サリア邸、応接間。執事長の出した紅茶を傾けながら、二人の男女が言葉を交わしている。
「つまりまとめると、これまでいくつもの集合住宅で強制退去を命じられ、行くところがなくなった、と?」
「……そうよ」
そんな風に、カールはラウラから事情を尋ねていた。たった今、事情を概ね把握したところだ。
「だからってなんでうちなんだ。普通、クラスメイトのいる家とか嫌だろ」
「……そりゃ、私だって避けられるなら避けたかったけど、家主達の繋がりの間で私の噂が広がってるみたいで、部屋を貸してくれるところが全然なくて。
……あなたの人となりは昼に知ったから、安心かと思って」
「僕の人となり?」
ラウラの言葉にカールが問いかける。僅か数分のやり取りでラウラは何を知ったと言うのか。
「……もうしないんでしょ、恋。だったら、私が一緒に住んでも安心よね」
誰かに言い寄られるのはうんざりなの、とラウラが微笑む。
「なるほど。僕と恋に発展することはないから、同居しても安心だ、と」
「……そう言うことよ」
カールのまとめにラウラが頷く。逆に言うと自分は自分でラウラから異性として見られていないんだな、と思ったが、もう恋をしないと決めた身だ。それでガッカリきたりはしない。
「分かった。うちに住むと良い。ただ、覚悟を決めたいから一つ聞かせてくれ。なぜ、何度も強制退去なんて?」
「……住むのを決めてくれたのに、その上で聞くの?」
可能なら答えたくない。そんな思いがありありと見てとれた。
「あぁ。君がそんな問題を起こすような人には見えないが、ともすれば、だからこそ、どんなトラブルが起きるか予想もつかない。どんなトラブルを引き起こして来たのか、事前に聞いておきたい」
「……将来起きる問題について覚悟を決めておきたい、と?」
「まぁ簡単に言えばそう言うことだ」
ラウラのまとめにカールが頷く。
「……まぁでも確かに。それが理由で拒否されるなら早い方がいいし、今のうちに受け入れてもらえればその方が楽か」
とラウラは頷いた。
「……ねぇ、サリア君、口は硬い?」
「やはり秘密の何かが関わるのだね。勿論だ。将来、正騎士になろうと言うこの精神に誓って、人の秘密は漏らさない」
ラウラの少し不安げな問いかけに、カールは胸に握り拳を当てて誓いを示す。
「……まだ騎士の誓いも立ててないでしょうに」
そう言って、カールの誇り高き顔に対し、ラウラは笑いを返す。
「……じゃあ、今から見ること、誰にも言わないでね」
そう言って、ラウラは微笑み、そして、立ち上がった。
「なんだ?」
応じるように、カールが立ち上がる。
と、突如として、ラウラが昏く輝き始めた。
「な、なんだ!?」
こんな色の魔法というのは見たことがない。何をするつもりなのか分からず、咄嗟にカールは右手で納刀された剣の柄を握り防御魔法の発動を試みる。
だが、それより早くラウラの変化が終わる。
昏い光が消え、ラウラの姿が見えてくる。
光が消えたことで、ラウラの輪郭が多少変化しているのが分かったが、そんなことよりカールの目を惹いたのは。
「赤黒い……大鎌?」
その手にした赤黒い大鎌であった。草刈鎌ではない。身の丈ほどもある柄を持ち、刃の部分もラウラの頭一つ分よりも長い。
「……これが私の本当の姿」
そう言われて、カールは漸くラウラの姿も多少変化している事に気づく。
頭に赤黒い二本のツノが生え、ワンピースの背中にある大きく開いた部分から小さなコウモリのような翼が生えてきていた。
そして、手も肘のさらに奥までの皮膚が赤く染まっている。
「ま、まさか……死神、なのか」
カールは辛うじて言葉を絞り出す。
「……流石にこの大鎌を見れば分かるよね」
この世界には人間以外に「亜人」と言われる少数種族達が存在する。
その多くは人間に擬態しており、今のラウラのように必要に応じて本来の姿を晒す。
中でも死神は特別珍しい種族だ。その生態は殆ど謎に包まれている。
「……思ったより驚かないのね。私はあなたの魂を狙ってるかもしれないのに?」
「死神に関する殆どの噂は根拠のない話だと思っている。知的生命体の魂を前提にしてしか生きていけない種族なら、今頃もっと積極的に排除されているはずだ」
死神はその生態の謎からたくさんの噂がある。
その中でも代表的なものが、死神は知的生命体の魂を摂取して生きるというものだ。死神が生まれた時から持っている大鎌で、知的生命体の命を刈り取り、その魂を生きる糧とするという伝説は絵本などでも語られるほどで、あまりに有名であった。
だが、カールはこれを根も葉もない噂だと考えていた。もし事実であるなら、死神は種族的な人殺しであるわけで、国を上げた積極的な死神狩りが生じていても良いはずだからだ。だが、過去起きたヒステリックな異種族狩りを除けば、歴史的にそのような事実はない。
「……そうね。私達は人の命を奪ったりはしないわ。けど、残念ながら世間はあなたのように賢明な人ばかりではないの」
「死神の噂を信じているものもいる、と」
カールにもそれは想像がついた。
「じゃあ、ウォルフさんはうっかり家主に死神だとバレて、部屋を追い出されてきた、ってことか」
「……そういうことよ。そこまで知った上で、サリア君は本当に私をこの屋敷に住まわせていいの? ……あなた、不幸になっちゃうかもしれないわよ?」
ラウラが自嘲気味に笑う。
死神の噂の中には、「死神をそばに置くものは必ず不幸になる」というものがあった。
「言っただろ。根拠のない噂は信じない。それに、そんな風に笑う君を捨て置くことは騎士の誓いに悖る」
だが、ラウラの言葉にカールは大きくかぶりを振った。
「……騎士の誓い? ふぅん、じゃあそういうことにしておこうか」
ラウラはその言葉を聞いて面白そうに笑う。
「何がおかしい?」
「……いいえ、恋多きあなたが私に惚れたからそう言ってるんじゃないか、と思っただけ」
「そんなことはない。僕はもう恋はしない。だから、君に恋することはない。約束しよう」
「そ、信じてるわ」
じゃ部屋に案内するよ、とカールが立ち上がる。ラウラもそれに続く。
「ここが君の部屋だ。東館二階の一番奥」
「……これだけ空き部屋があるのに、わざわざ一番奥?」
「一番手前が僕の部屋なんだ。万が一を考えると、部屋の間は距離がある方が良いだろ?」
不満げなラウアをカールがなだめる。
「……あら。私に恋しないんでしょ? ならすぐ隣でも問題ないんじゃないの、騎士見習い様?」
「駄目だ。対外的になにか疑われても困るからな。ここは徹底的に部屋を離す」
「……そ。まぁ家主様がそう言うなら良いけど」
挑発的に笑うラウラだったが、かぶりを振るカールを見て、興味なさげに頷く。
「なんか君、僕をからかって遊んでないか?」
「……まさか、騎士見習い様。そんなわけないでしょう?」
「なら構わないが……」
ラウラが扉を開けると、既に荷物が運び込まれていた。
「……あら、執事長さんがあなたの考えを読んで、もうここに荷物を運び込んでたみたいね」
「まぁ、うちの執事長は優秀だからな」
驚いたようにラウラが目を丸くする。
「そういえば、その、食事は食べるのか?」
「……えぇ、本当は別のものがベストだけど、普通の食事も摂取できるわ。……一緒に食事をさせてもらえる?」
「分かった。なら食事が用意できたら、メイドに呼びに行かせる」
「……あら、メイドもいるのね。その子に恋はしなかったの?」
「しないよ。うち唯一のメイドだ。他に入居者が来なければ……来ないと思うが、君の専属メイドになる。仲良くしてくれよ」
「えぇ、心得たわ」
それじゃ、また食事時に。と二人は挨拶を交わし、カールはラウラの部屋を出る。
「これはなんとも……大変なことになったな……」
自分の部屋に向かう廊下を歩きながら、カールは独りごちるのだった。