陛下がどこまで私に対する公爵家の後ろ盾を加味して今回の事を起こそうとしているかは、分からない。
しかし事実として事を起こせば、兄の公爵家をも軽んじたように周りには見えるし、実際に時戻り後、そういう噂が立ち兄からかなり睨まれた事を私は覚えている。
兄はあの時少なからず、陛下の行いにより自分にも噂の火の粉がかかった事に不機嫌になっていた。
つまり不満があったのだろう。
そしてそれは十中八九、まだ時戻り前と何一つとして変わっていない現状で事前にこの話をした今、彼が抱いている気持ちでもある。
兄は少しの間、難しい顔をしたまま黙っていた。
もしかしたら陛下の行動が正当化できるような理由を、何か探していたのかもしれない。
しかしそんなものはないのだ。
先程彼が私に言った「同伴者がいないなら一人で参加するか、それが嫌なら参加しなければいい」という言葉は、そのまま陛下にも言える事なのだから。
だから、ここで更に燃料を投下する。
「ちなみに側妃様曰く、陛下は『王族が主催する正式な夜会ではないのだし、たまにくらい側妃にも私にエスコートされる権利もあるだろう。周りには、“私は体調不良だったので急遽”と伝えればいい』とお思いだ、との事ですよ」
実際にそう言ったのは、時戻り前の、夜会騒動後の陛下自身だ。
だから今正に同じように思い、実際に聞けばそう言うだろう。
ただしそんなのは、自分たちがしたい事を対外的に正当化するための言い訳でしかない。
しかもかなり粗の多い言い訳である。
私でさえ、「ここまで私を下に見ているとは」と思ったくらいだ。
私より厳しく物事を見る兄にとっては、私以上に「見下されている」と思った事だろう。
そして、だからこそここで再度乞う。
「私はその夜会に、堂々と出席致します。しかし陛下にエスコートされる側妃の傍らで、『誰のエスコートもない可哀想な妃』になるつもりはないのです。ですからお願いに参りましたの。スイズ公爵家の家紋を大事にされている、貴方に」
合理主義な彼が公務においても合理的な仕事を成すために、必要に応じて公爵家の威光を使っている事は、知っている。
私が側妃と比較されてこれ以上侮られるような事があれば、スイズ公爵家に対する周りの目にも伝播する。
そうすれば、彼は公務の最も合理的な片付け方を一つ失う。
そうなりたくなければ、私の行いに協力してほしい。
そう告げたつもりだ。
「……お前は、何を望む」
少しの沈黙の後、兄が私に聞いてきた。
おそらく彼が聞きたいのは、今回の件に対する私の直接的な望みではない。
今回自分の立場を守り、その先に何がしたいのか。
そう聞いているのだと、考えた。
「私はロディスの母になりました。そしてもうすぐ二人目が生まれます。私が守りたいのは、私の『家族』。そのために、今これ以上の力を削がれる訳にはいかないのです」
既に持っていた答えは、滑るようにスラスラと口から出て行く。
おそらく揺るぎようのない思いが、言葉にある程度の説得力を持たせた筈だ。
少なくとも私は自身の言葉に、今までの自分では持ち得なかった程の説得力を感じた。
これを受けて、兄がどのような答えを出すか。
これが私の、真の最後の賭け。
しかしこの賭けを、行き当たりばったりの物にするつもりはない。
「先ほども言いましたが、必ずしも今すぐに回答が欲しいとは言いません。十日以内に返答をいただければと思います」
「十日? 例の夜会は三週間後なのだろう?」
「えぇ。しかしもしお兄様に断られたり、『気にする理由はない』と調査をする事さえなく放っておかれてしまえば、私は同伴者を得られないでしょう? 残り十日程もあれば、別の方にご助力をお願いする時間もあるでしょうから」
暗に「断られたら別のところにも今の話をする」と口にした。
そこが私に助力すれば、万が一今言った事が起きた時に「スイズ公爵家も、陛下の行いを是とした」という事になるだろう。
それがどのように周りから見えるか。
敏い兄である。
私がすべてを成功させた暁には、どれほどの信用損失を招くか、すぐに計算できただろう。
押し黙った兄に、私は満足して一礼をする。
「それではお兄様、本日はお時間を取っていただき、ありがとうございました。よいお返事を期待していますわ」
そう言って、踵を返し部屋を出る。
護衛がすぐ後ろを離れずについてくる中、私は静かにふぅと息を吐いた。
――私、きちんと『強い女』ができていたかしら。
心の端で「終わってみれば、一度話し始めれば意外と途中でお兄様を『怖い』と思うような事はなかったな」などと思いつつ、そんなふうに独り言ちる。
私は親から愛された記憶を持たないけど、社交が得意な母親から、社交の心得は幾つか教えられた。
そのうちの一つが、『交渉事を行う時には、揺ぎなく強い女であるように見せる事』。
背筋を伸ばし、前を見据え、怯まず意志はしっかりと伝える。
躊躇してはならない。
怖がってはならない。
でなければすぐに足元を見られる。
虚勢でも構わない。
堂々としていなさい。
母の声などとうに忘れてしまっているのに、言葉だけは覚えていた。
母に『家族』を求めなくなった今、それを特段嬉しくは思わない。
ただ「母の言葉がこうして役に立つ日が来るとは」と思った一方、「それを初めて明確に『使った』と感じた相手が、まさか実の兄になるとはね」とも思い、何だかそれが可笑しくて、一人クスクスと笑ったのだった。