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<14・Coercion>

 それは、フィオナの十八歳の誕生日がきてすぐのこと。

 十八歳とは、この国で結婚できるとされている最低年齢である。貴族ならば、この年齢になる前から婚約者が決まっていてもなんらおかしくない。そして十八歳になると同時に籍を入れるということも。

 無論、結婚相手さえ決まっていれば焦る必要もないので、実際は二十歳まで待ってから婚約する方が一般的ではあるのだが。


「あのね、フィオナ。フィオナが結婚について、ものすごく拘りを持っているということはお母様もわかってきたつもりなの」


 応接室でフィオナの前に座る母親は、少々疲れた顔でそう切り出してきた。母もそうだし、父もやや顔色が悪い。流石にフィオナも反省せざるをえなかった。彼らが疲弊している原因が自分の悪評にあるだろうということは想像がついていたからだ。

 正直、すっかり頭から抜け落ちていた。自分の評判が悪いと、両親や姉にも迷惑がかかるだろう、ということは。母はそれでも、娘が結婚相手に凄くプライドの高い拘りがある、ということでどうにか飲み込んでくれていたようだが。


「確かに、結婚って一生のものだもの。私も、できることならフィオナが一番愛せる人に夫になってほしいとは思うわ。貴女は私達の自慢の娘だもの。できれば、ありのままの自由な貴女を受け入れてくれる人であってほしいし、きっとその方がフィオナも幸せになれることでしょう。でもね。……女性が元気に、健康に子供を産める期間というのは、そう長くないものなの。だから私も、できるだけ早く貴女には結婚して子供を産んでほしくって、ね?」

「世の中には、簡単に子供が作れない夫婦もいるからな」


 母の隣で、父も口を挟む。


「精子が足りない病気や、子供を育てにくい体の女性もいる。そういった場合は、早めにお医者さんに行って適切な指導や治療をしてもらった方がいいのだ。それが長期に渡れば当然、子供を産むに適切な年齢を過ぎてしまうことにもなる。だから、出来ることならばフィオナも理解して、ある程度妥協もしてほしいというのが本音なんだ」


 けして嫌いな両親ではない。しかし、やっぱりその発想なんだな、と思うとフィオナはがっかりしてしまう。クリシアナ教の敬虔な信者たちはみんなそうなのだ。子供を作ることこそ、至上の喜びであり、神への最大の報恩だと信じているのである。


「……お父様、お母様」


 これは、一度きちんと話しておくべきことだっただろう。フィオナは頭痛を覚えつつも、自分の意見を述べることにした。


「お二人の考えは存じておりますわ。でも、果たして子供を産むことが本当に、女性にとって至上の喜びなのでしょうか?私は何度もニュースで聞いて知ってます。子供を捨ててしまう親の話、子供を虐待する親の話。無論、そのような時子供達に罪はありません。しかし、本当に子供を作ることを全ての人が幸福と感じられるのならば、このような悲劇は起きないのではないでしょうか?キャンディたちのように、孤児となり、劣悪な孤児院に預けられる者達はいないのではないでしょうか?」

「フィオナ、それはね、神様の恩恵を理解できない人がいるからで……」

「クリシアナ教の考えを否定はしません。しかしお母様、この国では宗教の自由を保障していますわ。クリシアナ教を信じていない人にとっては、子供を作ることは神様への報恩でもなければ義務でもないのです。それより他に幸せがあるのなら、それを追求する権利もまた認められているはずです。子供を捨てたり虐待する夫婦になるくらいならば、子供など作らない方がはるかにまともな選択ではございませんか?」

「フィオナはそんなことなんてしない。子供をきっと可愛いと思うし、愛することもできるはずよ」


 その確信は一体どこからくるのだろう、自分がメイドたちを虐めている現場を見ているのに――と考えてフィオナは気づく。

 母の手が、かすかにふるえている。彼女は確信しているのではなく、確信が欲しいのだ。否、フィオナが『子供を産み育てることを幸福と考えられる、普通の女性』であってほしいと願っている。それができないのであれば、彼女の神様の教えと矛盾してしまうから。神様の教えに背く人間に、フィオナがなってしまいかねないから。

 無論、かつては彼女もそんなフィオナの生き方を肯定してくれていたはずだ。姉が子供を作ってくれるのならば、この家の血が絶えることはないのだから、と。災害で人がたくさん死ぬのを目の当たりにして、余計な不安を抱いてしまうまでは。


「お母様、私は……私は子供を、愛することができる自信がございません」


 ゆえにフィオナは。同性愛者であると告白することはできずとも、その一歩手前の本音までは語ろうと決めたのである。


「私は、誰かのための人生ではなく、自分のための人生を行きたい。結婚して子供ができても、きっと私はそんな自分の願望を抑えきれないでしょう。きっと夫も子供も蔑ろにする、駄目な母親になってしまう。家族を不幸にしてしまう。……そのような人間は、子供など作ってはいけないのです。父親と母親になる資格を持つのは、自分の人生よりも子供を優先し、守り育てていく覚悟を決めた者だけなのです。私には、その資格がありませんわ」

「ふぃ、フィオナ!でも……」

「私は前々から申し上げております。それでも……それでもなお結婚したいと思える人が現れなければ、結婚する気にはなれないと。自分の人生よりこの人の人生を守りたいと思えるほどの男性でなければ、私は結婚はしないと。何故なら、お父様とお母様の目的は正確には結婚ではなく、結婚の先にある子作りと子育てであるから」


 本当に愛する人でなければ、結婚さえしたくはないというのに。

 その先に待つのは、もっと生々しく、苦しみと痛みを伴う行為だ。好きでもなんでもない存在と生まれたままの姿でベッドに入り、女としての自分を暴かれる。その挙句、その相手の種を腹に宿すなど、想像するだけでおぞましいことではないか。

 しかも、出産は死ぬことさえりうるほどの痛みを伴う。子供を産んだあとは、眠る間も惜しむような子育てが始まる。赤ん坊の時期が過ぎたって、そのあとも間人間に育てるために死ぬまで苦労が続くのだ。そのような苦行、己には到底耐えられるものではない。

 自分にはできたんだから、と母は言うのだろう。

 苦しいこともあったけれどそれ以上の幸福があったのだから、きっと貴女にもわかるようになるわ、と。でも。


――それは、貴女が……異性愛者として生まれたからなのよ。


 フィオナは膝の上で、拳を握る。


――圧倒的多数。クリシアナ教に認められた愛を持つ者。その時点で……私とお母様は、何も平等なんかじゃない。同じスタート地点なんかに立っていないのよ。


 誰もに認められる『普通』に生まれることができた者になど。

 自分の本当の苦しみが、わかるはずもないわけで。


「お父様とお母様がクリシアナ教を信じ、神様の教えを守りたいと思うのは自由です。でも、私はクリシアナ教の信者ではありません。洗礼を受けるつもりもありません。お二人に付き合って教会に足を運ぶことがあってもいいですが、それだけです。……その教えの通りに生きる義務を、私は負いません。お母様が、子供がたくさんいないと不安という気持ちも理解できますが、結婚は御姉様がして下さると約束してくれています。どうか、それで納得していただけませんか」


 それに、とフィオナは続ける。


「元よりもう、私のような女と結婚したいなんて奇特な殿方はどこにもいらっしゃらないことでしょう?私も、自分がなんて言われているのかくらい理解していますの。……ええ、ここ数年ずっとイライラしていたのは認めます。どうしてもやりたくないお見合いを強制されて、召使の皆さんに八つ当たりしていた自覚はありますの。お二人が私の結婚を諦めてくださるのなら、きっとこのイライラも収まることでしょう」

「……お前の言いたいことはわかった。だが、お前はさっきこうも言ったはずだ。『それでもなお結婚したいと思える人が現れなければ、結婚する気にはなれない。自分の人生よりこの人の人生を守りたいと思えるほどの男性でなければ、私は結婚はしない』と。裏を返せば、お前のお眼鏡にかなう男とならば結婚していいということだ、そうだな?」


 おいおい、とフィオナは父の言葉に少しばかり呆れてしまう。

 かなりストレートに『結婚は嫌だし、お前らが諦めてくれれば悪評も収まるように努力するぞ』と伝えたつもりだというのに。まさかこれでもまだ、フィオナがイエスと言ってくれる目があるとでも思っているのか。

 確かに父の言う通り自分が望む男がいれば的なことは言ったが――いい加減、それが方便であると気づいてもよさそうなところなのだが。今までお見合いした男性たちだって、けして家柄が性格、見目が悪い者達ではなかったのだから。


「……そのような男など、おりませんわ。いなかったから、今の今までお見合いが成立していないのだと思いますけど?」


 少しばかり苛立った調子で言えば、そんなことはない!と父は少しだけ口調を強めた。


「ただ一人、お前と一緒になるに相応しい男がいるではないか。そうだ、いつかのお見合いでお前、母さんに言ったそうだな?ファイス家と同じくらい経済的に栄えている家で、武術の心得があり、自分と同じくらいの美貌があればいいと」


 ああ、確かにいつかのお見合いでそんなことも言った。言ったがそれもようは適当な言い訳というやつで。


「ま、まさか」


 さすがのフィオナも想像がついてしまった。父が、一体誰の事を言っているのか。誰と結婚すればいいと、提案しようとしているのか。


「お前が唯一、心を許している男性だ。セブン伯爵家の、エメリー。彼も、なかなかお見合いが成功しなくて困っているという。まるで家族のような付き合いをしてきた家だし、互いに相談をすることも多くてなあ。私が『友人として長らく親しくしている二人ならお似合いではないのか』という話をしたら、向こうの両親も乗り気でなあ」

「え」

「そうそう。よくよく考えてみれば、セブン家ならば我が家とも最も釣り合うじゃないか。そして、エメリーは武術より勉強が得意ではあるが、それでも銃の腕前で言うならばお前よりも上だと聞いている。自分の身くらいは自分で守ることもできよう。きっとお前を守ることも」

「え」

「その上、なんといってもあの美貌。うむ、私が女性だったならば、あれほどの男性に傍にいて貰えるというだけで舞い上がってしまいそうだなあ!」

「もう、嫌だわ貴方ったら」

「ははははは!お前だって、彼がフィオナの夫になってくれるのならば、何も心配いらないと言っていたではないか」

「え、ええええええええええええええええええええええええええ!?」


 いや、いや、いや。そうだ、そもそもどうして自分は、この展開を予想していなかったのか。フィオナは頭を抱えるしかなかった。

 そう、自分達は頻繁に手紙のやり取りもしているし、お互いの家に遊びに行くことが未だに少なくない。それは他愛のない雑談のためだったり、これからの相談のためだったりもするが。幼い頃から今まで、親しい間柄であることは否定しようがないのだ。

 その二人が、どっちもお見合いを拒否って失敗を続けている。

 ならば、この二人でくっつければいいんじゃないか、と両親が考え始めるのも時間の問題であったわけで。


――どどどどどど、どうしようっ!?


 今までで一番、断りづらい相手が来てしまった。そりゃ、相手もこのお見合いに乗り気ではないはずなので、やめる方向に持っていくとなれば協力はしてくれるだろうが。

 しかし、今までずっと仲良くしていたはずの男が、フィオナのちょっとした行動でドン引くというのもおかしなことであるわけで。


「どうなんだ、フィオナ!エメリーと、お見合いをしてみないか」

「そ、そそそそ、それはっ」


 気分はまるで、ラブコメ小説の主人公。

 冷や汗だらだらで言葉に詰まるフィオナなのだった。


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