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第48話 天つ水さえ底つ磐根に


「すず……すずって、ええ響きやんね。男の子でも女の子でも、この字入れたいわ……」


 夜中、お腹の膨らんだ冬姫は、千切り川の水辺の岩に腰かけ、楽しそうに笑いながら言った。


「ほら、川のせせらぐ音みたいな感じやん……うん、絶対入れよっと」


 蓮太郎はその隣で憂鬱に呟いた。

大名持おおなもち様……ちゃんと秘密にしてくれるかな」


「大丈夫よ。絶対、ぜーったい誰にも言わへんって言うてくれてたもん」


 冬姫は少し悲しげに俯き、

「でも、いつかは……いつかはこの子に、ほんまのこと言うてあげたいな……ほんまのお父さんが、どんなに強くて賢くて……どんなに優しい人かってこと……」


 蓮太郎の憂鬱は晴れなかった。

「……犬神人いぬじにんの父親なんか……絶対、言わない方がいい……」


「ねえ、蓮太郎……」


 冬姫は岩から降りて川の水辺へ歩いた。

「うち、まだ諦めてへんよ。志……捨ててへんよ。だって、この子がおるんやもん……!」


 千切り川の瀬で、冬姫は優しくお腹を撫でた。


「脱藩せんでも、きっと方法はある……。なんか方法見つけて、この子の為に世の中変えてあげたいな。今人神と犬神人が愛し合ってもええんやって……うちと蓮太郎の子で良かったって、この子に思って欲しいから……。っ!」


 冬姫は一瞬、痛みをこらえるように額を押さえた。


 しかしすぐに手を降ろし、

「うちもう負けへん! 頭痛にも、あの変な力にも、もう負けへんよ! ちゃんとこの子産んで、ちゃんと育てたいもん! うちがこの子の為にできること、全部してあげたいもん……!」


 冬姫は蓮太郎を振り返り、透き通るような優しい笑顔を向けた。


「蓮太郎がうちの為にしてくれたこと……全部、ぜーんぶ嬉しかったよ……。一生を何回もやり直しても返せへんくらい、たくさんのことをしてもらった……だから、次は……」


 お腹を優しく撫でながら、冬姫は蓮太郎に語り掛ける。


「次は……この子の為にしたってな……。うちのこと、考えてくれてみたいに、この子のことも考えて、面倒見たってな……それが、絶対、ぜーったい、この子の為になるから……」


 蓮太郎は腕で顔を拭った後、赤くなった目で冬姫を見据えて力強く言った。


「……二人で、ずっと面倒を見よう。そしたら……きっと神様みたいに、優しい子になる」


 冬姫は一瞬、痛みをこらえるような顔になった。しかしそれもすぐに消え去り、


「あははっ! 楽しみ!」



 千切り川を背景に、冬姫は笑っていた。


 蓮太郎の視界が涙でぼやけ、優しい笑顔が、川の水面に溶けていった。


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