ライナスが6歳になってから数ヶ月が経った頃、彼の魔法研究は着実に進歩していた。
毎日の基礎練習に加えて、独自の理論構築に時間を費やしていた。しかし、その成果はまだ形になっていなかった。
「うーん……」
ライナスは一人で森の中にいた。人目につかない場所で魔法の実験をするためだった。
(魔力を属性に変換する時、一体何が起きているんだろう……)
手のひらに小さな火を灯し、じっと観察する。火の魔法を使う時の魔力の流れを意識的に感じ取ろうとしていた。
(前世の物理学知識で考えると、エネルギーの変換が起きているはずだ。でも、この世界の魔法はそれだけでは説明できない……)
しばらく実験を続けていると、背後から声がかかった。
「坊や、こんなところで何をしているんだい?」
振り返ると、見知らぬ老人が立っていた。70代くらいに見える男性で、長い白髭を蓄えている。質素だが品のある服装をしていた。
「あ……えっと……」
ライナスは慌てた。魔法の実験を見られてしまったかもしれない。
「魔法の練習をしていたのかい?」
「はい……でも、人に迷惑をかけないように、こっそりと……」
「ほほう、感心だね。で、どんな練習をしていたんだい?」
老人は優しい笑顔を浮かべている。悪い人ではなさそうだったが、ライナスは警戒していた。
「基本的な火の魔法です」
「そうかい。見せてもらえるかな?」
ライナスは迷ったが、老人の雰囲気に押されて手のひらに小さな火を灯した。
「ほほう……6歳でこれだけの制御ができるとは……なかなかの才能だね」
「ありがとうございます……」
「ところで坊や、魔法の仕組みについてどんなことを考えているんだい?」
老人の質問に、ライナスは驚いた。
「仕組み……ですか?」
「そうだよ。魔法がどうして起きるのか、考えたことはないかい?」
(この人は……ただの老人じゃないかもしれない)
ライナスは慎重に答えた。
「魔力を使って、色々な現象を起こすんだと思います」
「ふむ……それは表面的な理解だね。もっと深く考えてみたことはないかい?」
「深く……」
ライナスは迷った。自分の理論について話すべきかどうか……
「君が一人でここで練習していたということは、何か独自に考えていることがあるんじゃないかい?」
老人の洞察力に、ライナスは驚いた。
「実は……魔力が属性に変わる時のことを調べているんです」
「おお、興味深い。どんなことが分かったんだい?」
ライナスは意を決して話し始めた。
「魔力は最初は無属性だと思うんです。それが意識によって属性に変換される……でも、どうして変換できるのかが分からなくて……」
「なるほど……君は本当に考えているんだね」
老人が感心している。
「ところで、君の名前は?」
「ライナスです」
「私はアルベルトという。よろしくね、ライナス君」
「よろしくお願いします、アルベルトさん」
アルベルトは少し考えてから口を開いた。
「ライナス君、君の考えは正しい方向にある。魔力の属性変換は確かに重要な問題だ」
「本当ですか?」
「ああ。実は、これは魔法学の基礎中の基礎でありながら、最も難しい問題の一つなんだよ」
ライナスの心が躍った。自分の研究が間違っていなかったのだ。
「もしよろしければ、君の研究を手伝ってもいいかな?」
「えっ? でも、僕はまだ子供ですし……」
「年齢は関係ないよ。大切なのは探究心だ」
アルベルトの提案に、ライナスは心を動かされた。
(この人から学べることがあるかもしれない……)
「お願いします!」
「よし、それじゃあ定期的にここで会おう。君の両親には内緒にしておいた方がいいかもしれないね」
「どうしてですか?」
「君の研究はかなり高度な内容だ。両親が心配するかもしれない」
ライナスは納得した。確かに、6歳の子供が高度な魔法研究をしていると知ったら、両親は驚くだろう。
それから、ライナスは週に2〜3回、アルベルトと森で会うようになった。
「今日は魔力の性質について詳しく調べてみよう」
「はい!」
アルベルトは博識だった。魔法に関する知識だけでなく、この世界の歴史や文化についても詳しかった。
「魔法は古代から存在していたが、体系的な研究が始まったのは比較的最近のことなんだ」
「最近というと……?」
「300年ほど前かな。それまでは経験と勘に頼った魔法使いがほとんどだった」
ライナスは興味深く聞いていた。
「理論的な研究が進んだおかげで、魔法の効率や安全性が大幅に向上したんだよ」
「そうなんですね……」
「君が今やっている研究も、そうした流れの延長線上にある」
アルベルトの指導は実践的だった。理論だけでなく、実際に魔法を使いながら説明してくれる。
「魔力を火属性に変換する時、君はどんなことを意識している?」
「えっと……熱いものをイメージして……」
「なるほど。イメージは確かに重要だが、それだけではない」
アルベルトが手のひらに火を灯してみせる。しかし、その火はライナスが作るものとは明らかに違っていた。
「この火は普通の火よりも安定している。なぜだと思う?」
「うーん……魔力の制御が上手だから?」
「それもあるが、もっと根本的な理由がある」
アルベルトが説明を続ける。
「私は魔力を変換する時、分子レベルでの変化をイメージしているんだ」
「分子レベル……?」
ライナスは驚いた。この世界にも分子の概念があるのか。
「君は分子について知っているかい?」
「少しだけ……」
ライナスは慎重に答えた。前世の知識をどこまで明かすべきか迷っていた。
「物質は小さな粒子でできている、という考え方だね」
「はい」
「魔法も同じなんだ。魔力で物質の分子構造を変化させることで、様々な現象を起こしている」
(この人は……一体何者なんだ……)
ライナスは驚愕していた。この世界の魔法理論が、予想以上に科学的だったのだ。
「君の表情を見ると、驚いているようだね」
「はい……魔法がそんなに科学的だとは思いませんでした」
「科学と魔法は対立するものではない。むしろ、互いに補完し合うものなんだよ」
アルベルトの言葉に、ライナスは深く感銘を受けた。
(この人から学べることは、想像以上に多そうだ……)
数週間の指導を受けた後、ライナスの魔法技術は飛躍的に向上していた。
「今度は複合魔法に挑戦してみよう」
「複合魔法?」
「二つ以上の属性を組み合わせる魔法だよ」
アルベルトが実演してみせる。彼の手のひらに氷が現れた。
「これは水属性と冷却効果を組み合わせた氷魔法だ」
「すごい……」
「君もやってみるかい?」
ライナスは挑戦してみた。水の魔法は使えるので、それに冷却効果を加えてみる。
最初は失敗続きだった。水が氷になる前に消えてしまったり、制御を失って暴走したりした。
「難しい……」
「複合魔法は高度な技術だからね。焦らず、じっくり取り組もう」
アルベルトの指導を受けながら、ライナスは練習を続けた。
一ヶ月ほど経った頃、ついに小さな氷を作ることに成功した。
「できた……!」
「素晴らしい! 6歳で複合魔法を使えるなんて、驚異的だよ」
ライナスは嬉しかった。しかし、同時に不安もあった。
(あまりにも上達が早すぎるかもしれない……)
「アルベルトさん、僕の成長は普通なんでしょうか?」
「普通ではないね。君は間違いなく天才だ」
「でも、それって……問題になりませんか?」
アルベルトは真剣な表情になった。
「確かに、君の才能は注目を集める可能性がある。しかし、それを恐れる必要はない」
「でも、お父さんが言ってました。才能がありすぎると狙われることがあるって……」
「君のお父さんは賢明だね。確かにそうした危険もある」
アルベルトが考え込む。
「だからこそ、君には正しい知識と力を身につけてもらいたいんだ」
「正しい知識と力……」
「そうだ。才能だけでは身を守れない。しっかりとした理論と実力があれば、どんな困難も乗り越えられる」
ライナスは理解した。
(確かに、中途半端な力では危険かもしれない。しっかりと学んで、本物の実力を身につけよう)
それから、ライナスはより一層真剣に魔法の研究に取り組むようになった。
アルベルトから学ぶ理論は高度で、時には理解するのに時間がかかった。しかし、前世の知識があることで、他の子供よりも理解が早かった。
「魔法の本質は、世界の法則を理解し、それを操ることなんだ」
「世界の法則……」
「物理法則、化学法則、そして魔法特有の法則……これらすべてを理解することで、真の魔法使いになれる」
ライナスは感銘を受けた。この世界の魔法は、予想以上に奥深いものだった。
7歳になった頃、ライナスは基本的な四属性(火・水・風・土)の魔法をすべて使えるようになっていた。さらに、いくつかの複合魔法も習得していた。
「君の成長速度は本当に驚異的だね」
「ありがとうございます、アルベルトさん」
「そろそろ、次の段階に進んでもいいかもしれない」
「次の段階?」
「魔法の創造だよ」
ライナスは興味を示した。
「自分で新しい魔法を作るんです?」
「そうだ。既存の魔法を組み合わせたり、新しい理論を適用したりして、オリジナルの魔法を開発するんだ」
(魔法の創造……これは面白そうだ)
「でも、僕にできるでしょうか……」
「君なら大丈夫だよ。これまでの研究で、十分な基礎は身についている」
アルベルトの信頼に、ライナスは勇気づけられた。
「やってみます!」
こうして、ライナスの新たな挑戦が始まった。魔法の創造という、より高度な研究に踏み出したのだ。
しかし、彼はまだ知らなかった。この研究が将来的に、彼にとって重要な意味を持つことになるということを。
(前世の知識と、この世界の魔法理論を組み合わせれば、きっと何か新しいことができるはずだ)
ライナスは希望に満ちた気持ちで、新しい研究に取り組み始めた。
彼の才能と努力、そしてアルベルトの指導が組み合わさることで、どのような成果が生まれるのか……それは、まだ誰にも分からなかった。