「呼んだ覚えがないんだけど」
ブリコは呆れて迎える。
「全能だからな、オレ様は神話召喚で呼ばれなくても当然来れる」
相変わらずの態度で、ゼウスはのたまう。
「あっそ」
溜め息をつき、新人女神は言いたいことを言うことにする。
「で、どうなのよ。昨日ので神話的活躍とやらをしろって条件は満たせたわけ? だとしたら、愛人になったって言葉上だけでも認めれば目標達成よね。即別れるわ、それであんた的には満足なはず。後は、あたしがこの容姿と能力のままイフィリオスで暮らすも、それらを捨てて元世界へ帰るも自由って取引だったはずよね」
「残念ながら、まだイフィリオス神話に刻まれるには不充分な活躍しかしてねぇな。ここで暮らしてぇだけなら急ぐことはねぇよ。それとも帰りたいのか、あんな不幸だらけな元世界に?」
歩いてきて、ゼウスは隣に並んだ。足元の草原から飛び立つ蝶を、退屈そうに目で追う。
「帰りたくはないわよ」
即答する妾候補だが、付け加える。
「でも、いつでも帰れるようにはしときたい。あれがあたしの人生だったのは事実だもん。まして、ここでの活躍が神話っていう物語になるわけでしょ。〝元の人生ではどうあがいても幸せになれませんでした、でも生まれ変わった異世界での新たな人生では幸せ〟なんて物語になるなら。そのメッセージ性って、死ななきゃ治らない的な酷いものじゃないの?」
「お人好しだな、未来のイフィリオス神話読者への配慮ってか」
ゼウスは横を通り過ぎ、パルテノン神殿もどきの方へと歩いていく。
「でもないわよ」その後ろ姿に、言ってやる。「ここで得難い経験をできた、それはきっと元世界でもあたしの人生の助けになるはず。〝行きて帰りし物語〟ってやつよ」
「物語の類型だな」
振り返らずに、新居のすぐそばまで行ってそいつを見上げながら彼はしゃべる。
「別の世界へ行き、何らかの経験を経て元世界に帰る。って流れか」
「ええ、それって物語を読む人と同じじゃない? 読書中はまさに別の世界に行ってるようなもの、読み終えて戻ってくるのよ。あたしは、そんな神話に助けられたから。神話になるなら、そういう存在になりたい」
ゼウスはふっと笑って、後ろを向いた。
「充分お人好しだよ、だが悪くねぇ」
「あ、あの親父」成り行きを見守っていたヘパイストスが、小さく挙手して許可を求める。「仕事も済んだし、おいらは帰っていいかな」
「構わんよ。ヘラへの警戒を説いたことは、内緒にしといてやる」
「うへえ、聞かれてたかあ」
頭を抱えながら、鍛冶神は光に消える。
「……さて」そしてゼウスはほざいた。「じゃあ、新居で愛し合うか」
ブリコは赤面してずっこけた。
「ふ、ふざけないで。むしろこっからが本番よ!」
どうにか体勢を建て直し、愛人候補は捲し立てる。
「問い質したいことがいっぱいあるわ。まず、守護神族って何よ。女神にされると同時に、そんなものになるとまでは聞いてないわ!」
「言わなかったからな」
「そんなんで済むかっての」あっけらかんとした態度に、余計腹が立つ。「昨日、他の国のあたしと同じ立場らしい娘娘って子に襲われたわ。人も大勢死んだ」
「生き返らせたろう。ハデスにはオレ様が許可とっておいたよ、愛人候補の行いだからな」
「そりゃどうも」
いちおう感謝するも、不満はやまない。
「で、てことは実質あたしらそれぞれの国の要みたいなもんじゃないのよ。ほっとけないわ。これじゃ、帰りたくても帰れないっつーの!」
「そうか」
「もう一つ!」
相手の素っ気なさに苛立ち、新人女神は詰め寄って怒鳴る。
「ヘラに目をつけられないように、満足したら形だけあんたの愛人になった事実を作ってすぐ別れるつもりだった。けどヘパイストスの話じゃもう察知されてんじゃないの。これじゃ権妻になった途端詰むわよ! ヘラの執念深さは神話オタクとして熟知してるんだか――」
文句を吐くため目近に寄せていたブリコの顎は、くいと捕まれた。そのまま、ゼウスの口付けを受ける。