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第7話  その裏側で(公爵、老執事視点)

 ライルから(ドヤ顔で)セリィナとデビュタントパーティーに一緒に参加するのを約束したと報告を受けた日のこと。





 その夜。公爵家の家長であるアバーライン公爵が自室で気難しい顔をしながらグラスの中に注がれたウィスキーを凝視していると、ひとりの老執事が音もなく姿を現した。



「旦那様、伯爵家より手紙が届いております」


 それを聞いて厳つい顔をさらに顰めたアバーライン公爵が「内容は?」と促すと、老執事は淡々と手紙の中身を読み聞かせる。するとアバーライン公爵は微塵も隠すことなく不機嫌そうに指先で机を叩いた。


「……婚約の申し込みを断ったのが不服だと?」


「そのようでございますね」


 確かにセリィナは3年前に暴漢に襲われ誘拐されかけた。公爵家をよく思わない者がわざと悪い噂を流していることもわかっている。噂を流した大元はとっくに潰しているが(物理的に)、すでに独り歩きした噂をすべて消すのは困難だった。




 そしてこの伯爵家はそんな噂を鵜呑みにし、何を勘違いしたのか意気揚々と婚約を申し込んできた愚か者である。表面上は息子が“セリィナに一目惚れしたから”などと言っているが、セリィナを公爵家の不良債権だと決めつけて厄介者を引き取ってやれば恩を売れると影で言っていることなどとっくにお見通しである。


 確かにセリィナは心に深い傷を負っている。だがあまり人前に出さないのはあの子が人を怖がるからであって、決してセリィナの存在を恥ずかしいなどと思ったことはない。むしろ逆で、繊細なセリィナをこれ以上傷つけたくないからだ。


 あの子はそれはもう可愛くて可愛くて、とにかく可愛い末娘なんだ!それでなくても元々からこの厳つい顔のせいでセリィナはあまり甘えてきてくれなかったのに、あの事件の後からはさらに酷くなった。目を合わせれば泣かれ、顔を覗かせれば泣かれ、声をかければ真っ青になって失神され……もう世界を滅亡させてしまいたい。


 アバーライン公爵は「セリィナに嫌われたら、ワシはもう生きていけない!」と眉根に皺を寄せてハンカチを噛んだ。厳つい中年の地団駄など見れたものじゃないが、老執事は表情を変えずに肩を竦める。


「セリィナお嬢様になら、とっくに嫌われておいででは?」


「ひどい!」


 ちなみにこの老執事はアバーライン公爵が生まれる前から勤めている執事で、この公爵家の生き字引きでもあった(年齢不詳)。現公爵のオムツも替えたことがあるとかないとか。なのでふたりきりのときはこうやって軽口を叩きあえる気心の知れた仲なのである。


「ロナウドだって、セリィナに避けられてるじゃないか!」


「旦那様と違って失神されたりしてませんので、旦那様よりはマシです」


「ひどい!」


 家族や人前では厳格なイメージを崩さないように気を張っているが、老執事ことロナウドの前でだけはこうやって気を使わずに泣き言を言っているアバーライン公爵だが、今回ばかりは泣き言だけでは終われないでいた。


「……ところで旦那様、この伯爵家はどうなさるおつもりで?」


 ロナウドの言葉に我に返った公爵は咳払いをしてから、再び厳格な表情へと顔の筋肉を引き締める。


「そうだな。セリィナをキズモノ扱いし、利用しようとした罪は決して許されるものではない……」


「旦那様、この老人から些細な意見をひとつだけ申し上げてもよろしいでしょうか?」


「なんだ?」


 ロナウドは朗らかな老紳士だ。実はゲームではその無害そうな笑みを浮かべながら悪役令嬢に毒を吐くのでセリィナはつい近寄らないようにしているのだが、このロナウドはセリィナのことを自分の孫のように可愛がっていた。


 それはそれはもう、例のセリィナを襲ったゴロツキを尋問する役目に真っ先に立候補し、これ以上ないくらい残虐非道な目に合わせて生きたまま獣のエサにして……その光景をにこにこしながら見ているのに目が笑っておらず一緒にいる者が卒倒しそうになるほどの殺気を漂わせるくらいにはセリィナを溺愛しているのである。


 いつもならセリィナに悪意を向ける輩などがいたらその刃がセリィナに届く前に消し去っているのに、だけはなぜか反応が遅れてしまった。ほんの一瞬の出来事だったしセリィナは無事に助け出されたが、それは“後悔”と言う名の大きな痼となって今でもロナウドの心にズシリとのし掛かっている。



 だからこそ、2度目は絶対にあってはならない。



 今度こそセリィナを守るためならば、どんなことでもするし悪魔に魂を売ることも厭わないだろう。


 ロナウドは銀縁のモノクルをキラリと輝かせ、今世紀最大にとってもいい笑顔で親指を立てた。


「もう、やっちゃいましょう♪」


 そしてアバーライン公爵は少し温くなったグラスの中身を一気に飲み干すと、こちらも最上の笑顔で返事をしたのだ。


「よぉし、やっちゃうかぁ!」


 ふたりとも極上の笑顔だが、ただならぬ殺気を溢れさせている。本当ならこんな小物伯爵家など相手にするほどでもないのだが、なにぶんセリィナ絡みとなれば話は別だ。それに────。



 アバーライン公爵は別に……もしかしたらセリィナとダンスを踊れるかもなんて期待をしていたのに、デビュタントパーティーのエスコート役をライルに取られて悔しいからどこかに八つ当たりしようだなんて思っていない。


 そう、断じて思っていない。



 ロナウドも、エスコート役が執事でもいいなら幼い頃よりお世話をしていた自分でもありなんじゃないのか?なんて全く考えていないし、それをいくらセリィナの恩人とはいえ新人執事に取られたからって悔しいなんて微塵も思っていない。


 そう、断じて思っていない。



 しかも「セリィナ様のドレスを作りに街へ行ってきます(もちろんデートよ)♡」なんてにっこりドヤ顔で報告してきたライルのムカつくことと言ったら……セリィナが楽しみにしてるんなら許すしかないじゃないかぁ!


 “八つ当たりに最適”。という生贄を手にいれたふたりは、「「ふはははは……」」と不気味に笑うと手紙を粉々に千切った。そして、その夜遅くまでどちらがセリィナとの思い出が多いかを語り合っていたとか。






 セリィナは知らない。自分の婚約者問題がこんな風に握り潰されていた事を。



 数日後、どこぞの伯爵家が(やはり物理的に)消えた。あらゆる方面からの壮大な圧力があったとかなかったとか囁かれたが、その理由を深く詮索するような命知らずはいなかったようだ。







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