鈴姫は甚振られていた。
意識が遠のいてゆく。なのに痛みはちっとも治まらない。自分が今どうなっているのか、生きているのか死んでいるのかも分からなくなってきた。
激痛によって意識が戻る。そしてまた、激痛によって意識が遠のく。何度もそれが繰り返される合間に、鈴姫はできる限り視線を上に向け、前後に揺れる全面モニターを見た。死ぬならせめて、悪意ある言葉じゃなく、空を見ながら死にたい――
下の方に、何かが見えた。人型の何かが。それはふらふらと風雨によろめきながら、こっちに向かって飛んでくる。奇妙なことに、それは翼を広げた
『主上……! 主上――‼』
「あ、あぁ……!」
涙が溢れ出た。
「な、なんだあ……?」
大名持も気付き、手が頭から離れた。
鈴姫は急いで操縦室を見回す。壁面の隅に『開閉』と書かれた紙が貼り付けられており、その下に小さなレバーがあった。鈴姫は迷わずそれを引く。モニターが上に動き出し、その隙間から風が吹き込む。鈴姫は身を乗り出した。
翼を広げた綺麗な御霊機が近づいて来る。その細身の胴体部が左右に開き、中から――
「主上――‼」
蓮太郎はあの時のように、必死な形相で鈴姫に呼びかけていた。
「ほ、づみ……! ――穂積っ‼」
溢れた涙が風に飛んだ。
突然、〈
『させないっ‼』
華凛の叫び声が聞こえ、翼の御霊機の方も勝手に動き出した。細い両腕が滑らかに動き、〈禍ツ鳥船〉の両手を受け止めた。両手を軋ませながら、翼の御霊機はまた華凛の声で叫ぶ。
『鈴姫様‼ 戻ってきて‼ ――穂積さんの所に‼』
鈴姫は操縦席の淵に膝を掛けた。だがそこで、後ろから腕を掴まれる。
振り向くと、大名持は怒りもせず、ただ困惑と寂しさの混じった表情で鈴姫を見つめていた。
「離して……‼ 離してっ‼」
鈴姫はその手を振りほどいた――というより、大名持の方から手を離した。鈴姫は一顧だにせず、淵に足をかけて迷わず跳んだ――十二
「主上‼」
蓮太郎は立ち上がった。〈
メキメキと嫌な音がする。見上げると、巨大な御霊機の左手が、〈依姫〉の右手を今まさに握り潰さんとしていた。
『うぎゃあああああ降下あああああああ‼』
江藤が絶叫した。
蓮太郎は急いで鈴姫を抱いたまま席に着く。左手でスイッチを押して扉を閉め、同時にペダルを操縦して〈依姫〉の両足を上げ、毛皮の装甲を思い切り蹴った。両手首が千切れ、〈依姫〉は風に煽られながら高度を下げてゆく。
「主上……!」
蓮太郎は膝上で目を閉じている鈴姫を見下ろした。額に青痣があり、口元は汚れている。折れた右腕で顔を拭っていると、鈴姫はゆっくりと目を開いた。
「ほ……づみ…………」
鈴姫は蓮太郎の顔を見上げて、弱々しく笑った。
「やっと……顔見てくれたやん……」
「っ……!」
蓮太郎は瞠目した。だが目は逸らさなかった。
どうしようもなく冬姫に似ている、しかし決して冬姫ではないその顔を、蓮太郎は長い間見つめた。
「ごめん……ごめんなさい、穂積……。穂積が、お母様を……そんな、そんなことするわけないって、うちが……ちゃんと…………分かっとった、ら…………」
鈴姫は目を閉じ、微かな寝息を立て始めた。
蓮太郎は俯き、口元を引き絞り、鈴姫を膝の上でそっと抱き寄せた。
二度目に抱いた鈴姫の身体は、あの時と同じように温かかった。
〈依姫〉はゆっくりと降下を続け、周囲の風景が上に流れていく。
やがて蓮太郎は鈴姫を見つめ、静かに言った。
「……お眠りください。今はただ、全てを忘れてお眠りください……。目が覚めた時、また笑えますように……また前を向いて、進めますように……。穢れたものを、これ以上見る必要はありません……。穢れた事実を、あなた様が知る必要はないのです……。あなた様は、お母君以上にお優しく、お強い……私の生涯の、主でございます……」
―――― ◇ ――――
華凛は無言でヘッドセットを外した。
そしてセンサーが取り囲む小部屋を出て、壁際に座る江藤のイヤホンマイクを取り上げた。
「な、なんばしょっと?」
江藤の言葉を無視し、華凛はコンテナ内を回って
―――― ◇ ――――
緩やかに降下する〈依姫〉の中で、蓮太郎は眠る鈴姫の頬を指の背で優しく撫でた。
「どうか、御志をお遂げください……私にそうしてくださったように、人々に希をお与えください……。今なら心から信じられます。あなた様ならば、必ずやお母君の御遺志をお遂げなされると……。誰もが自分の志を遂げられる世を、実現なさってくださると……。その為とあらば、私はこの世の全ての穢れを引き受けましょう……。あなた様が、ご自身の御志を遂げられること……それこそが、私の志であり、最大の幸福にござりますれば……」
鈴姫はただ、穏やかに眠り続けていた。