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<20・Worst>

 貴族の家で良かった、とエメリーが思うところ。

 そのうちの一つが、家で自由に電話が使えるということである。この時代、電話が普及してきたとはいえまだまだ庶民の家には電話がないところも多い。自宅に複数の電話が持てるのは、いわば高い通話料金と設置料金が払える貴族の特権と言って良かった。

 セブン伯爵家はその特権を最大限利用できる家の一つであり、屋敷の中だけでなんと四か所も電話が設置されている。それぞれ番号が異なっているので、エメリーの部屋に設置された電話が鳴っても他の電話は静かなままとなっている。

 ようは、部屋でこっそり、秘密の電話をするのに向いている、ということだ。明日大叔父の誕生パーティ、最後の打ち合わせは、どうしても手紙では間に合わない。最終確認もかねて電話で行う必要があった。


『写真が無事に届いたようで良かったわ』


 部屋に電話があるのはフィオナも同じ。彼女も今、自室からエメリーの部屋の直通電話にかけてきている。


『ちょっとわざとらしい写真になっちゃった気がするけど、まあインパクトがあればなんとかなるわよね。多分。きっと。ええきっと』

「……相変わらず大雑把なようで何よりだ」

『それ絶対褒めてないでしょ!?』


 そのフィオナは少し前に、キャンディと正式に『結ばれた』と聞いている。何やらその日のためにいろいろと大人の道具をこっそり買い込んでいたらしい。ああいうものは一体どこで見つけてくるんだろう、とちょっとだけエメリーは気が遠くなった。自分は兄に避妊具やらなにやらの使い方を教わっていたが(こういうことは男性の方が訊きやすいものだ。というか、男性同士のセックスの方が異性間のセックスとやり方が近いからというのもある)、フィオナはそういうものが訊ける相手がいたとは思えないのだが。

 まあ、深く追求しておくのはよしておくことにする。なんせ、十六歳の時点でこっそり大人が読むような薄くてキラキラした本を大量に調達し、こっそりえっちな妄想をして楽しんでいたような淑女である。

 いや、本当に、あれが両親に見つかったらひっくり返ることだろうとエメリーは遠い目をしたくなったものだ。

 やれ『ドキドキ!美少女のイケないノーパン社交パーティ!』だの。

 やれ『褐色美女とロリ妹のイケない関係!』だの。

 さらには『妹系少女が迫ってくるので野獣になるお嬢様!』だの。それはもう、ものすごくこゆーい百合系小説・漫画がわんさかと。

 キャンディが協力者だからまだ掃除面では誤魔化しが聞いているのだろうが、あれを見る羽目になるキャンディもしょっぱい気分になったのではあるまいか。そもそも、部屋に遊びに来た自分にあっさり見つかっているようではかなりダメだと思うのだが。


――本当に大丈夫か?だいぶガードがゆるっゆるみたいだが。


 まあ、あの欲望丸出し娘が、キャンディが十六歳になるまで手を出さずに我慢できたというだけマシであるような気もする。ずっとその日を夢見てたフィオナとしては、浮かれてしまうのも無理からぬことではあるのだろう。それから夜のたび、時間さえあればキャンディとの逢瀬を楽しんでいる様子。電話の向こう、ツヤツヤした顔をしているフィオナが見えるようだ。


『本題ね。明日のことなんだけど。私とお父様とお母様、みんな無事参加することが決まったわ。貴方が婚約破棄を言い出すタイミングはいつがいいのかしら?』

「乾杯と、それから大叔父様のスピーチ、余興……そのへんがひとしきり終わった終盤近くがいいだろうな。適当なタイミングで私が合図して、ヒューイがそ知らぬフリをして会場に戻ってくる。その手に写真を抱えているので、私がそれを見てその場で君を問い詰める……というのでどうだ?」

『OK、それでいきましょう』


 この国での貴族の結婚は、二段階ある。

 というのも『婚約』と『入籍』で別々に手続きを取ることになるからだ。この国での婚約者とは、口約束だけの存在ではない。結婚を将来約束しています、というのを一度役所に書類で提出することになるからだ。これは入籍とは異なり、年齢を問わずに行うことができる。あくまで『結婚を約束した二人です』という予告を行うようなものなので、この時点では正式な夫婦ではない。それは、その次の入籍に関する手続きをすべて行ってから決定されるものである。この入籍手続きは双方十八歳以上にならないと行うことができず、これを経て初めて二人は夫婦として登録されることになるのだ。

 ゆえに。

 いくら人前で「婚約破棄します」とエメリーがフィオナに宣言したところで、それは正式ものにはならない。書類を提出して、初めて二人の婚約解消が受理されるものだからだ。

 ただし、貴族というものは非常に体面を気にするものである。エメリーがみんなの前で婚約破棄をすると堂々と宣言し、フィオナが売り言葉に買い言葉という体でそれを受けてしまえば。大勢の目撃者の手前「それは見なかったことにして」というわけにはいかなくなるのである。

 その上で、エメリーとフィオナがさっさと婚約解消の手続きを進めてしまえば、両親ももうとやかく言うことはできまい。いや、それはなかったことに、一時的な喧嘩だからやっぱり結婚を考え直して、なんてことは相当厳しくなる。そもそも、家の名誉や血を重視するからこそ、嫌がる二人に無理やりお見合いをさせ続けてきたわけなのだから。


「……一つ、君に謝らなければいけないことがある」


 明日、全てが決着するはず。今までの苦労が、全て報われるはず。

 そうでなければいけない。何故なら。


「私は……結局臆病者だった。自分一人では、何も決断することなどできなかったことだろう。君が率先して悪役令嬢になると言ってくれたからこそ今がある。……本当にありがとう。そして、すまなかった。結局、君一人に悪役を押し付けるようなものだ」


 正直にエメリーが謝罪を口にすると、電話の向こうで軽やかな笑い声が上がった。


『やっだ!あんたが私相手にそんな殊勝なことを口にするなんて!明日は雪どころか、槍でも降るんじゃなくて?』

「私は真面目な話をだな……!」

『わかってるわよ。ちゃーんと、わかってるって。……貴方は、なんだかんだで優しいし、私に甘いものね。昔からそう』


 甘いのは君の方だろう、とエメリーは心の中で呟く。

 幼い頃、自分は間違いなく彼女に守られていたし、助けられていた。本の虫、勉強家。そんな言い方をすれば聞こえはいいが、昔の自分は人と付き合うことも苦手で引っ込み思案、お世辞にも明るい子供ではなかったのだから。それは自分が同性愛者だと自覚して悩んでいたからというだけではない。今でこそかなり丈夫にはなったものの、昔は病気がちで学校を休むことも少なくなかった。それもあってどうしても友達を作るのが難しく、孤立してしまうことが多い子供であったのである。

 救ってくれたのは、間違いなくフィオナだった。

 もし。もし自分が異性愛者であったなら。普通と言われるような恋ができるような人間であったなら。きっと、彼女に恋心を抱いていただろうと思うのだ。

 そしてそうではなかった現実においても、フィオナはエメリーにとってかけがえのない存在であることは間違いない。親友として、同志として、彼女を心の底から愛している。彼女がいなければ、それこそ冗談抜きで自分はどこかで一人、命を絶ってしまっていたかもしれないのだから。


「なあ、フィオナ」


 だから。

 こんなこと本来言うべきではないと思いつつ、エメリーは口にするのだ。


「もしも明日……明日の計画がうまくいかなかったら、どうしようか」

『うまくいかなかったら?婚約破棄を認めて貰えなかったらということ?』

「というよりも、そうだな。万が一……私達の計画がどこかでバレていたらとか、そういう場合だな」


 バレていたら。

 多分そこまで行くと、自分達、あるいはどちらか片方が同性愛者であることが露呈してしまっている可能性が高いだろう。とすれば、いくら貴族の娘と息子であるからといって、悪魔祓いを受けることはまず避けられない。元々貴族は庶民よりもクリシアナ教の熱心な信者が多いことで有名だ。ましてやセブン伯爵家とファイス伯爵家の身内の中には、直接教会を援助している人も少なくはないのである。


『その場合は、どっちかが同性愛者だってバレた可能性が高いでしょうね。いえ……その場合は、どっちかというと私達の方がバレていると思った方が良さそう。貴方たちだけということはまずないでしょう』


 想像しうる最悪のケースであるはずなのに、思ったよりもフィオナの声は冷静だった。


『悪評を流すだの、妙なくらい使用人を“いじめて”いたのも私の方ですもの。不自然だと思われるのは確実にこっちだわ。同性愛者だから、全て自作自演して婚約が破棄されるように目論んだ。……ふふ、まあ、バレる可能性はゼロではないでしょうね。なかなか荒い計画だし』

「最悪の想定なのに、落ち着いているんだな」

『最悪の想定だからこそよ。今のうちに想像しておかなければ、実際に遭遇した時にパニックになるじゃないの。万が一、を考えておくことはとっても大切でしょう?その瞬間、一番後悔のない選択をするためにね』


 キャンディとも話し合ったの、とフィオナは告げる。


『もし、いつか何もかもバレて、私達が悪魔の使徒だと石を投げられるようになったらその時は。……本当に、本当にどこにも逃げられなくなったらその時は、二人で一緒に川にでも身を投げましょうって』


 まるで、今日の朝食はなんだった、と語るような口ぶり。だからこそ、エメリーにもその覚悟のほどが伝わったのだ。

 彼女はそこまで、キャンディのことを深く愛している。自分自身の愛に、どこまでも殉じるつもりでいる。

 己はどうだろう、とエメリーは自問自答した。ヒューイを愛しているし、彼のためならば死ぬ覚悟さえできているつもりだ。だから本当の本当に危機が訪れた時、自分は最優先でヒューイを守らなければいけない。それこそ、フィオナを犠牲にしてでも、だ。

 それはフィオナもわかっているはず。というか、彼女もきっとこう言うだろう、自分もいざとなったらキャンディを守るために貴方を切り捨てるわ、と。

 それが優先順位、というものだ。

 それが、この困難極まりない愛を貫くということなのだ。

 わかっている、でも。


「……愛って、何なんだろうな」


 つい、エメリーはぽつりと呟いたのだった。


「クリシアナ教の聖書にはこう書かれている。『この世で愛ほど尊いものはなく、愛は全てにおいて最も重視され育まれるべきものである』。……では、その愛とは何なのか。一体誰が定義するのか」

『そんなの決まってるじゃない。クリシアナ教においては“神様が認めた”って枕詞が付くのよ。私はいつも思ってたわ、聖書に赤ペンで“なお、神様が認めた愛に限る、それ以外は全部ゴミなので排除します”って注釈を入れてやりたいってね』

「確かに。……本来愛というものの価値は個人が決めるべきものであるはずなのにな」


 恋愛も友愛も家族愛も。恋愛の中の異性愛も同性愛も等しく尊いものであるはずなのに、人は時に自分が理解できないものを価値がないと決めつけ、排除しようとする。

 それをやるのはいつだって多数派で、自分が踏みつけにされる側にはいないと確信している人間だ。いざ、己がそちら側に回ったら確実に「こんなはずではなかった」と慌てふためく癖に。


「私は思うよ。……誰かの愛を生ゴミ扱いするような神様に殉じる気はないと。理不尽に石を投げられた人間には、投げ返す権利が与えられて然り。それが、己と愛する人の命を守るためならば尚更だ」


 暴力や復讐を肯定するつもりなんてさらさらない。

 でもそれに頼らなければ、守るべきものも守れないならば、そんな時は。


「私の考えを聞いてくれるか、フィオナ」


 どうか、誇りと意味を持つ戦いを。

 それがあるだけで、人はただの獣になり果てることはないはずなのだから。


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