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第4話 :幸せな夫婦の誓い

 1.挙式へ向けての準備


 父とエドワードが対峙し、私が正式に「クラレンス侯爵のもとで生きていく」と宣言してから、しばらくの月日が経過した。いろいろなことがあったが、今では私はエドワードの領地の屋敷で暮らしながら、日々の生活を送っている。といっても、そこで怠惰に過ごしているわけではない。むしろ“花嫁”として相応しいふるまいを身につけるため、そして“領主の片腕”としてエドワードを支えるため、これまで以上に勉強に励んでいた。


 最初、父は激怒し、何度も使者を送りつけてきた。ところが、エドワードがローウェル家の多額の借金を肩代わりしつつ、ローウェル家との友好関係を保つ方策を示したことで、父は渋々ながら態度を軟化させる。借金問題が解決しない以上、彼にはもはやランドルフ家に頼る必要性がなくなったのだ。ひとたびエドワードが父への“融資”という形で救いの手を差し伸べると、いつの間にかランドルフ家との縁談話はなかったことになり、あれほど政略を優先していた父すら口を閉ざすしかなくなった。


 こうして私は、誰に邪魔されることもなくエドワードとの結婚の準備を進められるようになった。今となっては、あの“政略”という言葉が霞んでしまうほど、彼が私に注ぐ愛情は大きく、私自身も心から彼を求めている。寝ても覚めてもエドワードのことを考え、彼の支えになりたい、喜んでもらいたい――そんな思いが自然とあふれてくるのだ。


 婚礼の日取りは、エドワードの希望もあり、それほど遠くない将来に設定された。普通、貴族同士の結婚は早くとも半年以上かけて準備をするものだが、彼は「早く君を本当の意味で妻として迎えたい」と言ってくれた。その言葉に頬を染めながら、私も「できるだけ早く私もあなたと共に歩みたい」と応じる。そんなやり取りが、まるで“恋愛結婚”と呼んでも差し支えないくらい甘く温かいものだった。


 屋敷中でも私の立ち位置は“未来の侯爵夫人”として扱われるようになった。使用人たちは私を「奥様」とはまだ呼ばないが、みんなが敬意と愛情をもって接してくれる。特に執事のテオドールは、私に優れたメイドや講師を手配してくれ、挙式に向けた必要な作法や雑務を丁寧にサポートしてくれた。


「アマンダお嬢様、お茶会のマナーはバッチリでございますね。これなら挙式後、領内の貴婦人方をお招きしても大丈夫でしょう」


「ありがとうございます、テオドール。まだまだ至らないところだらけですが……」


「いえいえ、旦那様(=エドワード)も『アマンダ嬢の上達ぶりに驚かされる』と仰っていますよ」


 そんな会話を交わすたび、私は胸がくすぐったくなる。エドワードに認めてもらえるなら、どんな努力も惜しみたくない――そう思えるから不思議だ。

 部屋に戻ると、リジーが出迎えてくれる。彼女は以前、私の実家に仕えていた専属メイドだが、ローウェル家から追い出された際に私を心配してずっとついてきてくれた。エドワードも彼女の勤勉さを評価し、「ぜひこの屋敷で働いてほしい」と快く受け入れてくれたのだ。


「お嬢様、お帰りなさいませ。エドワード様とのお勉強会はいかがでしたか?」


「ええ、とても分かりやすくて……私に足りないところを、彼がいつも補ってくれます。さすがは優秀な侯爵様ね」


「そうでしょうとも! お嬢様があの方と出会えたのは、まさに運命だとわたくしは思います」


 リジーは手放しで喜んでいるが、私も心の底ではそう感じ始めていた。もし父の命令に逆らわず、最初から政略結婚を“仕方ないこと”として受け入れていただけだったら――こんな形で彼の優しさや思いやりに気づくことはなかったかもしれない。あるいはランドルフ家に嫁がされ、本当の地獄を見ていた可能性だってある。

 いくつもの分岐点を経て、私は今ここにいる。それがたとえ家同士の取り決めという形で始まったとしても、エドワードへの思いは本物だ。そう確信できる日々を送っていると、時間が経つのは本当にあっという間だった。


2.王宮からの招集――挙式の実施許可


 そんなある朝、エドワードのもとに王宮からの召集がかかった。内容は「クラレンス侯爵家とローウェル家の婚姻手続き、および領地再編に関する説明を行う場を設ける」というもの。つまり、私たちの婚姻を正式に王家が認める手続きでもあり、さらにエドワードが申し出ている“ローウェル家の借金肩代わり”についても、国としての承認を得る場になるとのことだ。


「……やはり、形式的な手続きとはいえ、王宮からのお墨付きをもらうのは大切だろう。特に今回のように大きな財政移動が絡む場合、国王陛下の勅許が必要になるからね」


 エドワードがそう説明してくれたが、私にとっては王宮という場所自体が遠い世界の話だった。だが、エドワードは若くして政治界や経済界で頭角を現している貴族だ。国王陛下からの信頼も厚く、こういう大きな案件でも堂々と提案できる立場にある。彼の領地は王都から離れているものの、彼自身は要所要所で王宮を訪れ、国政の場でも仕事をしているのだ。


「挙式の時期についても、その場で正式に認められる見込みです。私としては、あまり先延ばしにしたくありませんが……王宮がどう出るかで多少調整が必要になるかもしれません」


 エドワードの瞳には、はっきりとした意志が宿っている。私を守り抜くために、そして私との結婚を確固たるものにするために、彼はどんな手段も惜しまない。そういう覚悟が伝わってきて、私の胸はまた熱くなる。


「私も……お供してよろしいのでしょうか。王宮なんて、まだ足を踏み入れたことがありませんけれど」


「もちろん。むしろ、あなたにこそ来てもらいたい。婚姻の当事者ですからね。――ただ、ああいう場所はどうしても堅苦しい。気を張りすぎないようにしてください」


 優しく笑いかけるエドワードに、私は微笑みで返す。以前なら「王宮に行くなんて、恐れ多くて無理!」と怯えたかもしれない。だが今の私は違う。エドワードと一緒なら、きっと大丈夫。どんな場所へ行っても彼がそばにいてくれるとわかっている。それだけで、私は強くなれる気がしていた。


王宮への道中


 王宮へ向かう日は快晴だった。青い空がどこまでも広がり、馬車から見える街の様子も活気に満ちている。エドワードの領地を出発し、しばらく平野を進んだのち、都市部に近づくにつれて道路がしっかりと整備され、建物の密度も増していった。


 私は絢爛豪華な大通りを初めて目にする。市場には色とりどりの商人たちが軒を連ね、人々が忙しなく行き交っている。王宮が近いこともあって、貴族の馬車が絶えず通りを行き来しており、まさに“国の中心”という印象だ。


「すごい……私、こんなに大勢の人や店を見たのは初めてです。ローウェル家の領地では、ここまで大きな市場はないですから」


 窓の外に釘づけになる私に、エドワードは楽しそうに笑う。


「王都は商業の要衝だからね。いずれあなたも、ここで開かれる社交界や舞踏会に出席することになる。正直、面倒な行事も多いけれど……あなたにはきっと刺激的な世界だろう」


「うふふ……でも、あなたとなら心強いです。すべてが新しい体験になるけれど、あなたが一緒にいてくれれば私も臆せず楽しめそう」


 すると、エドワードは「それは嬉しいね」と言いながら、私の手をそっと握り返す。馬車の中で隣に並ぶだけでも、何だか胸の奥が暖かくなる。いったい私たちの結婚生活はどんなものになるのだろう――想像するだけで笑みがこぼれてしまう。


国王陛下への謁見


 やがて馬車は王宮の正門へ着き、エドワードの名を告げると、兵士たちは慣れた様子で門を開いた。王宮の敷地内に入ると、今度は中庭のロータリーに沿って進み、正面玄関の近くで停車する。そこには、エドワードの“王宮における”秘書や従者たちが待機しており、私たちを出迎えてくれた。


 私は促されるまま、大理石の階段を上り、荘厳な彫刻が施された扉の奥に足を踏み入れる。そこは王宮の広々としたホールで、天井の高さや装飾の豪華さに息を呑む。花柄のカーペットや黄金の柱、壁に飾られた巨大なタペストリーが、まさに王宮の格式を物語っていた。

 奥へ進むと、さらに美しい調度品が並ぶ回廊を抜け、やがて玉座の間の手前に位置する控えの間へと通される。ここで国王陛下や大臣たちとの面会に備える形だ。私は緊張して肩がこわばるのを感じながらも、エドワードの隣で姿勢を正す。彼は終始落ち着き払っており、その余裕ある表情が私にも少しだけ安堵を与えてくれる。


「大丈夫、特に難しいことを聞かれるわけではないはずだ。私が話すから、あなたは安心して隣にいてくれればいい」


「はい……ありがとうございます」


 声を潜めてやり取りしていると、侍従が扉の向こうから現れて、私たちを招き入れた。いよいよ国王陛下への謁見が始まる。

 玉座の間に入ると、奥には玉座があり、その上に国王陛下が鎮座していた。陛下は私よりもずっと年配の男性で、伝え聞くところによれば穏健な人柄だという。周囲には数名の重臣たちが控えており、私は彼らの視線を一身に浴びているのを意識せずにいられない。

 エドワードが深く一礼し、「クラレンス侯爵、ならびにその婚約者、アマンダ・ローウェルと申します」と名乗る。私も同じように深くお辞儀をする。すると陛下は柔和な笑みを浮かべ、私たちを見下ろしながら口を開いた。


「よく来てくれた、エドワード・クラレンス。……そなたが持ち込んだ要件について、先に文書を読ませてもらった。大きな投資が絡むようだが、ローウェル家の負債を引き受ける代わりに、結婚を円満に進めたいという趣旨で間違いないか?」


「はい、そのとおりです。私としては、ローウェル家の財政を健全化しつつ、アマンダ・ローウェルとの結婚を正式なものとしたいのです。すでにローウェル公爵も同意済みで、当人であるアマンダ・ローウェルも望んでおります」


 エドワードは淡々と要点を述べているが、私が思い返せば、ここに至るまでには多くの障壁があった。父との対立、ランドルフ家とのいざこざ……それらをすべて解決してこの場に立てているのが奇跡のようだ。


「……ローウェル家とクラレンス家の縁組はもともと政略結婚として取り沙汰されていたが、どうやらそなたたちの間には深い信頼があるようだな。先ほどの提出書類を見ても、互いを尊重した条件が揃っている。よろしい、私としても異議はない」


 陛下がそう告げると、重臣たちの間から一人が進み出て、「王家としても問題はないかと存じます」と報告する。どうやら何事も滞りなく進んでいるらしい。

 そして、国王陛下は私に向けて視線を落とし、「アマンダ・ローウェルよ」と静かに声をかけてきた。


「……そなたにとって、この結婚は本当に望むものか? もちろん政略の面もあろうが、私は無理矢理強要されるような縁組は推奨しない。もし何か問題があるのなら、今のうちに正直に言うがよい」


 その問いかけは真摯なものだった。私は思わず緊張しつつも、しっかりと顔を上げる。ここでエドワードの顔色ばかり気にしていたら、私の本意が伝わらないかもしれない。

 私は心を落ち着け、少し声を張って答えた。


「わたくし、アマンダ・ローウェルは……この結婚を誰よりも望んでおります。エドワード・クラレンス殿は、私の意志と尊厳を尊重してくださり、苦しい状況からも救い出してくださった方です。政略による縁組の域を超えて、私は彼と共に生きたいと願っています」


 玉座の間が一瞬静まり返る。私は緊張で胸が苦しかったが、エドワードの顔をちらりと見ると、彼は優しく微笑んでくれた。その瞬間、不安は吹き飛んでしまう。何があっても、私たちは互いを信じていられる――そんな安心感がある。

 国王陛下は満足そうにうなずき、玉座の脇に控えていた侍従へ目配せする。侍従は書状を取り出し、陛下が自らペンを走らせて署名を入れた。どうやら国王の“勅許”が与えられたようだ。


「では、よかろう。アマンダ・ローウェルとエドワード・クラレンスは、正式に婚姻を許可する。手続きを滞りなく進めるがいい。――おめでとう」


「ははっ……! ありがとうございます、陛下」


 エドワードは深い礼をとり、私も慌てて頭を下げる。こうして私たちの結婚は、国王陛下の承認を得て公的にも正式なものとなった。心の奥底から湧き上がる喜びが、全身を温めてくれるようだ。

 玉座の間を下がるとき、エドワードがそっと私の耳元で囁く。


「これで、もう誰にも文句は言わせない。晴れて、私たちの未来は確定だね」


 その言葉に、私はこみ上げるものを必死に押さえながら微笑んだ。


3.最後の不穏な動き――ランドルフ公爵家の暗躍


 王宮での手続きを終え、私とエドワードは滞在先の公用宿舎に戻っていた。王都での挙式や披露宴も検討されたが、エドワードは「挙式はクラレンス領で行い、領民たちに祝福してほしい」と考えている。私も同じ思いだったので、式の場所はエドワードの屋敷に決まりそうだ。


 しかし、挙式の準備を進めるにあたり、またしても厄介な話が飛び込んできた。

 あの“ランドルフ公爵家”が、水面下である計画を進めているという噂がある。――すなわち、「ローウェル家の所有する山岳地帯の鉱山開発権を奪おうとしている」という話だ。父がすでにエドワードとの間で財政的な契約を交わした今でも、どうにかしてその権利を横取りしようという魂胆らしい。


「……どうやら、ランドルフ家はまだ諦めていないようですね。以前の強引な縁談で失敗したからといって、手を引くような相手ではないのでしょう」


 エドワードが地図を広げながら言う。広げられた地図には、ローウェル家の領地の一端――山岳地帯とされるエリアが赤ペンで囲まれている。その地域には希少な鉱石が埋まっているらしく、開発に成功すれば莫大な富を生み出す可能性がある。それを狙ってランドルフ家が暗躍しているのだ。


「このままでは、挙式当日にでも何か仕掛けてくるかもしれませんね……」


 私が不安を口にすると、エドワードは苦笑混じりに「それはないだろう」と首を振る。


「結婚式に直接乱入するような真似は、さすがに王家や貴族社会への挑戦になるからね。だが、式に合わせてローウェル家やクラレンス家を動揺させる陰謀くらいは考えているかもしれない。……何しろ、あのアルバートや彼の父親は、自分たちの思い通りにならないと分かると、強引な手段に出る傾向がある」


 確かに、以前の騒動では私の意思など無視して“力業”で嫁がせようとしたのだから、彼らが再び無茶をしてもおかしくはない。

 しかし、エドワードは深刻そうな表情ながらも、決して悲観的にはなっていないように見える。


「私も王宮で根回しを進めているし、ランドルフ家が過激な行動に出るようであれば、それを食い止めるだけの布陣は組むつもりだ。――アマンダ嬢には、なるべく心配させたくないけれど、いざというときは私のそばを離れないでほしい」


「ええ、もちろん。……怖いこともありますが、あなたがいるなら大丈夫です」


 そう答えると、エドワードはふっと優しい笑みを浮かべ、私の手を握りしめてくれた。それだけで、もう大抵のことは乗り越えられそうな気がする。

 こうして、多少の不安を抱えながらも、私たちは挙式に向けた最終準備を着々と進めていった。


4.挙式の前夜――ふたりの想い


 挙式の当日がいよいよ明日に迫った日、クラレンス家の屋敷は大忙しになっていた。遠方から駆けつける来賓や領主の関係者、そして王都からも要人が訪れる予定だという。そこに対応するため、テオドールをはじめとする使用人たちが総出で準備を進めている。

 私自身も、ドレスの最終フィッティングや式典用のアクセサリーの確認など、やることが山積みだった。少し前まで、こんな大掛かりな結婚式を自分が挙げるなんて想像もしていなかったが、いざ迎えてみると胸が高鳴る。


「お嬢様、明日が本番ですね。大変でしたけれど、こんなに華やかな式にできるなんて……わたくしも感無量です」


「本当に……リジーや皆さんのおかげよ。ありがとうございます」


 リジーは目を潤ませながら微笑み、私のドレスの裾を丁寧に整えてくれる。私も鏡に映る自分の姿を見て、少しだけ見違えたように感じる。普段は落ち着いた色味の服を好んできたが、明日は純白のドレスを身にまとい、エドワードの前に立つのだ。

 ――“花嫁”として、誇りをもって彼の横に並びたい。そんな思いがあふれて、思わず胸がいっぱいになる。


 夜が更け、屋敷の静寂が戻ってくると、私は少し散歩がしたくなって外へ出た。気温は肌寒いものの、星が美しく輝いている。庭園にはランタンが点々と灯され、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 そっと庭を歩いていると、不意に前方からエドワードが姿を現す。どうやら彼も一人で夜風に当たっていたようだ。


「こんな夜更けに外へ出るなんて、奇遇ですね」


「ええ、ちょっと気分転換に……。エドワード様こそ、明日を前にして眠れないのですか?」


「ふふ、そうかもしれない。いろいろ考えていたら、やはり身体が落ち着かなくてね」


 月明かりの下で、彼は微かに笑う。その横顔はいつもどおり端正で、けれど少しだけ緊張しているようにも見えた。私も同じだ。明日が待ち遠しくて仕方ない一方、妙にそわそわしてしまう。

 二人して庭のベンチに腰を下ろし、夜空を見上げる。星々が瞬く様子を眺めながら、私はぽつりと尋ねてみた。


「エドワード様……私、こんなに幸せでいいのでしょうか。政略結婚だったはずなのに、今は本当にあなたを好きで……こうしてあなたの隣にいると、すべてが夢なんじゃないかと思うことがあるんです」


 素直な気持ちだ。最初は父に強要される形でクラレンス侯爵家の名を聞き、実際に会ってみたら“冷酷な策略家”という噂とは違う優しい人で――。いつの間にかこんなにも互いを求め合う関係になっているなんて、数か月前の自分には想像もできなかった。

 エドワードはその言葉に少し目を伏せ、静かに返す。


「私もそう思うことがありますよ。あなたと出会ったあの日、まさかこんな形であなたを必要とするようになるなんて、正直想像できなかった。でも……あなたが私を変えてくれた。私の中にあった“利害関係だけ”の生き方を、少しずつほどいてくれたんです」


 聞いたことのないエドワードの本音に、私は胸が震えた。彼はいつでも完璧で冷静な人だとばかり思っていたが、そんな彼にも迷いや孤独があったのだ。それを私と出会うことで少しでも和らげることができたなら、これ以上嬉しいことはない。

 エドワードは私の手を取り、そっと重ねてくる。その感触に心が安らぎ、思わず目を閉じてしまいそうになる。


「明日、あなたを妻として迎える。その瞬間が、私の人生で最も重要な時になるでしょう。……アマンダ、どうかこれからも私の隣で笑っていてください。あなたがいてくれるなら、私はどんな困難も乗り越えられる」


「はい……私こそ。あなたとともに生きていくことが、私の願いです」


 私たちは夜空の下で抱き合うように身を寄せ合い、微かに触れるだけのキスを交わした。それは熱烈なものではなく、静かで柔らかな口づけ。しかし、それだけで十分に明日の覚悟が定まっていく。

 ――何が起きても、私はこの人の隣を離れない。たとえランドルフ家や他の貴族が妨害しても、もう怖くない。私たちの愛は“政略”の概念を超えて、揺るぎないものへと変わろうとしているのだから。


5.挙式の日――ささやかながら盛大な祝福


 そして、迎えた挙式当日。クラレンス家の屋敷は、まるで祝祭の日のような喧騒に包まれていた。

 式の場所は、屋敷の大広間と庭園を繋げた特設会場。ここに、私たちを祝うために集まった大勢の客人が訪れる予定だ。ローウェル家からは父も、少し居心地が悪そうにしながら出席を表明している。以前の衝突を思えば何とも複雑だが、最低限の“和解”はできたのだから、これでいいのだと思う。


 朝早くから着付けに取りかかり、純白のウェディングドレスを纏った私。全身を鏡に映してみると、いつもの自分とはまるで違う、儚げな印象がある。肩や背中に施されたレースの模様、ウエストからふわりと広がるスカート、そして胸元を飾る繊細な刺繍が、私の体を美しく包み込んでいる。

 ヘアスタイルも念入りにまとめられ、純白のヴェールが後ろにかかっている。私自身、心が震えるほどの仕上がりだが、エドワードはどんな反応をしてくれるのだろう。そう思うと、恥ずかしさと喜びで胸が高鳴る。


「お嬢様……いえ、今日からはもう“奥様”と呼ぶべきでしょうか。とってもお似合いですわ。わたくし、涙が出そう……」


 支度の手伝いをしてくれたリジーも目にハンカチを当てて感激している。いつも以上に感情が昂っているのは分かるが、その気持ちは私も同じだ。

 しばらくして、挙式の時刻が近づき、私はエドワードが待つ祭壇――もとい、大広間の一角に設置された“誓いの場”へ足を進める。そこには簡素な祭壇が組まれ、神官が立ち会う形で誓いの儀式を行うのだ。

 会場は多くの招待客でごった返し、ある者は私たちを遠巻きに眺め、ある者は一足先に並んで出迎えてくれる。バージンロード代わりの敷物の上を歩く私を、皆が温かく見守っている。その中には父もいて、複雑そうな表情を浮かべながらも、どこかホッとしたようにも見えた。

 そして、神官の前にたどり着いた瞬間――そこに立つエドワードと目が合う。彼はタキシードのような礼装に身を包んでおり、黒い髪と相まってなんとも精悍な姿だ。彼の瞳に喜びの光が宿っているのを感じて、私の目尻にも熱いものがこみ上げてくる。


「アマンダ……綺麗だ」


 その短い一言が、私の心を貫く。言葉にできないほど嬉しくて、私は小さく会釈をするしかできなかった。

 神官が厳粛な声で儀式を始める。祝福の言葉、誓いの言葉、そして指輪の交換――どれもが緊張する瞬間だが、エドワードの手を握っていれば自然と落ち着きを取り戻せた。

 やがて神官が「ふたりは神聖なる絆を結び……」と唱え、私たちはお互いの薬指に指輪をはめ合う。リングはエドワードが特別に誂えてくれたもので、私の指にはぴったりのサイズ。宝石が付いているわけではないが、シンプルな銀の輝きが却って私たちの気持ちを表すようで、とても気に入っている。

 周囲から拍手が沸き起こり、私ははじめて“結婚した”という実感を得る。視線をエドワードへ向けると、彼が小さくうなずいた。神官が「キスをもって誓いを交わすがよい」と促し、私は恥じらいを浮かべながらもエドワードに向き合う。


「アマンダ、これからもよろしく」


 かすれた低い声でそう言って、彼は私の頬に手を添え、そっと唇を重ねる。朝の光が差し込む大広間の中で、柔らかく、そして深いキスを交わした。大勢の拍手や歓声が耳に届くが、そのすべてが祝福の音に思える。私のほほは真っ赤だが、不思議と恥ずかしさより幸せが勝っていた。


6.ざまあ――ランドルフ家の最後のあがきと決着


 挙式が滞りなく進み、披露宴が始まると、さらなる祝福ムードが会場を包んだ。美酒や料理がふるまわれ、私たちにお祝いの言葉をかけてくれる人が後を絶たない。私も緊張しながら感謝を伝えていた。

 そんな中、披露宴の中盤に差しかかった頃、意外な人物が現れた。――アルバート・ランドルフ、その人である。彼は父親であるヘンリー公と一緒ではなく、単身で姿を見せたのだ。何故招かれてもいない彼がここに来たのか、一瞬会場全体がざわつく。


「なんて図々しい……また何か企んでいるのかしら」


「けれど、公爵様があれほど……これは波乱の予感?」


 周囲の囁きを耳にしながら、私は動揺を隠せなかった。アルバートが一体どんな目的でここへ? するとエドワードがさりげなく私の腰に手を添え、「大丈夫。俺が対応する」と小声で言ってくれる。

 アルバートは人々をかき分けるようにして私とエドワードの前へ進み出る。彼の表情は読み取りづらいが、以前のような高圧的な雰囲気ではなく、少しばかり疲れをにじませているようにも見えた。


「……ご結婚、おめでとう。これは正式に招待状をいただいたわけでもないが……一応、礼儀として顔を出したまでだ」


 彼のその言葉に、私は驚きつつも複雑な気分になる。あれだけ私を力づくで手中に収めようとした相手が、今更祝いの言葉をかけるなんて。


「わざわざご足労ありがとうございます、アルバート・ランドルフ。――で、何か他に用があるのでは?」


 エドワードが淡々と問いかける。アルバートはちっ、と小さく舌打ちし、「礼儀を尽くしているのに、その言い方はないだろう」と嘆息した。


「……父もいい加減諦めた。ローウェル家の鉱山権益は、結局お前たちの手中に落ちることになるだろう。あの山の価値がどこまであるか分からないが、いずれにせよ俺たちは手を引く。――“俺たちは”、な」


 そう言い放つアルバートの顔は悔しそうだが、それでもここへ来て“降参”を口にしたことに私は驚く。

 以前、ランドルフ家は強引に私を嫁がせようと画策し、その際には膨大な借金を肩代わりする見返りとして鉱山の開発権を狙っていた。だが、エドワードが資金援助を表明し、国王陛下の承認まで得た今となっては、ランドルフ家がそれ以上手を打つ余地はない。すでに父――ヘンリー公も裏で政治的なカードを失っているらしく、その事実がアルバートの態度に現れているのだろう。


「つまり、あなたはこの結婚を邪魔する気はない、ということですか?」


 私が勇気を出して尋ねると、アルバートは肩をすくめた。


「ええ、邪魔しようにも王家の認可が降りてしまっているし、クラレンス侯爵の影響力が想像以上でね。どうにもならん。……父も、もはや路線を変えて別の鉱山を探すと言っている。いずれにせよ、俺たちが出る幕はなくなった。勝手に祝っていればいいさ」


 言い方こそ棘があるが、その表情には以前のような挑発的な笑みは浮かんでいない。素直に“負けを認めた”という雰囲気だ。

 アルバートは私たちを見比べ、最後に小さく息を吐いた。


「……お前たちが幸せになるのは勝手だ。俺には関係ない。けれど、クラレンス侯爵? お前は何でもかんでも手に入れられると思うなよ。その性格と力が、いつか自分を苦しめるかもしれない。俺はそれを見物させてもらうだけだ」


 捨て台詞のようにそう言い残し、アルバートは踵を返して会場を去っていった。集まった客人たちは緊張して見守っていたが、衝突も起こらず、結局あっけなく彼は姿を消した。

 エドワードは静かにため息をつき、私の肩を軽く叩いてくれる。


「お疲れさま。……どうやら、ランドルフ家とのいざこざはこれで決着のようですね」


「……はい。正直、ほっとしました」


 私は少しだけ涙ぐむ。あれほど私を強引に手に入れようとしていたアルバートが、結局何もできずに去っていく。これは“ざまぁ”という言葉がしっくりくる結末なのかもしれない。だが、今の私には、ただエドワードと結ばれた幸せを噛みしめることのほうが大事だった。

 周囲からは「これで一件落着だね」「侯爵様もお強い」という安堵の声が聞こえ、披露宴は再び祝福の熱気に包まれていく。


7.幸せな夫婦の誓い


 ランドルフ家の暗躍が空振りに終わったことで、披露宴の雰囲気はさらに和やかさを増した。私の父も、ぎこちないながら祝辞の言葉を述べ、エドワードに深く頭を下げる。「娘を頼む」――口下手な父なりに、ようやく本心で私の幸せを願ってくれているのだろう。


 来賓たちと談笑し、写真(絵描き)を撮り、祝いの品を受け取り……さまざまな儀礼的イベントをこなすうちに、あっという間に時間は過ぎていく。

 やがて披露宴も終盤。多くの客人が屋敷を後にし、庭園の方ではささやかな“余興”が行われていた。私たち夫婦に向けて、音楽隊が祝福の演奏を奏で、使用人たちが火花の出る小さな仕掛けを作っている。

 エドワードは人々との挨拶をひと通り済ませると、私の手を取り、庭園の中央へと誘ってくれた。そこには美しい噴水があり、夜になるとランタンの灯りが水面を照らして幻想的な光景を作り出す。


「アマンダ……長い一日でしたね。でも、まだあなたとゆっくり言葉を交わしていない気がする」


「本当……ずっと皆さんに挨拶したり、お礼を述べたりで、あなたと二人きりになる時間がなかったもの」


 私は愛しさのこもった眼差しを向け、エドワードの腕に身を寄せる。白いドレス姿のまま、夜の庭園でこうして夫婦として寄り添うのは、何とも言えない甘美な気分だ。

 すると、エドワードがそっと耳元で囁く。


「アマンダ……もう一度、正式に誓わせてほしい。私はあなたを一生大切にし、あなたの笑顔を守る。どんな権力者や困難が現れようと、私はあなたを放さない。――それが、今の私にとっての唯一の願いです」


 その言葉に、心が震える。私も胸に手を当て、はっきりと口を開いた。


「私も、あなたと一緒に人生を歩んでいきます。あなたの領地を支え、苦しみも喜びも分かち合い、あなたが笑っていられるように……努力を惜しみません。私が選んだ道は、あなたの隣で咲くことです」


 私たちはもう一度、唇を重ねる。昼間の誓いのキスとはまた違う、夜の闇とランタンに照らされたロマンチックな瞬間。背後で小さな花火が打ち上がり、火の粉が星のように広がっていた。

 ――愛なき政略結婚だったはずが、いつの間にか私は“溺愛”されるほど求められ、そして私も彼を深く愛するようになった。これこそが、私たちの“本当の幸せ”だ。

 穏やかな夜風がドレスを揺らし、私たちは瞳を合わせる。まるで過去の苦難が嘘のように思えるほど、今は幸せで満ちている。


「アマンダ……あなたのすべてを、私に委ねてください。そして、私もすべてをあなたに捧げます」


 その甘い言葉に、私は無言で微笑み返すしかない。頷けばいいのかもしれないけれど、嬉しさが溢れて上手く言葉にならないのだ。

 遠くで音楽が鳴り、祝宴の余韻が広がっている。使用人たちも、親戚筋の人々も、皆が笑顔で私たちを見守っている。ここはもう、私とエドワードの“愛の領地”。悩みや不安が完全に消え去ったわけではないが、この人とならきっと乗り越えられるだろう――私はそう信じて疑わない。


エピローグ――未来へ向けて


 それから数か月後。私とエドワードは夫婦として落ち着いた新生活を送っている。領地では様々な事業が進み、私も彼の補佐をしながら日常業務に追われる日々だ。

 ローウェル家との関係も改善されつつあり、父も私たちの領地を訪ねてくることがある。彼はまだ少しぎこちないが、以前のように私を“道具”扱いすることはしなくなった。エドワードが用意した財政再建の仕組みにより、ローウェル家は少しずつではあるが復調し始めているという。

 ランドルフ家の一件は、あれからほとんど噂を聞かなくなった。アルバートがどうしているか分からないが、しばらくは私たちの前に姿を現すことはないだろう。

 領地の人々も私を侯爵夫人として受け入れてくれ、エドワードの取り組みに協力的だ。以前は「冷酷な策略家」と噂された彼も、実際には領民を大切にする“本物の領主”だと認知されている。私もその姿を間近で見て、さらに尊敬と愛情を深めるばかりだ。


「アマンダ、お客人が来ていますよ」


 ある日、エドワードが執務室から声をかけてきた。誰かと思えば、領内で小さな貿易商を営んでいる青年とその妻だ。実はエドワードが融資制度を整えたことで、彼らは新しい事業を立ち上げ、見事に成功を収めつつあるのだという。

 私が応接室へ行くと、彼らは「侯爵様と奥様のおかげです」と深々と頭を下げてきた。こうした感謝を直接受ける機会は多くはないが、それだけで私の心は温かくなる。


「いいえ、私たちはきっかけを作っただけ。頑張って成果を出したのはあなた方です。これからも領内が豊かになるよう、ぜひ協力していただければ嬉しいです」


 そう微笑みかけると、二人は大喜びで「もちろんです!」と声を揃えた。私が知らないうちに、領地はこうして少しずつ発展し、人々が笑顔になっている。それを支える一員として私も動けるのが、今はとても幸せだ。

 応接室のドアが閉まり、二人が帰っていった後、エドワードが私の肩を抱いて頬にキスをくれる。


「立派だったよ、アマンダ。あなたがいるだけで、皆が安心している。私も心強い」


「私こそ……あなたが率いるこの領地に貢献できるよう頑張っているだけ。まだまだ知らないことだらけですけど」


「ふふ、それでもあなたがいると、私の世界がこんなにも豊かになる。――愛してますよ、アマンダ」


 耳元で甘く囁くその声に、何度聞いても胸がときめく。私は溺れるような幸福感に包まれながら、エドワードの胸にそっと顔を寄せた。

 かつては“愛なき政略結婚”だったはずが、こうして今は“本当の愛”を知っている。私が経験した苦難や葛藤はすべて、エドワードと結ばれるための道のりだったのかもしれない。

 父に利用され、ランドルフ家に奪われかけ、何度も押し流されそうになったけれど――最後には、私たちが勝ち得たのは誰も邪魔できない深い愛。心から信頼し合える伴侶との幸せな日々。この先も試練が待ち受けているかもしれないが、私とエドワードならどんな嵐でも共に乗り越えられるだろう。


 ――そう信じて、私は今日も彼の隣で微笑む。

 私の名はアマンダ・クラレンス(旧姓ローウェル)。政略結婚から始まったはずの縁は、今や私の生涯を彩る最高の宝物となった。

 そして、これから先の未来も――私たちはきっと、ずっと幸せな夫婦のまま。


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