2-1. 貴族夫人の優雅なティータイム(のはずが……)
結婚生活が始まって数日。
セーラは 「働かなくていい最高の貴族夫人ライフ」 を満喫していた。
朝はゆっくりと起き、優雅に朝食をとる。
昼間は書庫で本を読んだり、庭を散策したりしながらのんびり過ごす。
夜になれば、贅を尽くしたディナーを堪能し、暖炉の前で紅茶を片手にゆったりとくつろぐ。
「働かなくても衣食住が保証されるって、本当に素晴らしい……!」
前世では、朝から晩まで働き詰めの毎日だった。
残業に追われ、食事はコンビニ飯かカップ麺。
休日は疲れ果てて寝るだけ。
それに比べて今の生活は、まるで夢のようだった。
「私、前世で苦労した分、今は存分に楽をしなくちゃ!」
そう思いながら、午後のティータイムの準備をメイドに頼んだ。
庭園が見渡せるサンルームに運ばれてきたのは、上質な紅茶と美しく盛り付けられた焼き菓子たち。
ふわふわのスコーンに、クロテッドクリームとジャム。
可愛らしいマカロンに、焼きたてのフィナンシェ。
「……幸せ……!」
美しく整えられたティーセットに、心が満たされていく。
贅沢な時間を過ごす――はずだった。
しかし。
「……なんか、寂しい。」
一人で静かに紅茶を飲み、菓子をつまむ。
確かに優雅なひとときだが、どこか物足りない。
前世では会社でのランチタイムも、同僚たちと賑やかに過ごしていた。
あれが楽しいかと言われると微妙だったが、それでも誰かと会話しながら食事をするのは悪くなかった。
――そうだ。
セーラは近くで控えていたメイドに声をかけた。
「ねえ、一緒にお茶しません?」
メイドは、一瞬きょとんとした後、慌てて首を横に振った。
「滅相もありません! 私は使用人ですので……!」
「そんなの気にしなくていいわ。せっかくだし、お菓子もあるし、一緒に食べたほうが楽しいじゃない?」
「で、ですが……旦那様に叱られてしまいます……!」
セーラは、「ああ、そういうものなのか」と少し考えた。
貴族と使用人は明確に分けられている。
それがこの世界の常識なのだろう。
だが、彼女にとってはそんなルール、どうでもよかった。
「大丈夫よ。私が誘ったって説明するわ。」
「で、でも……」
メイドは明らかに戸惑っている。
しかし、セーラはニッコリと笑って言った。
「一人より、みんなで飲むほうが楽しいし、美味しく感じるわ。」
この言葉に、メイドは息をのんだ。
「……お、お言葉に甘えます……」
そうして、一人のメイドが隣に座り、ティーカップを手に取った。
紅茶を一口飲んだ彼女は、驚いたように目を見開いた。
「……とても美味しいです……!」
「でしょう? さあ、お菓子も食べて。」
「そ、そんな……恐れ多い……!」
「いいの、いいの。」
セーラが無理やり皿を差し出すと、メイドはおずおずとフィナンシェを手に取った。
「……美味しいです……!」
嬉しそうな顔を見て、セーラも自然と微笑んだ。
「こうして、一緒に食べるのって、やっぱりいいわね。」
それからというもの、ティータイムになると、メイドの一人がそっと近くに座るようになった。
最初は一人だったが、次第に二人、三人と増えていき――
「奥様、今日もお茶をご一緒してもよろしいでしょうか?」
「もちろんよ!」
気がつけば、ティータイムは「屋敷の秘密の習慣」となっていた。
---
最初はメイドたちが遠慮していたが、セーラの「気にしないでいいわよ」の一言で、みんな次第に慣れてきた。
お茶を飲みながらお菓子を食べ、時折世間話をする。
「奥様、庭のバラが見頃ですよ。」
「ええ、それなら明日は庭でお茶にしましょう。」
「奥様、お気に入りのスコーンはございますか?」
「そうね、チョコチップ入りが好きかしら。」
和やかな時間が流れる中、セーラはふと気づいた。
メイドたちの表情が、以前よりもずっと柔らかくなっている。
最初は緊張していた彼女たちも、今では自然に笑顔を見せるようになっていた。
それが、なんだかとても嬉しかった。
「……あれ? なんか私、貴族夫人らしくなってる?」
最初はただの思いつきだった。
だが、こうして使用人たちと距離を縮めることで、屋敷の雰囲気が少しずつ変わっている気がする。
「これって……案外、悪くないかも?」
しかし、このティータイムが、思わぬ問題を浮き彫りにすることになるとは、この時のセーラはまだ知らなかった――。
---
2-2. 使用人の待遇改善提案
ティータイムが日常の一部となり、屋敷の空気は以前よりも和やかになった。
メイドたちはセーラとのお茶の時間を楽しみ、次第に他の使用人たちもこの「秘密の習慣」に参加するようになった。
そして、セーラも少しずつ気づいていった。
「あれ? こうして、みんなが笑顔になってくれるのは、私も幸せ。」
最初は「お茶くらい気楽に飲めばいいわ」と思っていたが、日々の変化に心を和ませ、セーラはその感覚を楽しんでいた。
しかし、そんな日々の中で、ある日ふと気づいたことがあった。
それは、屋敷の使用人たちの表情に隠された疲れだった。
ティータイムに加わるメイドたちが、日に日に少しずつ元気を取り戻しているのは確かだった。だが、仕事が終わると彼女たちの顔に浮かぶのは、疲れの色だった。
どこか無理しているように見えるメイドや、疲れ切った様子で作業をする下女たち。
セーラは気づくと、思わず彼女たちの背中を見つめていた。
ある日、ティータイムの後、メイドの一人が皿を片付けに来たとき、セーラは思わず声をかけた。
「ねえ、最近、みんながちょっと疲れているように見えるわね。」
メイドは一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに俯いて答えた。
「いえ、お嬢様。私たちの仕事は普通のことですので……。」
「本当に?」
セーラはその目をじっと見つめた。
メイドは少し黙ってから、とうとう口を開いた。
「実は、私たち、たくさんの仕事を抱えていて、休む暇もありません。」
「それに、屋敷の規模が大きいので、毎日の仕事がとても忙しくて……。」
「忙しい?」
セーラの心にひときわ強い疑念が湧き上がった。
彼女たちは見た目こそ整っているが、明らかに負担を感じている様子だった。
セーラはふと、他のメイドや下女たちの顔を思い浮かべてみた。
やがて、メイドがちらっとセーラの顔を見てから、しゅんとした表情で言葉を続けた。
「…お嬢様、もしよろしければ、私たちの労働環境を改善していただけませんか?」
その言葉が、セーラの心に強く響いた。
これまで、メイドたちは常に笑顔で接してくれていたが、その裏には彼女たちの無言の苦しみがあったのだ。
そして、セーラの心に新たな決意が生まれた。
「どうすれば、彼女たちがもっと楽に過ごせるだろう?」
---
その日の夜、セーラは食後の片づけが終わるのを待ち、リチャードに提案することを決めた。
普段、冷徹で有能なリチャードは、しっかりとした貴族としての考えを持っている。
だが、彼女は自分の思いをしっかり伝えなければならないと感じた。
リチャードは書斎で書類を整理しているところだった。
セーラは少し緊張しながらも、彼に声をかけた。
「旦那様、少しお話ししてもよろしいでしょうか?」
リチャードは顔を上げ、静かに頷いた。
「どうした?」
セーラは席に座りながら、少し言葉を選んでから話し始めた。
「実は、メイドたちや使用人たちの労働環境が、少し厳しいように思えるのです。」
「私たちがこんなに優雅に過ごせる一方で、彼女たちはいつも忙しそうで……。」
リチャードは静かに聞いていたが、少し眉をひそめた。
「……使用人の労働は、貴族家として当然のことだ。」
「貴族として私たちは享受する側だし、彼女たちもそのことに納得して働いている。」
その答えを聞いて、セーラは少し息をのんだが、すぐにしっかりと反論した。
「でも、旦那様。」
「彼女たちにも休む時間が必要だと思うのです。彼女たちはただの使用人ではなく、私たちの家を支える大切な仲間です。」
リチャードは少し黙った後、深いため息をついた。
「君の考えは理解できる。だが、使用人に過度な待遇改善を与えることは、屋敷の秩序を乱すかもしれない。」
セーラは反論を思い浮かべながらも、冷静に続けた。
「旦那様、彼女たちにもっと休む時間や、労働の負担を減らす方法を考えれば、もっと効率よく働いてもらえると思うのです。」
リチャードは無言で彼女を見つめた。
そして、少しだけ真剣な表情を浮かべて言った。
「君がそこまで言うのなら、もう少し考えてみよう。」
その言葉に、セーラは安心した。
リチャードは一度頷くと、しばらく考え込むように黙った。
「これで彼女たちが少しでも楽に過ごせるなら、私も満足だわ。」
セーラは心の中でほっとし、リチャードに微笑みかけた。
---
その後、リチャードは使用人たちの待遇改善に向けた施策を進め、セーラが提案した通り、休息時間を増やすことが決定された。
メイドたちに追加の休暇日を与えること、また、仕事の負担を分担するシステムを作ることにしたのだ。
セーラはその後、ティータイムの際に使用人たちに感謝の気持ちを伝えた。
彼女たちは驚きながらも、感謝の言葉を返してくれ、セーラとの関係はさらに深まった。
「少しでも彼女たちが楽に生きていけるなら、私はそれが一番嬉しい。」
セーラは心からそう感じていた。
それが、彼女が貴族夫人としてだけでなく、一人の人間として幸せである理由だった。