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第9話  おねぇ執事の悩み事(ライル視点)


 もぞり。と、ベットの中に侵入者の気配を感じてライルは目を開けた。そしてそっと毛布をめくると、シーツにくるまったセリィナがすやすやと寝息を立てている。



「……あらあら、困った眠り姫様だこと」



 そう言って微笑み、セリィナの髪を優しく撫でる姿は傍から見ればまるで聖母のようであった。







 ***






「今日もを見たのかしら……」


 アタシの寝巻きの裾を握り締めながら眠るセリィナ様の目元には涙の跡があった。きっと叫び声も上げずに声を殺して泣いたに違いない。


 我慢なんてしなくていいのに……。そう思いながら愛おしい少女の目元に残った涙を指先で掬い取った。




 アタシの寝室は、セリィナ様のたっての希望によりセリィナ様の部屋のすぐ隣にある。


 正確には、セリィナ様の部屋の衣装部屋を改装して廊下側にも扉をつけた簡易部屋だ。ベッドとクローゼット、それに小さな机とソファがあるだけの簡素な部屋だがアタシにはそれで充分だった。


 そして当然セリィナ様の部屋とも繋がっているし、その境目には訳あってあえて鍵もつけていない。


 もちろん執事になった最初の頃はちゃんとアタシにも使用人用の部屋が用意されていたのだが、セリィナ様が眠りから目覚める度に泣きながら必死にアタシの姿を探すことを知った旦那様が特別に許してくれたのである。もちろん、ものすごく渋ってはいたけれど。



 セリィナ様は3年前のあの事件の日からよく怖い夢を見ては魘されているようだった。


 あの異様な怖がり方は尋常では無いと思い何度も聞いたが、決して夢の内容は教えてくれない。酷い悪夢のはずなのに頑なに拒否されてしまい、それ以上の無理強いも出来ないでいた。


 けれど、いつも寝言で「殺さないで」と叫んでいる事をアタシは知っている。今でもあの泣きながら青ざめて真っ青になった顔や氷のように冷たくなった指先を初めて見た時の衝撃を忘れることはできなかった。


 そして部屋を改装してからは、そんな夢を見ると必ずアタシの寝床に忍び込んでくるようになってしまったのである。


 いくらまだ子供とはいえ、異性の執事と一緒のベッドで寝るのは貴族令嬢としてどうかと思ってそれとなく注意したことはある。けれどセリィナ様にアタシにしか見せない可愛らしい笑顔で「だって、ライルの側が落ち着くんだもの」なんて言われてしまっては強く反対なんて出来るはずもない。


 セリィナ様にはとことん甘くなってしまうのよね。いざという時は控えないとダメよねぇ。と、一応反省はしてみるが甘やかすのを止めるつもりはもちろんなかった。


「ふふ、可愛い寝顔ね」


 本当なら、セリィナ様を今すぐ起こして自分の部屋へと帰らせなければいけないのだけど……こんなに可愛い寝顔をしているのに起こすなんて到底無理である。


 するとセリィナ様が寝ながらへにゃりと笑った。もう悪夢は見ていないようだと安心していると、むにゃむにゃと口が動いている。耳を澄ましてみると微かに声が聞こえてきたのだ。



「……ライル、大好きぃ…………」



 この少女は、何度アタシを喜ばせれば気が済むのか。本当なら今すぐこの告白の返事をしたいところだが、セリィナ様の眠りを邪魔するつもりはない。アタシはこの場から離れる為にセリィナ様の手から寝巻きの裾を外そうとした。


「……あらまぁ」


 しかしガッチリと握られたその手は緩むことはなく、逆に引っ張られてしまいセリィナ様が頬擦りをしてくる。


 無理に引き剥がしたら絶対に起きちゃうわよねぇ……。


 これはお手上げだと、起こさないように寝巻きを脱ぐと即座にセリィナ様はそれを抱き締めて顔を埋めた。


 あらぁ、さすがに匂いを嗅がれるのは少し恥ずかしいわ。まさかアタシ、臭くないわよね?


 そしてこのまま寝顔を見ていたいのを我慢して、そっとベッドから抜け出してセリィナ様の毛布をかけ直すとソファへと移動するのだった。














 翌朝────日の出と共に起きてセリィナ様を起こさないように身支度をすると、朝の訓練をこなす為に裏庭へと足を進めた。


「ライル」


「!」


 するのといつの間にか執事長であるロナウドさんが背後に立っていたのである。相変わらず全く気配を感じさせないこの老執事はいつもの事ながら神出鬼没だ。アタシの“師匠”でもあるとはいえ、その朗らかな笑顔の下では何を考えているのかなんて教えを請うようになって3年経つが未だにさっぱりわからないでいた。


「ロ、ロナウドさん」


「────油断大敵ですぞ」


 そう言ってロナウドさんがにっこりと目を細めると……瞬時に拳が飛んでくる。


「────っ」


 ギリギリ躱すことが出来た、と思っていたら拳が掠っていたようで執事服の端が切れてしまっていた。


 あまりの速さと、拳の鋭さにゴクリと息を呑み込んでしまう。ほんとにこの人はとことん人間離れしているとしか思えないのだ。


「……まだまだ精進が足りませんな。そんなことではセリィナお嬢様を守りきれませんぞ。今日から訓練の内容を3倍にするように」


「……はぁい」


 そう言ってまたもや“にぃっこり”と笑って立ち去ってしまったが……今のって絶対、殺気が込められていた気がするわ。それにロナウドさんって、なんだかアタシにはやけに厳しい気がするのよねぇ。怖い怖い。


「3倍かぁ……早くやっちゃわないとセリィナ様が起きちゃうわね。ロナウドさんも無茶言うんだからぁ」






 そうしてため息をつきつつ肩を竦めたライルは、素早い動きでロナウドの課した課題をこなしていったのだった。




 アバーライン公爵家の使用人となるには、必ずこの老執事の試験を受けて最低限の合格をもらわないといけない狭き門である。受かったらさらに厳しい新人研修もあるのだが、その研修を最速でクリアしたライルにロナウドは期待しているようだった。


 しかし、期待はしているがセリィナに関することはまた別件である。セリィナが夜な夜なライルの寝床に忍び込んでいる事とか、ライルが特別セリィナに懐かれている事とか……訓練が3倍になったのは決してヤキモチからではないと信じたい。たぶん。



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