フィオナの剣幕に、さすがの両親もあっけにとられた様子だった。本来ならば、信じる神様を悪魔呼ばわりされたら激昂するのが普通だろうに。
その結果、先に自分を取り戻したのはフィオナの父でも母でもなく――。
「無駄ですぞ、ファイス伯爵」
「きゃっ!」
唐突に響いた第三者の声と、キャンディの小さな悲鳴。突然、一人の老紳士がキャンディの腕を掴んで立ち上がらせたのだ。
「大叔父様、何をっ……!」
エメリーが驚きの声を上げる。そうだった、この人がエメリーの大叔父、トータス・セブンだったとフィオナは思い出す。立派な口髭に真っ白になった髪、すっと通った鼻筋。どこか、エメリーの面影があるような気がする人物だ。若い頃はさぞかしモテたことだろう。
「残念ですが、フィオナお嬢様は完全に魔女に洗脳されてしまっております。否、本当に悪魔と直接関わったやもしれませぬ。その洗脳を解くためには、神父様に浄化をお願いするしかないでしょう」
「そ、それはっ……」
「ファイス伯爵の気持ちは痛いほどお察しいたします。娘が悪魔に誑かされているなんて、さぞかし無念でいらっしゃることでしょう。しかし、我がセブン家としても、悪魔と関わってしまったであろう者と可愛いエメリーの婚約を許すことなどできんのです。それに……悪魔の毒気を抜かなければ、お嬢様は一生妄想に囚われ、魂を侵食され、いずれは死に至ることも免れられません。心中お察ししますが、こうなった以上お嬢様のためにも一刻も早く悪魔祓いを受けさせるべきです。無論、こちらの召使いもね」
「で、でも……」
流石のフィオナの父も、セブン家の人間に「結婚は認められない」と言われてしまったら受ける他ない。そもそも、どんな理由であれエメリーは既に婚約破棄を宣言してしまっているし、ここで「なかったことに」は本来非常に体面が悪いのも事実なのだ。
「悪魔祓いは厳しいものだというイメージがあるかもしれませんが、それはあくまで魂から穢れを抜くためには厳しい手法を取らざるを得ないということです」
トータスもまた、クリシアナ教に染まりきっている人物だったということらしい。年若い少女であるキャンディの腕を捻り上げながら、そこに罪悪感の類は一切見当たらない。
自分は正しいことをしている、そう信じ切っている人間の目だ。
「穢れが少ない者、真の良心をまだ失っていない者ならば必ずや神は救い上げてくださいます。大きな怪我もなく、命を落とすこともないでしょう。それとも伯爵は、我らが主が信じられませんかな?あるいは、娘さんが真に悪に染まりきっていると考えていると?」
「そ、そういうわけ、では……」
相変わらず無茶苦茶な理屈だ。これだから狂信者は嫌いなのよ、とフィオナは吐き気を覚える。
昔ながらのクリシアナ教の審判の一つに、
この裁判は、今の裁判制度ができるまで長らく続けられていたという。当たり前だが、何の科学的根拠もないものだ。それこそ、喉に怪我をしている者や、嚥下する能力が弱かった者、たまたま咳き込んでしまった者が次々有罪と決めつけられて裁かれたであろうことは想像に難くない。そしてその「神様はなんでも正しいことをしてくれるはず」という思い込み精神は、今の悪魔祓いにも通じるものであるのだ。
つまり、拷問されて大きな怪我をしたり、死んだりするような者は魂が汚れている証拠だと。
真に神様の加護を受けた者であるならば、どれほど苛烈な拷問を受けても屈することはなく、また致命的な傷も負うことはないのだ、と。
――そんなはずないでしょうが!馬鹿じゃないの!?
そんな宗教を一切信じない人間からすれば、ふざけてるのか、としか言いようがない。
この世界のどこに、火箸を押し当てられても火傷をしない人間が、鞭で打たれても血を流さない人間がいるというのか。
打たれて痛いのは罪人だろうと無辜の民だろうとまったくの同じ。こいつらは、自分が打たれる立場になることを一切考えていないからそんなことが言えるのだ。
結局、自分が気持ち悪いと思うものを、神様を言い訳にして排除しようとしているだけ。当たり前のことが成功しただけで、こいつらは全て神様のおかげだと宣言するのだろう。打たれた者の苦しみに、悲しみに、一切心を寄せることなどなく。
――ダメだ。
ぎゅっと拳を握りしめるフィオナ。
――どいつもこいつも、救いようがない。
少女が魔女扱いされて捕まえられているのに、ギャラリーの人間たちは誰も助けようとしないのが明白だ。むしろ、ここが屋外であったなら石を投げる人間さえいたかもしれない。
「魔女ですって、あの女の子が」
「フィオナ様も、悪魔の思想にあんなにも染まって……ご両親が本当にお気の毒だわ」
「おいおい、うちの使用人は大丈夫か?魔女が紛れていたりしないか?」
「汚らわしい。早く神父様に浄化してもらわなければ……」
聞こえてくるのは、そんな悪意に満ちた言葉ばかり。自分達が正しいと信じ込み、一人を惨たらしく断罪することに躊躇のない声ばかり。
そんな連中のせいで自分達はずっと苦しんで、我慢を強いられて、本当の言葉を言うこともずっとできなくて――。
「パーティの途中だが、事は一刻も争うようですな。今すぐ、この二人を教会に連れていきましょう。……ほら、さっさと行くぞ魔女!」
「や、やめてください!許してっ……!」
トータスが強引にキャンディの腕を引っ張り、ホールから出て行こうとする。やむをえない、とフィオナは背中に手を回した。今日来ているドレスは特注品である。背中と腰に大きなリボンがついており、そのリボンに隠れる形で袋がついているのだ。
そう、拳銃を入れるには十分なほどの大きさの袋が。全ては万が一、全てが露呈した時のための策だった。
「キャンディを離せ、この下衆が……!」
フィオナが銃を抜こうとした、まさにその瞬間だった。
パァンッ!
――え。
目を見開く。自分が銃を抜くよりも前に、銃声が響いた。つまり、他の人間が自分より早く発砲したのだ。
「がああっ……!」
手首を抑えてうずくまるトータス。その手がキャンディから離れる。フィオナは振り返り、そして見た。
まっすぐトータスに銃口を向ける、エメリーの姿を。
「大叔父様、それから此処にいる皆さん」
彼は静かな瞳でギャラリーを見回した。
「彼女たちのために道をお開けください。……次は、腕を撃ちぬくだけではすみませんよ」
「え、エメリー!?」
まさかこの会場に、拳銃を持ち込んでいる人間がいようとは。しかも、ついさっきまでフィオナをあれほど糾弾していたエメリーがフィオナ達を守るような真似をしようとは。
突然の蛮行に、あちこちから悲鳴が上がった。凍り付いたように動けない者がほとんどだろうが、このまま行けばパニックで逃げ出す者が出るのも時間の問題だろう。
――なんで。
『私は思うよ。……誰かの愛を生ゴミ扱いするような神様に殉じる気はないと。理不尽に石を投げられた人間には、投げ返す権利が与えられて然り。それが、己と愛する人の命を守るためならば尚更だ』
――どうしてよ、エメリー。
『私の考えを聞いてくれるか、フィオナ』
――貴方が一番大切なのはヒューイでしょう?しかもまだ、貴方は疑われていなかったわ。このまま、自分達は騙されただけだとシラを切りとおすことができたはずなのに、どうして。
『万が一の時は……四人で一緒に逃げることにしないか。私と、ヒューイと、君と、キャンディ。四人でどこか、遠くで暮らそう。誰にも邪魔されない、私達だけの家で』
――どうして、助けてくれるの。
じわり、と涙が滲んだ。自分たちの力だけで切り抜けよう、万が一の時は命に代えてもキャンディを守ろうと思っていた。どれほど孤独な闘いであっても、それができるのは自分しかいないのだと。なのに。
昨夜の彼の言葉が蘇る。
まさか本当に、自分達のために立ち向かってくれようというのか、彼は。
「え、エメリー……なんで!?ま、まさかお前、お前までっ……!?まさか、グルだったのかお前も!?」
エメリーの父が、トータスを支えながら告げる。エメリーはキャンディを助け起こすと、フィオナの方に視線を送った。フィオナは慌てて彼女に駆け寄り抱き寄せる。
これでもう、言い逃れできない。エメリーも、自分達の共犯だと。
「当然です。だって、私達は幼い頃からの親友ですよ?彼女の変化に、この私が気付かないはずがないじゃありませんか。……最初から何もかも、私と彼女の共犯です。このまま私たちの茶番を受け入れて、婚約破棄を受理していただければこのような真似せずにすんだのんですが」
「何故、何故だエメリー!お前が敬虔なクリシアナ教の信者でないことは知っている!だからって、悪魔の使徒を庇い立てするなんて……!」
「まだお分かりになりませんか、父上」
父親ににっこり微笑んで、エメリーは近くに立っていたヒューイの腕を引き寄せる。そして、見せつけるようにその頬にキスを落とした。
「こういうことです。私も、他に愛する人がいた、それだけのこと。私もフィオナも幼い頃から自らがそうであると自覚しておりました。私達は婚約者ではなく、最初から……同じ苦しみと愛を分かち合う同志であったのです」
「そ、そんな……」
「私はフィオナのように優しくはありません。どれほど言葉を尽くしても、自らが嫌悪するものをカミサマを理由に排除して然るべきと思っている方々に……真摯な想いが届くことなどけしてないと知っているからです。ですので、邪魔をしようという方に説得などいたしません。黙って、コレで分からせて差し上げるまでです」
エメリーはうっとりするほど美しい笑みを浮かべて、黒光りする銃を天井に向けた。そしてもう一発、威嚇もかねて引き金を引く。
群衆の悲鳴が、大きくなった。
「さあ、今度こそ……私達のために、道を開けてくださいますね?」