何故、クリシアナ教で同性愛者が悪魔の使徒とされているのか。
それは単純に、子供を作ることこそ神への報恩と考えているだけではない。聖書で登場する創世の物語にこのようなものがあるからだ。
『ある時、神が作った人類の素晴らしさを妬み、悪魔が降臨した。
人々の妬み、恨み、争おうとする心が悪魔を呼び寄せてしまったのである。
悪魔は、人類の力を目にして恐怖し、嫉妬した。彼らを野放しにしておけばいずれ、自分達悪魔の世界に人間がやってきて、自分達は根絶やしにされてしまうかもしれない。このような存在は、一刻も早く消し去らなければ安心できないと。
それは、自分達をかつて悪魔の世界に追いやった神様への当てつけでもある。
悪魔たちは人類を滅ぼすことを決意した。しかし、自分達が直接人類に攻撃を加えたのでは、その存在が神様と人類に知られてしまうことになる。全面戦争となれば数が少ない自分達は分が悪い。そこで、悪魔たちは人類たちが自ら滅びの道を歩むように誑かすことを選んだのである。
悪魔は一部の人々に呪いをかけた。
子供が生まれないようにするため、同性しか愛することができないようにと。
子供は異性同士が正しく愛し合って初めて生まれるものなのだから、と。
同時に、同性しか愛せない彼らは神様の教えに背くようになる。自分達を認めない教会を憎み、人々を攻撃するようになる。
悪魔と、悪魔の魔法を授かった魔女たちによって呪いをかけられた悪魔の使徒。彼らは、悪魔が望んだとおりの働きをした。
教会を壊し、神様の像を壊し、聖職者を殺し、自分達を諭そうとするあらゆる信者たちを滅ぼそうと暴動を起こしたのである。
多くの人々は、一部の人間たちが狂ったようにしか見えなかった。しかし、神様は人々が悪魔に呪いをかけられたのだと気づき、聖職者たちに力を授けたのだ。それが、悪魔祓いの儀式。呪われた人々を正しく儀式にかければ、元に戻すことができる。特に、まだ悪魔に染まりきっていない者は儀式で大きな傷や苦しみを負うこともなく、正しい教えに立ち返ることができるだろうと。
神様の力と聖職者たちの導きにより、どうにか悪魔の反乱は収まった。しかし、悪魔たちは人類を滅ぼすことを諦めたわけではない。
ゆえに、人々が再び呪いにかけられることがあったならば、人類を滅びから守るため、そして呪われた人を救うために悪魔祓いを行わなければいけない。
それは世界のためであり、神への報恩でもあり、同時にすべての人への救済でもあるのだから』
クリシアナ教の信者達が躍起になって悪魔祓いをしようとする理由はそこにあるのだ。彼らは、悪魔に呪われた人間たち、つまり同性愛者たちを放置することは人類への滅びに繋がると考えている。彼らは子孫を繁栄させないばかりか、いつか正しい教えを信じる人々に恐ろしい攻撃性を示し、反乱を起こして罪なき人々を殺すようになってしまうのだから、と。
実際に、過去に同性愛者たちが権利を求めてデモを起こしたことはあると聞く。
残念ながらどれも過激なやり方で鎮圧され、多くの者達が捕まって拷問されるか殺されたかしたと言う話だったが。
――攻撃性を発揮するようになる?当たり前じゃない。人の心を利用して、結婚を強要して、苦しめて、傷つけて!それで反発されないなんて、そんなことあるはずがないじゃないの!
フィオナは馬に乗って走る、走る、走る。並走するのは同じく乗馬したキャンディ、エメリー、ヒューイ。馬はすべて、トータスの誕生パーティに来ていた貴族たちが乗っていた馬を拝借したものだった。今の時代、馬の速度で走ればそうそう追いつくことはできない。そして、この国の西南の国境は森となっている。森に入ったところで馬を乗り捨てて逃げ込み、そこで国境を越えてしまえばもうこの国の憲兵たちは何もできないはずだった。
そう、エメリーがトータスを撃ってしまった以上、自分達はこのままだと国そのものに犯罪者として追われることになる。
一瞬そうして国に保護された方がいいのでは、なんて考えも過ぎったが、そもそも教会が繰り返してきた悪魔祓いの儀式を見て見ぬフリし、治安を乱したとて問答無用でデモ参加者に銃を乱射するような国である。宗教の自由なんて言いながら、実際はクリシアナ教の教会と癒着していることは明らかだった。教会が引き渡せと言えば、素直に応じてしまうことも考えられるだろう。
ゆえに、自分達は逃げるしかない。
この国の外まで。おぞましい宗教に縛られない場所まで。
「この背徳者め!」
「悪魔の使徒だ、みんな、捕まえろー!」
「なんて恐ろしいこと……!あれが貴族だなんて!!」
「ああああああああああああああああまた、また聖書にあったような暴動が怒るというの!?いやいやいやいや、絶対にいやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「捕まえろ、魔女めっ!」
「殺せ殺せ殺せ殺せ殺せえええええええええええええええええええええ!!」
悪意の声が後ろから、街中から聞こえてくる中。四人はひたすら走る、走る、走る、走る。
万が一の時の逃走ルートは一応考えてあったのだ。なんなら、馬をうまく盗めなかった時のことも考えていた。徒歩で逃げるならその時はその時で、別の方法を考えなければいけなかったものだから。
「はっ……本当に、あんたってば無茶するんだから!!」
振り落とされないように手綱にしがみつきながら、それでもフィオナは口にした。
「銃を持ってきているのは知っていたけど、まさかあそこで撃つなんてね!」
「悪かったよ、そのせいで憲兵にまで追われることになってしまった」
「いいえ。貴方が撃ってなかったなら私が撃っていたんだから何も問題ないわ。……ありがとう、本当にかっこよかったわよ。あのクソオヤジ……失礼、トータスのおじさまったら、可愛いキャンディにあんな風に触るだなんて許せないわ」
「クソオヤジでいいさ。それくらい乱暴な方が君らしい」
「ま、失礼しちゃうわ、まったく」
「お二人とも、そんな風に喋っていると舌を噛みますよ」
「この状況で喋る余裕があるなんて流石ですね、フィオナ様もエメリー様も」
「仕方ないだろう、誰かさんが話しかけてくるんだから。……次の交差点で左だ、フィオナ」
「OK!」
余裕そうに見える会話を交わすのは、本当に余裕があるからではない。冗談まじりの会話をすることで、自分たちに『余裕がある』と言い聞かせるためだ。
自分達はまだ、折れずにいられる。頑張ることができる。冗談を言う余裕がある。
だからきっと、なんとかなる。戦場で、兵士がたびたびする行為の一つ。
――そうよ、きっと、きっとなんとかなる。なんとかしてみせる。
十八年間、慣れ親しんだファイス伯爵家が遠ざかっていく。
何度も足を運んだ喫茶店も。赤い三角屋根がオシャレな香辛料の店も。キャンディのために、初めて自分でケーキを作ろうと考えて買いに走った小麦粉の店も。そして、エメリーたちと秘密の相談をした、あの公園もすべて。
今日ここから離れたら、自分達はきっと二度と母国に戻ることはないのだろう。何不自由ない暮らしから一転、貴族という身分も地位もないところから、慣れない外国で生活しなければいけない。
不安がないと言えば嘘になる。
それでもフィオナが折れることなくまっすぐ前を見つめていられるのは、今一人で走っているわけではないからこそ。そしてこれが、ただの逃走ではなく、未来への疾走であるとわかっているからこそ。
――私は、一人じゃない。愛しい人がいて、エメリーたち仲間がいる。これが、どれほどの僥倖であることか!
「いたぞ!」
「!」
もう少しで町の出口。そこまできたところで、馬に乗った憲兵の集団に先回りされてしまった。こっちのルートは無理。しかし、包囲網が完成されたわけではない。
フィオナはエメリーとアイコンタクトをする。コンマ数秒。自分達が心を通わせるにはそれで充分だ。
――コースは、パターンDに変更!ポイント136で落ち合いましょう!
「キャンディ!」
「はい、お嬢様!」
可哀そうだと思いつつ、進路を変更がてら騎兵隊の足元に銃弾を撃ち込んだ。そもそも、フィオナが持ってきた銃に込められている弾は普通のものではない。馬が嫌う匂いを放つ、煙を発生させる弾もある。攻撃能力はないが、騎兵隊の訓練された馬たちも足元にこれを撃ち込まれてはたまらないはずだ。
「ヒヒイイイイイイン!」
「あ、おいこら、落ち着け、落ち着けって!うわああああああああああああああ!!」
ピンク色の煙の向こうで、混乱した馬の嘶きと振り落とされたのであろう憲兵たちの悲鳴が聞こえた。その隙に、フィオナとキャンディは左の路地へ、エメリーは右の路地へと急ぐ。
ゴミ箱や廃材を軽やかに乗り越え、目指すは国境の森だ。フィオナの白い馬と、キャンディの茶色い馬が同時に町を囲む鉄柵を飛び越えていた。
その瞬間、見えたのは星が瞬く藍色の空。月が、運命に抗うことを選んだ自分達を静かに見下ろしている光景だった。
――神様なんて、この世にはいないけど、でも。
実際に手綱から手は離せない。だから心の中だけで、フィオナは祈るように手を組むのである。
――神様に祈りたくなるのは、こんな瞬間なのかもしれない。
立ち向かう恋人たちを、細く輝く満月だけが見守っていた。