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第45話 主上


 鈴姫は甚振られていた。大名持おおなもちに為されるがまま。


 意識が遠のいてゆく。なのに痛みはちっとも治まらない。自分が今どうなっているのか、生きているのか死んでいるのかも分からなくなってきた。


 激痛によって意識が戻る。そしてまた、激痛によって意識が遠のく。何度もそれが繰り返される合間に、鈴姫はできる限り視線を上に向け、前後に揺れる全面モニターを見た。死ぬならせめて、悪意ある言葉じゃなく、空を見ながら死にたい――


 下の方に、何かが見えた。人型の何かが。それはふらふらと風雨によろめきながら、こっちに向かって飛んでくる。奇妙なことに、それは翼を広げた御霊機おんりょうきのように見えた。その機体が、声を発している。必死に呼ぶ声を。ずっと聞きたかった、あの声を――


『主上……! 主上――‼』


「あ、あぁ……!」

 涙が溢れ出た。


「な、なんだあ……?」

 大名持も気付き、手が頭から離れた。


 鈴姫は急いで操縦室を見回す。壁面の隅に『開閉』と書かれた紙が貼り付けられており、その下に小さなレバーがあった。鈴姫は迷わずそれを引く。モニターが上に動き出し、その隙間から風が吹き込む。鈴姫は身を乗り出した。


 翼を広げた綺麗な御霊機が近づいて来る。その細身の胴体部が左右に開き、中から――


「主上――‼」

 蓮太郎はあの時のように、必死な形相で鈴姫に呼びかけていた。


「ほ、づみ……! ――穂積っ‼」

 溢れた涙が風に飛んだ。


 突然、〈まが鳥船とりふね〉の両腕がひとりでに動き出した。大名持は何も操作していないはずなのに、右腕と、レンズの嵌めこまれた太い左腕の両方が、翼の御霊機に襲い掛かる。


『させないっ‼』


 華凛の叫び声が聞こえ、翼の御霊機の方も勝手に動き出した。細い両腕が滑らかに動き、〈禍ツ鳥船〉の両手を受け止めた。両手を軋ませながら、翼の御霊機はまた華凛の声で叫ぶ。


『鈴姫様‼ 戻ってきて‼ ――穂積さんの所に‼』


 鈴姫は操縦席の淵に膝を掛けた。だがそこで、後ろから腕を掴まれる。


 振り向くと、大名持は怒りもせず、ただ困惑と寂しさの混じった表情で鈴姫を見つめていた。


「離して……‼ 離してっ‼」


 鈴姫はその手を振りほどいた――というより、大名持の方から手を離した。鈴姫は一顧だにせず、淵に足をかけて迷わず跳んだ――十二ひとえが風にはためき、身体が流される。


「主上‼」


 蓮太郎は立ち上がった。〈依姫よりひめ〉が噴射音を発して横にずれ、鈴姫の真下へ移動する。蓮太郎は両手を伸ばし――受け止めた。鈴姫を、全身で。


 メキメキと嫌な音がする。見上げると、巨大な御霊機の左手が、〈依姫〉の右手を今まさに握り潰さんとしていた。


『うぎゃあああああ降下あああああああ‼』

 江藤が絶叫した。


 蓮太郎は急いで鈴姫を抱いたまま席に着く。左手でスイッチを押して扉を閉め、同時にペダルを操縦して〈依姫〉の両足を上げ、毛皮の装甲を思い切り蹴った。両手首が千切れ、〈依姫〉は風に煽られながら高度を下げてゆく。


「主上……!」


 蓮太郎は膝上で目を閉じている鈴姫を見下ろした。額に青痣があり、口元は汚れている。折れた右腕で顔を拭っていると、鈴姫はゆっくりと目を開いた。


「ほ……づみ…………」

 鈴姫は蓮太郎の顔を見上げて、弱々しく笑った。


「やっと……顔見てくれたやん……」


「っ……!」

 蓮太郎は瞠目した。だが目は逸らさなかった。


 どうしようもなく冬姫に似ている、しかし決して冬姫ではないその顔を、蓮太郎は長い間見つめた。


「ごめん……ごめんなさい、穂積……。穂積が、お母様を……そんな、そんなことするわけないって、うちが……ちゃんと…………分かっとった、ら…………」


 鈴姫は目を閉じ、微かな寝息を立て始めた。


 蓮太郎は俯き、口元を引き絞り、鈴姫を膝の上でそっと抱き寄せた。


 二度目に抱いた鈴姫の身体は、あの時と同じように温かかった。


〈依姫〉はゆっくりと降下を続け、周囲の風景が上に流れていく。


 やがて蓮太郎は鈴姫を見つめ、静かに言った。


「……お眠りください。今はただ、全てを忘れてお眠りください……。目が覚めた時、また笑えますように……また前を向いて、進めますように……。穢れたものを、これ以上見る必要はありません……。穢れた事実を、あなた様が知る必要はないのです……。あなた様は、お母君以上にお優しく、お強い……私の生涯の、主でございます……」


 ―――― ◇ ――――


 華凛は無言でヘッドセットを外した。


 そしてセンサーが取り囲む小部屋を出て、壁際に座る江藤のイヤホンマイクを取り上げた。


「な、なんばしょっと?」


 江藤の言葉を無視し、華凛はコンテナ内を回って差賀さが藩士達の無線機を取り上げていった。


 ―――― ◇ ――――


 緩やかに降下する〈依姫〉の中で、蓮太郎は眠る鈴姫の頬を指の背で優しく撫でた。


「どうか、御志をお遂げください……私にそうしてくださったように、人々に希をお与えください……。今なら心から信じられます。あなた様ならば、必ずやお母君の御遺志をお遂げなされると……。誰もが自分の志を遂げられる世を、実現なさってくださると……。その為とあらば、私はこの世の全ての穢れを引き受けましょう……。あなた様が、ご自身の御志を遂げられること……それこそが、私の志であり、最大の幸福にござりますれば……」


 鈴姫はただ、穏やかに眠り続けていた。


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