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第5話 〈閑話1〉 おねぇ執事さんとお嬢様を見守り隊(侍女視点)

 これは、セリィナがライルを執事にスカウトしてから少しばかり経ったとある日のこと。





 ***




「ライルぅ~っ!ライルどこなのぉ~!?」



 公爵家の御屋敷中にセリィナお嬢様の不安そうな泣き声が響き渡った。きっとお昼寝からお目覚めになられたのだ。予定より少し早い。きっとまた悪夢を見てしまったのだろう。


「大変!早くライルさんを呼びに行かなくっちゃ!」


 この時間の担当だったわたしは目的の人物の元へと急いだ。


 セリィナお嬢様の部屋の前にはお嬢様にバレないように必ず侍女が待機している。しかし誰一人お嬢様の部屋の中に入ることはしない。いや、出来ないのだ。のせいで心に深い傷を負って人間不信になってしまったお嬢様は新しく執事になったライルさんにしか心を開かなくなってしまい、他の人間が近付くと怯え過ぎて倒れてしまうからである。


 アバーライン公爵家は古くからある由緒正しい貴族だが、敵も多い。セリィナお嬢様は上のお嬢様方と歳が離れてお生まれになったこともあり危険から遠ざけるためにずっも御屋敷で過ごされていた。でも2週間前、7歳になったお祝いも兼ねて街のお祭りに家族でおでかけになられたのだ。初めてのお出掛けだと、あんなにはしゃいでおられたお嬢様の笑顔はほんの数時間で消えてしまった。


「ライルさん!お嬢様が……」


 公爵家の古株である執事長様に任されたであろう仕事をこなしていたライルさんを見つけて声を掛ける。初めて見た時も思ったが、ライルさんのワインレッドの髪はつい見惚れてしまうくらいに鮮やかだ。もちろんその顔立ちも紫色の瞳も、若干15歳の若さとは思えない色気を漂わせた少年が振り向いてにこりと笑った。


「はぁい!セリィナ様が起きたんですか?知らせてくれてありがとうございます、サーシャさん」


「は、はい!酷く泣いておられるのでお願いします」


 セリィナお嬢様の危機を救いその場で執事にスカウトされたと聞いていたが、執事になってたった2週間とは思えない身のこなしでライルさんは手元の仕事を片付けると足早にセリィナお嬢様の部屋へと去っていった。決して走ってはいないがそのスピードは疾風のようである。


「……ライルさんって、屋敷中の使用人の名前を全部覚えているらしいって本当だったんですね」


 思わず呟くと、それを聞き取った数人のメイドたちが集まって一斉に口を開き出した。


「聞いてくださいよ、サーシャさん!ライルさんったらすごいんですよ!」


「そうそう、執事長様のを最速でクリアしたんですって!それにお茶の淹れ方も完璧で、ライルさんの作ったお菓子ならセリィナお嬢様が口にされたそうですよ!」


「セリィナお嬢様、最初の頃はほとんど何も口にされなかったから心配だったけれどライルさんのおかげで食欲も戻ってきたみたいだって料理長が言ってました!」


「なんでもライルさんが毒味をしてから口に運んであげたらヒヨコみたいに口をお開けになったらしくて……。少しづつお元気になって来てるってお医者様も安堵してらっしゃるとか」


「本当に良かった……。わたし達では下手に近付くとお嬢様の症状を悪化させてしまうかもしれないから、ライルさんだけが頼りですね」


 すると開きっぱなしだった扉をコンコンとノックする音が聞こえる。全員の視線が一斉に向くと、そこにはいつの間にか執事長様が立っていた。


「みなさん、ですよ」


 執事長様はにっこりと笑うと銀縁のモノクルをくいっと押し上げる。それはアバーライン公爵家使用人のの仕事の合図でもあった。


 執事長のロナウド様は公爵家1番の古株である。一見優しそうな老紳士だがその実は誰よりも強くて怖い。最強執事の名を欲しいままにしているロナウド様がライルさんの去っていった方向をチラリと見ていたのだ。



「「「あ」」」



 廊下に続く窓枠にはシルバーのカトラリーが刺さっていて、1本のフォークがガラスを突き破っている。その先には樫の木があり、太い枝にはがフォークを顔面で受け止めたままぶら下がっていた。


「あんなに窓枠に傷をつけて……ライルもまだまだですが、あなた達もおしゃべりはほどほどになさい」


「「「申し訳ありません!」」」


 もちろん、この執事長様がを見逃すはずがない。わたし達は試されたのだ。そして1番新米のはずのライルさんだけがいち早く気付いて対処した。セリィナお嬢様はとんでもない大型新人をスカウトしてしまったようである。


 さぁ、わたしも負けてられないわ!お仕事しなきゃ!


 わたしはその場にいたメイドたちと協力してを始めた。そしてちょうどになった頃、見計らったようにライルさんがセリィナお嬢様を抱っこしたまま廊下を散歩していたのだ。あの細腕で軽々とお嬢様を持ち上げてにこやかに歩いているのだからやはり見えないところを鍛えているのだろうか。



「セリィナ様、今日はどこまで散歩できそうかしら?」


「……お外は嫌。でも、お庭のお花は見たいの……」


「じゃあ、テラスに行きましょうか。窓の近くからならちょうど薔薇が見えるわよ」


「……うん、ライルと一緒なら行く!」


 メイドたちと一緒に慌てて姿を隠すと、セリィナお嬢様の楽しそうな声が耳に届いた。お嬢様の朗らかな声を間近で聞いたのは久しぶりで、嬉しくて涙が滲んでくる。



 それにしても、とライルさんとセリィナお嬢様の後ろ姿を覗き見しながら思った。


 ローゼマインお嬢様とマリーローズお嬢様は「ライルは“おねぇ”だからセリィナに特別な感情は持たないはずよ」と言っていた。だからセリィナお嬢様の執事になるのを許したのだと。


 確かにライルさんは物腰が柔らかだし、色気もある。話し方も女性っぽいけれど……。



 ────今はまだ芽吹いていないだけで、未来はわからないかもしれない。だがそれを口にすればあのお嬢様方が何かしてしまうかも……。でも、セリィナお嬢様の笑顔がまた見られるのならばこのまま見守っていたい……そんな風に思うのだ。



 おっと!ちゃんとお仕事しないとまた執事長様に怒られちゃうわ。執事長様のって怖いのよね。


 そしてピカピカに磨いたばかりの銀食器シルバーを棚に片付けると、反対側の棚から“自分用の獲物”を取り出した。


「お嬢様はテラスに行くみたいだから、姿を見られないように反対側からお掃除しなきゃ!全く、害虫が多くて困っちゃうわ。お嬢様の方は……ライルさんがいれば大丈夫ね」


 アバーライン公爵家は敵が多い。はアボも取らずに毎日のようにやってくるのだ。お掃除の腕を磨かないとすぐに新人に追い抜かれてしまうだろう。


「あれ?サーシャさん、お仕事ですか?」


「うん、ちょっとぶっ放してくるわー。お嬢様当番は交代ね」


 ちょっと重たい“それ”を肩に担ぎ、わたしは今日も元気に“お仕事”をするのだった。







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