【竜の眼(まなこ)】改め、ラコ。
そのラコが剣を俺のほうに向けた。
「刃のついていない切れないロングソードです。大ケガをしないように重くもないようにしています。レオン、思いきりかかってきてください」
まっ、剣の練習相手ができたことで特訓がしやすくなったのは事実だよな。
「お手並み拝見といくぞ!」
俺は一気にラコに向かって突っ込んでいく。
少し勢い任せだったが、自分の実力を確認したかった。
だが――目の前からラコが消えていた。
次の瞬間、脇腹に痛みが走った。
切れない剣で殴打されていた。
自分の真横にラコがいる。
「あ~、やっぱり対人戦の少なさが問題になってますね。相手がどう動くかを読みながら戦わないといけません。力任せで突っ込んでいって勝てるのは相当に格下の相手だけです」
「ちっ! 今度こそ!」
すぐ振り向いて、ラコに斬りつけたつもりだったが、またしてもラコの体が横に消えていく。
今度は自分の体ががくっと傾いた。
剣で足を思いっきり払われていた。
思わずその場に膝をつく。
「戦場だったら、これだけでほぼ終わりですよ。稽古だからといって、一太刀、一太刀に心を込めてくださいね。その一撃は人を殺すかもしれない一撃なんですよ? ゴブリンと戦った時はもっと張り詰めた気持ちでやっていましたよね」
ラコの言うとおりだが、悔しいので何も言葉を返せなかった。
せめて一太刀ぐらいは決めたいと今度は慎重に間合いを詰めにいくが――
目の前にまでラコが迫っているように見えた。
こちらの予想以上の速度で踏み込まれていたのだ。
防御がまったく間に合わず、気づいた時には俺の木剣がはじき飛ばされていた。
カランカランと地面に落ちた木剣が音をたてる。
「ま、負けました……」
完敗だ。
今度は俺は自分から膝をついた。
どれぐらいの差があるかイメージもできないほどの実力差……。
「何を深刻そうな顔をしてるんです? 早く立ってください。これで今日の特訓が終わりなわけがないでしょう?」
ラコに肩をぽんぽんと剣で叩かれた。
「いや……ここまでボコボコに負けるとは思ってなくてさ……。ほら、俺のステータスってこの年で大人の軍人ぐらいの力があるんだろ……? ちょっと自信喪失した」
一人前になったつもりが完敗中の完敗だ。しかも粘ることすらできなかった。一瞬で勝負がついてしまった。
「だから、対人訓練が必要なんでしょうが! これまでの対人訓練の薄さをカバーするために私と特訓してもっと強くなるんです。だから、私で慣れなさい。さあ、立った、立った!」
このまま座り込んでたら、今度は肩じゃなくて頭を剣で叩かれそうだから従った。
「あのさ、実際の対人での型ってろくに教えてもらってないと思うんだけど……」
ラコにものすごくあきれた顔をされた。
「対人じゃない型もなければ、練習限定の型なんてないですよ。これまでの型で構えればいいんです。それで挑んできてください。そしたら、型通りじゃちっとも上手くいかないことがわかるでしょう」
「それじゃ、今まで習ったことは意味ないんじゃ――うげっ!」
脇腹に鈍い痛みが走った。打撃用の剣をぶつけられていた。
いつ間合いに入ったんだ? こっちが防御する前に叩かれていた。これが切れる剣なら上下真っ二つになっていた。
「無駄な特訓などしていません。私を信じてください。覚えたままは使えなくても、ちゃんと役に立ってくれます。たんにレオンは型を実戦で使う方法がわかってないだけです」
「あ、ああ……」
「返事は『はい』! 今の私はレオンの師匠です!」
「は、はい!」
「返事はいいですね。はい、続き、続き」
幼少期もこんなふうに父様およびアルクリア竜騎士家の一族から鍛えられたな……。
なにせ、武人としての誇りを持ってる奴が親族に腐るほどいるので、それはそれは鍛えられた。自覚できるほどあまりに成長しなかったので、周囲から「呪われてる……」などと言われたんだけど。
とくにご隠居様のマディスンじい様と当主のカティス様は白兵戦での剣技はもちろんのこと、馬に乗るのもサマになっていた。馬上からひぃいひょい矢を放って、はるか遠くの的を射抜いていた。
ほかの親戚の子供が「じい様のようになりたい」と言ったら、じい様は笑ってこう言っていたな。
「ワシが活躍してた頃よりはこのヴァーン州も平和になっておるからな。戦にどれだけ出たかで強くなれるかどうかは決まるところがあるんでなあ。一族の中でワシより戦に出た奴はおらんじゃろ」
あの言葉はたしかに一抹の真理を含んでいた。
場数というのは命のやり取りの中でとんでもなく重要な意味を持つ。
もっとも、一種の生存者のバイアスだったかもしれないが。弱い奴が戦場にたくさん出たらそのうち命を落とすことになるからだ。
だが、そんなアルクリア竜騎士家も今はない。
太守の安定した政権を築くために竜騎士家は活躍しすぎた。竜騎士家の腹づもりで太守の地位が危うくなるほどの力を持ってしまった。
異国のことわざらしいが、ウサギが死ぬと猟犬は煮られて食われるんだったか。
仇討ちが可能かはわからない。こんなことはチャンスが巡ってこないと一生できない。その時はその時だし、仇討ちで死んだ一族が幸せになるというわけでもない。自己満足のためにやるにしてはリスクが高い。
それでも、もしチャンスが巡ってきた時のために、立派な剣士になっておくのは悪くはないか。
選択肢は多ければ多いほどいい。少ないほうがいいということは絶対ない。
ラコの剣は容赦ないが、俺も情けなく引くことだけはしなかった。
少しでも今より強くなってやる。
「行くぞっ!」
「体重移動はいいんです。いいんですが、踏み込みが甘いから、間合いに入れませんね。ほら、こんなふうにやるんです」
首の真横を剣がかすめた。
ラコがわざと外したんだろうということは自分でもすぐわかった。
「俺、戦場だったら何回死んでるんだ……?」
「気にしなくていいです。生まれた時から最強の剣士なんてものはさすがにいません。戦場に出る前にある程度強くなってないといけないのはいつの時代でも同じです」
ラコの攻撃は本当に変幻自在だった。
当然、剣を握って攻めてくるのだが、場合によっては俺の間合いに入ってきて肘撃ちを喰らわせてきたりもする。つばぜり合いをしていたと思ったら、柄の先端部のほうであごを殴られたりもした。
最初のほうにも喰らったが、足払いのようなことをされることもあった。
ひどい時には木剣を手で奪い取られた。戦場でこうなったら万事休すだ。
「重心が前に出すぎです。だから型も崩れています。なので、こけます。こんなふうに」
さっと、足元をすくわれた。地面に顔をつけることになった。口の中に土と血の味が同時にする。
竜騎士家の子弟ってさんざんこんな目に遭って育ってきたんだろうな。
じゃあ、俺も文句言わずに我慢するしかないか。俺だけ不平不満を言うのもダサすぎる。
くそったれ!
俺はすぐ立ち上がった。
これが幸運に関するステータスが低すぎる理由だとしたら、耐えてやるよ!
「おや、もう立ち上がりましたか。よい心がけですよ」
「竜騎士家の中でも素質があるんだろ。信じてここまでやってきたんだ。お前を信じてやる!」
それに、人間が目の前にいたらあまり格好悪い姿を見せたくない。
正体は別として、見た目は年頃の女子が真ん前に立っているからな。
女子の前では少しはいいところ見せたいだろ。それは本能だろ。
落ち着け。まずは落ち着いて相手の動きを見ろ。
これまでの俺は敵が攻めてくる前提がない状態での練習ばかりしていた。だから、攻撃に対応できてない。でも、守りの型だって練習はしてきた。それでとりあえず守勢に入れ。
逃げる練習はしてないが、身を守る練習ならやってきた。
ある意味、死ななきゃ負けじゃない。
「おっ? そうですか、少し学習しましたね。大変素晴らしいです」
右手だけで剣を構えるラコが笑った。
「そうです、そうです。これまでのレオンは防御という発想がありませんでした。腕力はそれなりのものですが、これでは傷つくことを恐れないバーサーカーのようなものです。目の前の敵の脅威にはなるかもしれませんが、すぐに死んでしまいます。今やっとあなたは身を守ることを自分の頭で考えたんです」
「おおげさすぎるだろ。誰だって身を守ろうとするだろ」
「ええ、当たり前ですが、そういった当たり前のことの積み重ねで人は強くなるんですよ」
正面からも横合いからも攻める手立ては学んでるはずだ。それを決められる状態まで粘れ。
といっても――
ラコの攻撃は容赦ないんだけどな……。
切れない剣だということだけど、容赦なく胸でも貫くつもりみたいに前に出てくる。いなすだけでも全力でやらないといけない。
「鎧を着ている人間の隙間を貫きたいですからね。敵が重装備だから倒せませんでしたでは困りますので」
それはそうか。
でも、前に出てきてくれたほうが攻める隙もできる。
ひたすら粘れ、どこかでチャンスができる。
これが戦場ならチャンスができると信じて待つしかないのだ。無理そうだから死にますというわけにはいかない。
木剣で攻撃を受けまくったせいか、そろそろぽきっと折れてしまいそうだなという気がしてきた時――
突きにかかってきたラコの体が前に流れた。体勢を立て直すには少しだけ時間がかかりそうなほどに。
たいしたミスではない。戻るのに少し時間がかかるぐらいの、ずっと戦闘を続けていれば誰だって起きてしまう程度のものだ。
それでも、この時しかない。
実力差がありすぎる相手が作ってくれた最大の隙だ。
「うおりゃあああああっ!」
木剣を突き出す。
それをラコの首の真ん前で止めた。
決まったよな……?
「あっ……お見事です」
ラコが手を挙げて、降伏のポーズをとった。
剣が落ちて、からんと鳴った。