草花が芽吹きだし、だんだんと昼が長くなってきた冬の終わりのある日――
早朝から、アルクリア竜騎士家の屋敷は何重もの軍に囲まれていた。
「父上、これはいったい……」
当主のカティスは絶望した顔で、隠居の父親マディスンに尋ねた。
隠居のマディスンはもう齢(よわい)八十に近い身にもかかわらず、今でも乗馬を欠かさないためか、その体は精悍に引き締まり、背中も曲がっていない。
「我らの主君である太守の軍じゃろうな」
やけに落ち着いた顔で隠居のマディスンが言った。
太守とはその州を支配する領主の地位の名だ。太守はいわば小国の国王のような存在を意味する。
「太守の兵が!? どういうことです。我々アルクリア竜騎士家は代々太守の重臣として支えてきたではありませんか? 一度、太守が隣の州の連中に本拠地を奪われた時も、我々の協力があって奪還したのですよ!」
当主カティスはしばらく竜騎士家の武功と忠義を並べ立てた。
だが、隠居のマディスンの表情は変わらなかった。そんなこと百も承知なのだ。
敵が誰かは翻る旗からわかった。
太守とその家臣たち――つまり主君と同輩に囲まれている。
「今は太守を脅かす敵も周囲におらんじゃろ。そうなれば、人間というものは疑心暗鬼になる。重臣の我々の力が強くなりすぎたのが怖くなって、存在もしない悪魔を目にしてしまったのじゃ。おおよそ、ほかの重臣に吹き込まれたな。『アルクリア竜騎士家に謀反(むほん)の噂あり』とでも」
実際、アルクリア竜騎士家の実力は州の中でも屈指のものとなっていた。一族郎党あわせれば最低でも三百人は兵を用意できただろう。農民も極力徴発すれば無理をすれば五百にも届いたかもしれない。太守を倒すことは無理でも脅かすぐらいはできたかもしれない。
「では、根も葉もない謀反によって我々は滅ぼされるのですか?」
当主のカティスが叫んだ。早朝、突然攻撃を仕掛けてきたということは自分たちを皆殺しにするつもりなのは目に見えていた。
「一族全員がこの屋敷におるわけではない。たとえば、ひ孫に修道院で聖職者の修行をしておる子供がおったな。名前はレオンじゃったか。腕が悪いから呪いのせいじゃと言われておった」
竜騎士家の一族は数が多いが、レオンという名前には当主のカティスも記憶にあった。
「剣がヘタクソな子でしたな。幼い頃から何冊も本を読んでいたせいで、聖職者の道に進めと言われて、十歳の時に修道院に入った。まだ十二歳ぐらいか……。子供なうえに修道院に入っているのならば、生き延びられる率も高くはありますが……その……呪われてるとまで言われてた子供が何かを成せるでしょうかな?」
そこで隠居のマディスンは穏やかに微笑んだ。
「案外、そんな奴のほうが我が一族を新しい方向に導いてくれるかもしれんぞ。それにそういう呪いというのはいきなり晴れるもんじゃ」
それから、マディスンはふところから小さなカギを取り出した。
部屋の奥の小さな金庫にそのカギを差し込む。
出てきたのは大きな青い宝石だった。
「父上、それは……もしや我が家重代の家宝、『竜の眼(まなこ)』!?」
「これをレオンの修道院に持っていけ。伝説によれば『竜の眼』は特異な力を選ばれし者に授けるらしい。レオンならやってくれるやもしれん」
「しかし、どうやってこの包囲網を突破するのです……?」
もう今にも太守の軍隊が攻めかかってこようとしている。
マディスンが手をぱんぱんと叩いた。
小柄な男がいつのまにやら二人の前に姿を現す。
「郎党の中でもお前が一番俊敏じゃな」
「そうおっしゃっていただけますと幸いです」とその小柄な男は答えた。見た目は農民や町人のようだが、発している空気だけが殺伐としている。彼も立派な兵士の一人なのだ。
「この『竜の眼』をワシのひ孫レオンのところまで持っていってくれ。文字通り、死んでも任務をまっとうせよ」
「御意。もし生きながらえることができましたら、アルクリア竜騎士家が卑劣な罠にかかって全滅したことも後世に伝えていこうと思いまする」
「まあ、それは気が向いたらでよい。どのみちバカな太守はいずれ滅ぶ。自分の腕が生意気だからと腕を切り落とすような真似をしたのと変わらんからな」
すぐに小柄な男は部屋から消えていた。
「さて、やるべきことはやった。老いぼれの身で戦場で死ねるとはワシは恵まれておるわい」
隠居のマディスンは大きな声で笑った。
「そうですな。せめて太守の取り巻きの一人や二人あの世の道連れにしてやらんと気が収まりませんわ」
当主のカティスも同じように笑った。
「さてと、このおいぼれも鎧を着用するから何人か手伝いに来い! 死に装束じゃからとことん派手に、立派にせんとなあ!」
「自分ももう60近いのですが、父上が元気すぎるので、結局死ぬまで若造扱いでしたよ」
「それが当主としては一番楽じゃろ」
その日、アルクリア竜騎士家は突如滅亡した。
太守の兵は焼け落ちた屋敷から金目のものを片っ端から奪っていった。
ただ、重代受け継がれた家宝だけはどれだけ探しても見つからなかったという。