どれほどクリシアナ教に傾倒していようと、親心というものはある。実の娘であるフィオナへの愛情も、それからフィオナが悪魔祓いの儀式を受けた場合死ぬ危険性があることもわかっているのだろう。
だから、きっと。父は母から、キャンディとの関係を聞かされた時に――自分なりの折り合いをつけたのだろう、とフィオナは察した。そう。
信じる神様を裏切らず、それでいて愛しい娘だけは守る方法。それは。
「本来ならば、悪魔に誑かされ、おぞましい同性愛に走った者は悪魔に取り憑かれている危険性がある。よって、教会で浄化を受けなければならないことになっているが」
氷のような目で倒れたままのキャンディを睨みつけ、父は言った。
「フィオナ、お前を誑かしたのが悪魔本人ではなく、悪魔の使いであ『魔女』というならば話は別なのだ。魔女の呪いで操られていただけ、お前自身の魂は直接悪魔に触られていない。それを証明すれば、お前は儀式を受けずに済む」
「ど、どういう、意味です、か」
「決まっている。このままエメリーと結婚をし、彼の誕生日と同時に入籍すればいい。『魔女の呪いから目を覚まし、正しく異性と結婚に応じた』となれば、教会も神様もきっと許して下さる。悪魔祓いを受けるのは、魔女一人でいい」
「――っ!!」
つまり。父は、キャンディを見捨てればフィオナだけは助かると言っているのだ。性的暴行を行ってキャンディを手籠めにしたのだという言葉を撤回し、自分は魔女キャンディに操られておかしくなっていたのだと認め、エメリーという異性と結婚する。それで、全て丸く収まるのだと。
――何よ、それ。
信じられない。そんなこと、応じられるはずがないではないか。
両親は事実を知った後で、きっと自分を問い詰めるタイミングを図りながら必死で打開策を模索したのだというのはわかる。娘が同性愛者だなんて受け入れられない、神への背徳的行動などするはずがない。しかし悪魔に誑かされた人間は浄化しなければ救われないし、隠し立てすれば教会に背くことになるからと。
それは紛れもなく、娘を思う親心だろうというのは想像がつく、でも。
――あんた達は結局……私の心より神様を優先するってことじゃない。そして、自分達の嫌悪感を!
認められるはずがなかった。彼らの選択はフィオナの命は守れても、心は蔑ろにしている。何一つ、フィオナの本当の気持ちを大切にしようとしていない。何より、すべての罪を、キャンディ一人に背負わせようだなんてどうかしている。彼らだって、使用人であるキャンディには散々世話になっていたではないか。フィオナのイジメを見て、それではいけないなんて偉そうに説教もしたではないか。
なのにそれを。娘の命を守るという名目で捨てさせるというのか。否、彼らが本当に守りたいのはフィオナの命でさえない。だってそうだろう。本当に、本当に娘を愛しているのであれば、
「……お父様とお母様は、結局。娘の心より、存在するかもわからない神様の方が大事だと仰るのですね」
ぽつり、と呟くフィオナ。
「だってそうでしょう。もしも私が……私のことを本当に愛してくださっているのであれば簡単ではありませんか。悪魔を否定すれはそれでいい。人は平等に誰かを愛する権利があり、私が愛した人はたまたま同じ女性であっただけだと、その事実を認めて下さればそれでいいだけ。なのに、お二人は……私の命を守るという名目で私の心を、私が真に愛した人を見殺しにすると言うのですね」
「それは違うわ、フィオナ。私達は心から貴女を愛している。そして、愛しているからこそ正しい神様の教えを守って幸せに暮らしてほしいと願って……」
「その神様の教えの中に!私にとっての本当の幸せなんてないのですわ、お母様!!」
思わず叫んでいた。今まで何回、何十回、何百回、何千回思ったことだろう。
本当のことを全て両親に話してしまいたい。そして理解してほしいと。ひょっとしたら、二人も自分の娘の話なら真摯に聞いてくれるかもしれない。神様の教えなんかより、フィオナの心を大切にしてくれるかもしれない。理解できずとも、理解する努力はしてくれるかもしれないと。
でも。
その考えは教会に行くたび、「同性愛者なんて気持ち悪いわよね」だの、「一刻も早く悪魔に誑かされた同性愛者が世界からなくなる日が来るといいわね」なんて心無い言葉をぶつけられて。
その度に、血を流す心臓に見て見ぬふりをして笑ってきたのだ。自分はそうではないから平気だという顔をしてきたのだ。本当は怖くて怖くて怖くて、悲しくて悲しくて悲しくてたまらなかったというのに。
「お母様たちは、同性愛者が理解できないから、気持ち悪いから……神様を言い訳にして、根絶やしにしようとしているだけだわ。そうよね、自分達が気持ち悪いと思うものを神様が禁じてくれて、しかも教会が儀式という名目で拷問して殺してくれるんですもの!さぞかし気分が良かったでしょうね。私が……私がそれを見せつけられるたび、どれほど苦しみに涙を流してきたか知らないで!!」
「口を慎みなさい、フィオナ!貴女は騙されているだけよ、早くそれを認めなさい!そうすれば命だけは助かるんだから……っ」
「そうよ、お母様だって悪魔祓いを受けたら私が死ぬかもしれないとわかってるんじゃないの!だから、ルールの隙をついて私だけ逃がそうとしてる。本当にあの儀式が正しいと確信しきれてないからだわ、違うの!?」
キャンディを魔女として差し出したらどうなるか。想像するだけで恐ろしいことになるのは明白だった。
そもそも悪魔に誑かされる人間には二種類がいるとされている。直接悪魔に出会って騙された人間と、悪魔の使徒である魔女に騙された人間。魔女に騙された者は直接悪魔と接触していないこともあって、若干罪が軽くなるのだ。少なくとも、拷問じみた儀式を受ける必要はなくなるのである。
しかし、魔女と認定された者の末路は悲惨だ。それこそ、悪魔に直接会って誑かされた人間でさえうまくいけば重篤な傷を負いつつも生き残れる可能性があるというのに、魔女はまずそんな奇跡も起こらないからである。
魔女だとされた者は、魔女の魔法の秘密や仲間の魔女の名前を吐くまで拷問され続ける。当たり前だが、魔女認定されるのは同性愛に興じただけのただの人間なので、本物の魔法なんて使えるはずもなく、仲間なんているわけもない。存在もしない秘密を吐けるわけもないので、拷問は延々と続くのである。
そして仮にでたらめな方法を言って乗り越えたら、今度はその身の内を浄化する儀式が待っている。歯を全て抜かれ、露出した歯茎の神経を直に焼かれるのがひとつ。両手両足の爪を全て剥がされてこれも焼かれるのが一つ。最後は、膣と肛門から焼けた鉄杭を差し込まれて生きたまま内臓を焼かれるのである。
想像するだけで痛いし、これだけでショック死する人間が出るだろう。しかし、何が恐ろしいって最後の工程は、膣どころか子宮口を強引に打ち抜いて子宮を破壊するところまで鉄杭を打ち込まれること。肛門の場合は、小腸から胃袋までを貫通させられるということである。
当然内臓は激しく損傷し、内部から凄惨な火傷を負う。激痛にのたうち回って苦しんだ果てに死ぬことは免れられないのだ。
――絶対にさせない……!キャンディをそんな目に遭わせるなんて絶対に駄目!!
そもそも、事がバレたのは完全にフィオナの失態だ。全てフィオナが命じたとおりにキャンディは動いただけなのに、彼女だけ悍ましい罰を受けさせられるなどあまりにも割が合わないではないか。
「交渉は決裂ですわ、お父様お母様。私はキャンディを愛しているし、キャンディを魔女として教会に突きだすつもりもありません。当然、結婚なんてするはずがありませんわ」
フィオナは強引に父の腕を振り払い、母を睨みつけて宣言した。
「人の心を踏みにじらなければ成り立たないような神様なら……悪魔となんの違いがあるってんだよ、クソッタレが!!」
伯爵家令嬢とは思えない罵倒が流れるように口から飛び出したが、一切後悔なんてなかった。
愛の価値を決められるのは、本人だけだ。
子供ができないから?普通じゃないから?じゃあ異性でも子供ができない夫婦はどうなのか。普通とは一体何なのか。どいつもこいつと素直に言えばいいのに――自分たちと『違う』奴等が目障りだから排除する、と。それを、神様の名前を盾にして暴虐に及ぶ。あまりにも卑怯が過ぎるではないか。
――こんな奴らに、負けたくない……!
父と母には、今日まで育ててくれた恩を感じている。愛してもいる、そのつもりだった。
でももしも、キャンディと自分の未来を阻むというのなら。
「一度だけ申し上げますわ、お父様お母様。そしてゲストの皆様方」
フィオナは凍りつく群衆をぐるりと見回す。
「本日をもって、私、フィオナ・ファイスはファイス家の籍を抜けます。……私とキャンディのために道をお開けなさい。逆らうのなら、容赦はしませんことよ」