9-1. 胃袋とハートを掴む料理
「本日、奥様が自ら料理を準備されております。」
屋敷の執事からの報告に、リチャードは思わず 「……は?」 と聞き返した。
「セーラが?」
「ああ、台所で腕を振るわれております。」
リチャードは、驚きのあまり一瞬固まった。
セーラが料理を?
彼女は貴族令嬢として育ち、これまで料理をする機会などなかったはずだ。
それなのに、突然料理をするとはどういうことだろうか。
「……まさか、屋敷の食事が口に合わなくなったのか?」
「いえ、奥様は“感謝の気持ち”と仰っておりました。」
「感謝の気持ち?」
リチャードは、その言葉に胸の奥が熱くなるのを感じた。
彼女は 何に対しての感謝 なのだろう。
この屋敷で自由に過ごせていることだろうか?
それとも、彼が彼女の好きなことを尊重していることに対してだろうか?
「いや、どちらにせよ、セーラが自分のために料理を作るなんて……!」
リチャードは、胸の鼓動が速くなるのを感じながら、台所へ向かった。
愛情たっぷりの料理
「よし、これで完成ですわ!」
台所に入ると、セーラが満足げに微笑みながら、大きな鍋を前に立っていた。
「セーラ……君、本当に料理を?」
「ええ、今日は特別に、旦那様に私の手料理を振る舞おうと思いまして。」
セーラは誇らしげに胸を張った。
「最近、いろいろとお世話になっていますし、私のワガママも許していただいていますから、その感謝の気持ちですわ。」
リチャードは、その言葉に一瞬言葉を失った。
「……感謝、か。」
彼は、彼女が自分を慕ってくれていることを実感し、心がじんわりと温かくなるのを感じた。
「で、これは何の料理なんだ?」
テーブルに並べられた料理を見て、リチャードは首を傾げた。
スープのようにも見えるが、シチューのようでもある。
しかし、香りはどこか違う。
「これは『肉じゃが』ですわ。」
「……にく……じゃが?」
リチャードは、初めて聞く料理の名前に困惑する。
「ええ、前世の記憶で覚えていた料理ですの。」
セーラは得意げに微笑むと、こう続けた。
「意中の男性の胃袋とハートを掴むには、肉じゃががマストだと、以前友人に聞いたことがありますの。」
「――!?」
リチャードの脳内が一瞬停止した。
「意中の……男性?」
「胃袋と……ハート?」
「掴む……?」
彼の鼓動が一気に跳ね上がった。
「……そ、それはつまり……?」
「もちろん、旦那様のことですわ。」
セーラは、にっこりと微笑んだ。
「わ、私!?」
リチャードは、今までにないほど動揺した。
彼の心臓がバクバクと音を立て、視界がぐるぐると回るような感覚に襲われる。
「だ、旦那様以外にありえませんわ!」
セーラは当たり前のように言い放った。
――それは、告白と同じではないか!?
リチャードの頬が一気に赤くなった。
「……私を意中の男性だと……?」
「ええ。」
「……ずっと?」
「もちろんですわ。」
セーラは何気なく答えるが、リチャードの頭の中では 鐘が鳴り響いていた。
――彼はずっと、彼女を想い続けていた。
しかし、彼女の心が自分にある確信はなかった。
それが今、彼女の口から 「旦那様以外ありえません」 という言葉を聞いたのだ。
――もう、我慢する理由がない。
リチャードの告白
「……セーラ。」
リチャードは、彼女の肩を優しく引き寄せた。
「きゃっ?」
驚く彼女を抱きしめながら、リチャードは静かに言った。
「実は、君を妻にしたのは政略結婚のためではない。」
「え……?」
「幼い頃から……私はずっと君のことを想い続けていた。」
セーラの瞳が大きく揺れた。
「幼い頃から……?」
「君は覚えていないかもしれないが、私は昔、社交界の場で君を見かけたことがある。」
「そのときの君は、庭の片隅で、一人でお茶を飲んでいた。」
「他の貴族たちが駆け引きや社交に明け暮れる中、君だけが自由に、のびのびと過ごしていた。」
「その姿を見て……私は、強く惹かれた。」
「そして、ずっと君のことを想い続けていた。」
セーラは、信じられないというように彼を見つめた。
「……そんなに、私のことを?」
「ずっと。」
リチャードは、彼女の手を取り、静かに続けた。
「だからこそ、私は君に自由を与えたかった。」
「君が望むなら、どんな生き方でもさせてあげたかった。」
「でも……本当は、君が私のそばにいてくれることを願っていた。」
セーラは、胸がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。
リチャードは、ずっと彼女を想い続けていたのだ。
それなのに、彼女は今まで 「政略結婚の夫」 としか思っていなかった。
「……旦那様。」
彼女はそっと彼の頬に触れた。
「こんなにも私のことを考えてくださるのは、旦那様だけだと思っています。」
「私の心が旦那様から離れることなど、ないと思っています。」
リチャードの瞳が、驚いたように揺れた。
そして、彼はそっと彼女の手を握り返し、静かに微笑んだ。
「……なら、私はもう迷わない。」
「君の心を、永遠に繋ぎ止める。」
その言葉に、セーラの心は 完全に 彼に捕らえられた。
こうして、二人の心は、より深く結びついたのだった。
9-2. 永遠に繋ぎ止めるという誓い
――リチャードの腕の中は、温かかった。
セーラは彼に抱きしめられたまま、彼の言葉を噛み締めていた。
「幼い頃から……私はずっと君のことを想い続けていた。」
その言葉が、彼の心からの告白だったと気づいたとき、セーラの胸はじんわりと温かくなった。
「……旦那様。」
彼女はそっと顔を上げ、リチャードを見つめた。
「私、ずっと……政略結婚だと思っていました。」
「確かに、私はこの結婚を受け入れましたが、それは単に『仕方がないもの』だと割り切っていたのです。」
「でも……今、分かりました。」
「これは、私にとっても“運命の出会い”だったのですね。」
リチャードの目が、優しく細められた。
「そう思ってくれるなら、これほど嬉しいことはない。」
彼はセーラの手を取り、そっと口づけた。
「私は、君が私の元から離れないように、すべてを与えようと決めていた。」
「君に自由を与え、君の好きなように生きさせることで、君自身がここにいたいと思ってくれることを願っていた。」
「だけど……私は間違っていたのかもしれない。」
リチャードは少し切なげに微笑んだ。
「本当は、君の心をもっと早く繋ぎ止めるべきだったのかもしれないな。」
その言葉に、セーラの心はぎゅっと締め付けられた。
彼はずっと、彼女の幸せを願いながらも、不安を抱えていたのだ。
「……でも、私は今、こうして旦那様のそばにいますわ。」
セーラはそっと彼の手を握り返し、微笑んだ。
「私の心が旦那様から離れることなど、ありません。」
「私は、私の意志でここにいるのです。」
その言葉を聞いた瞬間、リチャードの表情が驚きに満ちた。
彼の唇がわずかに震え、瞳が揺れる。
「……本当に?」
「ええ、本当ですわ。」
「私は、ただこの屋敷に住んでいるだけの夫人ではありません。」
「私は、あなたの妻であり、あなたのパートナーです。」
「あなたのそばで、共に生きていきたいと心から思っていますわ。」
「だから――私は、あなたと永遠にともにありたい。」
その言葉を聞いた瞬間、リチャードは衝動的にセーラを再び強く抱きしめた。
「……セーラ。」
彼の声は、震えていた。
「君がそう言ってくれることを、どれほど望んでいたか分からない。」
「私は君を愛している。ずっと……君だけを。」
「これからも、君が望む限り、私は君のそばにいる。」
「君がどこにも行かないように……私は君を永遠に繋ぎ止めよう。」
その言葉に、セーラの心が震えた。
――彼は、本当に私を想ってくれている。
――そして、私もまた、彼を想っている。
その事実に気づいた瞬間、セーラの頬が赤く染まった。
「……旦那様。」
セーラは、そっと彼の背に手を回し、静かに目を閉じた。
――この温もりを、永遠に感じていたい。
それが、彼女の 本当の願い なのだと気づいた。
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夕食の時間、改めて始まる
しばらく抱きしめ合った後、セーラは照れくさそうに咳払いをした。
「そ、そういえば……!」
「せっかく作った肉じゃが、冷めてしまいますわ!」
「ああ、そうだったな。」
リチャードは微笑みながら、テーブルの椅子を引き、セーラを座らせた。
「では、いただくとしよう。」
彼はフォークを取り、慎重に肉じゃがを口に運ぶ。
そして、一口食べた瞬間――
「……美味しい。」
彼は、驚いたように目を見開いた。
「本当に美味しいぞ、セーラ。」
「本当ですの?」
セーラの顔が、ぱっと明るくなる。
「ええ、これは……なんとも言えない、優しい味だ。」
「ほっこりするというか、心が温まる味だな。」
リチャードは、満足げにもう一口食べる。
セーラは、嬉しそうに微笑みながら、自分も食べ始めた。
「よかったですわ。これで、旦那様の胃袋はしっかり掴めましたね!」
「……ああ。」
リチャードは、彼女の言葉に微笑みながら、静かに言った。
「だが、君はすでに、私の心を完全に掴んでいる。」
――私の心は、最初から君のものだ。
その言葉に、セーラの頬がますます赤く染まった。
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夜の静寂の中で
夕食を終えた後、リチャードはセーラの手を取り、静かに囁いた。
「……セーラ。」
「はい?」
「今夜は、君の隣で眠りたい。」
「!!!」
セーラの心臓が跳ね上がる。
「だ、旦那様……!」
リチャードは、優しく微笑みながら言った。
「何もしない。ただ、君のそばにいたいだけだ。」
「……。」
セーラは、一瞬ためらったが――
「……分かりましたわ。」
そっと彼の手を握り返した。
こうして、その夜。
二人は、ただ静かに寄り添いながら、同じ時間を過ごした。
お互いの鼓動を感じながら――
「君の心を繋ぎ止めたくて。」
それが、リチャードの ずっと抱えていた想い だった。
そして今、彼の願いは叶い、二人の心はしっかりと結ばれたのだった。