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<13・Beautiful>

 紅茶なんて誰が入れても同じでしょ、という人もいる。人の味覚なんてそれぞれで、極端に下手な人が入れた紅茶でなければどれも同じように感じるというのもわからないではない。実際、フィオナもそこまで造詣が深いわけではない。

 それでもだ。キャンディが入れてくれる紅茶はいつも「美味しい」と思うのである。それはきっと、彼女がたっぷりと愛をこめてお茶を入れてくれるからなのだろう。コーヒーであっても、それ以外の飲み物でも同じ。――ちょっとした所作に、料理に、その人の心は確実に現れる。相手を大切に思う気持ちが伝わってくるものなのではなかろうか。


「……私」


 小さな丸テーブルの正面に座り、キャンディが口を開く。


「今、本当に自分は幸せだなあって思うんです。孤児院にいた頃には、考えることさえできませんでした。こんな風に誰かを愛して、誰かのために尽くしたいと思える日が来るなんて。私みたいな、自分勝手な人間でもって」

「それは、貴女が悪いんじゃないわ。人の尊厳を踏みにじるような連中の元にいたんだもの、生きることに必死になって当然よ」

「ありがとうございます。……でも、幸せになればなるほど、あの頃の自分がいかに愚かなことをしていたのかを思い知らされるんです。償いは、やっぱりしなくちゃいけないって」

「償い?」

「はい」


 ふう、と。

 手に持った紅茶を冷ましながら、彼女は続ける。


「私は、クリシアナ教の信者ではありません。でも、孤児院の先生たちは違っていました。もちろん、まともな信者の人達もこの世にはいると知っています。でも、私がいたところの先生たちは……教えを、いいように利用するひとたちばっかりで」

「というと?」

「同性愛者だとバレて、酷い目に遭う子もいたんです。お嬢様は気づいてらっしゃらないかもしれませんが、世の中には同性愛者はけして少ないものではないのですよ。ある国の調査によると、全体の一割が同性愛者なんだとか」


 一割。

 フィオナは目を丸くした。今まで、自分とキャンディ、エメリーとヒューイ以外に同性愛者と思われる人間を見たことがなかったからである。十人に一人なんて、結構な確率だ。そんなに数がいるだなんて思ってもみなかった。

 が、よくよく考えれば納得のいく話ではある。なんせ、教会では定期的に『悪魔祓い』が行われている。同性愛者が発見されるからこそ、あの儀式は成立しているのだ。みんな、バレたら殺されると思っているから黙っているだけ。実際は、フィオナが思っているよりずっと隠れている人達はたくさんいるのかもしれない。


「自分達のストレス発散に、同性愛者だとわかった子たちを利用するんです。彼らは教えに反している、神様を冒涜している。だから、悪魔祓いという名目なら、何をしても許されると思っているんです。確かに教会がやっている悪魔祓いもけして真っ当な手段ではありませんが、あの方々は神父様の資格を持っています。宗教的には、一応の意味があるのでしょう。でも、孤児院の先生たちはそれさえない。自分達で悪魔祓いをしてやるといいながら、実質やっていたのはただのウサ晴らしで……」


 キャンディの手が、小さく震えている。カタカタ、と微かな音と共に紅茶の水面が波打った。

 恐らくは、その当時の恐怖を思い出してしまったのだろう。


「クリシアナ教の宗教的儀式の一つに、聖バレンシアデーというのがありますのはご存知ですよね?女の子が、自分が将来お婿さんにしてほしい男の子に、お菓子を渡すという日です。あくまで気になっていますよアピールをするくらいの儀式なんですが……同性愛者にとっては、これが耐えがたいものである場合もあります。なんせ、自分が異性愛者だとアピールをするようなものなんですから。フィオナ様は、どうやって乗り切ってました?」

「あー、私はいつもてきとーにエメリーにお菓子渡してお茶を濁してたわ。あれって、今好きな人がいないなら、一番親しい異性に送ればいいって解釈してたから。家族もみんな、エメリーに渡すってなら余計な勘繰りしないで済んだしね、幼馴染だし」

「なるほど、そうなんですね。……でも、そうやって割り切れない女の子が、私がいた孤児院にはいて。……というのも、子供同士だけれど……半ば付き合っている、みたいな関係になっている女の子たちもいて。相手のことを裏切れないって思ったからだと思うんです。だから」


 悔し気に目を伏せる、キャンディ。


「そのお菓子を、渡すことを拒んでしまったんです、その子たちは。……先生たちは、誰が誰にお菓子を渡したのかを把握していました。女の子の数と、男の子に渡ったお菓子の数があわないことに気付いて怒ったんです。多分、元々彼女たちの様子がおかしいということには気づいていたんでしょう。まだ十二歳の女の子二人は先生たちに捕まって、悪魔祓い、を受けさせられたんです」


 何が起きたのか、想像できてしまった。というのも、教会で行われる悪魔祓いの儀式というのは、己のあるべき性を見つめ直すという名目がある。ゆえに、性的暴行に至ることが少なくないのだ。特に女子は、性器に傷をつけられるような悲惨な目に遭うことが多いと知っている。


「彼女たちは全裸で逆さづりにされて。……何度も何度も、血まみれになるほど股間を鞭で打たれました」

「そ、それは……」

「ものすごく、ものすごく痛かったと思います。助けて、痛い、やめて、ごめんなさい。彼女達は何度も何度も繰り返していました。でも、先生達はやめなくて……片方の女の子はあまりの痛みにショック死を……」

「貴女は、それを見ていたのね」

「……はい」


 私、最低なんです。

 キャンディは、吐き捨てるように言った。


「当時私は自分が同性愛者かどうかなんて考えることもできませんでした。ただ、疑われたら実際は違っても……同じ目に遭わされるのは明白で。彼女達を庇ったら自分のことも同類だと思われると思って……あの子たちを、助けなかったんです。そして、そういう出来事がこれ以外に何度も、何度もあって……」

「それは」


 フィオナはそっと、彼女の細い肩を抱き寄せる。


「それは、本当につらかったわね。今まで、一人で抱え込んでいたのね……」


 よく話してくれたものだ、と思う。それを話してもいいと思えるほど、自分が信頼してもらえているということなのだろうか。

 彼女の背中をさすっていると、段々とその震えが収まってきた。もう何年も前のことであるはずなのに、心に刻まれた傷というのは簡単には消せないものだ。彼女自身が怪我をしたわけではなくとも、その悲惨な光景を見せつけられただけで十分心が血を流すに足る出来事であったことだろう。


「……だから、私は今当事者として……少しでも、同じように迫害される人達を助けたいと思っています。同時に、この苦しみに寄り添ってくれるフィオナ様を、生きている限りお支えしたいとも」

「キャンディ……」

「お嬢様は、立派です。誰かを悪役にするのではなく、自分を悪役にすることで目的を達成しようとしている。私を、私との愛を守ろうとして下さる。私もお嬢様のためならばと、今日まで様々なお芝居にお付き合いさせていただきました。お嬢様と、ちょっとした演劇でもしているようで楽しくなっていたのも事実です。でも」


 じわり、と。

 彼女の目に涙が浮かぶ。


「最近、本当にこれでいいのかどうかと思うようになってしまって。お嬢様の目的のためだし、お嬢様のためになることだし、お嬢様が望んでいることではあるけれど。でも最近、お買い物に行くたびに、お嬢様の悪評を聴くんです。そういうふうに仕組んだって、それがお見合いの申し込みを減らすために有用だってわかっています、でも……」


 バッ、と顔を上げる彼女。目じりに、宝石のような涙が光っている。不謹慎ながら、奇麗だ、とついつい見惚れてしまった。

 どうしてだろう。キャンディにはいつも笑っていてほしいと思うのに。どんな顔をしていても嬉しいと思ってしまう、そんな矛盾した感情をも抱えているのは。

 その顔を見られるのは、自分だけ。

 醜い独占欲なのかもしれない、それでも。


「でも!お嬢様は本当はとても優しい人です。身分なんて関係なく、私達召使いに友達や家族のように付き合ってくださいます。屋敷の外に出た時もそう。明らかに庶民のものとわかる落とし物を届けたり、木の上に引っ掛かった子供の風船を取ってあげたり、暴漢に絡まれている女の子を助けたり。そういうことを、息をするようにできる方であると私達は知っています!なのに、なのに町の皆さんは最近、お嬢様をまるで魔女のように言うんです!」

「そういう風に仕組んだのは私よ。貴女が気に病む必要はないわ」

「わかっています。わかっているんです、その方が好都合だってことは。わかっているのに……割り切れない自分が嫌で、たまらなく嫌で。お嬢様が本当はどれほど優しく、親切な方なのかも知らないくせにと……見知らぬ人たちに怒鳴ってしまいそうになるんです。それは、お嬢様の計画を台無しにする行為だとわかっていながら……!」


 ああ、この子はなんて、なんて心が美しいのか。

 フィオナは感動で胸が震えた。いや、全身に沸き起こるこの感情を、果たして感動だなんて陳腐な言葉で表現していいものか。

 そう、言うなれば――今すぐキスがしたい。

 自分は貴女が大好きなのよと、とにかく一番具体的な方法で示したい。あるいは抱きしめて、ベッドの中に連れ込んでしまいたい。単なる情欲ではなく、想いを伝える手段として。


「……キャンディ」


 紅茶の匂いがするかも。クッキーの欠片がついてるかも。ギリギリそれくらいは考えることができて、フィオナはキスを断念した。その代わり、めいっぱい彼女の体を抱き寄せることにする。慌てて紅茶のカップをキャンディが置く音がした。ちょっと零れてしまっていたら申し訳ないと思う。


「お、お嬢様!?」

「名前、呼んで」

「え」

「いいから。今、呼んで欲しいの。私も呼ぶわ。いつでもどこでも、貴女の名前を世界で一番大好きな人の名前を。キャンディ。愛しいキャンディ。貴女のような人が、そこまで私を想ってくれていること。私は心の底から誇りに思う。……ええ、このような幸せが享受できるんですもの、第三者の悪評なんて、塵芥ほども気にならないわ。本当の私のことは、私が大好きなひとたちが分かってくれていれば満足なんだもの」


 悪役令嬢なんて、ちっとも辛くない。

 いや、むしろ。どんなライトノベルや漫画の悪役令嬢だって、自分ほど幸せであることなどないだろうと確信できる。愛する人に誤解もされていない、断罪もされない、誰より傍に寄り添ってくれる。これ以上望んだらむしろ、バチが当たるというものだ。


「優しい貴女を苦しめてしまって、ごめんなさいね。でももう少し協力して頂戴、キャンディ。……多分あと少しで、他の貴族の方々も諦めるし、お母さまも諦められることでしょう。私みたいな女に、お見合いをさせるなんて不可能だってこと」

「フィオ、ナ……」

「他の男なんかを婿に貰うくらいなら。魔女だの悪役令嬢だのと呼ばれて生きた方が万倍マシだわ。それが、私の決意」


 そう、フィオナの計画は確かに順調だった。お見合いの申し込みは目に見えて減り、フィオナが十八になる頃にはほぼ皆無といっていいような状態になっていたのだから。

 母もきっと諦めただろうと、そう信じていた。でも。


「フィオナ。話があるのだけれど」


 ある日、両親に呼び出されてフィオナは思い知らされることになるのである。己の考えが甘かったのだという事実に。


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