装飾まであり、その名が示す通り女性的な姿だった。武装は、腰の祓御霊剣ふつのみたまのつるぎ一本だけに見える。


「でも、どうして穂積さんがこの差賀藩機に乗るの? 〈秋水しゅうすい〉じゃだめなの?」


「〈秋水〉でどうやって大名持の所まで行く」

 蓮太郎はちらりと上空を睨み上げながら言った。


「そりゃそうだけど、でもそれ言ったらこの機体だって……」


 戸惑う華凛をよそに、〈依姫〉は楚々とした動作で両膝を折って座り込み、胴体部を開けた。


「あ、え……⁉」


 てっきり中から江藤甲子雄が出てくると思っていた華凛は混乱した。そこには誰も乗っていなかった。ただ近代的な構造の一人用の操縦席が、口を開けて待っているだけだった。


「待った! 言うとかんばならんこっが……!」


 まったく思いもよらなかった場所から江藤が姿を現し、華凛はびくついた。


 江藤は〈依姫〉と一緒に来た大型トラックのコンテナから出て来たのだった。しかも、頭に巨大なヘッドセットを乗せて。


 華凛は奇抜な格好の江藤と〈依姫〉を何度も見比べ、唐突に理解して叫んだ。

「え――遠隔操縦⁉⁉」


 蓮太郎は全てを無視した。折れた右腕と左手の太刀と格闘しながら操縦席によじ登りながら、

「どうか手短に」

 と江藤に言った。


 江藤はヘッドセットをつけたまま不安げに、

「その……こんまま行くと、浪士の御霊機と戦うこっになっと?」


「無論です」


「無論じゃなか! 無理たい! 何度も言うが俺は機乗士じゃなかで、そいに剣術の心得もからっきしやけん、とても動作即時同調戦闘まではできんばい……!」


「どうさそくじどうちょう……それってまさか‼ リアルタイムモーショントレース――⁉」


 蓮太郎は席に着き、驚くばかりの華凛を無機質な目で見下ろし、言った。


「ならば、ちょうど手の空いている者にやらせましょう」


 華凛は己を指さし、これ以上驚けないほどに驚いた顔で見上げた。




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