3-1. 貴族夫人の優雅な計画
セーラの「秘密のティータイム」は、屋敷の中で確実に広がりつつあった。
使用人たちは最初こそ戸惑っていたが、今ではメイドたちや下働きの女中たちまで気軽に参加するようになっていた。
「一人で優雅にお茶を楽しむのも悪くないけれど、やっぱり誰かと一緒の方が楽しいわよね♪」
セーラはそう考え、今日もメイドたちとともに庭園のテラスでティータイムを楽しんでいた。
「奥様、このダージリンティー、とても香りが良いですね!」
「お菓子もいつもより種類が多いですわね!」
「今日はね、私が少し特別にお願いしておいたの。」
「せっかくだから、楽しまないとね!」
ティーカップを持ちながら、セーラは満足そうに微笑んだ。
けれど――。
「何か、物足りないわね……。」
ここまで使用人たちと打ち解けたのだから、もっと楽しい時間にしたい。
そこでふと思い浮かんだのが リチャード のことだった。
「そうだ、旦那様も誘ってみようかしら?」
ティータイムに夫を招待する――それはセーラにとってちょっとした挑戦だった。
リチャードは仕事に忙しく、こうした優雅な時間を過ごすタイプではない。
しかし、だからこそ彼にも 「リラックスできる時間」 を知ってほしかった。
「ねえ、旦那様は今、屋敷にいらっしゃるかしら?」
メイドたちは驚いたように顔を見合わせた。
「旦那様……でございますか?」
「ええ、ちょっとティータイムにお誘いしようと思って。」
「で、ですが……旦那様はとてもお忙しいかと……。」
「まあ、そうでしょうけど、一度くらいなら大丈夫よね?」
セーラは軽やかに笑いながら、立ち上がった。
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書斎の扉をノックし、返事を待つ。
「どうぞ。」
落ち着いた低い声が返ってきた。
セーラは静かに扉を開け、中へと入った。
リチャードはデスクに座り、書類に目を通していた。
背筋がピンと伸び、隙のない姿勢――彼は本当にいつも真面目だ。
「旦那様、少しお時間をいただけますか?」
リチャードは顔を上げ、少し驚いたように眉を上げた。
「どうした?」
「今日の午後のティータイム、旦那様もご一緒しません?」
リチャードの目が一瞬、わずかに見開かれた。
「……私が?」
「ええ。お庭で皆とお茶を飲んでいるのですけれど、せっかくだから旦那様もご一緒にどうかと思いまして。」
リチャードは少し考え込むように沈黙した。
「しかし、ティータイムは女性たちのものだろう?」
「そんなことはありませんわ。」
「私がそこに加わるのは、少し場違いではないか?」
セーラは頬に指をあて、考えるふりをしてから――にっこりと笑った。
「では、あなたの執事もお誘いしましょう!」
「……え?」
思わず絶句するリチャード。
「旦那様が女性ばかりの中に入るのが気まずいのなら、男性もいればいいんじゃない?」
リチャードの表情が、一瞬呆れたように歪んだ。
「……君は本当に、次から次へと予想外のことを言うな……。」
「だって、楽しいほうがいいじゃない?」
リチャードはふぅと息を吐いた後、ゆっくりと頷いた。
「分かった……そこまで言うのなら、少しだけ付き合おう。」
セーラはぱっと顔を輝かせた。
「やった♪ じゃあ、執事さんにも声をかけておくわね!」
リチャードは再びため息をつきながらも、どこか苦笑を浮かべていた。
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そして、迎えたティータイム。
庭園のテラスには、すでに紅茶とお菓子が用意されていた。
メイドたちは最初、リチャードが座ることに緊張した様子だったが、セーラが自然に会話を進めると、少しずつ空気が和らいできた。
「ふふ、こうして皆でお茶をするのは、やっぱり楽しいわね。」
「……意外だな。」
リチャードはカップを手にしながら、静かに言った。
「何が?」
「貴族夫人というのは、こうした場では格式を重んじ、使用人とは一定の距離を置くものだと思っていた。」
「ふふ、私はそういうのは気にしないわ。」
「まったく……結婚してから、驚くことばかりだな……。」
リチャードは小さく笑いながら、再び紅茶を口にした。
使用人たちも徐々にリラックスし始め、次第に笑顔が増えていく。
そして、執事までが軽く微笑みながらリチャードに話しかけた。
「旦那様、いかがですか? 奥様のティータイム。」
「……悪くない。」
「えっ!? 旦那様がそんなことを……!」
メイドたちは驚きのあまり顔を見合わせた。
リチャードは普段、仕事に追われ、食事すらゆっくりとることが少ない。
そんな彼が、紅茶をゆっくり飲みながら「悪くない」と言ったのだ。
セーラはにっこりと笑った。
「でしょ? こういう時間も、大事なのよ。」
リチャードは少しだけ視線を落とし、静かに言った。
「……そうかもしれないな。」
この日から、リチャードの中で何かが少しずつ変わり始める――。
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3-2. 夫婦の距離と小さな変化
リチャードを巻き込んだティータイム。
最初はメイドたちも緊張していたが、次第に和やかな雰囲気になり、会話も弾んでいた。
リチャードは無表情ながらも静かに紅茶を楽しんでいたし、執事までリラックスした様子でお茶を飲んでいる。
「これって、なかなか良い流れじゃない?」
セーラは満足しながら、スコーンを口に運んだ。
「奥様、今日は新しく焼いたレモン風味のスコーンです。」
「まあ、美味しそうね!」
メイドの言葉に、セーラは嬉しそうにスコーンにクロテッドクリームをたっぷりつけた。
紅茶を一口含み、レモンの爽やかな風味とクリームの濃厚な味わいを楽しむ。
その様子を見ていたリチャードが、ふと尋ねた。
「君は、本当に食べることが好きなんだな。」
「もちろん! 美味しいものを食べるのは人生の楽しみですもの。」
セーラはきっぱりと答えた。
「旦那様は、あまり食事を楽しむタイプではないのかしら?」
リチャードは少し黙って考え込んだ。
「……そうかもしれないな。食事は栄養をとるためのもの、という意識が強い。」
「まあ、なんてもったいない考え方!」
セーラは思わず目を丸くした。
「美味しいものを食べるって、それだけで幸せになれるんですよ?」
「そういうものか……?」
「ええ! ほら、旦那様もこのスコーンを食べてみてください。」
セーラはにっこり笑いながら、彼の皿にスコーンを乗せた。
リチャードは少し戸惑った表情を見せたが、結局、スコーンを手に取ると、一口食べた。
「……。」
メイドたちが緊張しながら彼の反応を見守る中、リチャードは静かに頷いた。
「……確かに、美味しいな。」
その一言に、メイドたちが目を輝かせた。
「まあ、旦那様が『美味しい』とおっしゃるなんて……!」
「こんなに嬉しいことはありませんわ!」
彼女たちの歓喜の声に、リチャードは少し照れたように咳払いをした。
「……そんなに大げさな話ではないだろう。」
「いえいえ! 旦那様が美味しいと感じてくださるのは、私たちの励みになります!」
セーラはそのやり取りを微笑ましく見ながら、リチャードに向き直った。
「ね? やっぱり食事は楽しんだほうがいいでしょう?」
「……そうだな。」
リチャードは認めるように小さく頷いた。
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こうして、リチャードが参加したティータイムは、意外にも彼にとって悪くない時間となったようだった。
その証拠に、数日後――。
セーラが庭でティータイムを楽しんでいると、書斎からリチャードが出てきて、自然と席についたのだ。
「えっ、旦那様?」
メイドたちも驚いていたが、リチャードは当然のように紅茶を手に取った。
「……何か問題でも?」
セーラは、くすっと笑った。
「いえいえ、どうぞごゆっくり。」
その日から、リチャードは時折ティータイムに顔を出すようになった。
忙しい時はもちろん参加しなかったが、余裕がある時はふらりと現れ、静かに紅茶を飲む。
最初は緊張していた使用人たちも、彼のそうした態度を見て、次第に受け入れるようになった。
そして、セーラはふと気づいた。
「旦那様、少しずつ私に影響されている……?」
以前の彼なら、こうした時間を「無駄」と切り捨てていたかもしれない。
しかし、今は少しずつではあるが、ティータイムを「楽しむ」ようになっている。
それが、なんだか嬉しかった。
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ある日、セーラがティータイムを楽しんでいると、執事がリチャードに話しかけた。
「旦那様、お茶はいかがですか?」
リチャードはふと手元のカップを見つめ、それからセーラに目を向けた。
「……私は変わっただろうか?」
「え?」
「以前は、こういう時間を取ることすら考えなかった。」
リチャードは静かに紅茶を飲みながら、遠くを見つめた。
「君と結婚してから、驚くことばかりだ。」
セーラは驚きながらも、ふんわりと微笑んだ。
「それって、良いことかしら?」
リチャードはゆっくりと頷いた。
「……悪くはない。」
その答えに、セーラは満足そうに微笑んだ。
「やっぱり、私の自由な生き方は、旦那様にも影響を与えているみたい。」
これからも、彼を巻き込んで楽しい時間を増やしていこう――そう思うセーラだった。