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第3話 魔族襲来

 夕暮れの広場。

 屋台の骨組みを照らしていた橙色の光が、いつしか茜と群青の間で揺れている。

 立ち並ぶ屋台の片隅には、転倒防止用の補助輪を外されたコロッタがぽつんと置かれていた。

 ドルジークはしゃがみ込み、指先でキャタピラの軸を回しながら独り言を続ける。


「重心を下げても横転率に大きな改善は見られない。ふむ……いっそ四脚で歩かせたほうが――」


 ――ゴォウッ!


 空気を裂く低い轟音。

 視線を上げると、城壁の向こう側に漆黒の光柱がそそり立っていた。

 どす黒い炎がまとわりつき、雲を焼いて広がる。


「……爆発」


 次の瞬間、地面が揺れ、大砲を百発まとめたような破裂音が街全体にこだました。

 屋台の天幕がはためき、屋根瓦が遠くで割れる音。

 広場にいた人々が悲鳴を上げ、一斉に逃げ出す。


 ゲート方面から人々の怒号と足音が雪崩れ込む。

 だがドルジークはコロッタに手を当てたまま、逃げ惑う列をぼんやり見つめていた。

 赤子を抱きかかえる母親、荷車を捨てて走る商人。

 そして、転んでもすぐに立ち上がって駆け出す子供たち。

 それを見ながらふと考える。


「やはり転倒状態からの自己復帰制御を入れるべきだな……いや、いっそのこと足を……」


 背後で木箱が割れる音がしても、彼の視線は光柱と計算式のあいだを往復するだけだった。

 逃げ惑う群衆をかき分け、鎧姿の一団が広場へなだれ込んだ。

 先頭で指揮を執るのはゲオルだ。

 肩当ての赤い羽飾りは、部隊長の印。

 後ろに続くのは、恐らくこの都市で集められる最高レベルの精鋭冒険者たちが30名ほど。


「防衛線を張れ! 負傷者は中央通りへ下げろ!」


 剣を振り回して指示を飛ばすゲオルの目が、石段に腰を下ろすドルジークを捕らえた。


「お前、何をしている!」


「ゲオル。お前こそ、一体何の騒ぎだ」


「はぁ!? お前……さっきの爆発を見てなかったのか!? 魔族だ! 魔族が急に現れたんだよ!」


 ドルジークは首を傾げた。


「魔族……? 実物を見るのは初めてだな」


「見るんじゃない、逃げろ!」


「今からここで戦うんだろう? なら観察したい」


「何を呑気な――!」


 ゲオルが頭を抱える間にも、城壁側の瓦礫が爆ぜた。

 土煙を割って現れたのは、牛頭人身の巨体。

 赤黒い筋肉に漆鎧をまとい、身の丈ほどある戦斧を肩に担ぐ。


「我はバル・ゾラ――魔族七侯爵、紅蓮公に連なる獣兵大尉!」


 地鳴りのような声が街路に響いた。

 冒険者たちの顔から血の気が引く。

 大尉、が魔族の中でいかなる立場の存在なのかは誰も知らないが、その巨躯から発せられる禍々しいオーラが、ただ者ではないことを示していた。


「ヌゥン!」


 斧を軽く振るっただけの風圧で、冒険者たちが数歩後退させられる。

 ドルジークの瞳がわずかに輝いた。


「見た目以上の筋力だな、密度が人間のそれとは比べ物にならないらしい。……ふむ、面白い」


 ゲオルは剣を構えながら振り返る。


「観察はいい、下がれ!」


「興味が湧いた。ここで見物させてもらう」


 そう言うとドルジークはすたすたと歩を進め、ドカッと広間中央の噴水の縁に腰を下ろす。

 そのまま長い足を組むと、太ももの上でノートを開いて素早くペンを走らせ出した。


「チッ……もういい! 全員! 恐れるな、陣形を維持!」


 震える仲間を鼓舞しつつ、ゲオルは前へ立った。

 バル・ゾラが巨躯を沈め、斧を地面すれすれで横薙ぎに振る。


 ガァンッ!


 鈍い衝撃に続いて石畳が粉砕された。

 衝撃波が円を描いて跳ね、最前列の戦士たちをまとめて吹き飛ばす。

 甲冑が転がり、悲鳴が散った。


「くっ……! 前衛、後退! 二列目と入れ替われ!」


 ゲオルが叫ぶ。

 だが二列目は、恐怖のあまり前に出ることができない。

 バル・ゾラは一歩踏み込み、柄尻で槍兵の胸当てを砕いた。

 鉄板がめくれ、男が咳血とともに崩れ落ちる。

 ドルジークは飛んでくる鎧や石畳の破片で流血しながら、ノートに走り書きした。


 『斧軌道幅・約3メートル 衝撃半径10メートル』。


 冒険者たちは動揺し、隊列が乱れる。

 彼らの剣先が届くより早く、斧の円軌道が次を薙ぐからだ。


「いったん下がれ! 陣形を立て直す!」


 ゲオルが叫んだ。

 辛うじて立てている面々が盾を掲げて後退し、広場の端へ散っていく。

 粉じんの中で、ドルジークは砕けた石片を拾い上げた。

 断面の焼け具合を確かめ、静かに頷く。


「斬撃面に熱……! 魔力によるものか……興味深い」


 ノートに乗せられたインクが乾く前に、大きな影が覆いかぶさる。


「貴様、なぜ逃げぬ」


 低い声。

 顔を上げると、牛頭の巨人が見下ろしている。

 赤い瞳が興味半分、嘲笑半分で揺れた。


「必要ない」


「……何だと?」


「逃走など必要ないと言った。理解できなかったか? ……やはり頭が牛な分、知性は低いようだな」


 ドルジークはペン先を止める。

 その不遜な物言いに、バル・ゾラは鼻先で笑った。


「確かに、貴様ごときが逃げても運命は同じだ」


 言うなり、巨斧を振り下ろす。

 風圧だけで石くれが跳ねた。


「ダメだ! 逃げろ!!」


 ゲオルが声を張り上げる。

 だがドルジーク座った状態のまま、掌を上に向けた。


偏曲盾シェルブレード


 空気が歪み、半透明の盾壁が噴水前に展開。

 斧刃がぶつかり、火花と衝撃波が散ったが、防壁はびくともしない。


「ほう……」


 バル・ゾラの口元がわずかに吊り上がる。

 想定外の抵抗に、興味を抱いたようだった。


「ならばこれはどうだ!」


 バル・ゾラが踏み込むと、石畳がひしゃげて粉じんが舞った。

 ドルジークは距離を測り、一歩退くと右手を横に払う。


連鎖雷チェインスパーク


 青白い稲妻が空を裂き、巨体へ三度、四度と弾ける。

 雷光が鎧を走り、金属臭い蒸気が上がった。

 だがバル・ゾラは痛みを笑い飛ばし、斧で地面を叩き割る。


「効かぬわ!」


 破片が弾丸のように飛ぶ。

 ドルジークは指を鳴らす。


磁偏向マグネディフレクト


 目に見えぬ膜が生まれ、礫の軌道を逸らした。

 砕石は彼の背後へ抜け、噴水にぱらぱらと落ちる。


「守るだけか、人族の魔術師よ!」


 バル・ゾラが斧を高く掲げる。

 刃が紅蓮色に発光した。


「これは防げんぞ!」


 振り下ろしと同時に地面が裂け、溶岩色の亀裂が一直線に走る。

 ドルジークは足元を見もしない。


瞬歩フラッシュテップ


 靴底の魔方陣が光り、彼の姿がふっと消えた。

 いや、正確には、目に見えぬほど高速で移動したのだ。

 現れたのはバル・ゾラの斜め後方。

 掌を突き出す。


高魔弾コンデンスバレット


 濃紫の弾丸が六連射で叩き込まれ、巨体を仰け反らせた。

 鎧が凹み、黒血が飛ぶ。

 冒険者たちが遠巻きに息を呑む。


「グオオオオオオッ!」


 だが獣兵大尉は吼え声とともに腕を振り、反動で振り向きざまの斧を繰り出した。

 軌跡は音より速い。


「ッ──偏曲盾シェルブレード!」


 光の多層幕が割り込む。

 衝突音が雷鳴に変わり、防壁が蜘蛛の巣状に亀裂。

 ドルジークは半歩後退した。

 足先まで衝撃が抜け、喉に鉄の味が広がる。

 バル・ゾラの呼吸が荒くなるが、斧はなお軽々と振り回された。


「その盾! あと何度保つ!?」


 ドルジークは答えず、左腕をかざす。

 小型の魔方陣が浮かび、銀白の刃が射出。

 しかしバル・ゾラは柄で弾き、足蹴にして突進した。


偏曲盾シェルブレード……ぐっ!」


 巨体がぶつかり、ドルジークの防壁が砕け散る。

 地面を滑ったドルジークが膝をつく。

 視界が揺れ、血がこめかみに滲む。

 バル・ゾラが勝ち誇ったように斧を肩へ担いだ。


「終いだ、人間! 貴様の呑気な観察はここで終わる!」


「……ふ、十分だ」


 その瞳はまだ測定者の色を失っていない。

 それどころか、口元にはわずかな笑みすら浮かべている。


「……何を考えている。なぜ恐れない」


「恐れ? 研究にはてんで不要な感情だな」


 ドルジークは息を整え、指先で血を拭う。

 そしてパンパンとコートについた埃を払うと、バル・ゾラへ向き直った。


「やはり現地調査に勝るものなし。良いデータが取れた、感謝する。……それでは貴様は、もう用済みだ」


 相変わらず、緊張の欠片もない声が夜気に溶けた。

 空の彼方で、複数の魔術信号が応えるように瞬く。


「まだこけにするか……! ならばあの世で後悔してこいッ!」


 バル・ゾラが巨斧を振りかぶった。

 刃から放たれた赤い衝撃波が、一直線にドルジークへ突き進む。

 だが彼は微動だにしない。

 直撃まで、あとわずか。


「避けろ、ドルジーク!」


 遠くでゲオルが絶叫した、その瞬間。


 ガイィンッ!


 黒い塊が空から落ち、ドルジークの前に突き刺さった。

 敵の衝撃波はその装甲に弾かれ、霧散する。


 粉じんが晴れると、塊がパキンと展開。

 迷彩緑の外殻が開き、二メートル級の鋼躯が現れた。

 胸の魔導コアが脈打ち、赤い単眼がバル・ゾラを正面からにらみつける。


「一体目、到着――」


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