エメリーが使用人たちを大切に思い、階級よりも人の実力や情を優先する人間であることは誰もが知るところである。そもそも、階級でとやかく言う人物ならば、元孤児の執事であるヒューイと恋仲になろうはずがないのだ。
彼がフィオナとの婚約破棄を決めるのは、フィオナが己のストレス発散のはけ口に使用人たちを使っていた、というのが確定的になったから。
フィオナやキャンディの態度を不審に思った彼が調査を行い、その具体的な証拠となる写真の入手に成功したから――と、こういうシナリオになる。
つまり、虐めている現場は、フィオナたちが自ら作り出さないといけないわけだ。そして、上手に写真を撮影して、こっそりとヒューイに渡そうというわけである。
「露骨に殴っていたりすると、実際に怪我をしていないってんであっさりバレそうなのよね」
だから、とフィオナは屋敷の裏手で、カバンを掲げて言う。
「こういうものを用意してもらったんだけど、どう?絵具一式」
「それで、お嬢様が私達に悪戯をしているように見せかける、と?」
「そうそう。このタイプは洗濯とお風呂で簡単に落ちるのよ。私があんたに絵具をぶっかけた場面を激写してもらう、というのはどうかと思って。ほら、インパクトも大きいでしょう?」
「なるほど……」
最終的に、写真は婚約破棄を行う誕生日パーティで盛大にばらまかれることになる。その時、よりインパクトのある写真であった方が説得力も増すのではなかろうか。
それこそ、メイドの女の子がフィオナに絵具をぶっかけられて泣いている、なんていかにもいじめっぽい光景である。
「あんたが嫌ならやめるけど、どうする?替えの服は用意するけど、下着まで汚れちゃうかもだし……」
もちろんこれは、キャンディや他のみんなが協力してくれてナンボの作戦だ。少しでもキャンディが嫌だと言ったら、フィオナはこの方法はナシにするつもりだった。彼女が本気で嫌がることなど絶対にしたくない。それでも強行したら、それは本物のいじめになりかねないのだから。
「いえ、問題ないです。ただ……」
キャンディは少しだけ悩んで言う。
「今まで、お嬢様の『いじめ』に付き合うの、私が圧倒的に多いのですよね。その、変ではありませんか?」
「ああ、それは意図的よ。……万が一私が同性愛者だと疑われても、アンタだけは違うって思わせてたいの。特に念入りに虐めていたメイドと恋仲であるはずがないって。……でも、それが逆にわざとらしいかしら?」
「い、いえ、そんなことはありません!お嬢様が私のことを心配してくださってのことでしたら、全然……!」
ぶんぶんぶんぶん!とおさげにまとめた赤髪が揺れるほど首を横に振るキャンディ。彼女も十六歳。明らかに、出会った時よりも可愛らしくなったと思う。それが、この屋敷に来て彼女なりに幸せであったから、であればいいのだが。
作戦は何が何でも成功させる、そのつもりでいる。
でも、万が一ということもどうしても考えてしまうのだ。フィオナとエメリーが、本当はどっちも互いを嫌ってなどいなくて、お互い了承の上で婚約破棄を演じたことがバレたら。
そしてそれが、どちらも同性愛者であるから、という理由であると露呈してしまったら。
必ず、お互いのパートナー探しが始まってしまうだろう。無論、同性愛者だからといってその時点で必ずしも恋仲の相手がいるとは限らないが、多くの人は「他に好きな人がいるからこそ結婚を拒むのでは」という発想に至ってしまうものだと知っている。だからこそ。
「ただ、その。……私一人に絵具をかけているより、こう、数名の使用人を屋外に正座で並べて、そこに順番に絵具をかけていくっていう方向の方が説得力が増すかと思いまして」
こう、とキャンディは屋敷の壁に沿うようにジェスチャーをする。ちなみに、この裏手の場所は元々花壇があったところである。数年前まではアカイロコンという赤い花が綺麗に咲いていた場所だったのだが、虫が大量発生して全滅してしまったという経緯があるのだ。
殺虫剤を大量に撒いた影響もあって、そのままこの花壇は放置されてしまっているのである。浄化剤は撒いているものの、土壌から成分が抜けるまではかなり時間がかかると聞いている。
ここを絵具ぶっかけの現場に選んだ理由は、室内と違って簡単に洗い流せるからというのが大きい。花壇に水をやるための水道、ホースがすぐ近くに用意されているのだ。絵具を地面にぶちまけても、そのまま水で洗い流すことができるという寸法である。
「屋外であることの理由、っていうのも大事だと思うんです。私達からすると、お屋敷のカーペットを汚さないために、ではあるんですが。『虐めを行う悪役令嬢』がそこまで考るのって少し不自然でしょう?どっちかといえば、汚れた分も使用人に掃除させそうな気がして」
「確かに、それは言えているわね。……なるほど、罰で屋外の地面に並んで正座させられる、そして絵具をぶっかけられて放置されている……って図にするわけか。確かにその方が説得力ありそう」
よし、とフィオナはカバンを置いて、近くで作業していた別の使用人を三人ほど呼んでくる。
執事のレナード、執事見習の少年クラウス、それからメイドのエミリーとレイチェルだ。
彼らにも今まで何度か『悪戯』の協力を頼んでいる。フィオナが同性愛者だと知っているのはキャンディだが、結婚を嫌がっているというのはみんなわかっているから頼みに応じてくれるのだ。流石に最近は悪評が高まりすぎて、少々協力を渋られることも増えてきたが。
「お嬢様、本当にやるんですかぁ?」
小柄なレイチェルが、気が進まないというように告げる。
「確かにあたし達が絵具まみれで正座してたらいかにもって光景ですけど、ますますお嬢様が悪く言われちゃうだけですよぉ。あんまり気が進まないんですけど……」
「ごめんなさいね、レイチェル。でも、次で最後なの。今度のお見合いさえ破談にできれば全部終わるはずだから」
「仕方ないですう……」
そんなわけで。もう一人、メイドのマーシーを呼んできてカメラを持たせると、執事二人、メイド三人をずらりと花壇の土の上に並べる。全員に正座してもらったところで、行くわよ!と合図をするフィオナ。
黄色の絵具をたっぷり混ぜた水を、五人の体に思い切りぶっかけた。飛び散る水、五人は頭からずぶぬれになる。
「つめたっ!」
「ご、ごめんなさいねエミリー!大丈夫!?」
「だ、大丈夫です……!なんか美味しそうな色……」
「舐めちゃダメよ!?」
マーシーに何度もシャッターを切って貰いつつ、彼女らの服に刷毛で直接青や赤の絵具を塗ったり、オレンジの絵具を頬にすりつけさせてもらったりした。
出来上がった写真を見れば、なかなかインパクトのある写真に仕上がっている。特にキャンディときたら、マカデミー賞ばりの演技力だ。黄色や青の絵具にまみれて、泣きながら肩を震わせているのだから。まさに、悲劇のヒロインさながらである。
「……あんた、マジで女優になれるんじゃないの?」
フィオナが褒めると、えっへん!とキャンディはその薄い胸を逸らして言ったのだった。
「この屋敷をクビになったら、転職先として考えます!」
「結構洒落にならないから、それ!」
***
着々と、準備は進みつつあった。
この後にも、様々な悪戯や虐めの様子をセッティングして、使用人たちの協力のもと撮影していく。夜中にトイレ掃除をやらされているマーシーの姿、足を引っかけられて転び、土まみれになっているキャンドラの姿。延々とランニングさせられている執事たちに、なんなら窓から突き落とされそうになっているキャンディの姿なんてのも撮影させてもらった。
この写真全部を使うかどうかは未定である。あからさまにおかしいもの、映りが悪いものは除くべきだろう。否、多少映りが悪いのも混じっていた方が盗撮っぽくなるだろうか?なんにせよ現像した写真を選びぬいてこっそりエメリーに渡せば、すべての条件はクリアとなる。
「ぶふっ」
夜。自室で悪戯写真、を選んでいたフィオナは思わず吹き出してしまった。どうしましたか?と紅茶を持ってきてくれていたキャンディが声をかけてくる。
「いや、その……ね?このキャンディの顔が、あんまりおかしいものだから。ほら、鼻の頭に思いっきり土がついてるじゃないの。まるで泥遊びしたワンコみたいよ?」
「ちょ、お嬢様!そういうこと言わないでくださいよ!」
もう!とキャンディは顔を赤くして怒る。
「それ言ったら、外で遊んで戻ってきたお嬢様も似たようなものです!高校生にもなって、家の庭で泥遊びして怒られるなんて……そんな伯爵家のご令嬢、フィオナ様くらいですよ?」
「あら、そうかしら」
「そうですよ、まったく!あの時のお洋服、お洗濯大変だったんですからね?」
「あははは、ごめんごめん」
ふいに、キャンディがどこか寂しそうな眼になったことに気付いた。どうしたの、と彼女の肩を引き寄せながらフィオナは尋ねる。
「いえ、その」
机の並べられた、捏造写真。それらを見つめながら、キャンディはぽつりとつぶやいた。
「本当はこういうのじゃなくて。お嬢様と……楽しく遊んだり、お茶をしたり。そういう写真を撮れたら良かったなって。……変、ですよね。異性のカップルならいくらでもそういう写真を撮ることが許されるのに。私達はどうして、友達に見えるような距離感を保たないといけないんでしょうね……」
「……そうね」
写真は、何よりの証拠となって残ってしまう。何か、見えないものを雄弁に語ってしまう。それゆえにフィオナはまだ一度も、キャンディとプライベートな写真を撮ったことがないのだ。
「いつか、二人で海外に旅に行ったら。そういう、自由な写真をたくさん撮りましょう。人の心が縛られることがない、どこまでも自由に生きることができる国が……きっと海外には存在しているわ。私はその時まで絶対、貴女を守る。守ってみせる。それが、私の……フィオナ・ファイスとしての誓いよ」
「フィオナ様……」
何かを訴えるように、潤んだ瞳がまっすぐ見つめてきた。そうだ、とフィオナは思い出す。そういえば結局一度も自分達はまだ一線を越えていない。キャンディが十六歳になったら、なんて約束をしていたのに。
「今夜、いいの?」
フィオナがそう尋ねれば。キャンディは真っ赤になった顔で、こくりと頷いたのだった。
「お願いします。……フィオナ。私のこと、抱いて、ください……」