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<22・Witch>

「え、なになに?」

「あの写真がどうしたっていうの?」

「この状況で、婚約破棄撤回とかはないだろうよ……」


 ひそひそひそ、とギャラリーの声が聞こえてくる。フィオナはただ、黙って父の顔を見つめた。背筋を這い上がる、嫌な予感に気づかないフリをして。


「……その写真が、どうだっていうんですの?おかしなところなんて何もないでしょう?」


 まだ決定的なことは何も言われていない。具体的証拠でもない限り、言い逃れする気満々だった。

 まかり間違っても、フィオナの悪事を撮影した写真が自作自演だなんて気づかれてはいけない。いや、仮にそれがバレても、せめてキャンディとの関係だけは――。


「白を切り通すつもりか」


 フィオナの父は、苦々しい表情で言う。


「よく見ろ、決定的におかしなところがあるはずだ」

「わからないと言っているでしょう?なんですのお父様?私は誰かさんのせいでものすごく苛立ってるんですの。その手を離して下さる?」

「いいや、お前を離すわけにはいかない。こうなった以上、ここでしっかりと追求させてもらう」


 何やら雲行きが怪しくなってきた。フィオナはやむを得ず、父が突きつけてくる写真を睨む。

 それは、フィオナが一番最初にキャンディ達と撮影したものだった。屋敷の、今は使われていない花壇で撮影したもの。絵の具まみれになったキャンディら使用人たちが、服も顔も汚したまま屋外で正座させられている。

 こうして見ると、やはりキャンディの演技は見事としか言いようがない。彼女の絶望しきった顔までばっちりと映っているのだから。


「此処は、うちの屋敷の裏だな。昔花壇だった場所だ。ここで使用人たちに絵の具をぶち撒けて仕置をしていた、というシーンらしいが」


 父は目を細めて言う。


「その絵の具、つい最近購入したものらしいな。使用人に買いに走らせたと聞いているが」

「それが何か……」

「お前が絵を描くのを趣味にしているのは知っている。しかし、私は一度もお前がここで使われているような水彩絵の具で絵を描いている場面を見たことがない。まるで、このいじめを行うためだけに購入したかのようだ」

「!」


 しまった、とフィオナは舌打ちをしたくなった。確かに、今の自分は色鉛筆を使った絵ばかり描いている。元々はいずれ絵の具を使った絵も、と思っていたのが、存外色鉛筆が面白くてそのままハマりこんでしまったという経緯だ。結果、絵の具は水彩も油性も出番がないまま終わっている。


「い、いずれ使うつもりでしたの!色鉛筆画が楽しいから、埃被ってしまってますけど……!なんですの、そんなことで私を疑うつもり!?」


 フィオナは父の腕を振りほどこうとするが、流石に正攻法では離れてくれない。いくらフィオナが一般的な女性より身体能力があるとはいえ、成人男性の腕力に直接逆らうのは厳しいものがあるからだ。


「それだけじゃない。この写真」


 ぐい、と写真をフィオナの眼前に押し付けながら言う父。


「隠し撮りにしては、綺麗に真正面から撮れているな。この場所の構造はよーく覚えているぞ。フェンス越しに撮影したならもっと遠いアングルになるはず。なんならフェンスの一部が映り込んでいてもおかしくない。これではまるで、お前が召使いたちに絵の具をぶっかけている場面を……お前の許可のもと、誰かに撮影させてようではないか」

「あっ……」


 思わず声が出てしまった。図星だと、流石に父にも気づかれただろう。視界の向こう、エメリーが渋い顔になっている。だから写真の中身は気をつけろと言ったのに、という顔だ。

 確かに、こればっかりはフィオナのミスである。盗撮に見えるようにするためには、多少ピンボケしていたり、遠くて見えづらい写真である方が自然だったはずだ。キャンディたちの惨めな姿がはっきり見えたほうがいいと、正面からはっきり映る写真を撮ってしまったのが大失敗だった。

 もちろん、カメラにはズーム機能がついているものもある。しかし、今この国にあるカメラで大幅なズームや補正ができるのは、写真館にあるような大型のカメラのみなのだ。

 さすかに隠し撮りで、持ち運びも困難な大型カメラを使いました、なんて言い訳は通るまい。


「フィオナ、これはお前の自作自演だろう?なんなら、お前が使用人たちを虐めていたというのも嘘なのではないか?自らの悪評を広め、見合いの申込みが来ないようにするために。そして、それをエメリーに証拠として掴ませたんだ、違うか?」


 父の追求の言葉に、フィオナは焦る。

 エメリーに証拠として掴ませた――そんな言い方をしているあたり、現時点ではフィオナの独断として疑われていると思われる。つまりフィオナが、お見合いにから逃げるために悪評を広め、エメリーに信じ込ませ、婚約破棄に至るように仕向けたのだと。


「そんなに結婚したくないのか、ここまでやるほど!なんて卑怯な手を使うんだ、家の名誉まで辱めて!」

「お、お父様……」


 写真の不自然さを誤魔化す方法が思いつかない。こんな時、自分の頭の回転の鈍さを呪う。

 こうなってしまった以上、フィオナ一人で全てをやったと自白して丸く収めてしまうのが唯一の逃げ道か。フィオナは観念したフリをして、申し訳ありません、と告げた。

 そう、今更自分の評判が落ちることなど惜しくはない。最低最悪でもキャンディを守れるなら。そして今の段階なら、エメリーのことだって守ることもできるはずだ。


「ファイス家に、そしてエメリーにも迷惑をかけたことは謝ります。でも、でも私は……何度も申し上げたはすですわ、結婚なんてしたくないと!家に入って子供を育てて、家のためだけに良き母親に徹するなど私には無理です。何をどう言われても、海外に行く夢を諦められません。使用人たちに無理強いをして、写真撮影に協力させたのは事実です。でも、全ては私が命じて無理やりやらせたこと、虐げたことは事実ですわ……!」

「なんて奴なんだ、君は!」


 フィオナの言葉に被せるように、エメリーが声を張り上げた。


「そうまでして……そうまでして結婚から逃げたいと!?私も確かに、婚姻には乗り気ではなかったさ。しかし家の名誉のためにと我慢して受け入れるつもりだったのに君と来たらなんて恥知らずな……!写真が偽造であったとしても関係ない。こんな女性と結婚するなんて私には無理です!」


 ああ、一生懸命援護射撃をしてくれている。フィオナは少しだけ泣きそうになった。

 この場所で、紛れもない味方がここにいる。自分の本当の苦しみをわかってくれる友人が背中を押してくれている。なんて心強く、有り難いことだろうか。


「いや」


 しかし。エメリーの言葉を受けてなお、フィオナの父は冷たく言い放つのだった。


「エメリーには申し訳ないが、その婚約破棄の方こそなかったことにしてもらいたい。何が何でも娘と結婚して『悪しき呪い』から解き放つための協力をしてもらいたいのだ」

「は……!?」


 悪しき呪い。

 それは、クリシアナ教の信者が特定の分野において、頻繁に使う言葉の一つ。


――ま、まさか……まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかっ!!


 その三文字が、フィオナの脳裏を駆け抜けていく。

 会場の群衆がどよめいたのがわかった。なんだ、と思って見れば、フィオナの母親が戻ってきたのだと知る。そして、同時に己の計画が、決定的に失敗したのだと悟ったのだ。

 母親が腕を掴んで引きずってきた人物が、キャンディだと気がついたから。


「フィオナ、その様子だと……自分から全てを語るつもりはないのね」


 母は、冷めきった目で娘を見、さらにゴミを見るような目でキャンディを見た。


「貴女はこの魔女に誑かされた、そうでしょう?」

「な、何を仰るのお母様。キャンディが、何か……」

「惚けないで。私は見たのよフィオナ。貴女の部屋で、この女と貴女がキスをしているところを!」

「きゃああっ!」


 母はキャンディの髪を掴むと、投げ捨てるように床に放り投げた。キャンディの小柄な体が、会場の床に打ち捨てられる。


「きゃ、キャンディ!」


 なんてことだろう。キャンディとキスをしていたところ?それは、まさか。


「いつだったかの夜によ。お手洗いに起きたら、まだフィオナの部屋から灯りが漏れていたから様子を見に行ったの。そしたらなんと……あんた達がディープキスなんてしてるじゃないの!しかも、服を脱がせてそれ以上のおぞましい行為に及ぼうとしていたわ。お、女同士で、なんて汚らわしい……!とてもじゃないけれどそれ以上を見ることができなくて逃げてしまったわ……!」


 ああ、と。フィオナは、足下から今まで築いてきたものすべてが、ガラガラと崩れ落ちていく音を聞いたのだった。

 自分はなんて浅はかだったのか。きっとあの夜だ。自分の欲望のままにキャンディを抱いてしまった。鍵をちゃんと確認しなかったかもしれない。そのせいで今、計画のすべてを台無しにしようとしている。一番守りたかったはずのキャンディを、こんな風に巻き込んで。


「ま、まさか、フィオナ様は同性愛者?」

「なんてこと、だから結婚を嫌がってたってこと?」


 集まった客たち、親戚たちのどよめき。


「なんてこと、神様への冒涜じゃないの……!」

「女同士でセックスなんてできるわけないじゃないか」

「き、気持ち悪い!」

「信じられない、いくら自由奔放とはいえ、あのファイス伯爵家のお嬢様が……」

「有り得ない、なんてことだ!」

「こういう場合どうするんだ?」

「決まっています。神父様に依頼して、一刻も早く悪魔祓いをしてもらわなくては。悪魔に誑かされた者が、非生産的な同性愛なんて気色悪いものに落ちるんです」

「子供が生まれないんだぞ、なんて意味のないことを!」

「あの女の子が魔女だったなんて。しかもファイス家の使用人に紛れていようとは」

「この恥知らずめ!」

「ああ気持ち悪い!気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いっ!!」


 今度こそ、本物の悪意の礫がフィオナとキャンディに投げつけられる。

 悪役令嬢、を演じている時は平気だった。本当の自分を自分は知っているのだから、本当に大切な人達が理解してくれているのだから何も問題はない、と。

 でも、今は違う。否定され、攻撃されているのはフィオナの本当の心であり、一番守りたかった愛しい人だ。


「ち、がう」


 漸く絞り出したのは、自分らしくもない掠れた声。


「キャンディは、魔女なんかじゃ……!わ、私は、悪魔に誑かされた、わけじゃ……っ」


 駄目だ、パニックになっている場合ではない。このままでは、自分達はふたりとも悪魔祓いの儀式にかけられ、拷問されることになってしまう。下手をすればそのまま死ぬことになりかねない。ならば。


「お、お待ち下さいお父様!その娘は被害者ですわ!ま、魔女なのは……魔女なのはきっと私の方なのです!欲望に負けて無理矢理、そう無理矢理キャンディに性的暴行を加えました。教会でもその場合、被害者は罪に問われぬはず。裁かれるのはあくまで私だけであるはずです!」

「お、お嬢様、何を!?」

「キャンディをお許し下さい、お父様!悪魔祓いは……私一人だけで……っ!」


 フィオナは必死で父に懇願する。キャンディはレイプされた被害者。そういうことにすれば、さすがの教会も慈悲を与えざるをえないはずだ。完全に無罪放免にはならずとも、軽い『浄化』だけで助けてもらえる可能性が高い。


「駄目だ」


 しかし、父の言葉はあまりにも無情なものだったのである。


「お前は魔女に誑かされて、魔女を庇っているだけ。被害者はお前の方。そうだろう?」


 それ以外の真実は許さない、とでも言うように。


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