その日以来、後宮での瑛麗の立場は、坂道を転がり落ちるように悪化していった。
月華が大切にしていたらしい異国伝来の香炉が壊された時も、偶然にもその場に居合わせたのは瑛麗だけであり、犯人に仕立て上げられた。「また瑛麗様の仕業では?」と、侍女たちは怯えた目で囁き合った。
月華が、ある有力な家臣の娘である妃の陰口を言っていたという噂が流れた時も、なぜかその噂の発信源は瑛麗であるとされた。月華は涙ながらに「わたくしは、そんなこと」と否定し、ますます同情を集めた。
王は、瑛麗に対しては「年長者として、もっと寛容であるべきではないか」「いつまでも過去の栄光にこだわっていると、見苦しいだけだ。お前ももう若くはないのだから、少しは身の程を弁えよ」と、冷たく言い放ったのだ。
瑛麗がどんなに弁明しても、周囲の目は冷たく、王はもはや瑛麗の言葉に耳を傾けようともしなかった。
かつてあれほどまでに饒舌だった王の口は、瑛麗の前では貝のように固く閉ざされ、その瞳には諦めの色さえ浮かぶ。
「年長者として、もっと寛容であるべきではないか」
「いつまでも過去の栄光にこだわっていると、見苦しいだけだ。お前ももう若くはないのだから、少しは身の程を弁えよ」
その言葉は、瑛麗の心を完全に打ち砕いた。
そんななか、月華はまるで慈母のように振る舞った。
「瑛麗様は、きっと何かお悩みがあるのやもしれません。あまり思いつめられなければ良いのですが……」
月華は、他の妃たちに瑛麗への同情を促すかのような素振りを見せる。
言葉の端々には、「瑛麗は精神的に不安定であり、思いつめて何をするかわからない危険な存在である」「近づけばなにをされるかわからない」という意が巧妙に織り込まれており、瑛麗の孤立をさらに深めた。
侍女たちも一人、また一人と瑛麗の元を去っていった。
かつては忠誠を誓い、瑛麗の寵愛を自分のことのように喜んでいた者たちでさえ、今では冷ややかな視線を向けるか、あるいは腫れ物に触るように避けて通るようになった。
夜、広すぎる閨に一人取り残された瑛麗は、かつて王から贈られた数々の宝飾品を虚しく眺めた。
それらはもはや、過去の栄光の残骸でしかない。微かに残る、かつて焚き染められた白檀の香りが、今の孤独な自分を嘲笑っているようにすら思えた。
「どうして……どうしてこんなことに」
絹の寝具に顔を埋め、声を殺して泣いた。
月華への憎しみ、王への絶望、そして自分自身の不甲斐なさ。様々な感情が渦巻き、瑛麗の心を蝕んでいく。
ふと、窓の外に目をやると、冷たい月光が庭を照らしていた。
「ああ、月華。どうせあなたは心の奥底で、この月のように、冷たくわらわを見下しているのでしょうね」
瑛麗は、見えない蜘蛛の糸にがんじがらめに絡め取られ、もはや逃れることができない無力感を覚えた。
遠くで、楽しげな管弦の音が聞こえてくる。きっと、王と月華が宴を催しているのであろう。
一音一音が鋭く、針のように胸を突き刺す。かつて自分が主役だった輝かしい日々を、鮮明に思い出させ、いっそう惨めだった。
「ああ、陛下。わらわは……瑛麗は、今でもあなた様をお慕いしております」
涙を流しながら固く目を閉じた。暗闇と過去の夢だけが、今の瑛麗にとって唯一の逃げ場所なのかもしれなかった。
それでも、眠れない夜も多い。どうにもできず、真夜中ならば人の目もないだろうと庭をさ迷うようになってきた。
ある夜、月明かりだけが頼りの薄暗い廊下で、瑛麗は月華と二人きりで鉢合わせになった。
月華は、王の夜伽を終えて自室へ戻る途中だったのだろう。その顔には、満足げな、そしてどこか挑戦的な微笑みが浮かんでいた。
「瑛麗様。このような夜更けに、いかがなされましたか」
その声は、昼間の猫を被ったようなか弱さとは程遠い、鈴を転がすような、しかし芯のある響きだった。
瑛麗は、喉の奥から込み上げてくる屈辱と怒りを抑えた。ああ、だが。今さら取り繕って何になるだろうか。
「わらわがなにをしようが、あなたには関係のないこと。……寵愛を一身に受けて、さぞご満悦でしょうね」
「満悦、でございますか? ええ、そうかもしれませんわね」
皮肉を込めたつもりだが、しかし、月華にはまるで通じなかった。
月華はくすりと笑うと、一歩、瑛麗に近づいた。そして、囁くように言った。
「でも、瑛麗様。寵愛などというものは、所詮移ろいやすいもの。今のわたくしがそうであるように、かつての瑛麗様も。……そうお思いになりませんか?」
まるで瑛麗の心を見透かしたかのように、的確に痛いところを突いてきた。
返す言葉もなく立ち尽くす瑛麗に、月華はもう一度、意味ありげな微笑みを投げかけると、音もなく夜闇の中へ消えていった。