ひと晩戦勝と歓迎の祝宴でもてなされた新人女神は、翌朝早くに旅立った。
『ハイカブリコ女神殿、それではお元気で』
わざわざまた城壁の上まで出て、そんな風に声をそろえて手を振る隊長を筆頭とした兵士たちに手を振り返し、自分はさらに上へと飛んでいく。
「じゃあバルニバビ島に住むことになると思うんで、ご近所さんとしてこれからよろしくね」別れの挨拶を告げて「またあなた達に何かあったら、今度はスムーズに助けられるでしょうし」
速度を上げ、ここら辺をよく通るらしいキマイラの群れを避け、さらに上空へ。
まもなく、浮遊するバルニバビ島よりやや高いところで静止する。
異世界イフィリオスに来た当初、視界に入っていた島のようだった。知恵の女神メティスの事前情報通り、湖と山と森に囲まれた平原だけがある。
「家を建てるなら平原かな」
決めて、そこに降り立つや唱えた。
「主神ゼウスの名において命ずる、ギリシャ神話召喚。いでよ、鍛冶神ヘパイストス」
閃光が明滅、そこから鍛冶神ヘパイストスが現れた。
円錐形の帽子を被り、ガスマスクをつけ、前掛けを身につけ、両腕は機械。巨大な金槌を担ぐ男性の姿をしている。マスクで顔はほとんど窺えなかったが。
「じ、時代錯誤なサイバーパンク姿ね」
思わず感想を洩らしてしまう。
もっとも、ゼウスからしてサングラス、メティスはアカデミックドレスに角帽、アテナも迷彩服に甲冑、アスクレピオスも白衣に眼鏡、とおよそ古代ギリシャっぽくなかった。なんなら、ヘパイストスは未来をいってる。
「おいおい」マスクを通したくぐもった声で、ヘパイストスは問う。「そんなつまらん台詞吐くために呼んだわけじゃあるまい、ねーちゃん。何が望みだい?」
「……そうね」圧倒されながらも、どうにかブリコは気を取り直す。「この平原に家を建てたいんだけど、できるかな」
「愚問だね。あんたら人間の女の最初の一人、パンドラでさえおいらが造ったことくらいご存知だろ。問題があるとすりゃ、どんな家がいいかだが――」
「設計図ならあるわよ」
ポケットから折り畳んだ紙を取り出して、平原に広げるブリコ。
「昨夜、考えといたわ」
「嘘つけ」一目で、ヘパイストスは見抜く。「こりゃダイダロスの作だろ。召喚して希望を伝えたってとこか」
「バレたか、さすがは鍛冶の神ね」
恥ずかしげに認める、一言一句違わずその通りだったからだ。
「内装はあんたの時代のもんだな。電気ガス水道とかは、魔法が源泉で無限につかえる」
言いながら、ヘパイストスが巨大な金槌を何度か振る。それだけで、やや離れたところの山の麓に、なぜか土台と二階建ての内装が誕生した。
そんなに大きくはない。現代日本の一戸建て住宅といったところだ。
ブリコには、別に豪邸に住みたい願望はなかった。まして一人で暮らすには寂しいばかりだ、愛人扱いだが当然気に食わないゼウスの部屋はない。
「外観は……おいおいこりゃあ」察しながら、いったん設計図を眺めるべく手を止めていた鍛冶神がまた金槌を何度か振るうと、住居は外見を備える。「アテネの神殿じゃねえか」
そう、ギリシャの首都アテネにあるパルテノン神殿に瓜二つだったのだ。
「えへへ、実はアテナに憧れてるのよね」
女でありながら武装した戦神。主神ゼウスをも脅かした女神として、神話オタクたるブリコの憧れはアテナでもあった。
それだけに昨日は余裕のない中呼び出してろくに交流もできなかったのが残念だが、あんな目に遭わせては再び話すためだけに召喚とかできるわけもなかった。
「そうかい」ヘパイストスは興味なさげだ。「ところで、おれは母ちゃんに冷遇されてたから教えといてやるがな。気を付けろよ、もう目をつけられてんぞあんた」
「お母さんって、ヘラよね。は、早いわね。何とかしやきゃ」
ヘパイストスは身体に奇形があったからと、母に捨てられたともされる。そして、度々ゼウスの浮気相手である女たちを酷い目に遭わせてきた嫉妬深いヘラが見過ごすわけもないのは覚悟していた。
これもゼウスを振った理由の一つだが、まだ愛人にもなるのも許していないのに動きだしているなら恐ろしい。何としてでも、ゼウスの権妻にされるというのは避けねばと決意を新たにする。
ヘラはそれほど怖いし、ゼウスはそれほどろくでもない。
「まったくだ。困ったもんだよな」
覚えのある高慢な声が、山を背にしたパルテノン神殿もどきの前に立つヘパイストスからではない方角。そちらを向いていた自分の後ろから聞こえた。
ぎょっとしてブリコが振り返ると、奴はいた。
ゼウス。
湖と森を背景に、偉そうに立っている。
「オレ様の正妻はあくまでヘラだってのによ」
主神はほざいた。
「一日でずいぶんな騒ぎを起こしたおまえは、つまらない女でなく面白い女と認識を改めてやる。が、ヘラが妻には変わらない。おまえは妾だ」