その後も、メイド、執事、警備兵。さらには家の名誉に傷つかない範囲で、やってきたお客さんの印象も下げるような悪戯や失態を繰り返した。元々のフィオナの評判がいかほどだったかはわからないが、流石にこれだけやれば自分と見合いしたいなんて物好きも減ることだろう。
いくら母がその気であっても、見合いしたいと考える男性がいなくなればどうしようもない。
フィオナがこっそり変装して街に出てみれば、案の定通行人がひそひそと噂している現場に出くわした。
「聞きまして、奥さん?ファイス伯爵家のご令嬢なんですけど……ええ、長女の方じゃなくて、次女の方のね?」
ひそひそひそひそー、と喋っている奥様方は、服が小綺麗なことからして中流階級以上だろう。香辛料の店の前で立ち話をしているくらいなので、多分貴族の奥方ではない。多分。
「何でも、自由奔放すぎて……お見合いが次々破談になっているそうよ」
「カトラさんカトラさん。そんなオブラートに包んだ言い方する必要なんかないわ。あたし見たんだから、あのお嬢様の酷い振る舞い。執事の一人に無理難題を言いつけて、落とし穴に落として遊んでたのよ?しかも、その落とし穴にはメイドたちに徹夜で掘らせたって」
「まあ、あそこのお嬢様、召使いの方々と仲が悪かったの?」
「悪かったっていうより、一方的に虐めてるって感じだったわ。別の日には、メイドの女の子がずぶ濡れで窓の前に立たされててね?そこで、ひたすら反省させられてたのよ。ごめんなさいを一万回言うまで許さない!なんて。暖かい日だっから、そうそう風邪はひかなかったでしょうけど」
「それは、いくら身分が低い子たち相手でも、趣味が悪いわね……」
「でしょでしょ?で、お見合いでも評判が最悪なの。ご令嬢の風上にもおけないはしたなさ!スカートまくりあげて木に登って、お見合い相手の頭の上から毛虫を降らせて笑ってたんですって!」
「け、毛虫っ!?」
「あとは、料理をご馳走するとか言って激辛スパイスの激マズ料理をお見合い相手にむりやり食べさせた!とか。個人的な趣味をつつきまくって笑いものにした、とか。それから、他にもいろいろ酷いことをしたんですって。私が聞いた範囲では……」
なかなかいい具合に噂が独り歩きしている。一部は事実だが、その一部にもうまいこと尾ひれがついて回っているようだ。
ちなみにキャンディを窓の前に立たせてごめんなさいを繰り返させたのは事実だが、水をぶっかけたのはフィオナではない。この方が信憑性あると思うので!と言いながらキャンディ自身がザバーンとやってみせたのだ。
――というか、激マズ料理は余計だっつの!ちょ、ちょっと砂糖と塩を間違えた上、黒焦げの炭を錬成しただけよ!
まあいい、悪い方向にどんどん話が大きくなるなら好都合。フィオナなすすすすす、と御婦人たちの方へ近づいていった。今の自分は変装もばっちり。実年齢よりだいぶ年上に見えるはずだ。濃い化粧をしすぎて、若干顔が痒いが。
「ファイス家のお嬢様の悪評は、それだけではごさいませんことよ!」
「あ、あら?貴女は……」
「ちょっとした通りすがりの者ですわ。ええ、本当にたまたま通りがかっただけですの」
若干低く、濁った声を作りながらおほほほほ、と笑う。そこそこの年の子供がいてもおかしく無いメイクをしてくれ、とキャンディに頼んだのだ。髪型もオバサン臭くまとめてもらったし、多分通用するだろう。
「うちの可愛い可愛い坊っちゃんともお見合いをしたんですけど、あの性悪女ときたら本当に腹が立つのでございますの!うちのお坊ちゃんが小柄で華奢なことを挙げ連ねてやれ草食系だの貧弱だの。しまいには、自分と格闘の模擬戦をやって勝てたらいいぞとか言いだして、うちの可愛い子を投げ飛ばしたんですのよ!」
「え、えええ?まがりなりにも、伯爵家のお嬢様が?」
「ええ、伯爵家のお嬢様が、ですの!そして怪我をしたうちの坊っちゃんは、心にも傷を負って……うう、ううっ」
「ああ、なんてお気の毒なの。泣かないで頂戴……!」
本気で心配してくれる様子の奥様方。ちょっと申し訳ないと思いつつ、自分の演技力も様になってきたじゃない、と心の中で舌を出す。
この調子なら、貴族たちの方にも噂が巡って、お見合いの申込みが来なくなるのも近いことだろう。計画は順調にいっている。少なくとも、今のところは。
***
季節が過ぎ、段々と母も諦めてきたのか、フィオナに苦言を呈することも少なくなってきた。いい調子いい調子、とフィオナは拳を握る。
自室で机に向かい、書いているのはエメリーへの手紙だ。
『悪評は、そっちにも聞こえてきているかしら?ちょーっと不名誉な尾ひれの付き方もしている話があるけど、この際諦めることにするわ』
最近は、手紙にイラストを添付することが増えている。
前々からちょっとした落書きくらいは書いていたが、ここのところはそれを超えて一枚のポストカードのようなものを同封するようになったのだ。
まだまだ、色鉛筆画には慣れていない。子供の頃から扱っていたはずなのに、実際これほどまでに上級者向けのツールもないのだ。
『エメリーの方はどう?うまくやってる?あんた達のことだから、我慢出来ないからって変なところでイチャついてないか心配だわ。お見合いを上手く断るのも大切だけれど、あんたとヒューイの関係が周囲にバレないようにするのも大切なんですからね!』
本格的な絵はまだ描けないが、漫画のようなデフォルメイラストならだいぶ上達したように思う。
ぷんすこ!と怒っているドレス姿の女性はフィオナで、その女性からスタコラサッサと逃げているのがエメリーだ。今でこそ幼い頃より体が丈夫になったエメリーだが、それでも体力や身体能力ならまだまだフィオナの方が上だろう。彼は頭こそいいが体格が華奢であるし、何より運動より本を読んでいる方が好きという気質は何も変わっていない。
いざという時は、彼もパートナーを守る覚悟が必要であるはずなのだが。その時のために体を鍛える、ということはちゃんとやっているのやら。
『先日、教会でまた……背教者とされた者達が処刑されたみたいなの。毎回、悪魔祓いの方法は違うようだけれど、やり方が酷いことには変わらないわ』
そこまで書いたところで、はぁ、とフィオナはため息をついて少しだけ筆を止めた。万年筆のインクが少しだけ滲んでしまう。
思い出してしまったからだ、凄惨な光景を。
悪魔祓いの儀式は、基本的になるべく見物しに来るようにと言われている。理由は単純明快、ギャラリーが多ければ多いほど見せしめとしての効果があるからだ。
そのせいで、フィオナやエメリーも、幼い頃から見たくもないものを見せつけられているのである。
先日『観劇』させられたのは、男性二人の『背教者』だった。彼らはなんと、その場で全裸に剝かれてセックスを強要されたのだ。そして、恋人としてのプライベートな行為を見世物にされた挙げ句、選ばれた一部の観客たちに石を投げられ罵倒させられたのである。それが神父の命令だったからだ。彼等はセックスをさせられながら投げられる石に傷つき、生まれてきたことさえ否定されるような罵詈雑言の数々に涙していた。
最後は――ああ、悲しすぎて思い出したくもない。二人はキスをして、どちらも舌を噛み切って死んだのだから。
普通はそんな光景を見たら心が痛むものだろう。しかし、神父が言った言葉はひとつのみ。『彼等は悪魔に屈してしまった』。自分が追い詰めて殺したことさえ認めない、その自覚も罪悪感もない。思い込みの正義ほど、この世に恐ろしいものはないのだと悟った瞬間だったのである。
『私も戦うから、貴方も負けないで』
瞼の裏に焼き付いた残像を振り払うように、フィオナは文字を綴った。
『私達は何も間違ってなんかない。ただ愛するべき人を愛しただけなんだから』
コンコン、とノックの音がした。夜も遅い時間。この時間に自分の部屋を訪れてくる人物など限られている。
誰?と尋ねれば。案の定、キャンディの「私です」という愛らしい声がした。
「紅茶をお持ちしました」
「ありがとう、入って」
ガチャリ、とノブが回る。夜とはいえ、主と接している間は仕事着を脱がないのが彼女達だ。キャンディは今日も、ぱりっとアイロンがかかったメイド服姿で佇んでいる。お盆の上に、紅茶のカップと茶菓子の皿を載せて。
「あら素敵。美味しそうじゃない」
フィオナは喜びの声を上げた。
「このベリーの甘い香り……さては、フランチ堂のクッキーね?いつ買ったのよ」
「今日の午後に。ですが、おやつの時間に間に合わなかった上、今日はお夕食が豪華でしたから。フィオナ……も、お腹はあまりすいていないだろうと思いまして、お夜食に取っておいたんです」
「ふふーん、そこでデブになるから夜食なんて駄目、って言わないのが貴女の素敵なところよ、キャンディ」
「当然です。ここでお嬢様の許可を取れば、私も食べさせて貰えるわけですからね。フランチ堂のクッキー、ベリー味のは特に大好物なんです」
「そういう強かなところがいいわよ、うふふ」
「お褒めに預かり光栄です」
二人きりの時は、できる限りフィオナと呼び捨てにしてくれと頼んでいる。が、そこはそれ、染み付いた癖というのは簡単に抜けないものだ。時折『お嬢様』になってしまったり様付けになってしまうこともあるものの、それもまた愛嬌というものである。
初めて出会った時と比べると、キャンディは見違えるほどふっくらと可愛らしい娘になったと思う。
それに、オドオドした態度も消え失せた。最初の頃は、失敗していつ孤児院に追い返されるかと恐れていた様子であったというのに。
――人は、変わるものね。どれほど苦しい過去を抱えていても、癒えない傷があったとしても。
今までも、これからも。そんな彼女を自分は助け、守り続けていきたい。そのためには彼女の側に居続けることが重要だ。
何が何でも、お見合いを回避し続けなければ。例え、己がどれほど悪女だと馬鹿にされ、嫌われる結果になったとしても。
「……お嬢様」
部屋の丸テーブルにお盆を置いて、キャンディは口を開いたのだった。
「今夜お夜食をお持ちしたのは、ゆっくりお話ししたかったからもあるんです」
「なぁに、改まって」
「その、何か大きな告白があるとかではないんですが」
キャンディは少しだけ目を伏せて、フィオナに告げる。
「少しだけお時間、よろしいですか?私の偽らざる本音を聞いて頂きたいのです」