7-1. まさかの正式依頼
「――奥様に、正式に商人ギルドの顧問になっていただきたいのです!」
応接室に響いた商人ギルドの代表・ガルバンの言葉に、セーラは 「えええっ!?」 と絶叫した。
「ちょ、ちょっと待ってください! 私、ただの貴族夫人ですのよ!?」
慌てて言い返したものの、ガルバンをはじめとする商人たちは真剣な眼差しで彼女を見つめていた。
「奥様の知識と技術は、すでに商人たちに計り知れない恩恵をもたらしています。」
「簿記と珠算の導入により、取引の精度が向上し、無駄なコストが削減されました。」
「おかげで、商業の発展が加速し、各商人の利益も増大しています。」
「今や、奥様の指導を仰ぎたいと考える商人は後を絶ちません。」
「そこで、商人ギルドとして正式に、奥様を『顧問』として迎えたいと考えたのです!」
セーラは、めまいを覚えた。
――ちょっと待って!
私はただ、優雅な貴族夫人ライフを送るつもりだったのに……!
セーラは確かに簿記と珠算を広めた。
それは、リチャードの仕事を手伝ううちに「もっと効率化できるのでは?」と考え、興味本位で商人たちに勧めただけだった。
それが今や、商人ギルド全体にまで広がり、正式な役職を求められるまでになってしまった。
「えっと……顧問って、具体的に何をするのですか?」
恐る恐る尋ねると、ガルバンは即答した。
「簿記の指導と監修、珠算の普及活動、そして商業政策に関する助言です。」
「思ったよりガッツリ仕事じゃない!!」
セーラは内心で悲鳴を上げた。
「し、しかし、私にはそんな大役……。」
「そんなことはありません!」
別の商人が力強く言った。
「奥様は、もはや商業界の革命を起こしたお方です!」
「奥様が広めた簿記と珠算のおかげで、商人の仕事は格段に楽になりました!」
「今後、さらに商業を発展させるためにも、ぜひ奥様のお力を貸してください!」
次々と商人たちからの熱い言葉が飛んでくる。
セーラは 「ううう……!」 と唸りながら、視線を横に向けた。
――すると、リチャードが静かに微笑んでいた。
「君が望むなら、やればいい。」
彼はいつものように穏やかに言う。
「望むなら……?」
「君がやりたくないのであれば、断っても構わない。」
「だが、君が楽しめるのなら、私は応援する。」
リチャードはそう言って、優しく彼女を見つめた。
セーラは、その瞳を見て、思わずドキリとする。
――私は、本当にこの仕事をやりたいのだろうか?
考えた末に、出てきた答えは―― 「YES」 だった。
「私は働かないつもりだった……でも、気づけば楽しんでいたのよね。」
彼女はリチャードの仕事を手伝うのが楽しかった。
ソロバンを考案し、商人たちに教えたときの喜びを忘れられなかった。
そして、商人たちが成長し、発展していく様子を見るのが何よりも嬉しかった。
「……分かりました。」
セーラは、大きく息を吸ってから、ゆっくりと頷いた。
「正式に、商人ギルドの顧問をお引き受けします。」
「おおおおお!!!」
商人たちは歓声を上げ、拍手をしながら大喜びした。
「ありがとうございます、奥様!!」
「これで、商業の未来はさらに明るくなる!」
セーラは呆れながらも、少しだけ誇らしい気持ちになっていた。
――しかし。
この決断が、さらに 彼女の仕事を増やす結果になる とは、このときの彼女はまだ知らなかった。
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その夜、リチャードと二人きりになったとき、セーラは思わず 「はぁ……」 と長いため息をついた。
「私、ただの貴族夫人だったはずなのに、気づけば商人ギルドの顧問になってしまいましたわ……。」
リチャードはくすっと笑った。
「君が自由にやっていた結果だな。」
「本当ですよ……!」
セーラはクッションを抱えながら、ふてくされたように頬を膨らませた。
「働かないつもりだったのに……気づけば仕事が増えていく……!」
「だが、君は楽しそうだ。」
リチャードが静かに言った。
セーラは、彼のその言葉にドキリとした。
確かに、戸惑いながらも、彼女はこの仕事に やりがい を感じていた。
「……ええ、たぶん、楽しいんだと思いますわ。」
「そうか。」
リチャードは満足げに微笑み、そっと彼女の手を取った。
「なら、君のやりたいようにすればいい。」
「私は、君のそばで支え続ける。」
セーラは、一瞬驚いた後、ふわりと笑った。
「……やっぱり、旦那様は最高ですわ。」
そして、そっとリチャードの肩に寄りかかった。
彼の優しい温もりを感じながら、彼女は静かに目を閉じた。
――明日から、また忙しくなるだろう。
だけど、それも 悪くない。
7-2. 増えていく責任と期待
正式に商人ギルドの顧問として迎えられたセーラ。
会議での議論が終わると、彼女のもとには次から次へと商人たちが訪れた。
「奥様、ぜひうちの商会の帳簿を見ていただきたいのですが!」
「珠算の講習会を開いていただけると聞きまして!」
「新しく商売を始める際の財務計画について、助言をいただきたいのですが……!」
次々と寄せられる期待に、セーラは思わず 「ううう……」 と唸った。
「ま、待ってください! 一度にこんなにたくさんの相談を受けるなんて無理ですわ!」
「ですが、奥様のお力を借りたいという商人は数え切れません!」
「あなたが広めた簿記と珠算は、商業界に大きな変革をもたらしているのです!」
「商人たちの間では、奥様を『商業の守護者』とまで呼ぶ者もおります!」
「そんな大層な肩書き、いつの間についたの!?」
セーラは心の中で悲鳴を上げた。
彼女はただ、簿記と珠算を導入しただけのつもりだった。
それがここまで影響を及ぼしているとは思ってもみなかった。
「と、とにかく、すべてを私一人で引き受けるのは無理ですわ!」
「で、ですので……!」
セーラは一瞬考え込み、ある提案をした。
「ギルド内に、簿記と珠算の専門部署を作りませんか?」
商人たちは驚いたように顔を上げた。
「専門部署……?」
「ええ。私が一人で対応するのではなく、各商会ごとに財務管理の担当者を決めて、彼らに簿記と珠算を教えます。」
「そうすれば、ギルド全体での財務管理のレベルが上がり、個々の商人たちの負担も減るはずです。」
その提案に、ガルバンをはじめとする幹部たちは顔を見合わせた。
「……それは、素晴らしい案です!」
「確かに、奥様一人に頼るのではなく、ギルド全体の底上げをする方が効率的でしょう。」
「簿記や珠算を学んだ人材を増やし、体系化すれば、商業の発展が加速します!」
「よし、すぐに実行に移しましょう!」
セーラは 「助かった……」 と思いながらも、同時に 「どうしてこうなったの!?」 という気持ちを抱えずにはいられなかった。
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商人ギルド、変革の時
ギルド内に 「財務管理部」 という新たな部署が設立され、簿記と珠算の教育が本格的に始まった。
セーラ自身も、講師として関わることになったが、彼女一人では手が回らないため、数名の商人たちを指導者として育成することにした。
講習会が開かれると、多くの商人が参加し、真剣に学び始めた。
「珠算を使うと、こんなに早く計算ができるのか!」
「今までの帳簿のつけ方が、いかに非効率だったか思い知りました……!」
「奥様の指導を受けて、うちの商会も財務管理を見直そう!」
こうして、商人たちの間で 「簿記と珠算の技術」 が急速に広まっていった。
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屋敷に戻ると……
その日の仕事を終えて屋敷に戻ると、セーラは どさっ とソファに倒れ込んだ。
「はぁぁぁぁぁ……!」
彼女の様子を見て、リチャードが微笑む。
「お疲れ様。」
「旦那様ぁぁぁ……!」
セーラは泣きつくように彼の腕にしがみついた。
「まさか、こんなに大変だなんて思いませんでしたわ……!」
「ふふ。君は、また仕事を増やしたな。」
「ほんっっっとうにそうですわ……!」
セーラは頭を抱えながら呻く。
「でも、やるからにはちゃんとやりたいですし……。」
「それが君のいいところだ。」
リチャードは優しく微笑みながら、セーラの髪を撫でた。
「だが、無理はするなよ?」
「……ええ。」
彼の温かい手に包まれながら、セーラは 「この人がそばにいてくれるなら、大丈夫かも」 と思った。
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そして、さらなる展開が……
翌日。
ギルドから新たな依頼が舞い込んできた。
「簿記と珠算を広めるだけでなく、ギルド内の取引の監査役もお願いしたいのですが!」
「……え?」
セーラは目を丸くした。
「監査役?」
「ええ! 簿記と珠算の導入で、取引が透明化されてきましたが、まだ不正や誤魔化しが完全になくなったわけではありません!」
「そこで、奥様に監査役として、ギルド全体の会計管理を統括していただきたいのです!」
「……ちょっと待ってください!」
セーラは両手を振って慌てた。
「私は、そんなつもりで顧問になったわけでは……!」
しかし、商人たちは 「そこをなんとか!」 と頭を下げる。
「ううう……仕事が……仕事が増えていく……!」
セーラは天を仰ぎながら、涙目になった。
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リチャードの一言
屋敷に戻ると、またしてもリチャードが微笑みながら紅茶を淹れていた。
「どうだった?」
「……仕事が、増えました。」
「そうか。」
彼はクスッと笑いながら、紅茶を彼女の前に置いた。
「でも、君はやるんだろう?」
セーラは、少しだけ考え――そして、苦笑しながら頷いた。
「ええ、もうここまできたら……!」
リチャードは満足げに頷き、そっと彼女の手を握った。
「君が楽しんでいるのなら、それでいい。」
「ふふ……ありがとうございます、旦那様。」
こうして、セーラの 「仕事が増えていく生活」 は、ますます加速していくことになるのだった。