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降臨する嫁

「さ~て、どこに住もうかなあ」


 一刻ののち。基礎は地球によく似た環境の異世界〝イフィリオス〟。

 その青空を飛びながら、彼女は迷っていた。


 ハイカ・ブリコ。

 外見年齢十五歳。日本人とギリシャ人のハーフのような、可愛い系美少女。貫頭衣と振り袖を足して二で割ったみたいな服を着て、背中に後光を持つ新人女神だ。

 これが、ゼウスとの取引で得たまず一つ。可愛い系アイドルに憧れていた、彼女の理想の姿だった。

 美容整形にも肯定的だが金がなかっただけで元の容姿に未練もなかったので、楽に生まれ変われてお得なくらいだ。


「やっぱりあそこがいいよね。空飛ぶ島とか元世界になかったもん、憧れるぅ!」


 自分が飛ぶよりやや上を漂う小さな島に目星をつける。


 グオオオオッ!


 ふと、後方から猛獣の声がした。

 慌てて振り返る。

 ライオンと山羊と蛇を合成したような、翼の生えた怪物が群れなして迫っていた。


「きゃあ、キマイラ!?」


 直感的にギリシャ神話の怪生物と悟る。ファンタジーではお馴染みだからだ。

 とっさに避けて身構えた。が、キマイラたちは特にブリコには興味がないようで、そのままの進路を飛んでいった。


「……あんなのがいる世界だもんね」呆気にとられて見送ると、再度浮遊する島に目を向ける。「あそこにも、どんなものがあるかわかったもんじゃないか」


 ブリコは辺りを見回す。

 眼下には砂漠が広がっていた。ふと、ちょうど空飛ぶ島の影に隠れるように街があることに気づく。

 城壁に囲まれた典型的な中世ヨーロッパ風の街並みが、オアシスを中心に築かれているのだ。


「情報収集しよう」


 女神は、ひとまずそこに降臨してみることに決める。

 ところが、近付くにつれ異変を見出だす。


 城壁の上には西洋甲冑を纏った兵士が整列。弓を装備していた。大砲まで、外に向けて点々と配置されている。

「アルト、ピョス!?」


 うち何人かがブリコを察知して叫んだ。


「なんて?」


 接近しつつ耳に手を当てて聞き分けようとする女神。


「エピテト、アン、デン、スタマティスェイス!」


 そこまで言われてようやく思い至る。


 ――ここ異世界だったわ。


 地球とさほど変わらない環境だから疑問を抱き遅れたが、言葉が通じるとされた覚えもなかった。


 とまで考えたところで、もはや弓兵が矢を向けているのを目撃。

 落下の勢いを殺す間に、放たれる。


「ちょっと待った!」

 女神の肉体を得て飛行可能になったように、身体能力もだいぶ上がったらしい。否応なしに放たれる矢の数々をどうにか避けながら、唱える。

「〝主神ゼウスの名において命ずる、ギリシャ神話召喚。いでよ、知恵女神メティス〟!」


 たちまち、光が爆発。そこから巨女が出現する。

 もう大きいなんてもんじゃない。数十メートルはある城壁より長身な、絶世の美女だ。

 アカデミックドレスに身を包み、角帽モルタルボードを被る、小脇に彼女に見合ったサイズの分厚い本を抱えた女。

 巨人族でもありゼウスの最初の妻。その子が父を超えうると予言されたために、夫に呑み込まれて一体化した知恵の女神メティスである。


「ふぅ、久々にゼウスと分離したのう」

 城壁の外に光臨するや、伸びをして彼女は言った。


 『神話召喚』。

 これが、ハイカブリコがゼウスとの交渉の末に得た二つ目、全能に代わる能力というわけだ。

 主神たるゼウスの全能性の名の下にギリシャ神話のあらゆる存在を一度に一つだけ召喚できる能力。


「セオス、セオティータ?」

 続発する異常に、そんな問いを発する兵士たち。矢の嵐は止んでいた。

 ブリコは城壁の空いたスペースに着地、メティスと対峙した。


「そなたが、ゼウスの新しい女か」新人女神を見下ろし、知恵女神は嫉妬も何も含まずむしろ哀れむように話し掛ける。「全ギリシャ神話存在に、奴の全能性で情報は共有されとる。苦労をかけるのう」


「翻訳してください!」


「は?」


 対面するや直球な願いをするブリコにきょとんとするが、新人は迷わず繰り返した。


「この世界の言語、全部わかるように翻訳してください」


「……あいわかった」

 改めて願われ、メティス女神は持っていた本をパラパラ捲りながら笑った。

 本から絶えず様々に変化する文字が一個抜け出て、ブリコの頭に吸い込まれて消えた。

「もう知恵は授けた、そなたもあまりいろいろ気にせん女のようだの」


「ごめんなさい」申し訳なさそうに、ブリコは返す。「正式じゃないけど、同じろくでなし夫の妻としていろいろしゃべりたくはあるわね。けど、ゼウスたちを見返すためにやりたいことが多いから」


「メティス女神」

 一帯の兵士たちのうち、唯一マントと勲章をつけた隊長格らしき男がもはや日本語で巨人へと口を挟む。

「あなたは夢のお告げに現れることのあるメティス女神ですね。やり取りを察するに――」

 そこで、ブリコにも目を向ける。

「――こちらは新たなる女神様ということですかな」


「うむ、さようだ」


「これはとんだご無礼を」


 メティスの返答を聞くや、即座に隊長は跪いてブリコに頭を垂れる。全ての兵士もそれに習った。


「いやいやそんな。苦しゅうない、面を上げい」

 不慣れな状況に、時代がかった変な口調になってしまうブリコである。


 それでいくらか姿勢を楽にする兵士たちだが、隊長は尋ねてきた。


「しかし。……ブリコ女神、でよろしいのですよね」本人に頷かれて、続ける。「この度はキリシア国の街エリモスへご降臨なさるとは、いかようなご用件でしょうか?」


「ええっと」

 ブリコは、エリモス街とやらに影を落とす空の島を指差す。

「あそこに住みたいんだけど。いいかなって、訊きにきたのよ。誰かの土地だったり危険があったりしないかなって、一番近くの人がいそうなとこはここだったから」


「さようでしたか」

 隊長は答える。

「このエリモスには数百年の歴史がありますが、飛翔魔法を使える者はおりません。キリシアの調査隊も戦争で余裕がなく、あの島付近は危険なキマイラの群れも度々通りますので、未だ到達できた者もいないですね。故になんとも。

 ただ、島はバルニバビと呼ばれ街の位置に影を落とすことが多いとは判明しております。砂漠なため、それが涼しく心地よい環境をもたらすというわけで一帯に住んでいた先祖がエリモスを築いたことだけが明らかでして――」


「何の危険もないぞ」

 今度はメティスが口を挟んだ。

「バルニバビとやらには、山と森と湖と平原が一つずつあるのみだ。誰の土地でもない。知恵の女神なんだ、最初からわたしに聞けばよかったろうに」


「そ、そういえばそうね」


 納得させられてしまうブリコだった。


「じゃ、じゃあ」改めて、隊長に尋ねてみる。「あの浮遊する島、バルニバビってとこにあたしが住んでも問題ないですかね」


「メティス女神の仰る通りならば、無論です」

 即答だった。

「よそ者や他の守護神族しゅごしんぞくならともかく、わたしたちのギリシャ守護神族様がお住まいになるのならむしろ歓迎すべきこと。キリシア国の法的にも問題はありません」


「守護神族?」


「イフィリオスは神話時代なの」

 新人の疑問に、先輩女神が口添えする。

「できたばかりで、地球の神々が覇権を巡って争ってる。信仰は神のエネルギーだから、自分たちを信じる民の繁栄にも手を貸してるわけ。それぞれの民と組む神々が、守護神族。キリシア国はギリシャ神族が幅を利かせてるってわけね」


「名前がほぼまんまだから想像つくけど、なにそれ? んな状況まったく聞いてないんだけど」


 呆れるブリコに、メティスは同意する。


「ゼウスだからね。あんたうまく欺いたそうだけど、向こうにはそれ以上の企みがあるのかも」


「なんかムカつくわ~」


「あの、ええと」女神の対話に、控えめながら隊長が混じる。「とりあえず、女神様方の問題は解決されたということでよろしいのでしょうか」


「ああ、ごめんね」我に返って新人は謝った。

「騒がせたわね。大丈夫、すぐ上のバルニバビ島とやらに行くから」


「いえその、せっかくの機会ですので。よろしければ少々助力をいただきたいのですが」


 隊長をはじめ、兵士たちは何か言いたげにそわそわしていた。

 唐突な申し出に、女神たちは顔を見合わせる。察知するのは、メティスの方が早かった。


「そういえばそなたら、ずいぶん物騒な構えをしておるな」


 そういやそうだった。

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