歩理子はバカではない。
容姿がさほど恵まれてないのは早くに自覚していた。太り安い体質も、適度な運動で小太りに抑えている。化粧やお洒落にも気を使った。頭もさほどよくないが、努力によってそれなりの成績を保っている。
そうして培った知能は、異世界の才色兼備な女神様みたいな存在への憧れへと昇華され、神話オタクともいうべき人格へとなっていた。
「……一理ある」
だから知っていたゼウスの、これまでの言動で目星をつけたプライドを刺激するには充分だったようだ。
「認識を改めよう。頭の回転はよさそうだな、何が望みだ?」
「とびっきりの美女の容姿と、あんた以上の全能性! が手始めよ」
「前者はいいが、後者は保留だ。〝全能のパラドックス〟だろ。おまえが心に抱いた企みが見えたぞ。全能なら、それを超える全能を生み出せるのかと挑発して、オレ様以上の全能性になった途端、こちらを退けるって寸法だな」
「チッ」
あからさまに舌打ちする歩理子にゼウスはぎょっとする。同時、好敵手を得たような笑いが込み上げてきた。
「こんな食えねぇ女とはな、最初の妻について予言を受けたときみたいな危機感を覚えたぜ」
「メティスね」
歩理子は知っていた。
ゼウスは父である農耕神クロノスを倒して王権を奪った神だ。しかし自分もまた最初の妻たる知恵の女神メティスとの子に倒され、立場を奪われると祖父母に予言される。
恐れた彼は妻を呑み込み一体化して知恵を得たが、メティスは既に身籠っていて出産。ゼウスの頭を割って、戦略の女神アテナとして赤子は生まれた。
「――そうしてゼウスから生まれたことになって予言は成就しなかったけど、あんたにしてみれば最初にして最大の危機だったんじゃないのあれは?」
その神話を語ってみせた歩理子に、ゼウスはただならぬ予感を覚える。
(メティスと融合して得た全能が先を見通させねぇ、女神が抵抗しているのか。こりゃ、とんだ誤算かもしれねぇぞ)
「よし」そこで一計を案じて、彼は提案した。「交渉といこうじゃねえか」
背景となった入道雲に、稲妻が走る。
「一つ」
片手の指を一本立てる。
「好みの容姿はイメージしな、脳裏を読み取っておまえに反映させてやる。ものにする女はブスってことだったが、元ブスで妥協してやる。いずれ抱くには美女の方がいいしな」
もう一本の指も立てる。
「二つ。全能性の代わりに、全能のオレ様を含むギリシャ神話に関する全存在を呼び出せる能力をやろう。〝神話召喚〟だ」
「神話召喚?」
「ああ、ただし一度に呼べる神話的存在は同種のものは一つだけ。どこまで使えるかも相手次第だ。そんくらいの努力はしてもらおう」
雷鳴と稲光がしばし天を支配する。考え込む歩理子に、追い打ちのように高慢な男は条件の詳細を話す。
「あとはこのイフィリオスで神話になるくらいの活躍をして、一瞬でもオレ様の第二夫人になったという事実だけ残せば自由だ。すぐ別れて、ここで生き続けてもいい。元世界に帰ってもいいが、そんときは容姿と神話召喚は返してもらう。で、どうだ?」
決断を迫るように荒れ狂う雷たち。それらが止んだ瞬間に、答えた。
「望むところよ!」
空は、一挙に晴れ渡った。