「えー、というわけで、今日からこの屋敷に住むことになる、アネット・フォン・フォーグラーだ」
屋敷の一同を集め、カールがアネットを紹介する。
「ようこそ、アネット様」
「……フォーグラーさんってフォーグラー家の娘さんよね? どうしてこの屋敷に?」
嬉しさを隠しきれない様子で出迎えるマリアンに対し、ラウラは首を傾げる。実際には会話を盗み聞いて事情はある程度知っているのだが、改めて当人の口から聞いておきたかった。
「勿論! あなたのような女性とカールが不適切な男女間交流するのを防ぐためです!」
自信満々にアネットが宣言する。
「……不適切な男女間交流? サリア君と私が?」
面白そうにラウラが笑う。
「そうよ!」
「……サリア君がそんな人間でないことは、幼馴染であるフォーグラーさんならご存知でしょうに、幼馴染を信用できないの?」
「うっ……」
ラウラのその言葉はアネットにとって痛いところだった。カールが同居している程度で不適切な男女間交流――それこそ不純異性交遊とか――に及ぶ相手であれば、アネットもマリアンも困っていないのである。そもそもそんな男であれば好きになっていない可能性さえある。
「と、とにかく! 一緒に住むの! 絶対ったら絶対なの!」
「……まぁ、サリア君がいいなら、別にいいけど。……よろしく」
「ん、よろしく」
言葉に窮したアネットは開き直りに近い宣言をするが、ラウラは特に気にした様子もなく受け入れる。
「……ところで、サリア君、あとでちょっと部屋に行っていいかしら? それか、あなたが部屋に来てくれてもいいけど」
もうアネットには興味を失ったとばかりに、ラウラはカールに話しかける。
「構わないよ」
カールは特に気にすることなく応じる。
「駄目!」
だが、それにNoを突きつけるのはアネットだ。
「個室でカールと二人っきりになる? それは不適切です!」
ドン、とアネットが机を叩く。
「……お硬いわね。じゃあ、マリアンさん、あなたも来てくれる? ……それなら、構わないでしょ、フォーグラーさん」
「う……。まぁ、マリアンが一緒なら……」
二人っきりなのが問題なので、マリアンを同行させるというなら、それ以上アネットに文句を言う資格はなかった。
「それで、なんの用事なんだ?」
夕食を終えて、カール、ラウラ、マリアンの三人がカールの部屋に集まっていた。
「……その前に」
ラウラが素早くその姿を死神本来の姿へと変える。人間達が「異貌」と呼ぶ、亜人達の能力だ。
同時、ラウラから黄色と藍色の光が溢れ、部屋全体を覆う。
「防音と認識阻害か。そこまでして聞かれたくないことなのか?」
「……えぇ。私についての話だもの」
カールの問にラウラが頷く。
「……フォーグラーさんや今後増えるかもしれない同居人についてなのだけど」
「いや、今後増えることはないと思いたいが」
「……まぁ、それならフォーグラーさんだけでもいいけど。彼女には私の正体は内緒にしてほしいの」
「君が死神だとは伝えずにおきたい、ということか?」
「……えぇ。秘密は知られないに越したことはないもの」
現在、「ラウラが死神である」という事実はカールと屋敷の使用人達だけが知っている。
「アネット様なら秘密にしてくださいますよ」
「……かもね。けど、今後同居人が増えたときに知ってる人と知らない人が混在すると面倒なのよ。一律知らないに統一したいの」
マリアンがアネットを庇うが、ラウラは首を横に振る。
「いや、これ以上同居人が増えないでほしいが」
「……けど、あなたが拒絶出来るわけではないんでしょう? 教室で言ってたものね」
「やっぱり聞いてたのか」
当たり前のように教室でのことを持ち出すラウラに、しかりカールは驚かなかった。こっそり屋根の上から聞いている可能性を既に想定していたからだ。
「まぁ、確かに。僕にはよほどの理由がない限りは入居者を拒む権利はない」
とはいえ、ラウラの言葉をカールは否定出来なかった。
「……ということは、今後入居者が現れる可能性はあるということよ。あなたにとっては万が一でも、私はそれに備えておきたいの。私にとっては起きては困る事態だから」
「なるほど。話は分かった。ならアネットには君の正体は告げないでおこう」
「……理解してもらえて助かるわ」
カールは結局頷くことにした。そもそもラウラが秘密にしたいと言っていることを勝手に明かすつもりはなかったので、拒否するつもりは元よりなかった。
「そういうことだ、マリアン。すまないが、他の使用人にも徹底するようお願いしておいてくれ」
「仰せのままに、マイロード」
カールの言葉にマリアンはスカートをつまんで少し腰を落とすような動作をすることで承知の意思を示す。
「すまないな、アネットに隠し事をさせるような指示になってしまう」
「いえ、カール様のご意向に従うのが我らの仕事でありますれば」
マリアンは本心からそう思っていた。カールの願いと想いに応えてこそのメイドである、と。
「……さて、もう一つ、頼みがあるのだけれど」
「もう一つあるのか」
ラウラの言葉に、カールは再びラウラに向き直る。
「……えぇ。私、お腹、空いたの」
「そうなのか? 晩飯には少し早いが、マリアン、軽食を……」
頼んでもらえるか、とカールは続けようとしたが、それより早くラウラが小さく首を横に振る。
「……そっちも食べられるに越したことはないけど、それじゃ死神のお腹は本当の意味では膨れない。……私、魂が食べたいの」
「なっ!」
マリアンがスカートを素早くふわっと持ち上げたかと思うと、いつの間にかその手にナイフを握られている。
「……あら、朝は怯えるばかりだったのに、今回は勇敢ね、マリアンさん」
「カール様を傷つけることは看過出来ませんから。それに、お二人が学校に行っている間に死神対策の準備も重ねました」
と言っているが、その言葉から強がりの色が滲んでいることはカールにもラウラにも分かった。
「……へぇ」
面白そうにラウラが微笑み、一歩カールに踏み込む。
「させませんっ!」
マリアンが青い顔をしながらカールとラウラの間に割り込み、ラウラにナイフを向ける。荒い呼吸がマリアンの緊張を何より如実に表していた。
「大丈夫だよ、マリアン。ラウラは僕を傷つけたりしない」
安心させるようにカールがマリアンの肩を叩く。
「ですが……」
「本当にラウラに僕の命を奪う気があるなら、一瞬で異貌して僕に襲いかかってるよ」
「……どうかしら、じわじわと恐怖を与えてその味を楽しみたいのかもしれないわよ?」
「そ、そうです! 朝もその時の感情によって魂の味が変わるようなことを言ってました」
「ウォルフさん、どうして君は自分から嫌われるようなことを言うんだ」
「……そんなつもりはないのだけど」
それは嘘だ、とカールは思った。明らかにラウラは人と距離を取りたがっている。そのためには嫌われることも辞さない、そんな様子だ。
「まぁいい。それで、具体的にどう解決するつもりなんだ?」
マリアンに対するラウラの態度は明らかに嫌われるためのおふざけだが、最初に切り出した魂を食べたいと言う本題は嘘ではあるまい、とカールが問いかける。
「カール様……」
そんなカールをマリアンが不安気に見上げる。
「……夜に共同墓地に行きたいの。事前に調べておいた限りでは、今日、身寄りのない死体が埋葬されるはずだがら、その魂を食べたい」
「なるほど。人を殺さず、勝手に死んだ人の魂を食べる、と言うわけか」
「け、けど、けど、その食べた魂はどうなるんです! 暁の女神の元に行けずに苦しむんじゃないですか!」
カールはラウラの言葉に納得したが、迷信深いマリアンはそうはいかなかった。この国においては暁の女神信仰は根強く、死した後は暁の女神の元に召されるのだ、と信じているものは多かった。
「……どうせ、私達が食べなかった魂は亡霊に食い荒らされるだけよ。魂が暁の女神の元に行く、なんて言うのは嘘だわ」
対する、ラウラは淡白だ。形而上の存在のようにしか感じられないマリアン達と違い、ラウラにしてみれば魂とは実際に存在を確信出来、見ることの出来るものなので、感じ方が大きく違うのだろう。
「ちなみに、その魂を食べずにいた場合、君は死ぬのか?」
一瞬生じた沈黙を破るようにカールが問いかける。
「……すごく厳密に言うと。死ぬわけではないわ。けど、死神の死神としての部分は魂なしでは維持出来ない。だから、私が私であり続けるためには、食べる必要がある」
「実質的には死ぬようなもの、か。哲学的だな」
ラウラの問いかけにカールが頷く。
「話は分かった。けど、なんで僕に話す? これまでは一人で食事してきたんじゃないのか?」
「……そうよ。でも今回はちょっと特殊。あなたに知っておいて欲しいと思って。私が、死神が、どのような存在なのかを」
そう言って、ラウラにしては珍しく真っ直ぐにカールの目を見た。
「そう言うことなら、行かないわけにはいかないな」
「危険です、カール様。共同墓地で待ち伏せされて、殺されるかも!」
カールは頷くが、マリアンはやはり納得しない。
「……なら、マリアンさんも来るといいわ。護衛として」
「僕に護衛はいらないが、まぁ、マリアンがどうしても不安というなら、一緒に行こうか」
「私に一緒に来てくれ、と仰ってくれるのですか」
「? あぁ、君を不安なままにしておくのは忍びないしね」
それに、マリアンはラウラとアネットを担当するメイドでもあるわけだから、ラウラとは仲良くしておいて欲しい。そのためには、マリアンのラウラに対する死神というものへの偏見を拭っておくのは有意義に思えた。
「仰せのままに、マイロード。共に参ります」
「……決まりね。じゃあ、今晩、共同墓地に向かいましょう。また夜に」
そう言ってラウラは部屋を後にする。
「私も失礼致します。この後、アネット様に呼び出されておりますので」
「あぁ」
そして、マリアンもナイフをスカートの内ポケットに戻してから、スカートの裾を掴んで、腰を落とす礼を取ってから部屋を出ていく。
「共同墓地か。そういえば、夜には亡霊が出るって噂があったな」
カールがそう呟きながら、壁にかけてある剣を手にとる。
「戦いになるかもしれない。備えて手入れでもしておくか」